第38話 不揃いのピースたち

  12  不揃いのピースたち


「……まともに戦ったらボロ負けして、好き放題やったら勝ったってことかよ。立場ねえな」


 一階への階段を上りながらエドワードがぼやいた。


「意表を突いて先手を取り続けないと、どうにもならなかったんだもの。もし先輩に訓練してもらってなかったら、最初の戦闘でみんなやられちゃったと思うよ」


「逆転できたんはこれのおかげやしな」


 ルピニアは左手を下ろし、右へ水平に動かした。「回り込め」のサイン。


「最初は気づかんかった。頭に血が上っとったしな。エルミィの嘘はできすぎなんや、アトリがサインを思い出せ言わんかったらほんまに信じるとこやった」


 エルムは不満げに口を尖らせた。


「少しくらい疑ってよ、それじゃボクが極悪人でも不思議じゃないってことになるじゃない。説得力のある嘘をついて、見抜かれないようなヒントも一緒に考えるのは大変だったんだから」


「ヒントなんてあったんか。まるっきり気づかんかった」


「たぶん修行中の神官をよく見てるひとでないと気づけないよ。アトリちゃんが司教の弟子だって分かったから思いついたんだけどね」


「司教がヒントになるんか」


 ルピニアは歩きながら考え込んだ。


 一般に言う司教とは、教区の神官たちを取りまとめる司祭の、さらに上位の職位だ。聖職者の中ではかなり高位の位階であり、おそらく地方全体を見回しても数人しかいないだろう。


 しかし冒険者という限定された世界において、司教という言葉は別の意味合いを持つ。神の力を借り奇跡を行使する神官でありながら、人間が作り出した魔術をも修めた者。いわば魔法の専門家を指す呼称が司教だ。


 アルディラの異名である「王宮泣かせの女司教」は、厳密に言えば後者の司教でしかない。しかし、もし彼女が王宮の招聘に応じて宮廷魔術師となっていたならば、聖職者としての職位もそれに見合ったものが与えられていたことだろう。ましてアルディラは現存する神官の術を全て修めているとも噂されている。司祭の職位ではとうてい収まるまい。となれば前者の意味での司教も、あながち的外れな呼称とは言えない。


 しかしそれらが謎解きのヒントとどう結びつくのか、ルピニアには見当がつかなかった。


「……禁呪があるとか言っとったな。あれが嘘やったんか?」


「残念。ちょっとはずれ」


 エルムが微笑みながら首を振る。


「背教の誓約は本当にあるよ。一文しかないって言ったのが嘘。本当は丸々一ページあるから、逃げながら唱えきるなんて無理だったんだよ」


 ルピニアは怪訝な顔をアトリに向けた。


「なんでアトリがそんなこと知っとるんや。神術は習っとらんのやろ?」


「そんな呪文は初耳でしたし、本当にあるのかどうかもわたしには分かりませんでした。妖精狩りも半信半疑だったと思います。ヒントは教典を読んで覚えた、というところにあったんです」


 羽織った毛布を押さえながらアトリが微笑む。


「弟子入りして初めて知ったんですが、神官の教典は声に出して読まないと内容を覚えられないそうです。必ず覚えなければいけない禁呪がたった一文しかなかったら、覚えようと読み上げた途端に神官でなくなってしまいますよね。神官をやめるという脅迫が嘘ならエルミィさんの取引は成り立ちません。それを教えてくれたからには、きっと別の考えがあると思ったんです」


 前列のジャスパーが頭を振った。


「頭がこんがらがってきた。よくそんなややこしいやり取りができるな」


「そういやあんたも口開けてぼうっとしとったな。ひょっとして騙されとったんか」


「嘘なのは分かってた。あんなのが最善の方法だなんて、エルムが考えるわけがない。だけど何を思いついたのか分からなかったし、オレが何か言ってぶち壊しになったらまずいだろ。だからとりあえず黙ってた」


「信じてくれて嬉しいよ♪」


 エルムが後ろからジャスパーの腕にしがみつく。ジャスパーは一瞬よろけ、階段を踏み外しそうになった。


「うわ、よせバカ。危ない」


「仲のいいこった。キノコを落とすなよ」


 エドワードが呆れ顔で肩をすくめた。




 長い階段が終わった。壁にコケが生えていない通路はランタンの明かりを反射し、白く輝いた。


 アトリが大きく息を吸った。


「地下とは空気が違いますね。少しだけ風を感じます」


「ああ。なんだかほっとするな」


「ようやく階段とおさらばや」


 ルピニアが後ろ手で背負い袋を押し上げる。吊り下げられた金属鍋がガシャリと音を立てた。


「……はあ。フライパンは覚悟しとったけど、鍋までボロボロになったんは予想外や。直したらいくらかかるんやろな」


「思いきり壁に投げつけるなんて、普通は考えないものね。だいぶ歪んじゃったし買い換える方が安いかも」


 ルピニアはじろりとエルムを睨んだ。


「どっちでもええけど、あんたには半分出してもらうで。いきなり壁登るわ、あんな高さから被せるわ。おかげで鍋の底が抜けかけとるやんか」


「ボクだってルピニアちゃんが自分から攻撃するなんて思わなかったよ。びっくりして足が止まっちゃった。それにあのフライパンはどこから出したの?」


「フライパンのことはええ。回り込め言うたんはあんたやろ。挟み撃ちのつもりやなかったんか?」


「あれはボクがなんとかして注意を引くから、その隙にアトリちゃんを助けてって意味だったんだけど……」


 傍で聞いていたジャスパーとアトリは呆気にとられた。


「なんか全然かみ合ってないな。二人で打ち合わせしてあったのかと思ったのに」


「うまくいったのは偶然だったみたいですね……」


 いつしか一行の足は止まっていた。エドワードとケインが呆れ顔で後方をうかがっている。


「あんなサイン見たら誤解するに決まっとるやろ。だいたいなんで弓を持っとらんウチがアトリを助けられる思ったんや」


「足音がボクによく似てたし、戦闘の心得はあるのかもしれないって思ってたんだよ。でも腕力がないだろうから、アトリちゃんのそばで身を守ってもらおうって」


「……」


 ルピニアが二人の獣人を睨む。その目は据わっていた。


「……匂いの次は足音。あんたらどこまで乙女の秘密を覗くつもりや」


 突然矛先を向けられ、ジャスパーは後じさった。


「なんでオレまで。いやな匂いとは言ってないだろ」


「そういう問題やない。デリカシーっちゅうもんを知らんのかあんたは」


「いいからちゃんと聞け。ルピニアは大きな木に寄りかかったときみたいな、なんかほっとするいい匂いがする。お前が途中でひっぱたくから言いそびれたんだぞ」


「な、な、な」


 ルピニアの頬にさっと赤みが差す。


「そ、そもそも嗅ぐんやない言うとるんやアホ! 今後ウチらの前じゃその鼻ふさいどき!」


「オレは息もするなって言うのかよ!」


「ええと、ねえ、二人ともちょっと落ち着こうよ」


 ルピニアとジャスパーは同時に振り向いた。


「あんたは黙っとき」


「エルムは黙ってろ」


「……おいエド。俺は先に帰っていいか」


「護衛でなけりゃ俺も帰りてえ」


 ぼやく年長組の横で、アトリは口元を押さえくすくすと笑っていた。


「……本当に、素敵な仲間です」

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