第36話 強さのかたち

  10  強さのかたち


 エドワードとケインは通路でうつ伏せに倒れていた。どちらも目立った怪我はしておらず呼吸も正常だが、揺り動かしてもなかなか意識が戻らない。


「気絶させられたみたいだね」


「首筋を叩くあれか?」


「うん、たぶん。ボクたちに怪しまれるといけないから、とどめをさす時間がなかったんじゃないかな」


「チャンスだな」


 ジャスパーがにやりと笑う。

 エルムは首をかしげた。


「顔にいたずら書きでもするの?」


「こういうときのお約束があるだろ」


 ジャスパーはエドワードのそばにしゃがむと、手を合わせておごそかに切り出した。


「天上のなんとか。子羊のなんとか。ささやき、えいしょう、いのり――」


「わわ、だめだよジャスパー」


 エルムが慌てたようにジャスパーの口をふさぐ。騒ぎの最中にエドワードがうめき声を上げた。


「……まだ死んでねえぞ。くそったれ」


「あれ。目を覚ましちゃったかセンパイ」


「どこかの寺院に訴えられても知らねえからな」


 エドワードは後頭部をさすりながら身を起こした。


「いったい何があった。お前らは無事なのか」


「大丈夫だ、みんな生きてる。敵はなんとか倒した」


 エドワードは目を見開いた。


「倒しただと? 俺とケインに一杯食わせた奴をか?」


「長い話になるよ。とにかくケインさんを起こすね」




 六人は玄室で手短に経緯を説明しあった。


 ケインに関してはエルムが推察した通りだった。ガーゴイルと戦い孤立したケインは、エドワードに変装した細目の男に襲撃されていた。


「奴が偽者だとは分かっていた。最初は短剣だったくせに、途中から長剣を使っていたからな。おおかた俺の剣をしのぎきれなくなったんだろう。だがガーゴイルが他に何匹いるか分からないのに、エドの偽者までいたら子守どころじゃない。俺は一階まで駆け出し連中を追いかけて、出口へ送った。それから二階へ引き返した」


「そこが不思議だったんだけど、ケインさんはあのひとたちと一緒に止まり木亭へ帰っちゃっても構わなかったんでしょ? どうして二階へ戻ってきたの?」


 ケインは苦い顔をした。


「俺の子守もあいつらのクエストも、ガーゴイルと奴のせいで台無しにされた。せめて奴の正体を暴いてやらないと気が済まないだろう? ところが奴は何度も俺に不意討ちを仕掛けて逃げ回った。そうやって俺が頭にきたところで本物のエドにぶつけたんだ。くそ、思い返すだけで腹が立つ」


「分かる。オレだってもう一発殴ってやりたい」


 ケインはジャスパーに顔を向け、一転して愉快そうに笑った。


「ジャスパーだったな。気が合うじゃないか。だがそれはだめだ。俺たちには奴を勝手に殴る権利がない」


 ジャスパーは怪訝そうにケインを見返した。


「エルムも同じことを言ってたけど、なんなんだそれ」


「すぐに分かる。ところでエド。あいつらを一階へ誘導してくれたそうだな。手間をかけた」


「礼ならアトリに言え。悪いが俺は連中を放っておくつもりだった」


「……その子がお前を説得したって言うのか?」


「貫禄負けしちまったよ」


 エドワードが肩をすくめる。

 ケインは目を丸くした。

 毛布にくるまり、申し訳なさそうに身をすくめるアトリはおよそ迫力とは縁遠かった。


「今どき見かけねえフェアリーと妖精狩りが揃うわ、俺らを出し抜いた野郎が駆け出しルーキーに倒されちまうわ。こんな無茶苦茶なクエストは二度とねえな。……さて」


 エドワードはアトリに向き直った。


「アトリ。お前さんはあの野郎をどうしたい」


「ここで殺すかどうか、ですね」


 落ち着いた声が答えた。

 ジャスパーは耳を疑った。


 アトリの言葉とは思えない。平静な口調がますます内容と合っていない。誰かの声と聞き間違えたのだろうかと、ジャスパーは思わず周りを見回した。


「一番苦しんだのはお前さんだ。好きに決めろ。誰も文句は言わねえ」


 好きに決める。勝手に殴る権利。

 二つの言葉が頭をかすめ、ジャスパーは気づいた。


 ――そうだ。今あいつを殴っていいのはアトリだけだ。


 アトリは長い間追われて苦しみ続けた。復讐は彼女の権利だ。妖精狩りと関わって二日足らずの自分たちに、彼女をさしおいて横から殴る権利などありはしない。


 アトリは横たわる細目の男に無言で目をやった。

 平静な顔だった。憎悪や怒りをはじめ、それと分かる感情は顔に浮かんでいない。

 しばしの沈黙の後、アトリがゆっくりと口を開いた。


「生きたまま官憲に引き渡したいと思います」


「殺すならダンジョンにいる今しかねえぞ。いいのか」


 アトリはうなずいた。


「あの男は妖精狩りの集団の一人でした。襲われたのは一族の集落です。全員が逃げられたとは思えません。捕まったひともいると思います。そのひとたちをどうしたのか、聞き出さないといけませんから」


 ルピニアは静かにアトリの手を握った。

 握り返してくる手は小さかった。


 ルピニアの胸は痛んだ。


 アトリにとって妖精狩りの事件はまだ終わっていない。淡々と語った彼女の胸中にはどんな感情が渦巻いていたことだろうか。


「でも、あの男を手がかりに多くの妖精狩りが捕まるかもしれません。どこかに捕まっているフェアリーたちが助かるかもしれません。みなさんのおかげです」


 アトリは五人に頭を下げ、穏やかに微笑んだ。彼らを見回す深緑の瞳は深く静かな光をたたえていた。


「ルピニアさんもそんな顔をしないでください。わたしはもう大丈夫ですから」


「……急に元気になりよって、この」


「あ、だめ、帽子が傷んでしまいます」


 帽子ごと頭をくしゃくしゃにされたアトリは楽しそうに笑った。鈴の音のように澄んだ笑い声だった。


 ――それがあんたの強さや。ウチには真似できん。


 アトリの頭をもてあそびながら、ルピニアは鼻眼鏡の奥で目頭を熱くしていた。


「そういうことならあの野郎は俺が運んでやる」


 ケインが立ち上がった。


「ジャスパー。その子の背負い袋を持ってやるといい。あのベルトはここじゃ直せないだろう」


「分かった。センパイの手は空けておくってことだな」


「おう。俺たちは力仕事だ。敵が出たら全部エドに任せよう」


「そんなことで意気投合してるんじゃねえ」


 エドワードが呆れ顔で口を挟む。

 その時、通路側から扉をノックする音がした。

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