【三日目 朝】 改訂版

第27話 彼らの距離

  1  彼らの距離


 目を開けると薄暗かった。床は冷たく固く、身体に巻きつけた毛布も薄い。枕代わりにしていた腕が若干痛む。


「……あれ?」


 ジャスパーは辺りを見回した。背後にはごつごつとした岩の壁。少し離れた前方には油の切れかけたランタン。

 どこか暗いところの壁際で寝ていたのだと理解するには数秒かかった。


 ――そうか、ここはダンジョンの中だった。


 意識が覚醒するとともに記憶がよみがえってくる。


 たしか昨夜はルピニアと話し込んだ後、玄室の隅で毛布を巻いて横になったはずだが、その後の記憶がない。おそらくそのまま熟睡してしまったのだろう。


「……って、見張りは」


 ジャスパーは慌てて身を起こした。

 隣で寝ていたはずのエルムと、その向こうにいたはずのアトリの姿がない。アトリがいた辺りのさらに向こうで、ルピニアが背を向けて横になっている。


「あ、ジャスパーさん。おはようございます」


「ジャスパーおはよ♪」


 声のした方向に目をやれば、夕べ焚き火をしていた辺りで火口箱に息を吹きかけているアトリと、彼女に手ほどきしているらしいエルムの姿があった。


 ジャスパーは首をかしげた。


 あの二人が起きているということは見張り当番のはずだ。なぜ扉の前にいない? それ以前になぜ自分とルピニアは起こされなかった?


「先輩はあっちだよ」


 エルムが指した方向に目をやると、扉の横で壁によりかかってあくびをしているエドワードの姿があった。


「わたしたちを起こさないで、寝ずの番をしてくれたんです」


 アトリが顔を上げた。すっかり見慣れてしまった申し訳なさそうな表情。その手にはようやく着火したらしい細枝があった。


「アトリちゃん、早く。火が消えちゃう」


「は、はい」


 アトリが組んだ焚き木に細枝を近づける。焚き木には若干の油がかけてあった。火は焚き木に移り、次第に力強く燃え始めた。


「できたね♪ あとは何回かやれば慣れるよ」


「ありがとうございました、エルミィさん」


 安堵したように胸をなでおろすアトリの表情は、昨日に比べてはるかに和らいで見えた。一晩ぐっすり寝て回復したことも大きいだろうが、一時的にせよ安全な場所にいることで肩の力が抜けたのかもしれない。


 ジャスパーは起き上がり、扉へ向かった。

 足音に気づいたエドワードが片手を挙げた。


「よう。起きたか」


 エドワードの前でジャスパーは逡巡したが、ゆっくり頭を下げた。


「ありがと。センパイ」


「そういう仕事だからな」


 エドワードは生あくびした。


「メシ食ったら一階へ戻るぞ。肉の分配は任せる」




 ルピニアを起こし、五人は火を囲んで食事を摂った。昨夜と打って変わって和やかな雰囲気だった。エルムはすっかり普段のエルミィだった。アトリは雑談に控えめながら笑顔を見せた。


 しかし時折ルピニアが向けてくる視線の意味を、ジャスパーは理解していた。自分あるいは彼女のどちらかがアトリに問いたださなくてはならないのだ。なぜ自分たちは場違いな魔物に襲われなければならないのかと。


 ――壊したくない。せっかく打ち解けたのに。


 その逡巡を共有する二人にとって、和やかな時間は安らぎでもあり、苦痛でもあった。


 食事の時間も永遠に続きはしない。深鍋が空になり、それぞれが食器を片づけ始めたところでジャスパーは重い口を開いた。


「……なあ。アトリ」


「はい?」


 振り向いたアトリはかつてなく穏やかな顔だった。


 思い返せば戦闘時を除いて、自分からアトリに話しかけたことはほとんどなかった。こうして彼女の名前を呼んだのは一昨日から数えて何度目だろう。もしかしたら片手で数えられる程度ではないだろうか。


 しかし死闘を共に乗り越えたことで、彼女に対して感じていた距離は確実に縮まっている。もはや疑念をぶつけることがためらわれるほどに。


「あの、どうかしましたかジャスパーさん」


 アトリが小首をかしげた。深緑の瞳が不思議そうにジャスパーを見つめている。


 ジャスパーの胸は痛んだ。


 これからの会話は、さぞかし不快な思い出として互いの胸に残るに違いない。


 ルピニアは深鍋を拭く手を止め、静かにジャスパーを見ていた。すまん、と唇が動いたのが見えた。


 エルムは黙って皿を片づけていたが、ジャスパーには彼の頭上の両耳がせわしなく動いているのが分かった。エルムは全身を耳にしている。


 ――そうか。お前も気づいてたんだな。


 ジャスパーは深く息を吸った。


 この役回りはアトリと最も距離がある自分が引き受けるべきだ。ルピニアやエルムにはアトリの味方になってもらう方が良い。


「気になってたんだ――」


「おいジャス公。時と場所をわきまえろ。告白するならせめてエルミィがいねえところでやれ」


 不意にエドワードが割って入る。ジャスパーのみならず、ルピニアとエルムも目が点になった。

 エドワードは間髪入れずに続けた。


「そういうわけで俺の質問を先にさせてもらう。アトリ、答えられるなら答えろ。今日のダンジョンは安全か?」

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