第28話 本物の冒険者

  2  本物の冒険者


 沈黙が一帯を支配していた。


 黒のローブを膝の辺りで握りしめ、うつむくアトリ。

 口を半開きにして固まるジャスパー。

 アトリから視線を逸らし黙り込むルピニアとエルム。

 感情の読めない顔でアトリを見つめるエドワード。


 やがてアトリはゆっくりと首を振った。


「いいえ。おそらく、まだ危険です」


「……」


 ジャスパーは言葉を探した。頭の中を絞り尽くすつもりで探した。

 そしてうなだれた。


 最悪の返答だ。アトリは危険の正体も理由も知っており、それを今まで隠していたと認めた。解釈違いや言い逃れの余地もない。


「そうか」


 エドワードがうなずいた。その顔に感情の揺らぎは見られない。


「四階から魔物を連れてきた奴がいるってことだな。そいつの目星はついてるか? 心当たりが何もねえってわけじゃねえんだろ」


 アトリは小さくうなずいた。


「名前や顔は分かりません。でも、ここ数日の間に冒険者登録を済ませたベテランか、少なくとも初心者ではない誰かだろうと考えています」


「酒場区画にまぎれこんだ新顔じゃ俺には分からねえな。性別はどうだ」


「男性の可能性が高いと思います。アルディラさんたちが、ここしばらく女性の登録者はほとんどいなかったと教えてくれました」


 ジャスパーは横目でルピニアを見た。彼女は拳を震わせていた。


 昨夜のルピニアの推測は的を射ていたのだ。

 アルディラは知っていた。バートラムも知っていた。

 だというのに事情を知らないエドワードに護衛を押しつけ、自分たちには危険を報せることさえしなかった。


「魔物を連れ歩いたってんなら、自衛できねえ魔法使いは論外だ。人狼ワーウルフ一匹ならともかくガーゴイルどもをまとめて連れてきたんなら、動きの鈍い戦士でもねえな。俺みてえな解除師でもなけりゃ、すぐ囲まれて移動できなくなる。そこまで絞ってもまだ特定できねえか?」


 エドワードの質問が続く。

 アトリは黙考し、やがて首を振った。


「解除師、とまで分かればおそらく特定できます。でも登録のときに変装して偽名を使っていれば、通行証だけ手に入れて姿をくらますこともできます。きっともう止まり木亭の近くにはいないと思います」


「つまりダンジョンには今回しか用がねえってことか。ならそいつは冒険者じゃねえな。で、そいつはなぜお前さんを狙う」


 アトリは息を呑み、何かを言いかけて口をつぐんだ。


「先輩。今のはひどいよ」


 エルムが柳眉を逆立て、身を乗り出す。


 やや遅れてルピニアとジャスパーも気づいた。


 これはアトリの性格を利用した罠だ。この問いへの沈黙はすなわち、狙われる理由に心当たりがあるが答えられないと表明したに等しい。分かりませんと答えたとしても、少なくとも狙われている自覚はあるということになる。


 アトリはその陥穽に気づいただろう。しかし彼女はとっさに嘘をつくには正直すぎた。何のことですかと返すことをためらってはならなかったのだ。


 初めて怒気を見せたエルムすら無視し、エドワードはうつむくアトリを顔色ひとつ変えず見つめていた。


「……理由は答えられません」


「ならいい」


「え?」


 アトリが顔を上げる。

 あっけなく追及を止めたエドワードに四人の視線が集まった。


「お前らにも分かっただろ。このバカ正直でお人よしのアトリを狙う奴がいるってんなら、どう考えてもそいつのほうが悪党だ」


 エドワードは立ち上がり、唖然とする四人をよそに荷物をまとめ始めた。


「準備しろ。さっさとダンジョンを出るぞ」


「いえ、わたしはもう――」


「一人でここに残るとか言ってみろ、縛って止まり木亭まで引きずって行くぞ。俺のクエストはお前ら全員を連れて帰ることだ。一人や二人狙われてようが関係ねえし、理由なんざどうでもいい」


 ジャスパーの心は震えた。


 これが本物の冒険者だ。託された依頼を、自らの使命を、命を賭けてでも果たしてこそ冒険者だ。


「エルム」


「うん♪」


 すっかり怒気を収めたエルムとうなずき合い、ジャスパーは食器を片づけ始めた。


「アトリもぼやっとしとる場合やないで。さっさと荷物をまとめんか」


 ルピニアは背負い袋に深鍋を詰め込もうと悪戦苦闘していた。


「ああもう、肉は食べきったんに鍋が入らん。やっぱりキノコが邪魔や。これじゃ帰りも吊り下げなあかん」


「傘を潰しちゃったら台無しだものね」


「ウチは矢筒も背負っとるんや、歩いとる間ずっと背中が落ち着かん。次から鍋はエルムに持ってもらうで」


「あとで相談しようね。アトリちゃん、その皿をお願い」


「は、はい」


 アトリは目を白黒させながら荷物を詰めていった。


「ジャス公。この先、敵は俺が引き受ける。お前は」


「オレはアトリたちを守ればいいんだな、センパイ」


 エドワードはにやりと笑った。


「分かってるじゃねえか。隊列を変えるぞ。前衛は俺だけでいい。ジャス公とエルミィは最後列だ。後ろに敵がいねえときだけ前に出ろ。目も耳も鼻も全力で使え。完全にダンジョンを抜けるまでネズミ一匹見逃すな」


「外に出ちゃえば人目があるものね。それまで辛抱だよ、アトリちゃん」


「みなさん……」


 きょろきょろと四人を見回すアトリの頭を、ルピニアは帽子ごと掴んでくしゃくしゃにした。


「アトリ、もうええ。話は宿に帰ったらいやっちゅうほど聞いたる。今夜は寝かさんから覚悟しとき」


「は、はい」


 アトリはしわだらけになった帽子もそのままに、深く頭を下げた。


「……ありがとう、ございます」


 その膝に数滴のしずくが落ちたのを、誰もが見て見ぬふりをした。




「ところでセンパイ。護衛だからって一人で無茶したらだめだぞ」


「なんだ偉そうに」


 眉を寄せたエドワードに、ジャスパーはしたり顔で言葉を返した。


「センパイの荷物にはキノコの傘が何枚か入ってる。全部持って帰らないとオレたちもクエスト失敗になる。みんなで帰らなきゃいけないのはオレたちも一緒なんだ」


 エドワードは意表を突かれたようだった。


「……言うようになりやがった。それでいい。お前らも女将にだけは借金を作るな。ろくなことがねえ」


 不敵な笑みを浮かべるエドワードと視線を交わしながら、ジャスパーは確信していた。自分たちは今こそ冒険者になろうとしているのだと。


「そうやった。アルディラはんにも文句言わんとおさまらん。意地でも帰ったる」


 ルピニアが手のひらに拳を打ちつける。

 エドワードは肩をすくめた。


「おお怖え。女は怒らせるもんじゃねえな」

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