第18話 危険手当

  7  危険手当


「これで十五個」


 ジャスパーは切り取った傘を折りたたみ、背負い袋に詰め込んだ。


「やった、クエスト達成だね♪」


 エルムがジャスパーの首に両腕を回してはしゃぐ。


「暑苦しい。くっつくな」


「ぜいたく言ってやがる」


 エドワードが顔をしかめる。

 ジャスパーはうんざりした顔を向けた。


「あのな、センパイ」


「そいつ男や言うとるやろ、センパイ」


「いい加減にしとけ。冗談でもたちが悪いぞ」


 怒気をはらんだエドワードを前に、ジャスパーとルピニアは黙るしかなかった。当のエルムすら自分は男だと主張するのがためらわれた。


「……これでみんな無事に帰れそうです。誰も大怪我しなくてよかったですね、エルミィさん」


「そ、そうだね。そういえばボクは食事を作っただけだったなあ。みんなごめんね」


「それは気にすんな。初日から神官が忙しいようじゃ先が知れるってもんだ。……まあいい、一階へ戻るぞ。次は夜営の手順を覚えろ」


 歩き出したエドワードを追いながら、四人はひそかに安堵の息をついた。


 ――エドは絶対、女で苦労するタイプやな。


 アトリの助け舟に感謝する一方で、ルピニアは純朴なエドワードの背中が不憫に思えてならなかった。




「ねえ先輩。今だから聞いちゃうけど、ボクたちの先導に金貨十枚って高すぎたんじゃない?」


「高えに決まってるだろ」


「なんや突然。どういうことや?」


 ルピニアが怪訝そうに口を挟む。

 エルムは一瞬きょとんとしたが、すぐ得心したようだった。


「あ、そっか。エルフのひとたちは金貨も銀貨もあまり使わないんだったね」


「ウチらはたいてい物々交換やからな。そりゃウチかて食べ物の相場くらいは知っとるけど、冒険者の報酬は正直よう分からん」


「初日じゃ相場を知らねえのは無理ねえか。最初に教えたほうがよかったな」

 エドワードが足を止め、四人を振り返った。


「金貨十枚は子守にしちゃ高すぎる。ケインの報酬もおおかた金貨一枚だろうよ」


「やっぱりな。なんかおかしいって思ってたんだ」


 あいまいだった疑念が確信に変わり、ジャスパーは眉を寄せた。

 一方のルピニアはまだ要領を得なかった。


「何がやっぱりなんや?」


「昼間の連中、一階を素通りしていきなり二階へ下りてただろ。鎧も身体になじんでなかった。たぶん普通の先導は、一階の案内とか訓練なんてしないんだ」


「……言われてみればそうやな」


 ルピニアが小さくうなる。


「金貨が十枚あれば二ヶ月くらいの宿代になるよ。先輩は丁寧に教えてくれたからそれが相場なのかなって思ったけど、ケインってひとのやり方で同じお金がもらえるのは変だもの」


「二ヶ月……」


 エルムの補足で、ルピニアは思わず眉を上げた。


 宿だと?


 ルピニアは慌てて記憶をさかのぼり、ダンジョン村に到着してからの出費を計算した。


 冒険者の宿で最低ランクの部屋代と食事代。合計しても銀貨七枚あれば足りたはずだ。そして金貨一枚は銀貨五十枚に相当する。つまり贅沢さえしなければ、一週間の生活費は金貨一枚で足りることになる。それが十枚ということは――


「……普通にセンパイを雇ったら、それくらいかかるんか?」


 エドワードは肩をすくめた。


「中層に三日潜ることを考えりゃ妥当なところだな。要は危険手当つきってことだ。だからきっちり仕事してんのさ。責任もってお前らを連れ帰れってんなら、あれくれえの訓練はしとかねえと万が一の場合どうにもならねえ」


「危険手当? 万が一ってどういう意味だよ」


 ジャスパーが口を挟む。


「察しが悪いな。分かりやすく言ってやる。俺が受けたのは、最悪俺がくたばっても、お前らは止まり木亭へ帰れるようになんとかしろってクエストだ」


 ジャスパーは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


「なんだよそれ。ファンガスの傘集めってそんなに危険だったのか? アルディラさんは初心者にぴったりのクエストって言ってたぞ」


「たぶん傘集めは初心者向けなんだと思うよ。ファンガスより大蛇のほうがよっぽど強かったもの。クエストとは別の理由があるんじゃないかな」


「……普段なら考えられないような危険があるかもしれない、ということですね」


 つぶやくような声。

 ジャスパーらは息を呑み、一斉にアトリを見た。

 アトリは目を逸らすようにうつむいていた。


「もしかして気づいとったんか?」


 アトリは静かにうなずくと、左手の指を二本揃えて伸ばし、下へ向けた。「危険あり」のサイン。


「エドワード先輩、さっきケインさんにこの合図を送っていましたね。でも一階の通路はわたしたちが安全を確認していました。つまり何かあるとしたら、二階」


「なんでウチらに言わんかったんや」


 ルピニアが詰め寄る。

 アトリは弱々しく首を振った。


「見間違いかもしれないと思って……。ケインさんも顔色ひとつ変えませんでしたし」


「先導が動揺するわけにいかねえだろ。しかしよく気づいたな、大したもんだぜ」


 エドワードは肩をすくめた。


「一応伝えたが、あいつが旦那から知らされてねえなら的外れな警告ってことになる」


「それなら、あのひとたちは安全なんですね?」


 アトリが弾かれたように顔を上げ、身を乗り出した。必死の表情だ。押しのけられたルピニアはその勢いに飲まれ、何も言えなかった。


「旦那はそう判断したんだろ。上層の魔物が相手ならケインは負けやしねえ。子守はちょいと雑だけどな。それでだ、俺らが無事に帰るには」


 エドワードはきびすを返した。


「さっさと一階へ戻ることだ。広間に着いちまえばまず危険はねえ。ごちゃごちゃ言ってねえで進むぞ、隊列を直せ」


「センパイの言うとおりだな。エルム、耳を任せた」


「う、うん」


 エルムが斜め後ろに移動したことを確認し、ジャスパーは身体をほぐそうと伸びをした。


 今のところ誰も怪我をしていない。疑心暗鬼になったところで何も良いことはない。無闇に緊張せず、自分はこれまで通り目と鼻に集中すれば良い。


 エドワードに続いて踏み出したジャスパーは、不意に背筋を駆け上がった不快な感覚に身を固くした。

 楽観的な思考が瞬時に打ち砕かれる。それは本能に根ざす危険信号だった。


「止まって、センパイ」


 ジャスパーは足を止め、ショートソードの柄に手を伸ばした。

 脅威に備えるべく自然と腰が落ちる。無意識に耳が後方へ流れ、四肢に力がみなぎっていく。


「今度はなんだ」


 うんざりしたように振り向いたエドワードは、今にもうなり声を上げそうなジャスパーを目にするや前方を睨んだ。彼は獣人の感覚を侮ってはいなかった。


「何がいる」


「たぶん人間。何人かいる。だけどこれは」


 ジャスパーは嗅覚に集中した。鼻腔から伝わる独特の刺激が、彼に警戒を促し続けていた。


「……血の匂いだ」

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