第14話 子守と初陣
3 子守と初陣
「蛇だね」
「蛇だな」
ジャスパーはショートソードを構え、そろそろと前進した。
その動きを追って大蛇が頭を動かす。先の割れた細い舌が口から飛び出ては戻った。距離を測っているのだろう。明らかに臨戦態勢だ。
曲がり角の先で大蛇はとぐろを巻いている。緑と茶色の縞に覆われた胴体はおそらく三メートル前後。無数にある空気穴から入ってきたものか、ダンジョン内で成長したものかは分からないが、いずれにせよ倒さないことには先へ進めそうになかった。
エドワードは腕組みしたまま動かない。
――オレたちでやれってことか。
左手の盾を前面に、右手のショートソードはやや後ろに。基本の構えを維持しつつ、ジャスパーはじりじりと距離を詰めた。
相手は細長い。突きでは胴体に当てにくい。となれば切り払う方が――
唐突だった。
鎌首をもたげていた大蛇の頭が、瞬時にジャスパーの眼前に迫った。
「うわっ」
ジャスパーは反射的に盾を横に払い、大蛇の頭を左に弾いた。目の前に無防備な胴体が伸びている。
――あれを斬れば勝てる!
「右に離れや!」
「え?」
突然の指示にジャスパーの動きは止まった。
ルピニアは何を言っている? あとは剣を振り抜くだけ――
直後、ジャスパーの上半身を鈍い痛みが襲った。
腕と胸、背中に強烈な圧迫感。
絡みつかれたと理解した時には身体の自由が奪われていた。
――喉を噛まれたら負けだ。
ジャスパーの血が激しくたぎる。
直感は彼に唯一の活路を告げていた。
「アトリ、眠――」
「こぉのぉぉっ」
エドワードの指示はジャスパーの咆哮じみた大声にかき消された。
ジャスパーは渾身の力で両肘を突っ張った。
大蛇の鱗が軋みを上げ、締めつけが緩んでいく。
やがて大蛇の胴体はジャスパーの身体をずるずると滑り落ちた。
大蛇はジャスパーから距離を取り、再び狙いを定めようと頭を持ち上げる。
その頭を横から矢が射抜いた。
大蛇は頭を地に落とし、それきり動かなくなった。
「ふう」
ルピニアが弓を下ろし、溜めていた息を吐いた。
「すごいよルピちゃん、よくあんな小さな的を狙えるね」
「……せめてルピニアちゃんにせんか。力抜ける言うとるやろ」
ちょっと語呂が悪いなあ、などとつぶやくエルムにげんなりしつつも、ルピニアは顔を上げジャスパーを睨みつけた。
「離れや言うたやろ、絞め殺されたいんかあんたは!」
「あのまま斬っていれば勝てたんだぞ!」
「あ、あの。二人とも喧嘩は」
アトリが小さく声を上げたが、言い争う二人の剣幕には到底かなわなかった。
「少し待ってみようよ、アトリちゃん」
エルムが穏やかに笑う。
「ですけど……」
「大丈夫、ジャスパーはそんなに怒ってないよ。言いたいことを言ったらすぐ飽きちゃうしね」
――旦那が目をかけるわけだぜ。
エドワードはひそかに全身の緊張を解いた。
本来、大蛇は初心者が戦うべき相手ではない。大蛇の動きは素早く不規則で、人間の常識が通用しない。もしあれが毒蛇だったなら、最初からアトリの魔法で眠らせて始末していただろう。
しかしエドワードはジャスパーが訓練で見せた反射神経と勘に賭けた。大蛇の初撃を盾で弾き返した動きは期待以上のものだった。
計算違いだったのはルピニアの的確な状況判断だ。弾いた大蛇が絡みついてくると見抜き、とっさに離れるよう指示を出す。反撃で頭が一杯になっていたジャスパーが混乱するのも無理はない。
ジャスパーが絡みつかれた際、エドワードは睡魔の術を指示しようとした。ジャスパーを魔法に巻き込んでも、大蛇さえ眠ってしまえば救出できると判断したためだ。あの状態から自力で脱出した挙句、実戦で蛇の頭を正確に射抜いてみせるなど、エドワードにしてみれば想定外も良いところだった。
――こいつら、経験を積めば面白え冒険者になるな。
ようやく口論が収まりつつある二人を眺めながら、エドワードは含み笑いした。
次の通路にはコウモリの巣があった。エルムの持つ火に驚いたのか、無数のコウモリが一斉に飛び立ち五人の視界を埋め尽くした。
「こいつら……!」
相手は小さい上に高速で飛び回るため狙いが定まらない。ジャスパーの剣は空を切るばかりだった。
エルムもたいまつを振ってコウモリを追い散らそうとしたものの、火が離れれば再び群れが寄ってくる。
「これじゃきりがないよ」
「仕方ない、引き返すか」
「それでもいいけどな。この先に階段があると言ったらどうする?」
エドワードは動じた様子を見せず、にやにやと笑っている。
「アトリ頼むわ。武器じゃ無理や」
アトリはうなずき、頭上に杖を掲げた。
「睡魔の術を使います。気をしっかり持ってください。――〈闇の抱擁、安らぎのしじま。舞え、眠りの精〉」
杖が一瞬輝いたと思うと、ジャスパーは猛烈な眠気に襲われた。
体が重くなり、ぐらりと世界が揺らぐ。
ジャスパーは頭を振って強引に眠気を払った。
周囲を飛びまわっていたコウモリが次々と落下していく。やがて一帯は唐突な静寂に包まれた。
「ふう。効果抜群やな、抵抗するんはきつかったわ」
「いえ……みなさんを巻き込んですみません」
ルピニアはいまだ頭を振っている。アトリは申し訳なさそうに身をすくめた。
「あの状況じゃ仕方ねえ。魔力は抑えたんだろ?」
「はい」
「手加減なんてできるのか」
ジャスパーは感心しきりだった。
訓練場では眠気に耐えられず床を舐めた。今回はどうにか立っていられたが、アトリが本気で術を使っていたらコウモリと一緒に眠っていたに違いない。
「あんたらの剣と違うて、魔法の手加減は簡単なことやなくてな――」
「ん、ちょっと待てよ。みんな後ろに下がって、火花の術で倒してもよかったんじゃないか?」
ルピニアの講釈をさえぎり、ジャスパーは疑問を呈した。
火花の術は空中から突然いくつもの火の玉が飛び散る魔法だ。いくら素早いコウモリでも避けきれまい。術を数回使えば群れを一掃することも可能だろう。後先を考えれば、この場でコウモリを倒してしまう方が得策とも思える。
「でも、この子たちは虫を食べる普通のコウモリで、わたしたちには無害ですから」
「優しいんだな」
ジャスパーは苦笑しつつ剣を鞘に納めた。
「ま、どうせこの先は行き止まりだ。無理に倒す必要はねえさ。奥の壁を確認したら戻るぞ」
「ひどいよ先輩、それなら言ってくれればいいのに」
エルムが口を尖らせる。しかしエドワードの意地の悪い笑みは止まらなかった。
「あれくれえ対処できねえでどうする。訓練だと思え」
――しかし初めての実戦で手加減とは恐れ入るぜ。本当に初心者かよこいつ?
エドワードは頭の中でアトリの採点を終え、通路の奥へ歩みを進めた。
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