第13話 探索開始
2 探索開始
止まり木亭が発行した通行証を門番に見せ、一行は巨大な坑道に足を踏み入れた。
むき出しの土の匂いを予想していたジャスパーは、広い空間を満たす空気がほとんど無臭であることに気づいて周囲を見回した。
「この壁、なんか変じゃないか?」
壁は不自然に白く堅く滑らかで、わずかに光沢を放っている。ところどころ天井を支えるために木材で組んだアーチも見えるが、補強の必要があるのかと疑問が湧くほど坑道は頑丈に思えた。
「魔王サマが焼いて固めたのさ。火の魔物を使ったそうだ」
「これ全部を……?」
四人はしばし言葉を失った。魔王と呼ばれた存在の強大さと、それを討伐したという冒険者たちの偉大さを、彼らは今さらながらに思い知らされていた。
入り口から吹き込む風は思いのほか勢いがあり、アトリは何度も帽子を押さえなければならかった。
「意外と風が通りますね」
「あちこちに空気穴があるしな。ドワーフも魔王サマも窒息死したくはねえだろ。ま、穴と言やこの山自体、ど真ん中にでっけえ穴が開いてるけどな」
「穴ぼこ山の竜、でしたか」
アトリのつぶやきがジャスパーの記憶を刺激する。
「あれか。山に竜が棲みついたせいで鉱山を閉めたとかなんとか」
穴ぼこ山の竜はこの地方に伝わる昔話だ。
かつてこの山のふもとには鉱夫たちの集落があり、豊かな鉱脈の恩恵で栄えていた。
しかしある日、不幸にも一匹の火竜が鉱山に飛来した。竜は山の中腹に大穴を開けて巣を作ってしまい、鉱夫たちは閉山して退去せざるを得なかった。
後に人間たちが竜を討伐したものの、その後数十年にわたり山には誰も寄りつかなかった。上にも下にも大穴が開いた山は、やがて誰からともなく穴ぼこ山と呼ばれるようになったという。
「そういや年寄り連中がよう話しとった。ウチの里はここから近いし、当時はえらい騒ぎやったらしいで」
「けっこう昔の話じゃなかったか?」
「エルフの年寄りやからな。五十年くらいなら最近の話や」
「……いまいちピンとこない」
ジャスパーは首をひねった。
エルフ族は森の妖精であり、他のあらゆる妖精の追随を許さない長寿で知られている。個体差は大きいものの平均寿命は二百年あまり、怪我や病気さえしなければ五百年以上永らえる者もいるほどだ。
ルピニアが言うところの「年寄り」も数百年を生きるエルフなのだろうが、五十年が最近に思えるという時間感覚を想像するのは困難だった。
「ところでお前ら、いい加減たいまつかランタンに火を点けろ。ダンジョンじゃ手元に火を持っておけと昨日教えただろ」
じれたようなエドワードの声に、四人は顔を見合わせた。
緩やかなカーブを描く坑道に入って歩くこと数分。壁面の反射で多少は外光が届くものの、エドワードの視界はすでに暗い。
しかし獣人のジャスパーとエルム、エルフのルピニアとアトリは人間より夜目が利く。多少の暗闇に不都合を感じない彼らは明かりの必要性を失念していた。
「そ、そうですね。すみません」
アトリがそそくさと火口箱を取り出し、火をおこし始めた。しかし火打石から飛ぶ火花は弱々しく、なかなか木屑に着火しない。
「……ええと、魔法で火をつけましょうか……」
「ね、代わってもらってもいい?」
エルムはしゅんとなったアトリから火打石を受け取り、リズムよく打ち合わせた。
火花が勢いよく飛び、木屑にぽつりと赤い光点が生じた。そこへ静かに息を吹きかけ、木屑を赤く燃え上がらせる。
エルムは細枝を差し込んで先端に着火させ、反対の手でたいまつを拾い上げて火を移した。
松脂の燃える匂いが一帯に漂う。あまり心地よい匂いではないのか、ジャスパーはしばらく顔をしかめていた。
たいまつの火が安定したことを確認すると、エルムは細枝の火を吹き消し、片手で手早く火口箱を片づけた。
「はい、これ」
アトリは目をしばたきながら、差し出された火口箱を受け取った。
「みんなは手がふさがると困るよね。たいまつはボクが持つよ」
「すごいですねエルミィさん。慣れているんですか?」
「こういうのは得意なんだよ♪」
エドワードは感心したようにうなずいた。
「あの投げ技といい、器用なもんだ。おまけに甲斐甲斐しいときた。ジャス公には過ぎた相方だぜ」
「なんだよ相方って」
「そいつ男やで、センパイ」
不服そうなジャスパーとげんなりした様子のルピニアに、エドワードは怪訝な顔を向けた。
「どこからどう見たって女だろ。つまらねえこと言ってねえで進むぞ」
「ボク、男なんだけど……」
さっさと歩き出したエドワードに、エルムのつぶやきは届かなかった。
広い坑道は三方を壁に囲まれた広間に突き当たって終わっていた。たいまつ一本では照らしきれない広さの空間だが、三方いずれの壁にも火の点いたランタンが複数掛けられており、全体を見回すことに苦はない。人の手で頻繁に手入れがされている様子だった。
壁にはいくつも穴が開いており、その先に通路が続いている。これまでの坑道と比較すれば狭いものの、どの通路も二、三人は並んで歩ける程度の横幅と、それに見合った高さがあった。それら通路の壁も入念に焼き固められている。
「ここは作業場だったんでしょうか」
「そうらしいな。そこらの坑道で採掘した鉱石を、いったんここに集めて選別したんだとさ」
「つまりウチらは、この丸の中におるんやな」
ルピニアは地図を手に周囲を見回した。
地図の一階中央部に描かれた円からは分岐路がいくつも伸びている。実際その場に立って見比べると、分岐路の始点や角度は意外と正確に再現されていた。
円内には二本の棒がX字に交差し、その上に短い縦棒が三列並んだ記号が書き込まれている。
「ねえジャスパー。この記号って焚き火みたいに見えない? ほら、あっちに炭の跡がいっぱいあるよ」
「焚き火か……それじゃ、これは野営できる場所のマークか?」
「正解だ。ここは換気がいいし見通しも利く。いざとなりゃ出口も近え。最初の野営ポイントってわけだ」
エドワードの説明では、ダンジョン上層階では見通しの良い広間や扉つきの玄室など、比較的安全な場所が野営ポイントとして共同利用されているとのことだった。
「細けえルールはメシの時に教えてやるが、とりあえず食い残しは厳禁だ。やっちまってバレたら出入り禁止になるぞ」
その理由はジャスパーにも見当がついた。食べ物を放置すれば魔物や動物を呼び寄せる危険があり、腐敗させれば他の利用者が迷惑する。マナーであると同時に、生死に関わる決まりごとなのだろう。
「ここが一階の集合地点だ、はぐれたらここに戻ってきて待ってろ。それじゃ左の通路から順に回るぞ」
五人がダンジョン探索を開始したその頃。
止まり木亭では朝食の時間帯が過ぎ、酒場と定食屋の両区画が一息ついていた。
「それにしてもバート。初っ端から金貨十枚なんて奮発したわね」
「気にいらないか」
「そうでもないわ」
王宮泣かせの夫婦がひそやかに言葉を交わす。
「あの報酬で気づかないほどエドは馬鹿じゃないし、手加減抜きで鍛えるでしょうね。でも最悪の場合を考えると、半日ちょっとの訓練じゃ準備不足よ」
「手間取ると相手にも時間を与える。アトリもあいつらも早く実戦に慣れたほうがいい」
淡々と語るバートラムはグラスを磨き続けている。
「あの子たちにだいぶ肩入れしてない?」
「今のアトリに一番必要なものは仲間だ。あいつらは年が近い。筋も悪くない。期待したくもなる」
バートラムは手を止めてグラスを見つめた。
曇りなく磨かれたガラスは鈍く輝き、夫妻の姿を映していた。あたかも結晶の中に彼らを閉じ込めるように。
「欲を言えば。あいつらがいつか俺たちを用済みにしてくれたら最高だ」
「そうなったら最高ね」
アルディラはいつになく饒舌な夫に微笑みかけた。
「ずいぶん勝手な期待だけれど」
「そうだな」
バートラムが次のグラスに手を伸ばす。
アルディラはきびすを返し、定食屋区画のカウンターに戻りながら袖をまくり上げた。
「さて。今日は誰をしごいてあげようかしらね」
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