第6話 戦士と魔法

  6  戦士と魔法


 アトリの実演は魔法修練場に場所を移して行われた。


 場内の部屋はいずれも広く、レンガの壁および天井で囲まれた単純な造りだった。出入り口の扉以外には部屋の外に通じる箇所がなく、窓のない倉庫を思わせる。しかし天井や壁がぼんやりと発光しており、外光がなくとも視界に困ることはなかった。


 部屋の中央には金属製の細い柱が立っており、その先端には人間の頭ほどの大きさの球体が取りつけられている。術を放つ際の標的らしい。


「殺風景だな。それになんか息がつまる」


 ジャスパーが眉をひそめた。

 室内の空気には不自然なほど匂いがなく、密閉感も強い。居心地の良い部屋とは言えなかった。


「仕方ないやろ。家具なんか置いても吹っ飛ぶだけやし、外に術が漏れたらあかんしな」


「たしかにこれだけの結界があれば安心ですね。わたしの術ではどうやっても壊せそうにないです」


 レンガの壁を撫でながらアトリがつぶやく。


「そこらの魔術師じゃ一生持てねえ、頑丈な練習場なんだとさ。遠慮しねえで使ってみろ」


「はい。火弾の術からいきます」


 アトリが進み出て、杖を前方に向けた。


「〈来たれ。汝は炎。汝はつぶて――〉」


「……?」


 ジャスパーは首をひねった。

 アトリの口から漏れ出る詠唱は聞いたことがない言葉だった。発音は明瞭だが、耳にしたことがあるどんな言語とも似ていない。


「エルム、あれは何を言ってるんだ?」


「ボクも分からないよ。あれが古代語なのかな」


「アホか。簡単に分かったらたまらんわ」


 小声のやり取りにルピニアが口を挟んだ。

 アトリの背を見つめるルピニアの面持ちは真剣だったが、口調にかすかな険が感じられる。ジャスパーとエルムは顔を見合わせ、静かに視線を戻した。


 いつしかアトリの杖の先には、小さな光の球体が一つ浮いていた。それが見る間に赤く変色し、拳大の火の玉へと姿を変える。


「〈――汝は砕き焦がすもの!〉」


 アトリが杖を振った。


 火の玉が宙を駆け、標的である金属の球体に勢いよく当たる。次の瞬間、炎は何倍もの大きさに膨れ上がり金属球を包み込んだ。

 可燃物が何もないはずの空中で、炎はゴウと音を立てて激しく燃え盛る。


「……すごい」


 炎が唐突に消失するまで約十秒。ジャスパーは一部始終を見つめながら、あの炎が自分に向けて放たれたらどうなるかと想像して身震いした。


 おそらく鎧や盾は何の役にも立たない。どうにかして火の玉を避けるしか――


「一応言っとくで。あの手の魔法は避けられん。放った火玉は的が逃げても追いかけるんや」


「うわ。それじゃ、呪文を最後まで唱えさせたら負けってことか」


「まあそう思ってええ。魔力で対抗して威力を減らすこともできるんやけど、あんたやり方を知らんやろ」


 ジャスパーは顔をしかめた。


「オレは戦士だぞ。魔力なんて言われても」


「魔力は、誰でも少しは持っています。それを身体の外に出して術の形にできるひとが魔法使いです。身体の中にどれだけ魔力を貯めておけるかは、ひとによって違いますけど」


 アトリが横から補足した。


「そういうもんなのか」


「アトリ。講釈もいいが、範囲魔法が使えるなら見せてやれ。特にジャス公はしっかり見ておけ。真っ先に巻き込まれるのはお前だからな」


 エドワードの指摘にジャスパーがうなずく。


 アトリは続いて火花の術、睡魔の術を披露した。


 火花の術は空中で突然炎が弾け、いくつもの火の玉が飛び散る魔法だった。火弾の術と違って確実に火の玉を当てることはできないが、一度に複数の目標を巻き込むことができる。そして一つひとつの火の玉が火弾の術と変わらない威力を持っていた。


 睡魔の術は半径数メートルの空間に特殊な力を満たし、強力な眠気をもたらす魔法だ。こちらは眠らされる以外に実害がなく、眠気に耐え切れば怪我一つせずに切り抜けられるという。


 その説明でジャスパーは興味を抱き、睡魔の術を体験したいと手を挙げた。


「あの、本当にいいんでしょうか」


 返答に困ったのか、アトリがエドワードを見る。


 エドワードはにやにやと笑った。


「本人がいいと言ってんだ。たっぷり味わわせてやれ」


 ジャスパーはほくそ笑んだ。


 魔力がどうのという理屈はよく分からないが、要は眠気に耐えれば良いのだ。腕をつねるなり頬を叩くなり、不意を打たれなければ対処法はいくつも思い浮かぶ。ジャス公呼ばわりをここで終わらせてやろうと、ジャスパーは自らに気合を入れた。


 実際のところ、ジャスパーの記憶はアトリの杖が光ったと思ったところで途切れている。


 しばらくしてエドワードに叩き起こされたジャスパーは、いつの間にか石床に倒れていた自分に唖然とし、次いで襲ってきた痛みに顔をしかめた。


 どうやら手をつく事もできずに倒れ、顔をしたたかに打ったらしい。その痛みですら意識を覚醒させるには至らなかった。これほど深い眠りを体験したのは生まれて初めてだ。


「すみません……」


 アトリが申し訳なさそうに身をすくめる。


 ジャスパーは頭を振ってうめいた。


「大丈夫だ。……たしかに訓練が必要だな、これ」


 ジャスパーは訓練の意義を否応もなく理解していた。


 合図もなしにこの術を使われて巻き込まれたら、確実に敵と一緒に眠ってしまう。自分たちのパーティはただでさえ前衛が少ない。敵を食い止める役割の自分が眠ってしまい、相手が一体でも魔法を耐え切れば、致命的な事態につながりかねない。


「威力は大したもんだが、術の種類はちょいと少なめだな。光の術とか呪縛の術は覚えてねえか?」


「すみません。あとは……」


 アトリは言いよどんでいたが、やがて口を開いた。


「風と水の精霊魔法なら少し。たぶん地下では使えませんから、役に立たないと思いますけど」


「精霊か、珍しいな。ついでに実演……つってもここじゃ無理か」


「ここには精霊が何もいませんから」


「だろうな。風も水もありゃしねえ」


 エドワードは部屋の中を見回し、肩をすくめた。


「二系統の魔法を使う奴はあまり見かけねえ。お前さんもそういう家系なのか?」


「……はい。そういうことになると思います」


 エドワードは歯切れの悪い返答に訝しげな顔をしたが、詮索はしなかった。


「さて、ジャス公」


 エドワードがにやりと笑い、ジャスパーを振り返った。


「お待ちかねの接近戦闘だ。どれだけ使えるか見せてみろ」

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