第16話 クララ、明治天皇の東北行幸を見るのこと

 本日分の主な話題は、明治天皇の東北行幸の様子、ホイットニー家の西洋料理指南、上野精養軒での一コマ、などの話題となります。


明治9年6月2日 金曜日

 ミカドが今日から東方地方への行幸に出発なさるということで、一般の学校はお休みになるらしい。ということで、私たちも授業を休むことにした。

「御成街道の街道沿いに叔父の診療所がありますから、そこで行列を見ましょうか?」

 富田夫人の誘いの言葉に、三浦夫人も令嬢たちも飛びついた。勿論、私も母も、なんと兄のウィリイもだ。ちなみに御成街道というのは、つまり天皇の通る道のことだ。

 人力車に乗って出発したのだけれど、平日の午前に出かけるなんて珍しいので、何もかも新鮮に思われた。新しい目と新しい態度で見つめると、見慣れた銀座でさえ輝いている感じがした。

 御成街道の沿道には多くの人々が並び、周囲を近衛兵が警護していた。近衛兵は赤い制服を着て、日本の象徴である朝日の印のついた帽子を被り、その天辺に紅白の羽が揺れていた。

 そんな中、私たちは二列になって進んでいったが、兵隊たちが皆じろじろ見るので「両側に並んだ鞭の間を打たれながら進む囚人」のような気持ちだった。

 丁度その時、私たちの車が急に止まると、杉田先生のお弟子さんが近づいて私たちに手招きをしてくれた。車を降りるか降りないうちに、杉田家のおよしさんが人々や馬や兵隊をかき分けて出て来て迎えて下さった。

「いらっしゃい、よくおいでになりました」

 若い武さんはすぐ後ろにいて、いつものように愛想良くそう云った。次に杉田夫人が私たちの手を握り、少し奥に引っ込んだところにある診療所に私たちをせき立てた。その建物は外観は洋風で、内部は日本風になっていた。

 あの厳めしい兵隊たちの前で、このように大事にして貰って嬉しかった。兵隊たちにも、この外国人たちが、自分たちの同国人、それも立派な人たちに愛されていることが分かっただろう。杉田家の紋章は誰でも知っているし、知らなくても、私たちを迎えた人たちの上品な美しい顔から、彼らがよい家柄の人だということは誰にでも分かるだろう。

「おやお様、如何なさいましたか!?」

 おすみの慌てた叫びに振り返ると、可哀想にこの深窓育ちのお嬢様は、こんな人混みの中に出ることがあまりないので、馬や人々に怯えてしまったようだ。青い顔をしたおやおさんと、おろおろとするばかりのおすみを見て、母が二人の手を取って連れて行くことになってしまった。

 建物の中に入ると絨毯が敷いてあり、天井の高い部屋がいくつかあった。杉田先生の書斎、研究室、私的談話室、応接室、庭なども見せて頂いた。先生は市内に沢山診療所を持っておいでで、いつもとても忙しい。非常に経験豊かな老先生なので、人々から大いに信頼されていらっしゃる。


 陛下のお通りとなる十一時前に、再び表通りに出ると、更に人混みは膨れあがっていた。

間もなくラッパが鳴って兵隊たちが剣を抜き、見渡す限り道の両側にきらきら光る剣が林立した。

「お通りだ! お通りだ!」

 その声に私たちは皆爪先立ちをして、東洋の君主の到来を見ようとした。

 丁度その時、現れたのは……鍔の広い帽子を被って籠を吊した天秤棒を肩に担ぎ、安定を取るために反対の手に棒を持った八百屋だった! 荷物が重いのでよろけながらも、一刻もこの場を早く立ち去らなければ! と大急ぎで走ってきた。

 押し殺したような笑いがそこらに広がり、それは厳かな兵隊まで及んだ。

 だけど、そのすぐ後に今度こそテンジン(天人)のお通りとなり、先触れとなる一隊がやって来た。

 まず制服を着た別当に付き添われた騎兵が数人、次に非常に身分の高い人たちの乗った四輪馬車が来た。馬車の御者は緑と銀色の制服を着て、英国の物語に出て来るような王様の宮廷に付き物のあの三角帽子を被っていた。

 次の馬車には、天皇ご自身がフランス風の軍装で坐っていらっしゃった。帽子には豪華な駝鳥の羽飾りがついていたが、私の帽子にしてもおかしくないようなものだった。

 陛下は馬上の上座に座られ、二人の高い位の将校か皇族かが反対側に坐っていた。お顔を半分こちらに向けられ、瞑想に耽っておられるかのように目を伏せていらっしゃった。もっとお若いのだそうだけれど、三十歳くらいの感じでお顔立ちは美しかった。特別に美男子と呼べるほどではないけれど、冷たい感じは全然なかった。

 しかし「国民よ、あまりじろじろ見るな」そんなことを思ってでもおられるかのように、とても疲れていらっしゃるご様子だった。この国に来てから外出のたびに周囲の注目を浴びることになった私は陛下に心から同情でき、本当にお気の毒だと思ったが、今度だけは、私たち自身の他に人々が見つめるものがあることに救われる思いだった。

 続いて同じような馬車に、皇后様が皇太后様と二人の貴婦人とご一緒に乗っていらっしゃった。皇后様の次に、八人の女官が屋根のない馬車で来た。夫人たちは皆、恐らくじろじろ見られるのを避けるためだとは思うけれど、顔を隠すように外国製の傘を翳していた。

皇后陛下は、背に立派な紋章のある、素敵な薔薇色の絹のお召し物を着ておられ、髪の毛は額から後ろに上げて、京都風に腰まで長く垂らしておられた。とてもかわいらしいお顔の方だそうだが、傘を深くさしていらっしゃったので、拝することはできなかった。

 皇后様の随員の馬車に続いて、各省の文官武官が数百人かそれ以上、全員洋服で通った。私たちの友人も幾人かいたが、大鳥圭介氏も、内閣で三番目の位なのでそこに入っていた。森氏も、ひどく変な帽子を被って「特命全権公使」にしてはむっつりした顔をして現れたが、位は四番目だった。

 数ヶ月前に夕食を一緒にした前神奈川県令の中島信行氏は私たちを見つけ、過ぎ去った後もずっと、首がねじ切れそうなほどこちらを振り返っていた。それ以外に見覚えのある顔は見なかったが、多分もっといたのだろう。

 彼らの後には、天皇の菊の紋章が銀色で描かれた緑の屋根の馬車が来て、その中には天人の身の回りの品が納められていた。次に馬車が更に八台と、ミカドが必要な時にお乗りになる馬が三、四頭、銀色の聞くの御紋の着いた緑の絹の馬衣を掛け、別当に付き添われて通った。馬と別当の後からはラッパ隊が続き、それから歩兵大隊と十三の野戦砲と弾薬車と、砲手と騎手で終わりになり、軽騎兵が殿をつとめた。


 行列が通過するのに三十分はかかり、人は全部で三千人はいたに違いない。

 群衆の中には無法なことをする者もいず、皆この上もなく静粛に振る舞い、警官は人々の列が乱れないようにするだけだった。感情を表明することは厳しく禁じられているから、そんなものは全然なかった。帽子を被っている人たちが敬意の印に脱いだだけで、これは特に外国人に要求された。

 ミカドを窓や舞台や高いところから見下ろすことは許されなかったが「これは日本の習慣なのですよ」と富田夫人が云った。

 大勢の日本人が陛下に敬礼したが、それに対する陛下の返礼はなかった。つい先頃までだったら、<いわゆる>天の御子がお通りになる時には、この神聖な人物が豪華な衣服をまとって坐っている乗り物の前に、皆ひれ伏したであろう。

 しかし今ここでは、陛下は洋服を召され、洋風の乗り物に乗って、洋式に街をお進みになった。無数の私たちの眼のような不浄な眼や、まっすぐ突っ立った人々に見つめられて、陛下は先代の方々の辿ったのとは全く違った道を歩んでいらっしゃる。先代の方々がご覧になったら、なんと仰るだろうか。島津三郎や薩摩の実力者たちは、外国のものはなんでも毛嫌いするから、多分、かんかんになっているだろう。

 行列が通り過ぎてから、私たちは屋内に入ってお茶とお菓子を御馳走になった。それから武さんが両国で食事をしましょうと言い出し、みんなで行って有名な食事を頂いた。十三人もいたので、部屋は一杯になった。

 我が家の家族が日本食を好きなのは不思議なことだ。日本食を食べられない外国人もいるというのに。そうだ、私たちは天のお力によってこの国に送られたのだから、この国の人々が私たちを好きになり、私たちもこの国の様式が好きになるのは神様の御心なのだ。


明治9年6月3日 土曜日

 今日、津田氏と杉田夫人が午餐にいらっしゃった。

「アスパラガスやその他の野菜の料理法、苺ショートケーキの作り方を知りたいのです」

そう仰るので母が二人を台所に連れて行って、料理してみせると、二人は立って眺めながら、ノートと鉛筆を持って母のすること全てを細かく書き記した。またお弟子さんが増えた――但しちょっと変わった方面で――。

 これほど日本人が西洋料理に興味があるのなら、いつか日本人向けに西洋料理の指南書を作ってみると喜ばれるかも知れない。


明治9年6月5日 月曜日 

 天気が良かったので人力車に乗って出かけた。

 目的地は浅草のお寺と庭園だったが、庭園で朝鮮の公使館の人たちに出会った。主に青とピンクといった明るい色の独特の服装をしていて、一人は黒髪を真ん中で分け、優雅な太い弁髪に結って腰まで垂らしていた。最初は女の人だと思ったが、そうではなかった。

 私の持っているアスペン帽に似た帽子は紗でできており、山は大きなコップのような形で、頭の後ろに乗っていた。顔つきは明らかに清国的で、そういう衣服を着ていると、清国の人のようだった。竹製の靴は清国の靴のように先が上を向いていた。とても背の高い大きな人たちで、日本人とはいい対照だった。

 物好きな日本人がじろじろ見るのが私たちの他にもあったので、私はとても嬉しかった。少なくともしばらくの間は、朝鮮の人たちが私たちよりも人目を引いたのだけれど、残念ながらしばらくの間としかいえない。

 だがちょっと待て! これら好奇心の強い人たちの誰かがアメリカに行ったとしよう。私はその人をじろじろ見たりはしないだろうか? 無論見るに決まっているではないか!

 浅草で素敵なゼラニウムを五セントで買った。外国の植物なので、この国では今まで手に入れることができなかったものである。


明治9年6月6日 火曜日

 今日また癇が高ぶって、この世で友達がみんないなくなったような感じがする。

 時々むしゃくしゃしてくるのが自然のようになってしまって、それが起きると、まったく憂鬱になる。ここ、日本に来てから、私はこういう発作をよく起こす。そして、優しく甘い母親を持った何の苦労もない、この年の少女として感じられる限りの、不機嫌や不幸感に襲われてしまうのだ。


明治9年6月13日 火曜日

 先週の水曜日、アメリカから郵便が届いた。母、父、ウィリイへの手紙の他に、私のところへ新聞が三つと手紙が数通来た。

 新聞は四月十三日のアレグザンダー・T・スチュアート氏の死を報じている。この人はニューヨークの豪商で、そのお店には何度も行ったことがある。大金持ちで、何百万ドル持っていたのか、また友人や公共施設にどれだけ寄付したのか分からないほどだ。子供がいないので財産は殆ど奥さんの物になる。微賤民から身を起こし、百万の富を築いて亡くなったその生涯の物語はとても興味深い。彼はアイルランド出身だった。

新聞には「我が国の誕生日祝賀会」つまり百年祭のことが沢山載っている。ああ、アメリカにいて祝えたらいいのに!

 新聞は博覧会は日曜日に開くべきか、また禁酒百年祭をすべきか否かで「論戦」をやっている。最近アメリカでは、ムーディ氏とサンキー氏のもとに信仰復興運動が行われ、安息日を破って、なおかつ酔っぱらったり、飲酒を奨励したりすることはとてもできなくなった。

 日本では幼い梅宮内親王が、僅か二歳で八日にお亡くなりになったが、お兄様も少し前に亡くなっていらっしゃる。そして天皇、皇后陛下は今ご旅行中だ。

 外国系と国内系の銀行が紙上で互いに健筆を振るっている。つまり舌戦を戦わうううしている。トルコ皇帝が退位させられた。しかしこれは国内の出来事ではない。そして、如何に政治の興味を持っていても、それはそれとしておいて、この日記帳は専ら身近な出来事を書いた方が良さそうだ。

 また母と勉強を始めた。ラバートンの「歴史概要」を読むことにしたが、とても面白い。それから綴字法と文の書き方も習っている。色々の方面で私の教育に時間を割いてくれるなんて、本当に優しいいい母親だ。こんなに大事にして貰い、あまり幸せ過ぎると駄目な人間になってしまうのではないかしら?


明治9年6月20日 火曜日

 今日の午後、人力車で外出することにした。何処に行くのか出掛けた後も迷っていたのだけれど、結局は上野に着いた。

 人が殆どいなくて道は楽に通れた。精養軒の小綺麗な支店に行き、アイスクリームを買おうとしたがないので、風通しのよいベランダでお茶とケーキをとった。ベランダからは美しい公園は勿論、東京の一部も見渡せた。

「ここではアイスクリームは売っていないのですか?」

 お茶のお代わりを持ってきてくれた店員に聞いてみると

「わたくしどもの店では休日である日曜日にしか売っていないのですよ」

「私たちは日曜日以外の日はいつでも来られるけれど、アメリカの習慣では日曜日には外出できないのです」

 残念そうにそう云ったら、店の人は驚いた顔をして「ナルホド!」と重々しく頷いた。それから彼はある提案を私にした。

「お嬢さん、是非クローケーを始めてくれませんか」

 なんでも店側は道具と競技場を揃えたものの、誰もやらないので、私たちに是非始めてくれということらしい。私は少しだけ悩んでから「考えてみますね」と云った。

ダイブツの鐘が厳かに鳴るのが聞こえたが、日本の鐘には舌がなく、鐘楼から吊された大きな丸太を下から操作して打つのだ。

 帰りはまだ通ったことのない田舎道を通ったけれど、大きさも高さも巨大な杉と松の木があった。きっとそれはレバノン杉だと思う。小形の築山の下にニフィートぐらいの高さの小さなお宮があり、少し先に行くと、枝を広げた松の木の下に六フィートの仏像があった。お寺を沢山通り過ぎたが、皆閉まっていて、一つのお寺からはお坊さんの単調なお経の声が聞こえてきた。

 今夜は采女町にある精養軒本店で盛大な宴会がやっているけれど、これは炭坑の調査に蝦夷に行く大鳥氏の歓送会だ。みんなの声の中から大鳥氏のあの底抜けの笑い声が聞き分けられる。

 うちの東の窓から見ると、精養軒ホテルはあかあかと明かりがついて輝いている。このホテルがうちの近くにあってよかった。故国のような感じがし、おかげで郷愁から辛うじて逃れることが出来るからだ。


明治9年6月28日 水曜日

 月曜の午前、母と父とウィリイと富田夫人は、森家の午餐に行った。本当は先週の水曜日の予定だったのだけれど、何かの手違い――断っておくと日本人側の失策だ――があって行かなかったのだ。アディと私も招待されたが、私たちはまだ社交界デビューしていないので、お断り申し上げた。

 何事も起こらない――まったく何事も。それでも日記帳を一杯にするだけのことは毎日ある。何か見つけようとしさえすれば、書くことは沢山ある。

 ここ数日、マーク・トゥエインの「イノセント・アプロード」を読んでいるけれど、馬鹿げたほど滑稽なところもあれば、素晴らしい描写や哀愁に満ちた箇所もある。この作者はなんと素晴らしい才能の持ち主なのだろう! 私もこんな才能があったら、この古臭い国を元にして面白い本が書けるのに。

 今度の火曜は独立記念日だから、横浜で他のアメリカ人達と一緒に祝うように招待されている。七月七日には、両国橋近くで隅田川の川開き大会があるそうだが、これらも誘われている。

 東京府は、東京の人々に、髪を洋風に切るようにお触れを出した。また同じく東京府は、小野寺氏が上海に行ってしまわれた代わりに、立派な人を私たちの学校の理事に任命した。この方は矢野二郎氏といって、ご自分も奥様もアメリカに行かれたことがある。松平氏のよう美男子<!!>だが、とても温厚で親切な方だ。

 この季節は、様々な色の美しい睡蓮が花盛りである。昨日、盛から聞いたところによると、その素晴らしい色は自然の色ではなくて、変わった色が欲しい時には白い花をインクのような物で染めるのだそうだ! よくまあそんなことを器用にやるものだ。もう日本人の細やかさにはうんざりだ。


 母と富田夫人と杉田夫人とウィリイは今日の午後、施餓鬼という清国起源の古くからある儀式を見に浅草に行った。みんなを送り出し、猫と戯れていたか、玄関の呼び鈴が鳴った。

「こんにちは」

 開いた玄関から現れたのは、中原氏だった。まあ大変! 私は家庭着のままで袖口飾りもつけず、午後には相応しくないひどい格好をしていた。

「客間で待っていて下さい」

 慌ててそう頼み、着替えに二階に行こうとしたが「どうぞいて下さい。長くはお邪魔できないのですから」と中原氏に引き留められた。

 それで私は戻って、一時間半お喋りをした。中原氏はここしばらく本当に病気が悪く、仕事にも出られなかったので、うちにも来られなかったのだ。

「夏の間、静養に田舎に少しの間、戻ることになるかも知れません」

「!」

 もし中原氏が夏を過ごしに田舎に行ってしまったら、私たちはどうしたらいいか分からないから、行かないで貰いたい。中原氏は故郷の近くの何処かの島に連れていってあげると云って下さったけれど、日本人の約束などあまり当てにならない。

 それから上野での出来事を話してみたら中原氏は乗り気になったようだ。

「いつか行って、そのクローケーを始めましょうか」

でも私は心の中で「いえ、結構でございます」と思うだけで、返事をしなかった。中原氏の訪問はとても楽しかったけれど、ちゃんとした服装に着替えていたら、もっと快適だったろう。

 中原氏が帰った後、また誰か来ないうちに二階に上がって着替えた。着替え終わって間もなく、今度は佐々木氏が訪ねてきた。

骨相学の話題が出たけれど、佐々木氏は「聞いたことがありません」と云われた。

 私は「頭蓋の隆起」のいくつかの型を説明すると、佐々木氏は少し考え込んでから「皺についてはどうでしょうか?」とお尋ねになった! それから「人の顔を見て金持ちか貧乏か分かるものでしょうか?」とも尋ねられた。

 あんまり馬鹿げているので、私は笑いだしてしまった。

「予言者ではありませんから、私は本で読んだことしか知りません」


 母が四時過ぎに帰り、祈祷会をした。夕食後、カローザス夫人のところに出かけようとした時、ペシャイン・スミス夫妻が来られたので、母は私たちで行くように云った。

 カローザス家を見つけて入って行くと、初めは使用人一人しか出て来なかったが、やがて渡辺氏が現れた。

 先日お尋ねした時に夫人は眠っていらっしゃたので、お目覚めまで渡辺氏が相手をして下さったのだ。だから今日家に上がる前に「今日もお休みですか?」と尋ねたら、渡辺氏は笑いこけて、やっと息をついでから「いいえ!」と答えた。

 渡辺氏は顔立ちの綺麗な、美男子といえる青年だ。大きな楽しげな黒い目をしていて、とても気持ちよく笑うサムライだ。素敵な絹の着物を着て、懐中時計の重い金鎖をつけていると、とても引き立って見える。笑ったり、感じの良い冗談を云ったりしながら、夫人の部屋に案内して下さった。

 それから渡辺氏は出て行き、オルガンで何やら「音」をたて始めた。参考までに私は夫人に尋ねてみた。

「あれはお嬢様のどなたかですか?」

「いいえ、とんでもない! 娘達はもっと上手ですよ!」

 それからカローザス夫人は、渡辺氏と家族のみんなで、私たちに綽名をつけていると仰った。私がうちに来る若い男の人たちと富田夫人を教会に連れて行くので、みんな私の家族のことを「教会に来る人々」と呼んでいるそうだ。

 日本人の礼拝に出席する外国人は私たちだけだからである。夫人によれば、私たちは教会に行くので、日本人の間で評判いいとのこと。

 この国ではあまり遅くで歩きたくないので、その後すぐお暇した。渡辺氏はオルガンを弾いていて見つかり、慌てて飛び上がった。帰宅するとスミス夫人はまだうちにいらっしゃった。


【クララの明治日記 超訳版第16回解説】

「珍しく本日分は“遊び”がなかったですわね」

「そりゃあ、陛下登場の回だもの。こんな回くらいは空気を読むって。あ、でも『KY』関係ないからね。アレはあくまで朝日珊瑚礁捏造報道の略だから」

「……訳が分かりませんわ。気持ちは理解致しますけれど。

とまれ、非常に貴重な天皇の行幸の模様ですわね。これが所謂“第一回”の地方大巡行で、この後、何度も行われるようになるのだそうだけれど?」

「正直云ってこの時代だと、まだまだ京と東京の人間くらいしか“実在する天皇陛下”のイメージが沸かなかっただろうからね。地方ではまだまだ、それこそお伽噺に出て来る“帝”と変わらなかったわけで。だから、わざわざ陛下がお顔をお見せするまでしたんだと思うよ。サービス、サービス♪ ってことで」

「サービス……って、貴女ねぇ、もう少し云い方を考えなさい。

 ただ“お伽噺の帝”の件は“網野史観”の信者の方に云わせると“そんなことはない”と強く否定されそうですわね。この話は長くなりますから、また改めて」

「だねー、ちなみに第二回の地方大巡業が向かったのは北陸。出発した日のは明治11年8月30日。そのたった七日前に“大事件”が起こっているのに大した度胸だと思うよ」

「その辺もまた後日、ですわね。ですけれど、今のペースだと、一体いつのことになるのやら」

「話は元に戻るけど、この巡行先でも住民の反応は全然違ったらしいよー。一番多かったのはやっぱり“信仰型”とでも云うべきもので、通過時には命じられたわけでもないのに、大勢の人は両手を合わせて拝んで迎えたみたい。ただ“天子様は生き神様”と刷り込まれていた人たちの一部にとっては、逆にこの巡行での軽装は“とんでもない不敬”とも思われたんだって」

「天皇の通り過ぎた後の砂利を争って拾った、という記述もあるそうね。この辺は私の故郷で皇帝が通った跡でもあったようだけど」

「中国は知らないけれど、我が国の場合、陛下が行う祭祀の性格からして、この反応が“正しい”って云うべきかな? ただこの“信仰型”以外のところは色々だったみたいで、本当に農作業の姿のままただ見送った“無関心型”の地域もあれば、珍しい見せ物が来る、みたいな“お祭り型”みたいな地域もあったんだって」

「後は地域の官僚や豪商が利用するために人を呼び集めた場合ですわね。大体が“お祭り型”の一環ですけれど、地域官僚は際だった歓待をすることで予算を貰いやすくする、という目的があったようですわ。同時に地方の豪商達は、自分の家を天皇の行在所や休息所に指名して貰うために、家の改築や別棟を新築して待ちかねていたそうですわよ」

「云われてみれば、現代でも地方に行くと陛下が泊まったことを売りにしている旅館が一杯あるし、ただの休息所でも“明治天皇休息所跡”とか碑が立っていて小さなお社があったりするよね」

「ただこの巡行は短期的な話ではなく、明治日本という国家にとって色々意味を持つことになるのですけれど、その辺は興味がある方は是非調べてみて下さいましね」

「さて、堅苦しい話はこれくらいにして次、行こう、次! 津田仙氏に、アンナ先生が西洋料理を教えた件だけど、クララは本当にその後の明治18年、西洋料理のレシピ本“手軽西洋料理”という本を出版してします。訳したのは当の津田氏で」

「この中で“ハッシュドビーフ”が紹介されているのですけれど、恐らく日本で最初に一般に紹介したのがこの本だと云われていますわ。実はハヤシライスの本当の語源はこの本が源流なのでは? という説もあるようですわよ」

「へー、そうなんだ。ていうか、今でもある上野精養軒の名物料理だよね、ハヤシライス。クララ、結構頻繁にあの店に行ってるから、ひょっとしたら直接教えた、という可能性があるかも?」

「こういう話を聞くと、本当にクララの日記に書かれた時代と現在が直接に繋がっていることを実感しますわね」

「ではでは、長くなってきたので、今回分はこの辺でー。あ、一言だけだけど、今回初登場した矢野氏だけど、この人物がクララにとっての最大の“怨敵”となったりー」

「“怨敵”って、貴女ね! ともあれ、次回は“百年目の独立記念日”がメインの話題となる予定ですわ」

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