第15話 クララ、結婚仲介人に激怒すのこと
本日分の主な話題は、商法講習所のクララ宅への引っ越し、津田仙(津田梅子の父親)宅訪問、クララ、結婚仲介人に激怒す! などとなります。
明治9年5月15日 月曜日
今日はとても忙しかった。でも、もし全然することがなかったら、きっと何をしていいか分からないだろうから、忙しいということは嬉しいことだ。
学校が明日ここ木挽町の敷地に移ってくることになったので、今日はその準備をしている。私たちの素敵な客間を分解し、客間にあった物の幾つかは二階の大部屋に入れた。
ウィリイは父の部屋に、盛は富田夫人の部屋に移り、高木氏は出て行かれた。食堂を客間とし、離れの森氏の家を食堂と台所と使用人の部屋にした。
職人がすっかり綺麗に片付けてくれているので、日本家屋ではあるけれど、とても住み心地の良いところになりそうだ。襖と障子があるから、夏は気持ちよく涼しいだろう。畳も二インチの厚さの本物だ。ごたごたしていたので祈祷会はしなかった。
明治9年5月16日 火曜日
今日は私にとって大変楽しい日だった。おやおさんたちの授業はお休みにすることとして、まずは新しい部屋を整えるのに忙しかった。
新しい客間はとても綺麗になったと思う。新しい食堂もまさに素晴らしい。物事に専念した結果、やっていることにぴたりと呼吸が合うというのは、非常に満足感があることだ。全てが終わって腰を下ろし、自分自身が実際に働いて成し遂げた後を眺めると、澄み切った喜びの溜息が出てくるものだ。ああ、本当に気持ちがいい!
昼食後、吹上の天皇の御苑へ一緒に行くため、中原氏がお母様と妹さんを連れて来た。中原夫人は、勿論息子さんよりずっとお年を召していらっしゃるが、中原氏にとてもよく似ておられる。五十を超えたところだが、日本の女の人の例に漏れず、大変年寄りに見える。日本の女の人は随分早く老けていくのだ。妹のおすえさんは十六歳で、本当に綺麗だけどあどけない顔をしていて、明日皇后様の女学校に行くことになっている。私たちはお客様を新しい部屋にお通ししてから、二階に上がって着替えた。
今日はとても暖かくて、冬服ではあまり気持ちよくなかったけれども、とにかく人力車に乗り込み出発した。途中はひどく暑かったが、すぐにお庭に着いた。
吹上は麹町の英国公使館のそばにある。お庭の前に美しいお堀があって、以前はそこに古いお城が建っていた。入って奥の門に着くと、私たちは人力車を降りて歩いた。両側に営舎があり、兵隊がぶらついたり、芝生に大の字に寝そべっていたりした。
ああ、ここはなんと美しい場所だろう!
正面には新鮮な澄んだ泉が湧き出ており、疲れて上気した労働者たちが埃に塗れた熱い手足を浸していた。私たちは小さな流れに沿ってそぞろ歩きをしたが、丈の高い緑の竹が、まるで下を歩いている人々に天から送られた言葉を囁いているかのように、柳に似た軽い葉を揺らしていた。
沢山道があるので、同時に入園した他の日本人は別の道を行ったらしく、日陰の小道をいくつも上がって行くうちに、私たちだけになっていた。つまり母とアディと富田夫人と中原氏のお母様と、おすえさんと中原氏と私である。
歩きながら、あちこちで野苺や小さな花を摘んだり、緑の木の葉を摘み取ったりした。ちっとも暑くなく、つばの広い帽子を被っている上に木陰も多いので日傘はいらない。
「日傘を差し掛けてあげますから。遠慮なさらずに」
それでも中原氏は私にそう云って聞かなかった。私はあんまり何度も立ち止まって花を摘んだので、歩調を合わせられず、中原氏を苛立たせてしまったのではないかと思う。
特に魅力的な場所があった。それは田舎風の並木路で、色々な種類の堂々とした木が両側に並び、木の間を漏れる日光が、平坦な道と私たちの頭上に静かな祝福を注いでいた。
私はこの場所がとても気に入ったが、我が護衛者もその美しさに感動したらしい。
「月光のもとでここを散策したり、柔らかい緑の絨毯の上で踊ったりしたら、さぞ素晴らしいでしょうね」
しばらく行ったところには井戸があり、茶碗で清らかな水を飲むと、すっかり爽やかな気分になった。もう少し先に小さな家があったので、そこの玄関口に坐って休み、軽食にケーキを食べた。
それから私たちはまた歩き始め陽気にお喋りをしたけれど、中原氏の話してくれた竹に関する物語はとても綺麗だった。
「一番素敵だと思う花を、取って置きたいから押し花にしておいて下さい」
楽しい四時間の最後に中原氏にそうお願いしてから、両国橋のそばの茶屋に行って、有名な日本料理を頂いた。
明治9年5月18日 火曜日
昨夜私たちは殆ど眠れず、一晩中寝返りをうっていた。眠りを妨げるものは、良心の呵責を筆頭にあげれば、二番目は蚊である。
気持ちの良い日なのに風が実に烈しい。杉田夫人――つまり、盛のお母様だ――がいらっしゃるので何処にも行かず、夫人を説き伏せて夕食までいて頂いた。とても親切にして下さる杉田先生ご夫妻に、私たちもできるだけのことを差し上げて差し上げたいと思うのだけれど、ほんの僅かしかできない。若夫人のおよしさんは殆ど毎回私に贈り物を下さるが、そのご親切に十分お報いするのは難しい。
杉田先生も奥様も洋食がとてもお好きで、先生は奥様にうちで料理を習わせたがっていらっしゃる。奥様は今日、編み物を少しお習いになった。奥様が富田夫人の肩掛けを掛けているのをご覧になったのを母が見て、針を二本渡し、編み方を教えてさしあげたのである。奥様はとてもお喜びになった。
清国に派遣された特命全権大使の森氏が、私に白い木綿一反と紙の人形を送って下さった。アディも紙の人形を頂いたのだけれど、私はこの家の若き貴婦人であるので、木綿によって敬意を表されたのである。東京の礼儀に従って、この習慣は優雅で麗しく、見事で、立派で、崇高で、素晴らしいとは思うのだけれど……我々質素な一族にはなんとも「けちくさい」感じがする。
夕方植木屋に歩いて行って花を見た。様々な色の可愛い美丈桜を一株一セントで、それから見事な白薔薇の木を二十セントで、美しいゼラニウムを六セント半で買った。
明治9年5月22日 月曜日
今日は職人達が、新しい部屋を建てるためにせっせと働いている。
私は彼らが働いているのを見るのが大好きだ! 今、土台を築いていて、杭を打ち込んだり重い石を持ち上げたりしながら歌っているのが聞こえる。その歌は意味のないもので、美しくはないけれど、人の心を惹きつける野性的な響きがある。
今朝中原氏が訪ねて来られたが、裏口からふらりと入って、知らない間に上がって来た。この前は私たち二人で、森氏の屋根裏部屋だったところの窓から外を見ながら楽隊を聞いていた。楽隊が演奏しているのは「かつて我幸せなりき、されど今は孤独なり」だ。
中原氏は溜息をつきながら、一人ごちるようにつぶやく。
「ああ、私は全然幸せじゃありません」
「えっ?」
私は驚きの言葉を発し、半ば窘めるように告げる。
「お母様や妹さんがいらっしゃるのだから幸せな筈です!」
だけど中原氏は肩をすくめてこう答えるのだ。
「私の求めているのは別の幸福です」
私は笑い出さずにはいられなくて、例えば富士山か日光かへ転地なさったらと勧めたが、中原氏はただ溜息をつくだけだった。
「ロウリーの胆汁薬をたっぷりお飲みになるといいのよ」
もっとも母あたりに云わせると、その一言で十分らしい。
「中原氏はそろそろ結婚なさるんじゃないか?」
夕食時に兄のウィリイがなんの気なしにそう切り出した。中原氏はあまりにもいい人だから、結婚なんかするのは本当に惜しいと思う。
などと思っていたら、帰国したばかりの浅野氏が丁度来られて突然こう告げられたのだ。
「中原さんは結婚なさったそうですね」
あ! もしそうだったら、多分妹さんというのが、やはり「オカミサン」なのだ! そして私たちをずっと騙してきたのだ! それも知らずに私は、今日、妹さんに持っていって下さいと云って、薔薇の花を中原氏にあげたのだ。なんて道化みたいなことをしたんだろう。
その浅野氏は日本に嫌気が差していて、我が家にやってくると、必ず口癖のように云う。
「アメリカに帰りたくて仕方がありません。僕は日本の家も、都市も、街も、友達の女の子も気に入らないんです。アメリカのもの、特に若い夫人たちは素晴らしい! ピアノやオルガンはとても好きなのですが、三味線や琴は大嫌いです。あんな騒音みたいな楽器の何処がよいのですか!?」
もっとも、富田夫人が云うには、これらの浅野氏の言葉も「全ては西洋の文化に対するお世辞」なのだそうだ。日本人の自国を貶め、他国を褒めるような話し方は、率直に云って随分変だと思う。
明治9年5月24日 水曜日
今日、津田氏が、お庭に苺を摘みに来るように招待して下さった。
朝の仕事を片付けてから出かける用意をし、十時にビンガム夫人に会いに公使館へ行った。
「昨日夕食会をして疲れたので、まだ寝ているのですよ」
だけど、部屋に入ってこられてそう云ったのはビンガム公使だった。ビンガム氏はとても親切で、いろいろなことを気持ちよくお話になった。
「今度来て娘のメアリと一緒に歌を歌って下さい」
公使はそう云われたけれど、メアリは魅力的な青年と婚約しているので、こんな小娘と歌を歌う暇などおありかしら?
ビンガム公使は、人力車のところまで送って下さって、別当を呼び、私を人力車に押し込んで握手をし、帽子をちょっと上げて「さよなら」と仰った。外国人が何人も通りかかり、アメリカ公使がそんなに愛想よくあしらっている相手は誰かと、物珍しそうに眺めていた。
それからハイパー夫人の家を訪ねて、約束した子猫、可愛い子猫を二匹貰って帰った。
一匹は白で、一匹は灰色だが、なんとまあ、どちらも尻尾がない! これはちょっとした問題である。尻尾がない! それも生まれつき! 日本人は尻尾のない猫は美しい宝物だと思っている。
一時半に私たち、つまり、母と富田夫人とアディと私は出発した。
風が吹いて埃っぽく、あまり気持ちの良い日ではなかったけれど、間もなく目的地である今年出来たばかりの麻布の学農社に着くと、津田氏がお庭で私たちを出迎えて下さった。福沢先生と一緒にアメリカに洋行されたり、ウィーン万博にも書記官として随行された経験のおありになる津田氏はとてもお喜びになった様子で、英国風の家に招き入れて下さった。
それはとても小さな家で、お蔵の上に建てたものだった。長い馬車道が門と花園まで続き、向こうは畑、池、丘、竹林などがあった。
津田夫人は、生まれて二十二日目の坊ちゃんに会わせて下さった。十七歳のお嬢さんがいたが、津田氏は紹介しながら「この人は天涯孤独の孤児なのです」と云われた。兄弟姉妹も、おじさんも、おばさんも、祖父母も、親戚は誰もいなくて、私たちの家に住み込みで来て勉強したいと云っているそうだ。サムライの家柄の出で、<日本流の考えによれば>教養もある綺麗な人だ。表情がとても気持ちよく、声は非常に甲高い。
親切なご主人が用意して下さったお菓子とお茶を頂いてから、苺摘みに誘われた。
花園を通り抜ける時、津田氏は今まで見たことのないほど美しい薔薇を何本か折って下さった。可愛いいピンクのものもあり、白や濃い紅や深紅色のものもあった。本当に、こんなに豊かで華やかな色は見たことがない。日本の花はすべて、このように明るい色をしているのだけれど、残念なことに香りが乏しいのだそうだ。ここにある薔薇の大部分アメリカやヨーロッパから輸入された物で、日本に入って二、三年経つと香りを失うけれど、色が新しく美しくなると云う。
「好きなだけお取り下さい」
苺畑で籠を渡されると、その言葉が繰り返される必要もなく、私たちはさっさと摘み始め、すぐに籠は一杯になり、指と口は赤く染まった。
太陽はあまり暑く照りつけなかったので、気持ちよく摘むことができた。それから、庭というより農場といった方がいい所を歩き回った。池を渡り、丘に登ると、そこから見える四方八方、皆津田氏の所有地だった。
津田氏はクリスチャンなので敷地に教会と大きな校舎を建てている。日本初のメソジスト派第一号の信者で、奥様と一緒に洗礼されているそうだ。大きな男子の農業学校を経営していて、すべてご自分の費用で維持しておられる。このことは本当にお国のためになることだ。陛下は「津田氏の成功を祈る」と仰ったそうだ。
それから、津田氏は蚕を見に連れて行って下さった。私は蚕を見たことがなかったので、とても興味深かった。蚕は一インチくらいの長さで、長く直立した頭の真ん中に赤い点があるが、これが口なのだろう、多分。桑の葉の寝床の上に恐らく何千匹もいたけれど、丁度脱皮中なので何も食べていなかった。津田氏によると、この期間蚕は断食するという。
このあと、竹や桑や松とあらゆる種類の果樹のある快適な敷地を歩き回ってから、家に入った。津田氏は朝鮮あざみを摘んで料理させた。しばらくそれを食べてみると、今まで味わったことのない風味のものだった。最初とても変わっている思ったが、冷たい水を飲みながら食べたら美味しかった。
津田氏は、日本人画家にご自分の絵を描かせていらっしゃるけれど、とても素晴らしい。同じ画家が描いた薔薇の油絵もあった。
それからまた津田氏はとても珍しい植物を見せて下さった。種がこの植物に実ると虫に変わり、虫は地面に潜り込んで胚になり、植物として発芽してくるのだ! これは本当に驚くべきこと、つまり自然の驚異である! これは動物界と植物界の中間物であり、まったく驚くべきものだ。この植物は綿花に似ていて、根は長くて黒い。日本人はこれを「冬虫夏草」と呼んでいる。
うちは麻布からは遠いので、もう帰らなくてはならない時間になったところへ、ミス・スクンメーカがおみえになった。この方は津田氏の近くの日本家屋にお住まいで、津田家をよく訪問なさるのだそうだ。アメリカから来た宣教師で、大きな女子学校を持っている。
私が帰るとき、津田氏は大きな箱一杯の花と、苺の籠を幾つか下さった。梅子というお嬢さんは今アメリカで、確かランマン夫妻の家にいらっしゃる。ジョージタウンの学校に通っておいでだそうだ。十一歳なのに、たった五歳の時にアメリカに行かされたので日本語が喋れない上、とても熱心なクリスチャンだということだ。
日本に戻ったらさぞ苦労なさることだろう。
明治9年5月29日 月曜日
昨日、母とアディは横浜へ行った。授業をして、おやおさんたちが帰ってから少し読書をしたけれど、二匹の子猫は膝の上を這っていた。
それから着替えて、シンプソン夫人に会いにヤマト屋敷へ人力車を走らせた。お留守だったので、ド・ボワンヴィル夫人のところに行ったら、ご在宅で、楽しい訪問ができた。
お話をしていると、フランス人の将校が入って来て、二人はフランス語で話し始めた。ご主人のアルフレッド・シャステル・ド・ボワンヴィル氏はフランス人で、お友達もフランス人だから、夫人はスコットランドの出だけれども、フランス語を学ばなくてはならなかったのだ。
明治9年5月30日 火曜日
昨日から私は富田夫人と喧嘩している。事の始まりは、高木氏から聞いた何げない一言だった。
「富田夫人に私と中原氏のお嫁さんを探して頂いているのですよ」
母はすっかり衝撃を受けたけれど、私だってそうだ。我が家に結婚仲介人が! その憤りのままに富田夫人の所へ駆け寄って、率直に本当かと尋ねた。
「アメリカではそのような結婚斡旋業の世話になるのは最下等の女性だけです!」
私たちが以前から云っていたことだったから、富田夫人は困った様子だった。
「いいえ、そんなことはしていませんよ」
最初は否定していた夫人だけれど、私の問いつめに遂に観念したようだ。
「高木氏のためにはお嬢さんを探していますけれど、中原氏には冗談で云っただけです」
こればかりは譲れないことなので、私はこのことについて富田夫人にお説教をすることにし、最後に念押しで「私たちの学校に傷が付くから、そんな不名誉なことはここでは許されません」と云って話を結んだ。
そうだ! ここに若い少女たちを来させるのは、勉強を教え正しい純粋な思想を伝えるためなのであって、若い男女に奥さんとして渡すためではない。私たちはこんなことのために日本に来たのではない!
もし富田夫人が高木氏に綺麗な少女を探しているとすれば、うちの少女たちを来させるわけにはいかない。高木氏が結婚したいのなら、自分で奥さんを勝ち取らせればよい。見も知らぬうちに少女を捕まえて不幸にしてしまう蛮行は許すべきではない!
すると富田夫人は、日本の習慣を口実にした。私がそれは恥ずべき習慣だと云っても、富田夫人はなおも反論された。
「もし自分のような人がお世話しないと、若い女の子は結婚など出来ないでしょう」
「!」
そんな嫌らしい考えを耳にすると、胸がむかむかする! そんなことは考えられない。
懐かしい自由なアメリカに生まれて教育を受けたことを、私は本当に有り難いと思う。こんな不愉快な事柄についてはもう書くことができない。ああ、いやだ。
津田氏のところから、一ポンド四セントで、毎日美しい苺を頂いている。
午後から夕方にかけて中原氏が訪ねてきた。老画家もおいでになった。<二人はいつも同時にみえるのだ>。私はこの老紳士のためにオルガンを弾いたが、彼はすっかり音楽に魅了されて、アメリカの少年のようにオルガンに寄りかかり、楽譜の頁を捲って下さった。
「音楽を楽しく聴かせていただきました」
教室で父のために翻訳をしていた中原氏が、私と握手をしに入って来るなり云った。
「音楽を楽しく聴かせていただきました」
私は中原氏のために弾いたのではないのに! 間もなく再び、今度は父と客間に入ってきて「もっと弾いて下さい」と頼んだ。
私は父が出て行くまでわざと返事をしなかった。出て行ってから、私はようやく振り向いて、先日浅野氏から聞いた話が本当かどうか知るべく変化球を放ってみた。
「婚約なさったそうですね。結婚式には招待して下さらないと、二度と口を利きませんわよ」
それだけ云って、私はオルガンを弾き始めた。
「ちょっと待って下さい!」
中原氏は私を止めて、どういうことか聞きたいと云った。私はちょっとからかってから、 最近頻繁に聞く「妹さん=奥さん」説について問いただした。
椅子に寄りかかって聞いていた中原氏は、だけど私の話を聞くと長い間笑っていた。
「おや、おや、何処でそんなことを聞いたんですか」
私ははっきりとは云わなかったけれど、それとなく知らせた。だけど中原氏は怒らず、それを面白い冗談として受け止めたようだ。
「多くの青年が奥さんを探し回っていますから、男はある年齢になると疑われるのですね。だけどあなたはそんなことは信じないで下さい。私は一生独身でいるつもりですから、そんなことはしませんよ!」
私が考えていたのとは違って、驚きもせず、顔色も変えず、震えもしないで、私をまっすぐに見ながら、大胆に機嫌良く笑った。
夕食後、私について中原氏は食堂に戻り、再びその話が始まった。私は日本の女性の少女時代について、また女性の低い地位について思っていることを、それからそのことでどんなに不快な思いをしたかを話した。
「中原さんが結婚しても構いませんけれど、まるでリンゴでももぎ取るように、女学校の 女の子を求めて仲介人を送り込まないで下さいね」
そうつけ加えるのを忘れなかった。私は自分の意見をかなり徹底的に述べたが、中原氏が議論しようとするので余計駆り立てられた。中原氏は帰り際に握手をしながら云った。
「この次来る時は、もっと面白い話を持ってきますよ」
「多分この次はあなたは結婚したといえるようになっているのでしょうね」
そう云い返しながらも、今度の日曜の夕方、私は中原氏と一緒に教会に行く約束をした。
【クララの明治日記 超訳版第15回解説】
「今回もクララにとっては“怒りの日”でしたわね」
「“怒りの日”と云っても、決して(以下略~) 勘違いしないでよっ!」
「……お約束はこれくらいにして、さっさと本題に行きますわよ」
「ああっ、酷い。(以下略~)なんて」
「本当にクララの“結婚仲介人”に対する反発は凄まじいものですわね」
「そもそも“結婚仲介人”という表現が悪いんだと思うんだけど。“近所の世話焼きおばさん”くらいにしておけばいいのに」
「……そういう問題ではないと思うのですけれど」
「これって宗教的なものなのかな? それともアメリカ人的な考え?」
「そう難しく考える必要はないのではないかしら? 自分のところに来た生徒を丁度都合がよいからといって、周囲の男性のお相手として見繕われたら、教育者としてなら誰でも怒りますわ。私は生徒を奥さんにするために教育を施したんじゃない、って」
「そっか。特にアンナ先生は教育者というより、伝道者的ところが強かったしね。出来れば生徒にも伝道者になって貰いたい、と思っていたんだろうし。だけど、そんなことを云っていたら、この当時の日本の若い男女は結婚できなくなっちゃうし」
「それは今もじゃありませんの? わたくし、日本の最近の未婚率の高さの一因は、貴女の云う“近所の世話焼きおばさん”が地域社会の崩壊で存在し得なくなってしまったからだと分析しているのですけれど、真面目な話」
「それはどうだろうねー、全くその要素がない、って訳じゃないだろうけど。実際私も、明確な記録は残ってないけれど、お見合い結婚だったんだろうし。もっとも幾つかのお見合いは断って、ある程度は自分で選べたっぽい事がクララの日記から推察できるけど」
「目加田種太郎男爵ですわね。勝提督の娘婿、という立場ではなく、自らの功績によってのみ男爵位まで上り詰めた方ですので、貴女は結果的に素晴らしい方を選んだのでしょう。惜しむらくは今日、目加田男爵の功績を公に、かつ正当に評価しようとすると、横槍が入ることくらいですわね、主に日本の北西方向から……と、危険領域に入ってきましたから、話を戻しますわよ。この頃のクララの“意中の人”のようだった中原氏とのやりとりですけれど」
「ちょっと古風だけど、少女漫画のノリそのものだよねー。百年くらいでは人間の行動や会話パターンなんて変わらないことの証明みたいなもんで」
「クララ、熱心なクリスチャンの割にこういうところは大胆ですわね。何度も、別の男性に対してこんなやりとりをすることになりますし。本人は日記でたまに自省もしているみたいですけど」
「私と一人の男性を取り合うようなシチュも今後あるのでお楽しみー……って、楽しみにしていいのか、わたしは!?」
「さて、そろそろ話を変えて、津田仙氏の話に移らせて頂きますわ。現在では一般に“日本人初の女子留学生の一人、津田梅子の父親”程度の認識しかされていないようですけれど、この方は日本の私学史にとっても、農業史にとっても偉大な人物のようですわね?」
「俗に、新島襄、中村正直とともに“キリスト教界の三傑”と云われた人だよ。同志社大学の設立にも関わってるし、丁度今回日記に出てきたミス・スクーンメーカが今で云う青山女学院を創設した際には協力して、後の青山学院大学の設立に関わっているし。ちなみに話は逸れるけど、私の未来の旦那様は専修大学の創立にも関わってまーす」
「仙氏の娘さんの梅子さんは津田塾大学でしたわね。この当時の偉人ですと複数の私学の設立に関わった人物というのは珍しくはないとはいえ、一介の佐倉藩士の四男からここまで上り詰めた方はそうはいないでしょうね」
「もっとも、私にとっては“日本で最初に通信販売を行った人”だけどねー。丁度このクララが訪れた頃にアメリカ産トウモロコシの種の通信販売を始めたのが、始まりなんだって」
「意外ですわね。江戸時代から為替とか先物もやっている日本でしたら、もっと古くから通信販売などありそうなものですのに」
「うーん、多分類似のものはあったと思うよ。ただきっとこれは郵便制度を使って、って意味だと思う。また情報募集中だって<ブログ主」
「それでは、長くなって参りましたので、本日はこの辺りで失礼致しますわ」
「次回こそ、明治天皇の行幸の様子を詳細にお伝えするからねー」
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