第12話 クララ、大名屋敷を訪問するのこと

 本日分は梅見、桜見、そして松平家訪問記の話の回となります。


明治9年3月18日 土曜日

 今日は向島に梅見に行くことになっていたのだけれど、あいにくの天気となってしまった。

 木曜日に中原氏も一緒に行くように打ち合わせをし、一昨日、昨日とパンを焼いて掃除をしておいたので、今朝はすっかり用意ができていた。

 ところが今朝起きてみると、空がとても曇っていて今にも泣き出しそうだった。しかし、杉田夫人も中原氏もおいでになったので出発した。着くか着かないうちに雨が降り出したけれど、そのまま向島の百花園へと行くことにした。

 傘の下からでも、梅の木は紅とピンクと白の衣をつけて美しく、雨の中でも芳しい香りがした。和風の小屋の中に坐って、持ってきた卵やケーキを食べ、お茶と水を飲んだ。

いくら雨が降っても私たちは楽しかった。……私たちのいた小屋の藁屋根は雨が漏らなかったから。

 帰りは人力車より舟の方がずっと楽しいので舟で帰ることにした。中原氏が私に付き添い、傘を差しかけたり、向島の記念にと不格好な小さい茶碗を買って下さったりした。

 私たち、つまり母、ウィリイ、アディ、富田夫人、杉田夫人、盛、中原氏と私は、ざあざあ降る雨の中を舟に乗って家路についたけれど「舟旅」の間中、活発にお喋りを続けた。

 舟は乗り心地が良く、二人の船頭がいたけれど、藁の上下服を着て巨大な海水帽を被り、まるで山嵐みたいだった。進むにつれ雨は激しくなり、とうとう土砂降りとなった。それでも蜜柑やケーキを食べたり、お喋りをしたりして、時の経つのを忘れることが出来た。そして黄昏に桟橋に着くと人力車が待っていたので、それに飛び乗って家に急いだときは嬉しかった。

 家には乾いた衣類と暖かい火が待っていた。杉田夫人はすぐに帰られた。中原氏は夕食をしていったが、約束があるとかで、それ以上はいられなかった。

「とても楽しかった。お手数をかけてすみません」

「私もとても楽しかった。今度行くときは雨の中ではなく、よく晴れた日にしましょう」

 しかしこんなに楽しかった“今日”は到底忘れられないだろう。


明治9年4月1日 土曜日

 今日、食事とパン焼きが済んだ後で小野氏が見えて「上野の桜を見に行かないか」と誘って下さった。丁度その時、杉田氏の若夫人よしさんがいらしたので、皆で行くことに決まった。

 人力車を呼び、母と富田夫人が一緒に、もう二台によしさんと私、小野氏とアディという順番で出発した。上野はとても美しいところだった。いろんな種類の丈の高い美しい木が沢山あった。桜の花が咲いていたけれど、この早咲きのは遅咲きのほど大きくもないし、綺麗でもない。

 あらゆる階層の人が数え切れないほどいた。

 大きな石段を上り下りする人々の中で、綺麗に着飾った紳士と淑女を見ると、男は立派な絹の着物に洋風の帽子を被り、女は紅、白粉、香水をたっぷりつけているのに気づく。

その他、物乞い、芸者、人力車の車夫、様々な日本の庶民がいた。

 人力車から降りて歩き出すと……私たちの後から、赤ん坊を紐で背負った汚い子供たちがひっきりなしでついて来た。そしてその可哀想な赤ん坊たちは、目の赤く腫れた汚い顔で、こちらを哀れっぽく見上げていた……。

 私たちはまず、寛永寺というお寺に行って、小さな大仏を見た。

 日本の人たちには悪いのだけれど、正直に云おう。

 うわっ! なんて醜いのだろう! 五十フィートほどの高さで、真っ黒な顔をしていた。 広い鼻、厚い唇、ちりちりに縮れた髪の毛、何処から何処まで慄っとするようなものだ。

 美しいものを愛し、尊ぶ才能のある日本人が、どうしてこんなひどいものを拝めるのか分からない。人間の作った忌まわしい像を拝むより、富士山を拝む方がよっぽど自然なように思われる。

 父なる神、救世主が、喜んで人間の崇拝を受けようとしていらっしゃるのに「神の力で作られた人間」が正しい道から逸れて、青銅の像を崇めるなんて!

 それから別の、もっと美しいお寺である上野東照宮へ行ったが、アメリカでこれに似た建築物の絵を見たことがある。とても変わった朱塗りの建物で、内部は赤と金色だった。

天皇<だと思う>の肖像が四つと神聖な鏡があったけれど、人込みでゆっくり見られなかった。とにかく大勢の人に囲まれているのにはまったく閉口した。

「何処に行っても人がついて来るのだから、私たちは偉大な社会の指導者になったのね」

 母は笑いながら、そう云った。

 このお寺へ続く舗装道路の両側には、大名が寄進した五、六フィートの高さの石灯籠が並んでいた。全部に火が灯ったらさぞ素晴らしい景観だろう。


明治9年4月3日 月曜日

「よく我が家においで下さいました。妻共々、お待ちしていましたよ」

 夢の中の中原氏の“奥様”は十四歳くらいだけれど、ちっとも綺麗でなく、太ったつまらない人だった……。

 目が覚めると今日は日本の大祭日、神武天皇祭。だかに日本の学校は何処も休みだ。

「じゃあ、我が家の学校も休講にしても問題ないわよね」

 そういうわけで、今日は急遽授業をお休みにすることにした。うん、こういうのを「郷に入っては郷に従え」というのだろう。

「それじゃあ、アディちゃん、お借りしますね」

 おやおさんは笑顔で妹を連れて行った。およそ二時間後。昼頃におやおさんたちは帰っていった、疲れ切った風のアディを残して。

 昼食後。ひどく頭痛がするので、化粧着を着て髪をばさばさにしてくつろいで寝ながら本を読んでいると、使用人のセイキチが二階に上がってきて声をかけてきた。

「中原氏と“ムスメさん”がみえたから、客間に来るようお母さまが云われてますよ」

 それで中原氏が随分前から待っていたが、お母様と“妹さん”が東京にお着きになったのだと分かった。

 中原氏の“妹さん”は夢の中の“奥様”とそっくりで私は吃驚した。ただ妹さんはずっと感じがよくて、地味な着物を着ていた。

 母が私の夢のことを話したら中原氏は驚くほど喜び、私が下りて行くと、その話を私に繰り返させた。中原氏は私のことを予言者とか夢想家とか呼んで、帰るまでひどくからかい続けた。

 中原氏はいつか桜の花を見に行こうと誘って下さったので、私はお礼を云ったけれど、実は桜の花は沢山だ。もう見に行く気はしない。

「中原氏は自分の奥さんを妹さんとして通そうとしている。つまり、アブラハムの役割を演じているのではないかしら?」

 中原氏の帰宅後、母はそう推測を述べ、私も実はそうなのではないかと疑っている。

 その後、ヘップバン夫人がおいでになって、復活祭の休暇にミニー・ハークスさんも来るから、私も横浜に来ないかと誘って下さった。とても優しく素敵な方だ。ご自分のベットの隣に、私の小さいベットを用意したとも仰った。今日は私たちが在宅している時にお見えになったので、とても嬉しい。


明治9年4月4日 火曜日

 昨日授業をしなかっただけで、たっぷり休暇を取ったような気がする。

 松平家のお嬢様はうちが気に入って、授業が休みに入る土曜日が来るといつも残念がる。

「母が是非クララ先生に我が家の庭を見に来て下さるよう云っています。粗食ですが、用意させて頂きますし」

 日本式の社交辞令かと思ったけれど、おやおさんの様子を見ると満更そうでもないらしい。いや、おやおさんが云うと、どんなことでも本気に思えてしまうのだけれど。

 私は日本語の勉強をまた始めた。まず字をいくつか書いて「日本語入門書」から英語を日本の文字に訳した。だが、やりもしないうちに、これからやろうとしていることを自慢したくはない。私はこのような種類のことには、驚くほど気紛れなのだから。

 午前と昼の仕事を済ませ、母と私が散歩に行こうと着替えたところへ、シンプソン夫人が素晴らしく美しいピンク色のカメリア・ジャポニカを籠に一杯持ってきて下さった。これは日本人がツバキと呼んでいる花である。シンプソン夫人はご主人とシャンド氏と一緒に、大仏のある鎌倉の近くの綺麗な島――江の島というらしい――に行ってきたばかりだそうだ。

 夫人がお帰りになってから、駐日アメリカ公使であるビンガム氏の夫人を訪ね公使館へ行ったけれど、あいにくとお留守だった。けれどビンガム氏が相手をして下さって、日本の現状についてとても興味深いお話しなさった。

「この単純で勤勉な国民は、クララさんが植木鉢を花に植えるように、稲の苗を一本一本植えるのですよ」

 それから、母にはこう云われた。

「あなたの小さいお嬢さん<私のことだ>は日本の風土が合うようですね」

 私はまだ幼いのかしら? ここ数ヶ月、私は自分がすっかり大人になったような気がしている。事実本国では一人前の夫人とみなされる――少なくともそう扱われるし、日本の少女だったらもう結婚してもいい年だ。

 自分では年を取った感じがしているのに、幼いと云われるとなんとも爽やかな感じがする。だけどまだ、老嬢<私も結婚しないつもりだけれど>のように、髪を「螺旋状の巻毛にしたり「目尻の皺」ができるほど年取ってはいない。

 とても楽しい訪問だったけど、ビンガム氏は本当にうちのモクリッジお祖父さんによく似ていて優しいので、ついお祖父さんを思い出してしまう。


明治9年4月7日 金曜日

 松平家のご招待を受け、午前の授業をあまりしないで十二時に出発した。

 おやおさんとおすみは、二人の制服を着た車夫の引く美しい人力車で先頭に立ち、母と 富田夫人はその次、私は一人で、アディと三浦夫人が一番後だった。

 様々な景色のところを通っていったけれど、大名の華やかな車と私たちの服装は、いやが上にも人目を引いた。隅田川の土手を進み、浅草や向島の近くまで来た。

 黒い門をくぐって少し行くと、車を降りるように云われた。迎えに来た立派なサムライに案内されて、茶の木の生け垣に沿った小道を歩いていくうちに、突然主庭に出た。

大勢の人が玄関に出迎えており、私たちは靴を脱いで、テーブルなどのある様式の部屋に通された。

 ああ、日本人同士のお辞儀ったら! 皆、床に頭がくっつくまでお辞儀をしていておかしかった。三浦夫人を見ていて、もう少しで声を立てて笑いそうになった。

 最初見た時、彼女は隅で立派なサムライに対し、頭を飛び切り深く下げていた。まるで彼にあらゆる幸福と永遠の生と死後は天国に行けることを祈ったかのように、長い間お辞儀をした後、サムライが立ち上がって去ると「さらに征服すべき世界」はないかと見回した。

 富田夫人と頭を付き合わせんばかりにお辞儀をしていた日本人が三浦夫人を見つけると、両者はにじり寄り、二人とも手と膝をついて頭を床にくっつけ、再びひれ伏した。

だけれど、松平家の老婦人が入っていらっしゃると、もっとひどくなった。三浦夫人は鉄板上のパンケーキのように、ぺしゃんこになった。うん、日本人なら、本当に鉄板の上だって土下座が出来るかも知れない。

 松平夫人はかなりお年を召しておられて、肺癌にかかっていらっしゃるけれど、色白の優しい丸顔と、しとやかで楽しそうな態度やご様子からは、とてもそうとは思えない。

美しい錦のお召し物をもとい、柔和で落ち着いていらっしゃるが、優雅で大名夫人に相応しい方だ。襟は純白の絹で、髪は短く切り、後ろをきちんと梳かしてある。優しい慈愛に満ちた目と、綺麗な白い歯の見えるお口は魅力的だった。

 間もなく私たちはテーブルに着き、お茶をすすって、お菓子を摘んでいるうちに食事が出てきた。最初の料理は貝殻の半片を手に入れた生牡蠣、次は魚、第三は鳥<はらわた抜きでなく、頭がついていてキャベツの葉で包んだもの>、四番目は鶏肉、第五は焼いた牛肉とじゃがいも、六番目はコーヒーとケーキと蜜柑だった。しかし、その後で過ごした素晴らしいときに比べれば、この食事など省略したって構わない。

 私たちは、美しいお庭に出た。中央に綺麗な池があり、その両側と後ろに柔らかくうねった築山があったが、自然そのままで、てっぺんに楠、樅、その他見慣れた木が生えていた。築山や木々の鮮やかな緑とくっきり対応するように、明るい真紅の小さな庭木が植えられていたが、ともかくその葉の色は鮮明だった。

 私たち、つまり、母、松平夫人、おやおさん、おすみとそのお父さん、富田夫人、三浦夫人、護衛のサムライと私は、川や池に沿って歩きながらお話をし、日本人がとても好きな「バッタ」が夥しくいたので、それを捕まえたりした。

 小さな丘についている石段を駆け上がると茂みに出たが、木の枝が互いにくっついて、素敵なアーチになっており、鳥が囀りながら、そこを潜って飛び交っていた。枝の擦れ合う音は物悲しいが快く、楽しい緑の森を思い起こさせた。少し先に、この池の源、つまり池と隅田川を繋いでいる細い水路があった。

 丁度その時、お庭の奥にある小さな家に着いて、中に入るように誘われた。

 二階には、両側に川が見える涼しく風通しのよい部屋があった。小さな露台に出ると、舟が通るのが見え、また下方の通りを歩く人々や乗り物が見えた。晴れていたら、この上なく素晴らしかっただろうけれど、曇っていたのが残念だった。

 家から出て再びそぞろ歩きをすると丘の下の方に小さな穴があって、川から来た冷たい水が石の上で優しいせせらぎの音を立てていた。両側の土手は緑色の苔に覆われ、丈の高い木が小川の上に優しく垂れ下がっているのを見た時には、土手に坐って本を読んだり、川の銀鈴のようなせせらぎに合わせて、空想を思いのままに駆け巡らせてみたいという気さえしてきた。

 たった一つ厭なことは、毛虫や百足が木から落ちて来ないかということだったが、その時にはそうだ! 傘をさせばいいのだ! 

 それからぐんと高い丘の石段を上ると、実に見事な東京の眺めが目に入った。浅草、築地、いくつかの学校、大きな銀行、ヤマトヤシキ、その他色々の場所を、お供のサムライが指さして教えてくれた。

 別の小道を通って下り、もう少し歩いていったところに岩を刳り抜いて作った道があった。案内者についてそこを数歩下ってみると、人一人がやっと通れるくらいの幅しかなかったけれど、それでもスカートの広がりにはまだ余裕があった。

入口の真向かいに出口がないので、中は真っ暗だった。入口から出口の方に曲がる角の引っ込んだ岩の中に、神社がはめ込まれていた。

「誰を祀ってあるのですか?」

「女の人が崇める女神、弁天様ですよ」

 私は弁天様の由来を読んでいないが、そのうち読んでみるつもりである。


 家に戻ると、松平夫人が持っていらっしゃった。そしてまた、お茶とお菓子と蜜柑をご馳走になり、色々と種類の絵本を見せて頂いたりして、すっかりくつろいだ気分になったけれど、皆夫人とお付きの人々のお陰である。

清国の手作りの風変わりな飾り棚があったが、それは古くて、たいそう優美な変わった真珠や珊瑚が散りばめられていた。

「好きな方をお取りなさい」

 私が二つの可愛い鉢植えの花に感心しているのをご覧になった松平夫人がそう仰ってくれた。私は少し躊躇ってから、美しくて珍しい藤を選んだ。それは二フィートくらいの丈しかないのに、可愛い花を沢山つけているような盆栽だった。富田夫人は、それは日本ではとても珍しい種類だといった。

「また来て下さいね。やおだけではなく、わたしも楽しみにしていますから」

 松平夫人は、何度も何度もそう念を押された。

 家に帰るまで花やその他のお土産を一杯頂いたので、人力車をもう一台頼まなくてはならなかった。私たちは従者に贈り物を持たせて帰宅する古代ヘブライ人のような気分になった。私たちが持って帰ったのは、鉢植えの藤、桃と桜を枝ごとと、沢山の椿だった。

母は絹地に描いた絵と漆器のお椀を頂き、富田夫人と三浦夫人はそれぞれ沢山の便箋と封筒、絹のスカーフ、アディと私はとても綺麗な玩具を幾つも頂いた。

 六時半に家に着くと、中原氏が来ていて、一人で気楽に過ごしているところだった。


【クララの明治日記 超訳版第12回解説】

『本当にすまないという気持ちで胸がいっぱいなら、どこであれ土下座はできる。例えそれが肉焦がし、骨焼く、鉄板の上でも』

「というわけで、カ○ジの鉄板焼きでさえ、三浦夫人ならきっと!」

「…………ふう。まあ、いいですわ。今回はネタ部分が少ないですものね。松平家訪問なんて殆ど原文のままですし。はいはい、無駄話が終わったらさっさと進めますわよ」

「メイ、今日はノリが悪いよっ!」

「(無視無視) 日本人は本当にお辞儀が好きですわね。頭を下げることが好きな国民というのは世界的に見ても珍しいのではないのかしら?」

「……アンタの国の“三跪九叩頭の礼”じゃないからね」

「“三跪九叩頭の礼”は行き過ぎにしても、あまり普段から頭を下げすぎているから、欧米人から“日本人は見かけと実態が違いすぎる”と批判されるんじゃありませんの? そうそう、かなり不気味に見えるらしいですわよ、日本人が電話で喋っていても頭を繰り返し下げる光景は」

「既に条件反射レベルの無意識でやってるからねー、仕方ないんじゃない? でも戦国時代の宣教師たちの記録ではお辞儀に関する記述で目立ってものがないことからすると、ここまで深々したお辞儀が広まったのは江戸時代なのかな?」

「そりゃあ、長々とお辞儀をしている間に刺されたらどうしようもありませんもの。平和の産物ですわよ、きっと」

「江戸時代に広まったと云えば、いわゆる“贈答文化”もそうだよね。クララが帰りがけに手では持ちきれないほど贈り物を貰っていたけど」

「日本にいる間にすっかりクララも物を貰うことが当たり前のようになっていくのが分かりますわね、日記を読むと」

「江戸時代に出世しようと思うと、大概は有力人物の家に日参して贈り物をするのが当たり前だったみたいだしね。あと同心とかは大名家や商家から、今の貨幣基準だと億単位で“付け届け”を貰うのが普通だったみたいだし」

「……それって“賄賂”って云うんじゃありませんの?」

「賄賂じゃなくて、あくまで“お礼”。というか、この“付け届け”がなければ、同心の家は三ヶ月保たずに破産しちゃうんだもん、本来の禄高とお役料を含めても。つまり、最初から“付け届け”が給与代わりとして想定されて組み込まれていたらしいよ。あと、出世のための苦労に関してなら、父様の父様もいろいろ苦労したみたいだけれど」

「勝小吉さんの話ですわね。またその話は勝提督の話が出たときに改めて、ですわね。

あとは、と。いつものことですけれど、クララは宗教関係には容赦ないですわね。確かにわたくしも、大仏像が美しいとは思いませんけれど」

「当の日本人も全員が全員、アレが美しいと思ってはいないと思うけどね。まあ、仏像の顔のために拝んでいるわけじゃないし。それよりも『富士山を拝む方がよっぽど自然なように思われる』ってクララが云ってることを評価、というか日本人寄り化していることの方が注目点だと思うよ」

「それでも、梅や桜を見て楽しむ、という視点はまだないようですわね。欧米人にとっては、自然のままの花、というのは愛でる対象ではないのかしら?」

「人それぞれ何じゃないの? 植物の種子を集める“プラントハンター”。これは今もある職業だけれど、開国されるや否や日本に入ってきて各種珍しい植物を輸出しているから」

「それでも欧米風の園芸に合うように改造することを前提にして、ですわよ」

「この辺の話で詳しい記録を読みたい方は、ロバート・フォーチュンの『幕末日本探訪記』を読んじゃって下さいねー」

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