第11話 クララ、ジョージ・ワシントンの子孫に出会うのこと
本日分はクララの神社参拝の話、また新たな登場人物として、某17歳教wの元祖とでも云うべきお方が登場、そして神の実在に関する証明!?の話の回となります。
明治9年3月10日 金曜日
この一週間ずっと書く暇がなかった。幾晩も忙しく忙しくて書くことができなかったのだ。生徒たちは毎日やって来る。授業をしているときは大変面白いと思うのだけれど「キャット」「キャット!」「ドック」「ドック!」そんな単調なことばかり教えていると、時々くたくたに疲れてしまう。
しかし、それでも生徒たちはとても進歩が早い。そして若い女の人たちは何よりもよく笑う。ミス・マギーの規律正しい授業は静かでキチンとしていて、針の落ちるのも聞こえるくらい静まりかえっているけれど、うちの生徒たちがそれを見たらなんと云うだろうか。
「おやお様、突然笑い出すなんて、どうかなされたのですか!?」
「いえ、裁縫用に持ってきた針が転がってしまいましたの。それが可笑しくて可笑しくて」
「それを仰るなら、針じゃなくてお箸です!」
うちの近くの神社で大きなお祭りがあったので、夕方から見に行くことにした。
母はレインコートに身を包み、私はケープのついた外套に、ウィリイのあざらしの毛皮の帽子を被って肩掛けを掛ける。うん、何処から見ても、立派な男の子の格好。日本人は外国人を見ると男よりも女をじろじろ見るから、この方が都合がいい。使用人のセイキチと富田夫人も一緒に行った。
月と星と明かりの中を、楽しく歩いて神社の境内に着くと、まずお参りの前に手を洗うところへ出た。それはどの門でも両側にある。
次に面白かったのは、辻占を売る屋台だった。長い箱が幾つかあり、小さな細長い木片が入っていて、箪笥の引き出しのようにするりと出てくるのだ。木片はとても小さいので、出すのに激しく揺すらなくてはならない。出てくるものには文字が書いてあって、いつ何が自分の身に降りかかるか教えてくれるのである。例えば私が引いたのは、以下のようなものだった。
『七年後の四月十七日、貴方は最も大切な人間を失うことになるから用心せよ!』
「…………」
もし出てきたものが気に入らなければ、気に入ったのが出て来るまで箱を振ることが出来るのだそうだ。つまり気に入った予言が出るまでひたすら繰り返せばいいわけで、このように迷信が維持されているのだ。
……だから、当然のように、私は箱から新たな木片を取り出すことにした。
神社には大勢の人が集まっていた。最初の売店には、神社に急いで届ける手紙を書く台があった。次に見たのは室内に坐っている神主たちで、テーブルの周りでお茶を飲みながら陽気に巫山戯ていた。私が近くへ行ったら、まるで私が肉か魚か分からないといった風にからかい気味に私を見た。
ここで主要な見物に注意を向けてみよう。
神にお参りするとき鳴らす鈴が上に吊してある柵の中に、一人の男の人がいた。この人は紙に包んだパンの欠片を沢山持っていて、いくらかのお金と引き替えに渡していた。
「人々はこのパンの欠片に病人を直す力があると信じて家に持ち帰るのです。だからこのパンは神聖な物と見なされ、次の祭りには古いパンを持ってきて、新しいのと取り替えるのですよ」
富田夫人の言葉に無言で頷いて、私は長い間そこにいて、惑わされた哀れな人々が、自分でもよく分からないものを拝んでいるのを見ていた。
「ありがたやありがたや」
一人の参拝者が私のすぐそばに立って、お辞儀をし、何度も手を打って、声を出してお祈りをしていた。この老婆が何を云っているのか私には検討もつかない。
だけれど、自分でもきっと分からないものに熱心に祈っている、その哀れな異教徒の着物が私の服に触れた。私は心の中で、真の神様へと祈った。
「こんな深い暗闇の中にいるこの人々になんとか光をもたらし給え」と。
帰宅しても、あの人たちが生命のないものに頭を下げている光景が私の脳裏を去らなかった。
鈴の音、手を打つ音、叫びと祈り。こういったものが私の耳の中で鳴りやまなかった。
ああ、なんと悲しいことだろう。神の掟と自然の定めを破って生命――それも動物ほどの生命のないものを拝むなんて! 木や石や金や青銅の塊を拝むくらいなら、ナイル川の鰐を拝んだ方がずっと、ずっとましだ! あの人たちがイエス様の前に跪いて、万物の主、神に懺悔する日を期待する。
その夜、この国へ来てから、多分去年の九月の台風以来、はじめてのひどい風が吹いた。
明治9年3月11日 土曜日
今朝はとてもうららかな朝で、富田夫人と私が焼いたお菓子は最上の出来だった。
富田夫人はゼリーケーキを、私はドーナツとフルーツケーキを作った。富田夫人のケーキは四層になって、雪片のように軽く、素晴らしかった。私の一口ドーナツもとても上手くできたし、フルーツケーキはちょっと焦げただけだった。……うん、ちょっとだけ、ちょっとだけ。
食後、私たちは着替えて、加賀屋敷にいる友達を訪問しに出かけることにした。うちの人力車で行ったのだけれど、車夫の一人が梶棒を取り、もう一人が梶棒の横木についている綱を肩に掛けた。銀座通りから加賀の殿様の敷地までは道がとても良かったが、邸内は大変ひどく、大きな轍が凸凹に続いていて、人力車ががたがたと揺れ、投げ出されそうになったので、私たちは降りて歩いた。
加賀屋敷に着くと、マッカーティー氏の家を訪ねた。客間と食堂はとても心地よく、マッカーティ夫人は快活で気持ちの良い方だった。
「うちは子供がいないので、清国で両親を亡くした少女を養女にしていますのよ。ユウメイというのですけれど、今日は出かけていますの。今度会ったら仲良くしてやって下さいね」
ここに長い間楽しくお邪魔してから、次に隣のサイル夫人を訪ねた。夫人は四ヶ月前、日本家屋の敷居に躓いて転び、膝の皿を割って、それ以来歩くことがお出来にならない。この方の前のご主人の名はワシントン、つまり我らがワシントン大統領の子孫でいらっしゃる。
お嬢様はとても素敵で綺麗な方だけれど、ジョージには似ていらっしゃらない。それどころか、見た目もなさることも……
「アニー・ワシントン、十七歳です♪」
……念のために断っておくと、現在アニー・ワシントン嬢は二十一歳でいらっしゃる。
マッカーティー夫人のところではお茶とお手製のケーキを頂いたが、このお宅では日本式慣習を取り入れずに、バター付きパンをご馳走して下さり、とてもおいしかった。
こうして私たちはいつもの静かな暮らしから離れ、憂さを忘れて過ごしているうちに、もう殆ど夜になったので家に帰った。通りでお茶屋に寄ってお茶を買った。清国のお茶も欲しかったのだけれど、言葉が通じなかった。私の日本語はまだまだ駄目なのだ
明治9年3月14日 火曜日
今日は暴風だ。こんなに強い風の音は今まで聞いたことがない。一晩中風が吹いて吹いて吹き続け、時々家が随分揺れた。
朝方には小さな日本の家屋が吹き倒され、塀も木も煙突も倒れた。森氏の家である我が家もぐらぐら揺れていた。風がひどくて、おやおさんたちはお休みとなった。丁度母が頭痛でうんうんいっているので誰も来ないのが有り難い。
お昼の食事が済んだ頃に晴れ上がって明るく気持ちよくなった。面白いことに暴風はいつも南から吹く。そして今日の風はとても強かったけれど、大変暖かかった。
午後十時には地震もあった。小さかったけれどやはり怖かった。母の病気、雨、風、そして地震が揃ってやって来るなんて、なんて惨めな夜だろう!
毎晩横になると、これで終わりかというような気がして、怖くてたまらなくなる。災いから逃れられるように神様を信頼して、平和を祈ろう。私の精神も心も神様も信じているのに、肉体がとても弱いのだ。
こんな自省を母に話すと、いつも笑い話にして返されてしまう。
「クララは赤ちゃんだったとき、蠅をとても怖がって、蠅が部屋にいると卒倒しそうだったのよ。次に怖がったのは木馬でしたね」
そう、白い木馬に乗るのは私にとって大きな試練だった。何故だか、その恐怖のイメージは赤で塗り潰されている。本当にいったいどうしてなんだろう?
そして今は風。神は神様の僕であるのに、私は怖い。そして更に地震が私の人生を脅かす。「おお、汝、信仰うすき者よ!」
そう、我らの神は偉大なのだ。その実在を示す好例が今朝の官報に載っていた。
太政大臣、つまり総理大臣が今までの「イチロク」つまり一日と六日の休日をやめ、全官庁で日曜を休日とするという布告を出したのだ。
本当に主が悪魔を滅ぼし、全世界を支配する道を着々と築いていらっしゃるように思われる。神に栄光あれ!
【クララの明治日記 超訳版第11回解説】
「アニー・ワシントン、十七歳です♪」
『おいおい!』(右手を上げ、手を振るようにして2回突っ込む)
「皆さん、ありがとうございます♪」
「遂に出ましたっ! 元祖十七歳教教主!」
「……また頭の痛い方が増えましたわね。何故クララの周りにはこんな奇妙な人物ばかり。だいたい本当の日記では、アニー・ワシントンはこんな風に名乗っていませんわよ?」
「でも、クララはちゃんと書いてるよ『見た目もなさることも十七歳くらいに見える』って」
「……こんな方が偉大なるジョージ・ワシントンの直系の子孫で、女子師範学校である東京女学校で教えていらっしゃるのですね」
「んー、でも、物の本で読んだだけなんだけど、ジョージ・ワシントンの直系の子孫はいないって聞いたような気が。あ、でも、福沢諭吉がアメリカでワンシンシの子孫について聞いた有名な挿話もあるし、どうなんだろ?」
「そうなんですの? そこのところ、どうなってますの、ミス・ワシントン?」
「それは禁則事項です♪」
「……真面目に聞いたわたくしが馬鹿でしたわ。こちらの方は放っておきましょう。
お正月を過ぎたところですけれど、丁度神社の話ですわね」
「あれ? ユウメイ、逆境に強くなったねー」
「……ふん。こんなキャラ同士の寒い漫才を平然と続けられる超訳主の方が強くなったと云うべきでしょうね。
本題に戻って神社で配られていたパン、というのがよく分かりませんわね。日本の神社ではそんなものを配ってますの?」
「うーん、多分これはパンじゃなくて、餅じゃないのかな? もしくはお米を使った焼き菓子の類。お正月ならお鏡の餅で確定だと思うんだけど、三月なのがよく分かんないなー。情報お持ちの方、是非お寄せ下さいませー」
「あと、クララを拝む参拝客というのが、余程ショックだったようですわね。もっとも私も日本人と同じほどには理解できませんけれど」
「八百万の神様には客人神も沢山含まれているからねー。この当時の外国人を殆ど見たことのない人だと不思議じゃない反応だと思うよ。それにしても『木や石や金や青銅の塊を拝むくらいなら』の件から云っても、結局一神教の人たちには多神教の人たちの信仰の在り方は分からないんだろうね」
「世の中から宗教を巡る対立が永遠に消えない実例を垣間見た気分ですわ」
「だねー。だいたいなんで公休日がイチロクから日曜日に変わっただけで、悪魔を滅ぼしたことになるんだろう? 親友ながら、この辺のクララの思考は飛躍しすぎでついて行けないと思わないでもない今日この頃」
「官報に載っていると云うことは官公庁の休日ですから、これは外国の公使館の休日に合わせただけのようですわ。で、官公庁の休日に合わせて民間でも日曜休みが広がった、と。随分即物的というか合理的というべきか、日本人の働き蜂化、そして単独の長期バカンス取得困難の始まりとも云える変化だったのでしょうね」
「うーん、勤勉日本人。そうそう、アニー・ワシントンに隠れて目立たないけど、ユウメイの義理のお母さんも初登場だね。残念ながらユウメイはすれ違いだったみたいだけど」
「……どうせわたくしなんか、キャラが立っていませんもの。出番なんて少なくて結構ですわ」
「ありゃりゃ、拗ねちゃった。ユウメイでも気にするんだ、そういうこと」
「そんなアナタは十七歳教に入ることをお勧めしますね。それが最優先事項よ♪」
「そんなキャラ立てされるくらいなら、地味なままで結構です! そもそもわたしく、この時点でまだ十三歳ですのよ!!」
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