第10話 クララ、日本語で買い物をするのこと

本日分は、小野氏の変貌、雛祭り、そしてクララの日本語買い物講座wの回となります。


明治9年2月21日 月曜日

 今日は出来事が多い日だった。

 綺麗な朝だったがとても寒かった。朝食の時に、小野氏が突然こう切り出した。

「この家を出て行かなくてはならないから、お別れの食事を差し上げたい」

 アメリカで富田氏が「小野氏は自分と同じ仙台の出身だからというだけでなく、堅実で完全に信用できる友達だから、きっと私たちにも、しっかりした信頼の置ける友人になるだろう」と保証された。これが私たちが大いに信頼していた富田氏の、同国人である小野氏に対する賛辞だった。

 事実、これまで小野氏を親切で行き届いた方だと思っていたのだが、ああ、いいことは長続きしないものだ。喜びは「天使の短く輝ける訪れの如し。弱き人間は耐えることあたわず」。

 というのは、小野氏は突然火事見舞いに行くことに凝りだしたのだ――それも毎夜のことで、何度も家中起こされ、男達は火事場に行かないかと勧められるのである。ある夜、小野氏は兄のウィリイを連れて、中原氏の家の隣の火事現場に出かけていった。その結果、ウィリイはその夜風邪をひいてしまった。

 確かに、この国では友達の家の近くが火事だと訪ねていく慣習がある。だけど母がウィリイを夜中に連れ出したことに腹を立てて、小野氏に文句を云った。

 それで小野氏はもう火事場見舞いには行かずに、しばらく気を遣っていたが、やがて朝は五時か六時に起きて十一時か十二時まで帰ってこないようになり、結果的に家族の誰とも顔を合わすことがなくなってしまっていた。

 その上に、以前は陽気でお喋りだった時とは違ったよそよそしい冷たい態度が加わって、とても変だった。だから私はこの妙な行動に怒って、殆ど口も利かなかった。更に云えば、火事は殆どいつも、小野氏の友達の家か役所の近くでばかり起こるのだ。神様に叱られるかも知れないけれど、疑うなと云うのが酷な話だ。


 だけど今朝、小野氏が本当に出て行こうとするのを見た時、心が解けて、聖書をあげ、必要だと思ったので話しかけることにした。

 小野氏はとても友好的な態度で、私が言わずにはいられなかったことを大人しく聞いて下さった。私は小野氏の名前と安息日に関する一節を聖書に書いて、こう告げた。

「ここで教わったことを忘れずに、クリスチャンなのだから、もう一度神様のために生きるように努力しなさい。そして、日曜日には我が家に聖書を勉強しに来なさい」と。

 小野氏は嬉しそうに「ええ」と云い、「一六の日にはきっと来ます」と約束してくれた。

けれど日本人は当てにならない。あまりにも丁寧すぎるので、気持ちの底がどれくらい深いのか、とても計り知れるものではないからだ。

 それでも私たちは小野氏の最後の食事の歓待を受けることにした。

 二人の男の人が持ってきた四つの大きな籠には、おいしい魚、砂糖で潰した栗に桃色の何かを優美にあしらったもの、蜜柑の砂糖漬け、長芋、オムレツ、ゼリーと他に何か、それからご飯と、なんだか知らないものだったけれど、とても美味しかった。

 小野氏は新しい住所を書いて下さったが、我々野蛮人の口ではとても発音できないところだった。食事を終えると私たちは玄関まで出て行って、小野氏にさよならを告げた。


明治9年2月25日 金曜日

 今朝は気持ちの良い日だった。大鳥圭介氏が五十日間長崎においでになる予定なので、お発ちになる前に夕食にお呼びしたのだ。午前中に土曜日の仕事はあらかたしてしまった。つまり掃除をしてケーキを作っただけなのだけど。

 昼食後にビンガム夫人がおみえになり、長い間とても楽しいお話をした。

「日本人って本当に気の毒な方たちですね」

 夫人はしみじみとおっしゃった。バチェルダー夫人のように、ボンネットを引きはがされたり、別の夫人のように肩掛けを引っ張られたりするような非礼な目におあいになったことがなく、日本人は悪気ではなく好奇心からそういう行為をするのだとビンガム夫人は思っていらっしゃる。

「わたくし、自分の持ち物を日本人がじろじろと見ているときには、もっとよく見られるように、それを渡して差し上げますのよ」

そうそう、私自身、いつか向島で茶屋に坐っていた時、二人の女の人が私の帽子をじろじろ見ていたので、帽子を脱いで渡し、もっとよく見せてあげたら女の人が喜んだことがあった。そしてその日本人達は一緒にいた中原氏と高木氏に「どうしてアメリカの夫人は色が白いの」とか「どんな白粉を使っているのか」と尋ねていたっけ。

 夫人と話をしていたら中原氏がみえた。

「申し訳ありません、お取り込み中のようですからまた日を改めて」

 頑として帰ると仰る中原氏を説き伏せると、丁度大鳥氏がおいでになり、夕食は何もかも好調子に進んだ。大鳥氏も中原氏も最上機嫌で、気まずさも堅苦しさもなく、全て素晴らしかった。

「クララさん、約束していた写真、どうかお願いしますよ」

 中原氏は手を合わせて、一枚で良いから私の写真をくれと何度も何度も頼んでこられた挙げ句、部屋中を追いかけっこする羽目になった。

 当然そんなことをして貰いたくない日本人もいるが、中原氏はアメリカにも長くいたことがあるとても親切ないい方だから、これは冗談だと分かっている。

「私の好きなのは金髪です」

 私がそうやって話題を変えてみせると、中原氏は例の悪戯っぽい目で見ながら、溜息をつくふりをして、こう云われた。

「オヤオヤ、私にはなんの魅力もないわけですね!」

 そう云って、中原氏はとてもふざけた絶望的な様子で漆黒の髪を撫でた。

「この家に来るのと楽しいですから、仕事が終わった三時以降の夕方、ちょくちょく来てもよろしいですか?」と尋ねられた。

 今日は本当に素晴らしい夕方だった。大鳥氏は母に、天皇の庭園、お浜御殿と吹上の入園券を下さった。私は中原氏のところの小さな甥っ子さんにとお菓子を持たせたが、今度の日曜に連れてくるそうだ。中原氏がうちを好いて下さるのが嬉しい。それによって私たちも中原氏のためになることができるのだから。


明治9年3月1日 水曜日 

 今日は人形展を見に、人力車で日本橋へ出かけた。

 今月の最初の三日間は雛祭りで、人形が大流行なのである。大勢の人が銀座に集まっていてた。

 おもちゃ屋、特に人形店は混んでいて、そこには将軍と奥方の人形から子供の親指ぐらいの大きさの赤ちゃん人形まで、ありとあらゆる種類の人形が揃っている。

 本物そっくりに、刀を差して正装し、髪を結った大名の人形もあった。美しい着物を着た奥方の人形は最高の髪の結い方の見本のようなものだった。実物大の赤ちゃん人形や、毛で作った猫や犬や猿の人形もあった。

 値段は二十五セントから四ドル以上にわたるが、この時期には少女に人形を沢山送るのが習慣になっていて、知り合いが裕福であればあるほど、その子は沢山の人形を貰うのだ。坐った格好のもあったし、子供、女の人、男の人、笛吹き、鼓を打つ人、楽器を弾く人、それから老人、偉い人、殿様、貴族、王様、お坊さん、将軍などもあった。

精巧に本物通りに作られた物が一堂に集められているさまは、本当に一見の価値がある。日本人はそのように驚くほど実物そっくりに作っていながら、人形の美しさにも注意を払っているのだ。

 五月の五日は「男の子の日」なので、盛大なお祝いが楽しみである。


明治9年3月2日 木曜日 

 郵便を受け取ってから、母と出かけて銀座まで歩いた。

 横丁を通ったら、一人の人がお米だか小麦だかを団扇で扇いでい、籾殻をより分けていた。私たちは立ち止まって眺めたが、聖書の時代を思い出させる光景だった。まさに「手には箕を持ちて、其禾場を浄め」(マタイ伝三・十二)そのままの姿だった。

ある店で、金と銀でとても精巧に珍しい工夫を凝らした刀の装飾品を見たが、値段が高すぎた――半インチのが八ドルもした。欲しくてたまらなかったので、そんなに高くなければいいのにと恨めしかった。

 いろいろの店で自分たちの日本語を試しながら、あちこち回って帰宅した。僅かな日本語でなんとかやっていけるのは不思議だ。今日気がついたことだけれど、私が「アリマスカ」と聞くと、もっと丁寧な云い方で「ゴザリマセン」と答えられ、こちらが「ゴザリマスカ」と云うと、反対の答え方をされる。

 買い物の時の決まり文句があって

「コンニチワ、アナタ、コレ、オナジコトゴザリマスカ?」

 そう云うと

「ハイ、アー、ゴザリマセン」と答えて肩をすくめ、残念そうな目つきをする。

「サヨナラ」

「ハイ、アリンガットー、サヨナラ、アナタ」

 このように日本語を知らないのに上手くやっていけるのだ。


【クララの明治日記 超訳版第10回解説】

「今日は早速本題に入るけれど、今まで“良い人”の典型だった小野氏のいきなりの変貌。

そりゃあ、火事と喧嘩は江戸の華、とは云うけれど……」

「クララ、小野氏を疑ってますわよね、完全に……」

「原文はもう少しソフトに書いてあるけどね。可哀想に、ちょっと疲れちゃったのかな?」

「仙台から裸一貫、祖母の形見の和歌と絵だけ持って上京し、役人としては宮内庁、民間人としては報知新聞で編集委員を務めながら、日本の未来を案じて、となると分からないでもありませんわ」

「そう考えると、文字通り日本の命運を支えたうちの父様って凄いよねー」

「はいはい、アナタの父親自慢は結構ですから、続きにいきなさい」

「ちぇっ、分かったわよーだ。この後、クララの日記で小野氏が登場する回数は急速に減っていきます。そもそもこの小野氏、主な登場人物のその後が比較的はっきりしているクララの日記の主要登場人物の中で《その後》が全く分からない希有な人物でもあります」

「歴史の波に飲まれ、足跡を残せなかった方ですのね、お気の毒に」

「歴史に名を記すことだけが人生じゃないんだろうけどね、でもクララの周りにいた人がいずれも後年事績を残していることからいっても残念。

さて話変わって。我が国民は本当に好奇心旺盛だよねー。『外人から珍しい物を預かって、一晩のうちに精密に複製してしまった』なんて話もあるし、目新しい物好きだったんだね」

「でも珍しい物好きは世界の何処の国民もそうだと思いますわよ。手先の器用さは確かでしょうけれど。あと万国共通といえば、美白についての拘りもそうかしら?」

「チッチッチッ。我が国ではただ肌が白いだけじゃ駄目なんだな。白粉の白に、紅をさした艶めかしい唇からチラリと覗くお歯黒の黒、その絶妙のコントラスト。それこそ、江戸の美の一つの極致ってもんよ! 残念ながら、今の日本人の感性では受け入れがたいので、お歯黒の美しさが時代劇でも再現されることは殆どないのだけれど」

「へー、そういうものですの。でもわたくし、以前こんな主張を読んだことがありますわよ。

『日本女性は江戸時代はお歯黒をつけるほど黒を綺麗な色とみなしていた。しかし明治になって西洋人が持ち込んだ黒人差別のせいで、白を綺麗な色として崇めるようになった』って。確か筆者は……『差別をなくす云々の会代表』とかいう肩書きの方でしたけれど。これって、違ってまして?」

「……メイ。マヂモンの基○外の主張をまともに取り上げる必要はないから。歴史を歪曲したり“コリエイト”して、逆差別の恩恵を受けようとする輩は、歴とした歴史と文化に対する凶悪な犯罪者だから!」

「……落ち着きなさい、お逸。どうどう。

 コホン、なんだか、とてもマズイ展開になりそうのでこの話題はここまでで……といっても、こちらの話題も十分に地雷の気がしますわね、中原氏へのクララの対応ですけれど」

「こっちこそ真性の差別だよね。今時の『イケメンに追い回されれば純愛、キモメンに追い回されたらストーカー』って、話と全然変わない気がする。。。」

「……コメントに困るのでこの話題もここでストップに致しますわよ。さて、危険な話は今度こそ切り上げて残りの話題のうち、生き人形の話はまた別の機会にするとして、最後のところの“クララの初歩の日本語買い物講座”ですけれど?」

「なんかその光景が目にはっきり浮かぶよね。しかし前から不思議なんだけど、なんで外国人が片言の日本語で質問してくると、答えるこっちまで片言の日本語になっちゃうんだろう?」

「そんなこと知るわけがないでしょうに! わたくし、清国生まれですわよ!」

「国は例示だよ。これって、何処の国の、何処の人たちでもそうなのかな? 海外旅行経験の多い方、是非経験談を教えて下さいませ」

「今回はとりとめありませんでしたけれど、この辺で。次回はわたくしの養父母初登場の回となる予定ですわ」

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