第9話 クララ、天然おっとり真性お嬢様(将軍家孫娘)と出会うのこと

 本日分は、クララの初めての勝海舟邸訪問、そしてクララの日記中、同年配の日本人女性では逸子に次ぐ言及数になる大名令嬢初登場の回となります。


明治9年2月9日 水曜日

 午前中に家事と授業を終え、昼食を済すませてから、母、富田夫人、アディと私は外出の準備をした。行き先は、他ならぬ親切な友人である勝氏のお邸である。

 アディと母、富田夫人と私が、それぞれ一緒に人力車に乗って出かけたのだけれど、東京でも勝氏の邸宅がある付近は勾配がとても厳しい。間もなく車夫が疲れきって立ち止まってしまったため、別の車夫に応援を頼まざるを得なくなった。

 非常に勾配の厳しい道のりだったけれど、途中で初めて見る美しいところを通った。緑の丘、肥沃な畑、背景に遠くの山が重なり合った絵のような景色。空気も新鮮で、太陽はとても明るく輝いていたから、暗い陰気な通りや路地を通った時でさえ、気分は晴れやかなものとなった。

 一層貴族的な感じのする街並みに入ると、勝邸が見えてきた。この辺りは赤坂氷川町という地名らしい。勝氏のお屋敷は長い大名屋敷風の建物で、外観はあまり厳めしくない。私たちを運んできた人力車は門のところで止まり、それからしなやかな竹と香りの良い杉が並んだ広い通路を進んだ。

 玄関では十人くらいの家族の方が坐って私たちを出迎えて下さった。女性は例によって深々と頭を下げられたのだけれど、若いサムライたちは無頓着な様子でポケットというか、着物の脇の隙間に手を突っ込んで坐っていた。

「どうぞ。ゴム靴のままで結構ですよ」

 そう声を掛けてくださった感じの良い老婦人が、勝氏の夫人のたみさんだった。日本の古い慣習に則って、眉毛を剃り、歯を黒く染めていらっしゃる。

 お心遣いは有り難いけれど、靴の泥で綺麗な畳を汚すわけにはいかない。それに私たちは屋内に入る前にスラリと脱げるよう、うちを出る時ゴムのオーバーシューズを履いてきている。私たちはゴム靴を脱ぎ、アディはレース編のモカシンを履いた。

 富田夫人を通訳に挟んで、母と勝夫人との間でかなり長くお辞儀だの挨拶だのが交わされ続けるのをうんざりした気分で眺めていたわたしは、ふと強い視線を感じて目線をそちらに動かす。

「!」

 出迎えてくれた人たちの中に、私は“彼女”を見つけた。

 やや上を向いた鼻、半月形の眉、赤く塗った唇、真珠のような歯、そして薔薇色の丸顔に薄っすらしたお化粧。

 昨年末の我が家でのクリスマスの際に一度簡単な挨拶を交わしたことのある、勝氏の末のお嬢さんの逸子さんだ。

 でもクリスマスの時とはまるで印象が違う。あの時は本当に“借りてきたcats”のように、控えめで、日本で模範とされる淑女の鏡のように男性から常に一歩引いたような態度で、その殻に閉じこもっている印象しか抱かなかった。

 だけど、今は違う。私を見つめる彼女の真っ黒な瞳は隠しきれない好奇心で満ちている。

 それでいて、不思議なことに町中で同種の視線に晒された時のような不快感は一切ない。

私の視線にすぐに気付いた彼女は、嬉しそう微笑み返してくれた。本当に綺麗で見とれそうになる。

 彼女とならきっと良い友達になれる。私は何故かそう確信できた。

 長い長いお辞儀と挨拶の末に洋間に通されると、そこでは兄のウィリイが丁度授業を終わったところだった。ウィリイはこの家の人たちに英語などを教えているのだ。

 私たちは習字帳に目を通し、富田夫人の通訳で話をした。末のお嬢さんである逸子さんは18歳だという。私と変わらない年頃だと思っていたので吃驚した。結婚しておられるご長女の内田ゆめさんは逸子さんに劣らず綺麗で、物腰の柔らかい方だった。次女でこちらも既に結婚されている疋田孝子さんの他に4人の男の子がいた。

 特にその中の一人、勝氏の三男の男の子は幼いながらも端正な顔立ちをしていて、私たちがたみ夫人達と話している時にも、襖の向こうから何度も悪戯っぽい表情を浮かべて私の方を伺っていた。ちなみにご長男の小鹿さんは、アナポリスの海軍兵学校に留学中だそうだ。

 お話をしながら私たちはお茶、カステラ、豆菓子、鳥麦のビスケット、薄く切った蜜柑をご馳走になった。私たちはアメリカから届いた荷物の中から用意してきた贈り物を差し上げた。帰る前にアディと私は、赤い絹のスカーフと銀製のロケットと、和菓子を少し頂いた。

 今日はとても楽しい一日となった。


明治9年2月11日 金曜日

 今朝目が覚めると、とても美しい朝だった。明るい太陽が暖かく照って春の日のようだった。

 今日は、今から二千五百年前のミカド、神武天皇の誕生日だか戴冠だかを祝う休日だ。

 お祈りの後、家事を済ませてから、母と私は九段に住むフランス婦人を訪問することにした。

 空気はすがすがしく、景色は美しく、周りの眺めは珍しかったので、とても浮き浮きと楽しかった。大変めでたい祭日なので、宮中に参内する日本の上流社会のお偉方に出会ったが、その様子は描写しておく価値があるだろう。

 非番の兵士が大勢、酒で赤い顔をし、恐ろしそうな剣を下げてぶらついていた。

 数人の洋風の礼装を着た官吏とすれ違ったけれど、なんだか滑稽だった。参内日の政府官僚の揃いの服装は黒ラシャのズボンに燕尾服とシルクハットであるのだけれど、ポケットに手を突っ込み、いかめしいシルクハットを歪めて被って、ゆっくり歩いている人もいれば、とても偉そうな顔をして、颯爽と歩きながら……ああ、なんということでしょう! チョッキとズボンの間が開き過ぎて、それにズボン吊りなど滅多に着用しないものだから、純白な(?)シャツがはみ出しているではありませんか! カラーやカフスのない人もいたけれど、これがないということは、社交服としてはもっともひどく目立つことなのである。

 大きな縁色の眼鏡をかけた男の人を見て、私たちが笑っていた時、人力車が一台角を曲がってきた。その中には、今まで見たことのないほど変わった人物が乗っていた。

 その人は大きな金色の飾りの付いた黄色の絹の外衣(坐っていたので中の服は見えなかった)を着ており、先の尖った長い帽子は黒と金色だった。そして精巧に作り上げた刀も持っていた。

 私たちの驚きがおさまらないうちにもう一人、色は違うが同じような外衣を両肩で留めて着て、風変わりな帽子を被った人がやって来た。すぐ後から、先の尖った菱形のかぶり物をつけた人が来たが、その人の上着は青と金色だった。確かにそれは変わった見物だった。


明治9年2月16日 水曜日

 今朝、みんな授業で忙しいとき、福沢諭吉氏がおいでになった。精養軒での会合に行かれる途中で立ち寄られたところで、上等のアラビア馬に乗っておられた。

 食後オルガンの練習をしていると、大鳥圭介氏がおみえになり、お坐りになるかとならないうちに、箕作秋坪氏がある殿様――津山藩というところの殿様だった松平確堂という方――の御令嬢と三人の従者を連れてこられた。お付きの者はサムライが二人と侍女が一人だった。

 十一歳のその令嬢は美しい装いをされ、本当に上品な顔立ちをされていたけれど、厚くお化粧をし、紅をさした丸顔には表情といったものが全くない。我が家に置いてある色々のものに目をやりながらも、人形のように口をおききにならない。

そのため私たちは忽ち会話に詰まってしまった。

 きっとこの御令嬢はお屋敷では赤ん坊のように身体を洗って貰い、着物を着せて貰い、そして遊んで貰うのだ。聞いたところによると、大名家の婦人たちは書物を読んだり、精神を陶治したりすることは何もしないのだそうだ。

 ああ、私は大名の令嬢にに生まれなくて本当に良かった! 日本の甘やかされた、なんにも知らない貴族の令嬢より、自由で幸福で懐かしいアメリカの質素な田舎娘である方がマシだ。うらやましいどころか、私は自分の境遇を考えると、この幸せな運命にますます満足してくる。

 こういう令嬢たちは同じく高貴な青年と婚約して、従者と時折の訪問客以外は、社交界で人と交わることもないのだ。無邪気にゲームをしたり、笑ったりする少年少女の陽気な集まり――そこでは、男の子は大人になるまで男の子で、女の子は成長して品位を持つようになるまで女の子でいられる、そんな集まりとは、なんとかけ離れたものだろう。このような日本の狭量な女の人たちが交わり合って、アメリカ社会の楽しい自由を見ることが出来たら、どんなにいいだろうとよく思う。両性の社交的な集まり、そこでは騎士道精神が女性に示され、女性の意見が男性のと同様に重んじられるのだ。

 もっとも、もし彼らがアメリカ的社交を経験したとしたら、きっと厭でたまらなくなり、日本的に引きこもって使用人に崇拝されていた方がいいと思うことだろう。だが、敢えてもう一度云おう――大名の令嬢ではなくて、アメリカの少女でよかったと。


「その帯に挟んでいるのは刀ですか?」

 遂に話題に困って母が、侍女の帯のところに挟んだものについて質問する。

 御令嬢より少し年上と思われる、だけど私と殆ど変わらない年頃のその侍女は、目線を若主人に向ける。どうやら「質問に直接答えても良いのか?」ということの許可を求めたらしい。

「答えて宜しくてよ、おすみ」

 日本語は分からないけれど、初めて発せられた御令嬢の声は、とても上品で若々しいものでいらした。もっと感情も抑揚のない声で喋られるのだと勝手に思いこんでいたので、正直なところ意外な気がした。

「町で酔っぱらいや盗賊に襲われたときにお嬢様をお守りするための短刀です。お嬢様に傷の一つでも付くようなことがあれば、康倫様に顔向けが出来ませんので」

 言葉は分からなくとも侍女の人が誠意の塊みたいに答えているのが分かる。あれ? 康倫様? その日本人の名前の響き、どこかで聞いたことがある。そう思ったら、先に母の方がその正体に気付いた。

「ああ、以前アメリカの我が家を訪れた若殿様のお一人ですね。可愛い婚約者についてもお聞きしたことがありましたよ」

 ポンと私は手を打つ。そうだ、松平康倫という若い殿様は、一緒に留学している他の三人の殿様たちと一緒に我が家を訪れたことがあるのだ。あれ? でもあの頃から、確かあの若殿様は……。

 箕作氏はアディに、着物を着た大きな日本人形を持ってきて下さった。松平家の御令嬢は母に綺麗な絹地を、富田夫人には同じような絹地をもっと少な目に、私には象嵌細工の楠の箱を二つ下さった。楠を見たのは初めてだ。特別に変わったところもないような木だけれど、ただ匂いが違う。こんな綺麗なものを下さって本当にご親切だが、人の家に行く時、何か持って行くというのは変わった習慣だ。

 松平さんという名のこの御令嬢は、融通の利かなさそうな若い侍女と一緒に、英語を習いに毎日おいでになることになった。

<どうかこの御令嬢が見かけより利口でいらっしゃいますように!>


 高貴なお客様が帰られた後、少し運動にと散歩に出た。

 釆女町へ行って、絹地と砂糖と蜜柑を買い、絵の具屋にも寄った。貧しい女や子供の群れが周りに集まって来たが、言葉だけでなく、その汚い身なりはとても不快だった。私たちが歩き出すと、みんな笑ったり叫んだりしながら、ぞろぞろ着いて来たので非常に不快で腹立たしかった。

 その時だった。富田夫人がそっと近づいて、守り神のようにやさしく「イエス様が」と云われたのは。それで十分だった。夫人の手を握りしめ、輝く目を見つめたとき、私の苛立ちは消えた。

「イエス様がお歩きになると、みんなが笑ったのですよ」

 夫人はそうお続けになった。その光景がはっきりと私の目の前に浮かんだ――叫び声を上げている群衆――彼らの不愉快な言葉は、イエス様が神のような崇高な天性を持っていらっしゃったとしても、その人間性を傷つけたに違いない。そういう連中の中から、少数が世俗的な名声を捨ててイエス様に従い、行動を共にしたのだ。

 私はイエス様のお気持ちがとてもよく想像できた。そうしてこういう人々の貴重な魂が、どこだか知らない、いや、哀れみ深いお方だけがご存じの場所へ、どんどん落ちていくのを気の毒に思った。

 富田夫人のそのような言葉、表情、そして握った手の感触のお陰で、このような快い考えに思い至ることができたのだ。他人のためにあのように耐えたことに、きっと神様はお報い下さるだろう。

 富田夫人は本来内気でいらっしゃるので、これはきっと大きな試練だったに違いない。


明治9年2月17日 木曜日

 今朝から我がの小さな塾に新しい生徒が二人やってくることになった。

 昨日おいでになった例の高貴な家柄の大名御令嬢、松平おやおさんと、少し身分の低いお友達(私はてっきり侍女かと思っていた)のおすみである。

 勿論、彼女ら二人だけでなく、漏れなく屈強で厳めしいサムライがついて来るのだけれど。

 二人に対する私の二度目の印象は、最初の時よりずっと良かった。

 大名令嬢は美しい装いをしていた。髪は結い立てで、絹の花のほかに日本の簪――金の珠のついた琥珀のと、オパールをあしらった銀と黒檀のとを挿していた。羽織はお家の美しい紋がついた最上の縮緬で、帯は桃色と黄褐色の綿織りだった。

「おやおさんは以前英語を習ったことがおありですね?」

 御令嬢が前に英語を習ったことがおありになるのは確かだ。基礎的な英語とはいえ、独学でこんなに発音がお上手になられるとは思えないし、でも話し方に少し訛りがあるのはその英語教師のお国柄によるものだろう。

「いいえ、先生について学ぶのは初めてでしてよ。クララさんの教え方がよいからではないかしら?」

 小首を上品に傾げながら、優雅な口調でだけど、きっぱりと否定される。

 若い学友の方もとても利口で、素晴らしく良い発音をする。だけど、目を輝かせて「go」をあくまでも「ガウ」と発音しようとするのは如何な物かと思う。

「おすみ、そこは“ガウ”ではありません。“go”と発音するのですよ」

 大名令嬢が神々しいまでの仕草で厳かに訂正し、おすみは重大な任務を託されたサムライのように重々しく肯く。……日本の女性の主従関係というのは、私が想像していたより、ずっと複雑なものなのだろうか?

 しかしそんな短い時間にも、おやおさんは縫い物や針仕事がお好きで、学友の方は読書が好きらしいということが分かった。彼女たちともきっと仲良くなれそうだ。

 おやおさんが、以前我が家に来たことがある、同じ松平一族の定敬氏より優れているといいと思う。

 もう一人の松平氏は痘痕面で奥様が二人いる。長男で正当な相続人なのに、エサウ(旧約聖書創世記イサクの長子)のように、僅かな金額と引き替えに弟に相続権をお譲りになったのだが、その弟さんというのがこの御令嬢のお父様だか未来のご主人だかに当たる方で、皆日本の高貴な家柄の出でいらっしゃる。

 私はスコットランドのマクラウド氏の書いた「古代日本史概要」という本を読んでいるが、それによると日本民族はイエラエルの滅んだ種族の一部なのだそうだ。

 もしそれが本当だと分かっても不思議ではない。そして、もしこの令嬢が神の選民の滅びた種族を見出して復興させることが出来るようになったとしたら、私たちの国にとってなんと名誉なことだろう。

 とにかく日本人の顔がユダヤ人に著しく似ていることがあるのは事実だ。


【クララの明治日記 超訳版第9回解説】

「どうも皆様、初めまして。松平やおと申します。以後宜しくお願いいたします」

「すみと申します。苗字は……不明だそうです(涙)。この後も幾度となく、おやお様と一緒に出演させて頂くことになるのですが、クララさんの日記には最後まで苗字に関する記述がなく orz」

「クララ、おやおさんは必ず“さん”付けなのに、おすみだけは呼び捨てだものねー。多分確堂公の近習の娘さんなんだろうけれど」

「わたくし、この国の人間ではありませんし、日記中では殆ど接触がないからよく分からないのですけれど、このお嬢様はそれほど高貴な出身なのですか?」

「なっ!? おやお様のお父上をどなたと心得られるのです? 前の美作津山藩主にして、慶喜公の後に徳川宗家を継がれた家達様の後見人である松平確堂様ですよ!」

「……御免なさい。その方、偉い方ですの?」

「そ、そうですね、ユウメイさんは清国の方でしたものね。ご存じなくても仕方ありません。確堂様のお父上は家斉様、つまりおやお様は将軍家の孫に当たられる方なのですよ! そして確堂様は、維新後新政府に徳川家の蝦夷地居住の申し入れを家達様と共同署名して提出された、徳川の支柱の一人とも云える方です!」

「ま、日本史上稀に見る子沢山だった家斉公の十六男だし、おやおさんは養女だけどねー。ただ養女と云っても当然松平家の縁戚の出だろうけど。あ、これに関しては情報募集中だって<超訳主が。

それにしてもクララは素で凄いな、後に家達公はクララの家に遊びに来るようになる関係だし、幕末明治期の徳川家の大物の殆ど全員と何処かしらで接点があるんだから」

「あら? みんな勝提督とも繋がりがあるんじゃないんですの?」

「うーん、今回も名前だけ登場した桑名藩主の松平定敬様なんかは、明らかに商法講習所でクララの父親の片腕をしている高木氏の関係だと思うよ。ぶっちゃけ高木氏、定敬様の“鉄砲玉”だった節があるから」

「身も蓋もないですわね。函館戦争に“あの旗”の下で戦って破れ、捕らえられた高木氏が、その直後から普通に“アメリカ留学”出来ているのはきっとその辺が原因ですわね」

「そ、それって普通“高飛び”というのでは?」

「逸子さん、ユウメイさん、その“鉄砲玉”って、なんですの?」

「……えー、それは、そのー」

「……お嬢様はお知りになる必要がないことですわ」

「そ、そんなことよりも今回の解説はどうなっているのです、逸子? ユウメイ?」

「そだったねー、ではいつものように今回分の解説を。我が家の初訪問については書いたとおり。もう数ヶ月先経つと、しょっちゅう遊びに来るようになるよ。

 あとわたし、この時点ではクララと同じ十七歳だから。誕生日、そもそもクララとは一ヶ月も違わないし。この当時の我が国では数え年が普通だからそれに則って答えたから、しばらく先まで勘違いしてるね、クララ」

「確堂氏については、先程おすみの云った通りで宜しいのですね? ところで、クララの家を訪れた殿様たちというのは?」

「これについては詳細がよく分からないのだけれど、松平家や南部家あたりの殿様や家老クラスの子息らしいよ。多分クララの家に来た、と云うよりは、クララの父親の学校に来たということなんだろうけれど。そうそう、最後に吃驚するような話があるよね」

「日本=ユダヤ同祖論の走りですわね。同時期にこの人物以外にも同じ事を唱えた外国人がいたようですけれど、根本的に全く信用できませんわね」

「へ? どうして?」

「簡単な話ですわ。“彼ら”は世界中で同じ事を主張しているからよ。確か我が祖国の少数民族に対しても同じような話を聞いたことがありますわ。彼らの目的は……」

「素晴らしいお話ですわね。大昔に散らばった同胞を捜し求めるため、世界中に網を張り巡らせるだなんて。そしてきっと同胞が困難な状況に陥っているのを発見したのならば、万難を排して彼らを助けに行くんですのね」

「お、おやお様。それは……“侵略”というのでは?」

「コホン。話がヤバくなってきたようなので、今回のところはこの辺でー」

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