第8話 クララ、初めての日本での正月を迎えるのこと

 本日分は、日本での初めての正月、そして死線を彷徨う森有礼の母親との邂逅がメインの地味目で、原文によりそった形の紹介となります。


明治9年1月1日 土曜日 

 また新しい年の朝の光が私を照らしている。一つの年が去り、次の年が主権を受け継いだのだ。新しい年が優しく支配してくれますよう――喜びが多く、悲しみを少なくして。

自分がいつ悲惨な災いに会うかもしれないということは分かっている。しかし希望は人間誰しもが心に抱くものだ。そして今、その甘美な疑問が、これを書いている若い心に息づいている。悲しみは人間に共通な運命だ。けれども人間は、己をむしばむ苦労を乗り越えて生きることが出来るのだ。神よ。「そのような恩寵を我に与え給え」。

 信念の慣習に従って多数の訪問客があった。私たちは家を飾り、先端に金色の小さな球のついた長い竹竿に日本の国旗を結んで門に掲げた。食堂の茶菓用テーブルの準備がすっかり整うと、簡素だが上品な感じになった。母がするとなんでも、いつもこの独特のゆかしさを帯びてくるのだ。

 昼頃から夕刻まで、日本人と外国人、合わせて四十人くらいがみえた。新年の挨拶回りは、この国にいるイギリス人の間ではあまり行われていないのだけれど、アメリカ人はまだこの習慣を守っている。だから訪ねてきた外国人の友達は殆どがアメリカ人で、英国人はごく親しい人たちだけだった。日本人も大勢来た。母に倫理学を教わっている生徒や三浦徹夫妻、森夫人のお父様の広瀬秀雄氏。この方はお気の毒に、新年のお祝いをなさり過ぎたのか、お酒をたっぷり飲んでおられ、言い換えればほろ酔いでご機嫌でいらっしゃったが、勿論危険なことは一つもなかった。

 最後に見えたのは中原氏だった。五時少し過ぎに来て、十時には帰っていかれた。帰った後、私はくたくたで、、布団に潜り込むのもやっとだった。


明治9年1月14日 金曜日

 今日、神様のお顔を見、お手を感じる厳粛な出来事があった。

森氏のお母様である里さんは、先頃中風におかかりになった。とても親切な方なので、私たちは皆心配している。ただ悲しいことに、今にも逝ってしまいそうな魂のために、木と石の神様に向かって祈願を未だになさっておられる。

昨夜お祈りの後のことだ。母が里さんの孫でもある有祐に訪ねたのは。

「お祖母様はイエス様について聞きたいことがありますか」

「いいえ」

 そうあっさり答える有祐に、いい種を蒔こうといつも心掛けている母は「お祈りや神様に関する話をお聞きになりたいかどうか、お祖母様に伺って下さい」と伝えた。

有祐はお辞儀をして「聞いてみます」と答えたけれど、正直なところ有祐がそのまま母の言葉を告げるとは期待していなかった。だから、間もなく走って戻ってきた有祐が「お祖母様がすぐに母に来て欲しいと云っていらっしゃる」と告げると、私も、そして母さえも吃驚した。二言三言お祈りを済ませてから、母と私は森家へと急いだ。


 森氏のお父様と背の高いお孫さん、それから日本人が後二人、一部屋で将棋を指していた。そして別の部屋の屏風の陰に老婦人が、左半身がすっかり麻痺しているので、とても苦しそうに寝ていらっしゃった。この方が森氏のお母様の里さんだ。

日本式の寝床だったから、私たちはそばに坐り、母がお祈りを始めると、部屋にいた人たちは皆頭を低く垂れた。

 ご病人は動いたり呻き声を上げたりもなさらず、眠っていらっしゃるようだった。健康回復を偶像に祈るための細長い紙切れが下がっており、別の部屋には神棚があった。我が栄光の神への使者であり、奉仕者たらんとすることがどういうことなのか、今この時によく分かった。

 そして私の心をなんと荘厳な感じが襲ったことだろう。私の信ずる神様は本当に卓越した方で「私の心の目に、未だ見たことのないものを見せて下さった」のである。私は生まれて初めて神を実体として理解した。私は神様に触れることができたような気がした。

そうだ、実際に、神様が部屋中に偏在しておられることを「感じた」のだ。

 主よ、あなたはここまで降りて来られて、あなたの子供たちに確信に満ちた言葉を囁いて下さった。あの異教徒の、今際の際の寝床のそばにも。「切なる祈りに天の戸ひらけて、輝くみさかえ御座の上に見ゆ」(賛美歌三一五)

 老婦人は、この間ずっとお動きにならず、溜息もおつきにもならなかつた。終わると私たちは立ち上がって、家族の人たちと挨拶を交わし、あたかも神の聖所を出るかのように恭しくこの異教の家を出た。

 神様はそこにいらっしゃった、と私は本当に信じる。

 その時から蘇生感が私の心に漲っているので「神は神秘に動き給うて」いるのだ。そして私はこの気持ちがいつまでも続いて欲しいと切に願っている。


明治9年1月15日 土曜日 

 今日、森家のお祖母様に母にお祈りに来て欲しいというお使いが来た。今度は通訳もつけていらっしゃり、ご自分の神様は信じる価値がないから、もっといいものが欲しいと云われた。

「きっと神様は最後にお祖母様を救って、御国に入れて下さるおつもりですよ」

 母は静かに、だけど確信を持って云った。生涯偶像に仕え、偽りの神をお信じになっておられたのに何故? と問うと、母はやさしくこう説明してくれた。

「たとえ偽りの神に向かってであっても、お祖母様は心を込めてお仕えになり、正しく生きて、清らかで善良な方になろうと努力をなさったのからですよ。知らずに未知の神を崇拝していらっしゃったに過ぎない以上、神様はきっとお許しになり、最後に救って下さいます。これが私たちの宗教の美しさなのですよ」

 主は、知らないで信じていた人たちでさえお救いになる。これが如何に美しく素晴らしいことなのか私にはよく分かる。


明治9年2月2日 水曜日 

「今から八年前、我々人民を永きにわたり圧殺していた幕府は新時代の槌によって滅びを迎えた。しかし数百年振りに政権を取り戻された帝も、その実は薩長の支配する政府の傀儡に過ぎない。そして極一部の人間だけが新たな特権を得て、幕府と同様、いや、更なる苛烈な施策を我々人民に今まさに押しつけようとしている。

鑑みるに、我が国の人民が置かれた立場は依然として、アメリカ合衆国がまだ宗主国たるイギリスの支配下にあった時代のそれと変わらない。だとすれば、近いうちに人民の反乱が起こり、パトリック・ヘンリーの云う『我に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ』という叫びが野を覆い尽くすのも時間の問題であろう!」

 午後になっておいでになったカローザーズ夫人は、心底困った顔をされていた。

 夫人の生徒の一人の父親は朝野新聞の記者であったのだけれど、冒頭のような大檄文を発信してしまったため、三年間投獄されることになってしまったのだ。

「しかも父親と一緒に住んでいる女の人がとても悪い人で、綺麗で若い十七歳のその少女を茶屋に連れていって住まわせようとしているのですよ」

「茶屋に、ですか?」

 カローザーズ夫人の言葉に私は首を捻る。茶屋で働く給仕になれ、ということだろうか? だけど言葉を濁す夫人と、言葉にする事さえ汚らわしいといった風の母の反応で“そういう意味”なのだとようやく悟る。

「その少女を助けるために、食費分の援助をお願いできませんか?」

 それが夫人が我が家を訪れた本題だった。母は一ドル、富田夫人は五十セント、私も五十セント出したが、誰かが残り三ドルを出してくれるだろう。

 夕刻、横浜に出掛けていたウィリイがアメリカからのクリスマスプレゼントの入った箱など、素晴らしいものを持って帰ってきた。

 ああ嬉しい! 去年の十月に出したのに、今頃やっと着いたのだ。パナマ経由でもないのに、何故遅れたのか分からない。

 中には綺麗で便利な物がいっぱい、それから、ドーラやオスカーの手紙が入っていた。ブリキのおもちゃやいろんな種類のお人形。可愛い人形はアディへの贈り物だが、目が開いたり閉じたりする人形は日本では見られない。それから本が数冊。富田夫人には、私のと同じような聖書と美しいネクタイが贈られ、森氏のお母様宛の毛糸の上履きまであった。リビー叔母さんは、切り取り線の入った練習帳、針刺し、本物のアメリカのキャンディー、貝製品、キャラコ、毛糸、薬、楽譜、手芸品等々を送って下さった。うれしくて、うれしくて、何度値なども跳びはね、ほとんど夕食も食べられないほどだった。

 それに以前母が横浜で頼んでおいてくれた肩掛け用の毛糸、針、ズック、刺繍糸とか、沢山綺麗な物も届いたので、吃驚した――こんなに一度に沢山の物が来るなんて、ああ、うれしい! うれしい!! うれしい!!!! 

 友達に私たちを忘れないで下さって、神様、本当に有り難うございます。


明治9年2月5日 土曜日 

 午後になって銀座へ行ったら歩いている中原氏に出会ったので、一緒に何処かに出かけることにした。

「今日は随分と晴れ着を着た人が多いですね」

「ああ、今日は神道の祭日なのですよ」

 あまりに人出が多いので、私たちは人力車を降りて歩かなくてはならなかった。こんなに大勢の人出を見たことがない――日本の流行の先端を行くように美しく着飾ったお化粧をした人、貧しいが清潔な身なりの人など、確かに清らかな群衆だった。大抵の人の手や顔や足は綺麗に洗ってあり、髪はとかしたてだった。

 少し歩くと神社に着いたが、あまり大きい物ではなかった。入口の周りに橇のベルのような大きな真鍮の鈴が吊して合って、長い網がついていた。

 お参りの仕方は次のようである。

 近くの屋台で参拝者は小さな紙に包んだ餅を買い、少し先の屋台で豆を買う。神社の門のそばに大きな水槽があって、神様を拝む前にそこで手や顔を洗うのである。洗った後に鈴の所に行くのだが、鈴に手が届けば神の注目を引くように鈴を十分長く鳴らす。届かなければ少し離れたところに立って、豆と紙に包んだ餅を投げる。豆は神社だか寺だかの中へ、餅は屋根の上に乗るように。

 それから人々は手を打ち、頭を下げてお祈りする。一つの門の右側に立っていると、あたりの様子がよく見えた。

 私はこの惑わされた人々が鈴を鳴らし、供物を投げ、頭を垂れ、手を打って、ただ無に向かって祈るのを悲しく見守っていた。

 私はエリヤとバアルの預言者たちのことを思い出した。バアルの預言者たちは長い間彼らの神に呼びかけたが応えがなかった。しかし主はエリヤの最初の祈りで火をお送りになった。私は今初めてエリカの次の言葉を理解出来た。

「大声を挙げて呼べ、彼は神なればなり。彼は黙想えおるか。わきに行きしか。または旅にあるか。あるいは仮寐りて醒さるべきか」

「しかれども、何の声もなく、また何の応うる者もなく、また何顧みる者もなかりき」

 中原氏と歩いて帰る時、私のオーバーシューズが泥にはまって脱げてしまったのだけれど、この我が護衛者は泥とか埃が大嫌いなので、もう少しでヒステリーを起こしそうになった。しかし人力車の車夫が履かせてくれたので、また歩き続けた。中原氏は銀座にいる間中ずっと付き添って、私が蜜柑や靴紐や石筆を買うのをまったく紳士らしく優雅な態度で手伝い、それから家まで送って下さった。

 中原氏は横浜から友達が来ることになっているので、家の入口に着くとそのまま帰らなくてはならなかった。この遠い国で、親切な若い同国人のような人に会えてとても良かった。富田夫人は、男の人が夫人や少女にそのように細かく気を遣うのは今まで見たことがないと云われるが、このようなことは、私たちの国、アメリカに行かなければ分からないことなのだ。というのは、アメリカ紳士が夫人に示す騎士道精神のようなものは、イギリスでさえ見られないのだから。


【クララの明治日記 超訳版第8回解説】

「今日はえらく“普通”ですわね。殆ど原文通りなのでは?」

「流石に宗教の話の所は茶化すの止めたみたいよー。正直なところ、どっちみちわたしたち日本人には、キリスト教の教えって実感としてよく分からないし」

「宗教観がよく分からないのは、貴女がた日本人もでしてよ、逸子。『豆を神社に投げて、餅を屋根の上に投げる』ってなんですの?」

「し、知らないわよ! わたしこんな参拝した事ないし。手を清める手水は何処の神社にでも普通にあるけれど、餅と豆を投げてお祈りするなんて聞いた事がないもの! あ、『情報募集中』だって、超訳主が。でもお祭りなんかの時に、逆に参拝客に向かって投げる事はあるけどね、餅や豆」

「それは聞いた事ありますわね。なんだか上からそれを投げつけるのが病みつきになって、お金を払ってでもやりたい、という人がいるとかいないとか」

「……都市伝説ならぬ田舎伝説みたいな話だけど、名目は違うけれど、あの舞台の上に上がるのにお金を払う、ってのは実例を知らないでもなかったり……。うん、やっぱり『あっはっは、見ろ人がゴミのようだ!!』って、やりたい人って潜在的に一杯いるのねー」

「そんなの貴女だけです! ……って、云いきれないところが人の悲しいサガですわね。

あと、解説しておくべき点があるとしたら『茶屋』くらいかしら?」

「うーん『茶屋』って云ってもピンからキリまであるからねー。普通に『待合茶店』というと、広い意味で云う喫茶店のようなものだけれど、政府の規制の隠れ蓑にするため、実態はかけ離れているにもかかわらず、待合茶店を名乗っている店も沢山あって、その中でも『比翼店』と呼ばれるある種の待合茶店は、皆さんが想像している通りの意味合いのお店になっちゃうんだけど」

「何処の時代の、何処の国にも“そういう店”の需要は尽きないものですわね。そしてそんな店に娘を平然と売る親も……」

「だけど、それを一概に“現代”の常識で断罪するのは間違いだと思うけれど。それにしても御一新から僅か八年でここまで過激なことを主張する新聞記者がいたってのも驚きよね、父様が聞いたら苦笑するしかないだろうけど」

「それにしても一ヶ月遅れのクリスマスプレゼントを手にしたクララのはしゃぎっぷりは凄いですわね。うれしいうれしいうれしいで日記が埋まっているなんて」

「私には想像しか出来ないけど、やっぱり異境の地に家族だけ、ってのは寂しいんだろうね。だから、僅かな繋がりでも確実に感じられる手紙や贈り物が嬉しくて嬉しくて堪らないと」

「それでも最後に“神様、本当に有り難うございます”と忘れないのがこの子らしいですけれども」

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