第3回 草薙球場

 静岡がプロ野球でも関わりの深い球場である事は有名である。地獄の伊東キャンプも静岡であるし、熱海、草薙などはプロもキャンプの本拠地として使っていた事がある。今でこそサッカーの色の強い静岡であるが、その昔は知る人ぞ知る野球の栄え場であったのだ。

 私と静岡というと、現在仕事の関係でこちらに来る以前では、高校野球が思い出される。

 私の大学付属高校が甲子園に進んだ時、その初戦が静岡の高校だったのだ。左腕のエースを中心に当時の有名選手が集っており、一方で私の付属高校は現在も福岡のプロ野球で内野を守っている遊撃兼任投手を中心にしたチームで、春のセンバツで、しかも第一試合ながら中々の人の入りっぷりであった。私の付属高校は吹奏楽部というものがありはしたがあまりまともに機能していなかったため、急遽大学の我々が呼び出された、というわけだ。結果としてうちの守備妨害が決定点となり負けてしまったのだが、その時の印象というのはやたら強く残っている。

 それ以降全く縁もなく、仕事の都合という理由だけでこちらに来たもので、草薙球場と沢村栄治、ベーブ・ルースがイコールで繋がるのにかなりの時間を要したし、結果試合らしい試合を見ていない。

 元々広島ファンを自称しておきながら、これまた仕事の関係で広島に滞在していた時はマツダスタジアムに足を運ぶことがなかったくらいの出不精なため、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。職場は元広島市民には近かったのだが。

 それで諸事情あって静岡を出る、という話になった時、ふと草薙球場に行きたいと思っていたのだった。

 元々私は某お絵描きサイトで昔の軍艦などを美少女にしたゲームの作品を扱って野球を書いている。1930年代から40、50年代を取り扱いやすいからであった。未だ大和球士すらまともに読んでいない、文献の読み込みがあまり深くない私が、当時を舞台にした野球ものを書くには力がなかった。その中で当時が関わる事を許すその作品は私には絶好の叩き台で、結果毎日当時を書いた資料や、はてまた戦前のMLBの資料を読み耽る結果になってしまった。

 そうなると自然と草薙球場の単語を何度も目にする。戦前日米野球の接点の中、唯一といってもいいほど日本チームが肉薄した試合を行えた場所。トライアウト等で訪れる事自体はあったものの、試合らしい試合を見たことのない事は、歴史が好きという人間には致命的であった。

 かといって、そう簡単にゴロゴロみられる試合が転がっているわけでもない。甲子園の静岡予選もまだまだ先。その時に見かけたのが日米大学野球選手権であった。この時ばかりは流石に私も興奮を覚えずにはいられなかった。

 あの草薙球場で野球が見られる。それも日米野球を。

 心弾まずにはいられなかった。神様が静岡を離れる時、最後にくれるプレゼントであると思ったのだ。トライアウトと日米野球。この二つを静岡、しかも草薙球場で見られるという事は、野球好きとして喜びの他なかったのだ。

 今も日本の野球の聖地のひとつとして燦然と輝く草薙球場。草薙球場よ。永遠なれ

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