第2話 君は誰?

 反射の眩しさなんて忘れてまじまじと見つめた。何度見てもその足はそこにある。

 私の背後、二階へ伸びる階段に、その子は居る。


「ど、ど、どうする、ミチル!」

「どどどっ、どーするも、こーするもないでしょ」


 と意味のないことを小声で言い返して、頭の中はフル回転。

 このままじっとしていたって埒はあかない。じゃあ、どうすればいい? 一目散に逃げ出すか、この足の持ち主と男らしく(私は女だけど)対峙するか。

 さあ、どうする、自分!


「う、う、う、噂の真相を確かめに来たんだよ? 逃げ出せるわけないじゃない。いい、せーので振り向くよ!」


 小声で囁けば、マサトは「だろうな。そう言うと思った」と諦めたように肩を竦めた。


「よし、じゃあ、せぇーーーーーのッ!」


 掛け声と同時に振り向いた。


 後ろに立っていた女の子は目を丸くしてこっちを見ている。




「え? え? なに? どうしたの? マサト君、ミチルちゃん、こんなところで何してるの? もうすぐ最終下校時刻だよ?」

「え?」

「あ、あれ?」


 人形みたいに色白で、真っ直ぐな黒髪が印象的な少女。胸の前に抱えている数冊の本は図書室の本のようだ。今まで一度も同じクラスになったことが無いけれど、同学年の子だ。

 名前は……そう──


「マユミ、ちゃん」


 名前を呼ぶと彼女はホッとしたように笑った。


「なんだ、マユミか。脅かすなよぉ。お化けかと……」

「こら、マサト!!」


 失礼なことを言う奴だ。肘鉄をお見舞いしたらグエッと呻いて大人しくなった。


「マユミちゃんこそ、どうしたの?」

「借りた本、教室に忘れちゃって、取りに来たところ」


 ちょっと肩を竦めてみせるマユミちゃんはいかにも女の子って感じで、同性の私から見ても可愛かった。

 隣のマサトはみるみる顔を赤くして黙り込んでいる。

 なんて分かりやすいヤツ! ニヤニヤしながら見ていたら、じろりとにらまれたけど、赤い顔で睨まれても迫力なんてない。


「ねぇ、マサト君とミチルちゃんは何してたの?」

「あ、私たち? ええっと……」

「七不思議ってあるだろ? あれの一つ、この鏡の噂が本当かどうか確かめに来たんだ」


 なんとなく言うのがためらわれて言葉を濁していたら、横からマサトがかっさらっていった。


「大したことねぇのな。全然怖くねぇ」


 さっきまであんなにビビってたくせに。格好いいところを見せたいのか威勢が良い。


「そっか。ふたりとも勇気あるんだね。すごい。──なにか怖いこと、あった?」

「ぜーんぜん!」


 と高笑いするマサト。それにつられるようにマユミちゃんもクスクスと楽しそうに笑う。

 怖い噂なんて嘘っぱちだと確信するぐらいのんびりした空気が流れた。

 マサトと楽しそうに話すマユミちゃんの白い頬に夕陽のオレンジが映えて、綺麗だなぁとぼんやりと思った。


「なぁ、マユミ。俺たちと一緒に帰ろーぜ。オマエいっつもひとりで帰ってるだろ?」

「嬉しい! 本当に良いの!?」


 マユミちゃんは嬉しそうに私とマサトの顔を交互に見た。

 異存はないので私もうんうんと頷いた。

 マユミちゃんは放課後、いつも図書室で本を読んでいる。そうして最終下校時刻の放送が流れると名残惜しそうに席を立ち、本を棚に戻すのだ。

 その姿を校庭から何度か見かけたことがある。

 綺麗な横顔に、物静かな表情。いかにも文学少女っぽい姿に目が釘付けになったのは一度や二度じゃないのだ。


「マユミちゃんのランドセル、どこ? 私たちはそこに置いてあるんだけど」


 言いながら私は階段のすぐ下、一階の廊下を指さした。隅っこに赤と黒のランドセルがちんまりと置いてある。


「私? 図書室に置きっぱなしなの」

「んじゃあ、みんなで取りに行こうぜ!」

「おっけー!」


 そんなわけで、私たちは三人で連れだって図書室へ向かった。

 楽しくおしゃべりをしながら歩けば、不気味でもなんでもなかった。

 さっきまで校庭から聞こえてきた歓声はもうほとんど聞こえない。きっとみんなぽつぽつと帰り始めたんだろう。




 図書室につくと、大きな読書用のテーブルの一つに赤いランドセルがちょこんと乗っていた。私やマサトのランドセルと違って、六年間使ったとは思えないくらい綺麗で、傷一つ見当たらなかった。大事に、丁寧に使っているんだろう。


「ね、まだ下校の放送流れてないし、少し休憩してから帰らない?」


 緊張がほぐれた途端、どっと疲れが襲ってきていた私は一も二もなくマユミちゃんの提案に乗った。マサトも反対しなかったから、私と同じように疲れていたに違いない。

 物静かな印象だったマユミちゃんだけれど、話してみるとすごく面白い子だった。

 本をたくさん読んでいるからか、いろんなことを知っていて、私やマサトが興味を持つような話題を次々に出してくる。

 目じりに涙がたまるほど笑った。

 ついでに、頬の筋肉まで痛い。

 どれだけ笑ったの、私。と突っ込みたくなるぐらいだ。


 そして、ふと、気がついた。


 もう時間はだいぶ経っているはずだ。

 なのに、下校の放送もなければ、陽も沈んでいない。


 おかしい。

 いくらまだ日が長いからって、こんなわけない。

 隣に座るマサトは気づいていないみたいで、まだマユミちゃんと話している。


「ね、ねえ」


 おずおずと声をかけると、二人がふっと黙り込んでわたしのほうを見た。


「どうした、ミチル」


 マサトがいぶかしそうに聞く。


「ねぇ、私たちがここに来てからずいぶん時間経ってるよね? 何で……何で下校の放送がないの?」

「あ? 先生たちが流し忘れたんじゃねぇの?」


 その可能性は確かにゼロじゃない。

 でも、でも……


 震える指先で外を指さしながら、私は囁くような声で二人に言った。


「じゃあ、なんで夕陽が落ちないの? 時計が止まってるの?」


 校庭の向こうにある時計台の時計と、図書室の時計は同じ時間を示している。時計台の時計には秒針が無いけれど、図書館の時計には秒針がついている。その秒針がピクリとも動いていない。

 ほぼ同じ時間に二つの時計が止まった? それってものすごく確立が低い偶然じゃない?

 夕陽が照らす校庭は無人で、不気味にしんと静まり返っていた。

 耳を澄ましても、カラスの声ひとつも聞こえない。


 酷く不気味だった。


「え? な、なにアホなこと言って……」


 信じられないのか、信じたくないのか、マサトが焦ったような声色で言いながら、及び腰で立ち上がった。

 マユミちゃんは無表情に私を見つめている。


 そうだ。


 そうだ。


 となりのクラスに、こんな子、本当にいた?


「ねぇ、マユミちゃん。あんた、誰、なの?」

「おい、ミチル! なに言いだすんだよ、マユミは、マユミ……」


 尻切れトンボになる語尾に、マサトも変だと気づき始めたみたい。


「あら。残念。ばれちゃった。もう少しお喋りしていたかったのに」


 マユミちゃんの赤い唇が、にいっと吊り上がった。

 その赤さが禍々しくて、顔から血の気が引いた。


「ねぇ、マサト君、ミチルちゃん。ずっとここにいてくれないかな。私の友だちになってよ」


 彼女がゆらりと立ち上がった。

 マサトと私は彼女から距離を取るように一歩下がった。


「ここにはたくさん友だちがいるけど、ふたりにも加わって欲しいなぁ。七不思議ってあるじゃない? さっきミチルちゃんは全部デマだった言ってたけど、本当はみんないるんだよ?」


 彼女の後ろに、黒い靄のようなものが揺れ始めた。


「音楽室のピアノを弾く先生も、一階のトイレの女の子も、理科室の骨格標本も、体育館の男の子も、プールの手も、宿直室のオジサンも、みんなみんな、ここにいるんだよ」


 黒い靄が次々と形になってこっちを見ている。

 両手の指を血まみれにした女の人、青ざめた顔の女の子、顎をカタカタ鳴らす骸骨、黒ずんだ体操服に身を包んだ男の子、ぶよぶよにふやけた手、手、手。そして無精ひげを生やしたグレーの作業着のオジサン。

 みんな、みんな、笑いながら、おいでおいでと手を振っている。


「あ、あ、あ……」


 口をパクパク動かしても、意味のある声は出ない。体も動かない。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!

 このままじゃ、アイツらの仲間にされてしまう。


「ど、どうして、おまえ……。オマエなにもんだ!?」


 マサトが叩きつけるように怒鳴った。


「わたし? 人間だよ? もと人間って言った方がいいかな?」


 可愛らしく小首をかしげるけれど、今ではもうただ不気味なだけだ。


「人間が、なんで、こんな……」

「だって、私、要らない子だったんだもん。お母さんが言ってた。私がいるから新しいお父さんはみんな出てっちゃうんだって。私がいなかったらもっとお母さん幸せになれたのにって」


 そう言って悲しそうに唇をゆがめた。


「早く帰るとね、お母さんが怒るの。怒って叩くの。だから、私、出来るだけ遅く帰ろうと思って図書室で時間潰してたの。どんなに叱られても、私、お母さん大好きだったし。でも本当は辛かった。嫌いだって言われるのが悲しかった。家に帰りたくなかった」


 マユミちゃんの目から涙がひとつこぼれた。


「そんな時、みんなが言ってくれたの。ここにいて良いって、ここにいればお母さんにぶたれることも、嫌いって言われることもないからって。だから、私はいま、幸せなんだ。ただ、マサト君とミチルちゃんも一緒にいてくれたら、もっと嬉しいな」


 ゆら、と、彼女が一歩近づいてきた。

 なのに、体は全然動いてくれなくて。


 もう一歩、近づいてきた。

 焦れば焦るほど、体は動かなくて。


 目だけを動かして隣を見れば、マサトも体が動かないらしく、顔にじっとりと汗をにじませていた。


 ゴメン、マサトごめん。こんなことに巻き込んじゃって。


 後悔が波のように押し寄せた。


 マユミちゃんがじりじりと距離を詰めてくる。

 マサトはその姿をじっと睨みつけながら、何かをつぶやいている。


「まだだ、もう少し、もうちょっとだ」


 そんな風に聞こえた。


「ねぇねえ。一緒に居てくれるよね?」


 にたり。と笑った顔に


「ざけたこと抜かしてんじゃねぇ!」


 叫びながらマサトが何かを投げつけた。

 予期しなかった反撃に、マユミちゃんは「きゃあ!」と悲鳴を上げて顔をおさえ、その場にうずくまった。


「いまだ! 行くぞ、ミチル!!」


 事態を把握できない私の手首を強引に掴んで、マサトは走り出した。壊れる勢いでドアを開け、廊下に飛び出す。

 オレンジに染められた廊下をバタバタという足音が響く。


「待って!」


 少し遠くから焦ったような声が聞こえる。

 何かが追ってくるようなそんな気配もする。

 怖くて振り向けなかった。


「ど、どこ行くの?」

「オレだって分かんねぇよ! とにかく逃げねぇと」


 マサトの言う通りだ。みすみす捕まるわけには行かない。

 こういう場合、窓や昇降口なんかは開かなくなっているのが定石だ。

 どうやったら助かる? どうやったら日常に戻れる??

 走りながら、頭も猛回転させる。


 この怪異が始まったのはいつ? どこ? どこでマユミちゃんに会った?


 そうだ、そうだ、きっとすべてはあそこ。


「マサト、鏡! 踊り場の鏡んとこ!」

「おっしゃ!」


 図書室は東端なので、一階を走り抜けることになる。一直線だから目当ての階段は見えるのに。なかなかそこまで着かない。

 パニックを起こしそうになる気持ちをおさえて、ひたすら走った。

 ようやく階段につき、私たちは一段抜かして踊り場まで駆け上がった。

 対峙した鏡にはさっきと同じ位置に夕陽が当たっていた。それを見たマサトが


「ありえねぇだろ」


 と今更なことをつぶやいた。学校に住むお化けたちに追いかけられること自体、もうすでにありえないことなんですけど! 内心で突っ込みを入れながら鏡の前に立った。


「噂では、鏡の中の世界に引きずり込まれると言っていた。なら、いまこの鏡の中に映っているのが、元の世界なんじゃない?」

「んじゃ、この鏡に体当たりするってことか!? おい、下手したら鏡が割れて大怪我すっぞ!?」

「んじゃあ、大人しくお化けたちに捕まる!?」


 大声でどなったら、マサトはぐっと黙り込んだ。

 お化けの気配はもう階段下にまで来ている。思ったよりお化けたちの足が遅いようでそれなりに余裕がある。良かったと変なところで思った。


「よーし分かった。オマエを信じる! 行くぞ!」

「うん!」


 マサトと一緒なのが心強かった。

 一方的に私の手首を掴んでいるマサトの手を剥がし、今度は握り合う。

 見つめ合って、うん、とうなずいて私たちは鏡に突進した。

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