第10話 『父』



以前、母の話をした事があるのですが、今日は父の話。

一言で現すならばカツオ君みたいな人です。

幼少時には放送室の機材を嘘発見機だと先生に言われて泣きながら悪事を吐き出し、高校生の頃には90点を取ってカンニングを疑われたという父。



そんな父の不思議な話を3本立てでお送りします。


① 死体洗い



このタイトルが適切かは、正直わかりません。

バイト名として定着しているところの「死体洗い」ですが、このバイトは完全紹介制らしいです。

父が高校生の頃、先輩から日給一万を超える(父の初任給が4万円だったそうなので、数時間でこれは破格だと)バイトを紹介されたそうです。

即答で「やります」と応えた父ですが、蓋を開けてみれば死体洗い。知ってからは尻込みしたものの、もう返事もしてしまっているので、仕方なく深夜の病院に向かったと言います。

病院の地下だか、別棟だかに通されると、そこには普通の25メートルプールの半分ほどの大きさの、まさにプールとしか言いようの無いものがあったのだそうです。

死体洗いの業務は、引っ張り上げ、洗体、運搬にわけられており、この順で金額は下がってくのだそうです。

父は新入りかつ唯一の高校生(他の二人は研修医)ということもあり最も簡単な「運搬」の仕事を割り振られました。

それでも他のメンツの仕事を見なくてはなりません。

絶妙な比重で沈んでいる献体の首の後ろにはナンバリングがされており、体を器具でそっと押すと、まるで呼び出されたかのようにぷかりと浮かんでくるのだそう。


ナンバーの部分に付けられたフックのようなものに、器具の先端を引っ掛けてプールサイドまでお越し頂き、その後は手で持ち上げてストレッチャーへ。先輩バイトは手際よく体を洗ってグリーンのシートを掛けてくれたらしいです。


「夏目(父)、後は運んでおいて」


「え……? 俺、一人で、ですか?」


「うん。廊下の先の部屋に」


「いやいやいや。一緒に行きましょうよ。ね、ね、ね?」



 父は必死で先輩に頼み込み、一緒にストレッチャーを押して行ったと言います。

 その間、先輩はもう一体引き上げなきゃなのにと文句を言っていたそうですが、父としてはそんなものどうでも良く、ただただ


「これは無理だ」


と心の中で繰り返していたそうです。

光景の一つ一つ、鼻から肺を満たす独特の匂い。ホルマリンプールだと思われる不思議な液体の中に浮かぶ仄白い人体。

それらがぷかりと浮かんでくる光景が、たまらなく恐ろしく、父は一日でバイトをやめました。紹介してくれた高校の先輩は笑いながら「まあ、気長に後任を探す」と言っていたそうです。


ふと思い出しましたが、父の兄にあたる叔父は、子供の頃琵琶湖であそんでいたとき足のところにあるぶよっとしたものを蹴飛ばしたら、土左衛門がぷかりと浮いて来て、それいらい海からも湖からも足が遠のいたと言っておりました。


水場は恐ろしいですね……。


空気を読まずに二つめ。


② 飲んではならぬ


父は高校生のとき、寺に住んでおりました。大阪の四天王寺だと思います。修行というなの下宿をしながらここから就職したと言っていたので、おそらく卒業までを寺で過ごしてたはずです。


そんな父は野球やら機械体操やらをやる一方で吹奏楽をやっておりました。


部活では週に何度か地元の中学生だか小学生だかを指導したり、夏には四天王寺で合宿のようなものをしたりしたといいます。


ある日、夏の暑さに堪え兼ねて休憩を取っていた時の事。


井戸の冷えた水が恋しくなり、下級生のほとんどがちょっと離れた井戸場へと消えてゆきました。

父と横着な数人は、本堂の下にある冷たい地面に座りながら、いつ腰を上げようかと算段していたそうです。


あたりを見回すと、茂る木々。本堂裏から脇にかけては墓地ですが、夏の昼間ですから、大して気味が悪いとも思えません。


そんなとき、ふと目に入ったのは特徴的な石組みだったそうです。

アレはまぎれも無く井戸。どうしてこちらの井戸を使わないのかと不思議に思い近寄ってみると、上が機の蓋で閉じられています。


「……どかせば良くね?」


「……うん」


「……暑いしな」


何人いたかわかりませんが、その場の面々は意思を通じて蓋をどけたのだそうです。

井戸特有の湿った冷たい空気が溢れ出ます。

思わずほほを緩めて、父たちはつるべを落とし水を汲みました。そして口を開けて水を飲むだけでなく、顔もいっしょくたに洗おうと、盛大に、みな顔に水をかけたのだそうです。


「うえ……っ」


「げ……」


「くせえ……」


皆、口々にそう言います。何とも言えない生臭さ。腐臭というものを知っていたら、こういうものを言うのかもしれないと言っておりましたが、とにかく、えも言われぬ不快感が顔やら、口やらに広がります。

「ネズミでも入り込んで死んだのかな」

と思ったそうです。

テンションだださがり状態で井戸を見ていると、ご住職がいらっしゃいました。

父たちの様子を見て目を丸くすると


「え? まさか、飲んじゃったの?」


とおっしゃいます。


「はあ。でも、こん中、ネズミかなんか死んでますよ」


 そう言う高校生に、ご住職は憐れみの目を向けて首を振ります。


「ダメだよ。せっかく使わないように蓋をしているんだから。臭い?当たり前だ」


 ご住職はそう言って本堂の裏を指差しました。


「この辺りは土葬なんだから。腹を壊しても知らないよ」


 父たちは脱兎のごとく逃げ出して、ただしき井戸で顔と言わず全身を水浸しにしたそうです。口を濯ぎ、必死に顔を洗ったと言います。

 蓋のある場所には、きっと理由があるのです。



③ 狐に化かされた話


同じく寺時代。

父と同じように寺で寝泊まりしていた十名ほどで、町の銭湯(当時、寺に風呂は無かったそう)に言った時の事です。

寺は、多くの寺と同じように、山門と参道を持つ作りで、今とは違い緩やかな坂道の両脇を木々が取り囲んでいたそうです。

町へ出るには参道をひた下り、帰りは上るという立地。町までは10分もかかりません。

おそらく父は3年生だったのでしょう。先輩の気楽さからか、後輩たちを先に返し、自分たちはアイスを買ってブラブラと寺への道を歩いておりました。

アイスはとうに食べ終わり、木の棒の部分を齧りながら他愛も無い会話を交わしながらブラブラ。

木の棒すらも齧り飽きて、さらにブラブラ。

一本道の先には、毎日見て見飽きている山門が相変わらずの姿をさらしておりました。

銭湯に入ってさっぱりしたものの、やはり歩いていると汗ばむもの。

それに耐えながらブラブラ。

ふと誰かがこう漏らします。


「……なあ。山門って、こんなに遠かったっけ?」


父は思わず、手に持っていたアイスの棒をじっと見ました。

入り口近くで買ったアイスキャンディ。食べるのにどれほどの時間がかかるでしょう。棒を齧り、汗ばむほどに歩き。それでもなお。


後ろを振り向くと、山門と同じような距離に、町の灯りが見えています。


「……」


「……」


「……」


三倍以上は歩いている。

父たちは悲鳴を上げながら一気に駆け出しました。

なんとか山門にたどり着くと、ご住職からの雷です。

後輩をほったらかして何時間ほっつき歩いているのだとしかられたそう。

必死に状況を説明すると、ご住職はこれはしたりと表情を引き締め


「勝手に買い食いしておるからに、狐にでも化かされたんだろ」


と。

釈然としない気持ちと、帰り着いた安堵が入り交じり今でもあの時の恐怖に似た感覚は忘れられないと言います。


まあ、基本的にずる賢さが招く不思議体験。

父の経験はこんなものです。


そう言えば、前日美容室に言ったら、お兄さんが体験談を話してくれました。

許可が出ましたら、いずれまた。


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