3回目の眺め

腰を下ろした先は、喫茶店だった。

いつもと違う眺めを探していた。といっても、これで三回目。


休みの日、家を出るための目的づくり。

パソコンの前で過ごす時間に、飽き飽きして。居場所を探していた。


本を読もうと思った。

読む予定だった本が平積みに、部屋の一角を占めていた。

家に居ると、パソコンを立ち上げ、そのまま画面を眺めて、時間が過ぎる。

その繰り返しに、まずいと思っていた。



休みの日。

最初に行った喫茶店は、図書館の近くだった。

部屋の一角を占めていた本の平積みを崩してみた。

そこから眼に引っかかったタイトルを選んで喫茶店へ持ち込んだ。

それ以外に、図書館で本を借りてみた。

「新しいことを」と、知らない写真家の写真集を借りた。

知らない写真家の、知らない場所を撮った、僕にとっての新しい世界。

図書館でも、眺めていた。

眺めていた。

自分の馴れていない空間を眺めていた。

落ち着かさに、飛び込んできた写真集。

僕の身近を離れた世界。本当に、知らない世界なんだろうか?

知らない街。それは、日本の国土の中だけど。

TVでは観たことがある。

路地の裏まで想像できる。

だけど、「知らない」と感じた。


次の休みの日。

二回目に行った喫茶店は、ランチの時間だったせいか、店内の慌しさに落ち着くことが難しかった。本は、あの写真集をまた持ち込んだ。

写真集を眺めるのは、前回の休みの日以来。

部屋の中ではページを開かず、パソコンの画面をまた眺めていた。

今回、開かれた写真集の眺めは、「知らない」から「見覚えある」に。

懐かしさは、生まれていない。僕の身近な街でもない。

この写真集を作った写真家は誰なんだろう?と、ようやく考えた。



                 「光が当たる街」

                        Y.Y




次の次の休みの日。

三回目に行った喫茶店は、「いつもの」喫茶店に成りつつあった。

あの写真集は、休みの日の常備品に成りつつあった。

相変わらず、部屋では眺めることがなかった写真集。

でも今回で、「見覚えある」から「新鮮味を欠いた」に変わると思った。

消費社会の商品は、消費サイクルの早さと共に、類似品がまかり通る。

ありふれた類似品からの違いを楽しむことしか出来なくなっている。

飽きるまでのどのくらいの強度があるか?という。

でも、これは違った。

裏表紙から、開いてみたり。適当に指を挿し入れたページから、開いてみたり。

適当なやり方で、大胆にページをめくるようになってきた時ーー

このカラーの写真集に映し出される“光”は、僕が見知っている光とは異なる何かであるように感じた。

昼間の街を歩くサラリーマンの肩口に。

介護タクシーから降りてきた車イスの車輪に。

雨あがりと思われる横断歩道を歩く子供の足もとに。

広い範囲のものでは、車内から撮影したと思われる一枚で、街に架けられた橋の上り坂から見下ろした、たぶん瞬間に広がった、一面に見える家々。

それぞれに降り注いだ太陽光。

光量の強さというのか、自然光ではあると思うのだけど、色合いなのか?

何か違う世界の光に感じた。

それに気づいた。


ああ…そういえば、昼間の街を最近、歩かなくなっていたんだ


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