epilogue


 すべての物事に意味がある、なんてのはきっと嘘

 だって、あなたを愛することに理由なんていらない



 三月十二日 午前 十時五十六分


 三月十二日、晴れ渡った空から射し込む陽光が、不動 洋一と夜野 月江が住まう館にも降り注いでいた。あの騒動から三日、あの日から雨は訪れていない。

 この日、洋一はリック・ガーネストを自宅に迎えていた。リックともまた三日振りの再会だ。三日前と同じように、いつもの定位置に腰を掛けている洋一とリック。窓から射し込む陽の光が居間を照らす。ソファーに腰を掛けていたリックが、膝の位置にあるテーブルに置かれたコーヒーカップに手を伸ばしては、そのまま口元に運ぶ。一口つけてから、リックは洋一を見た。

「刻野 秀一のことはあれから何か分かったかい」

「何も分からないままだ」

 三月九日。

 死んだ筈の陽菜を刻野 秀一は蘇らせた。魔導の命題、蘇生。魔術を行使している最中、刻野は幾つもの淡い光の粒子に囲まれては透明と化し、その場から消失した。

 蘇生の代償は術者の命。

 一見すればその解釈に間違いはないように思えるが、それを証明することは蘇生の術式を把握している者にしか不可能だ。もしかしたら、刻野 秀一は消えただけで、まだ生きているのかもしれない。その可能性を否定することは誰にもできなかった。あれは何かの悪い夢だったとしか、洋一には思えない。

「陽菜ちゃんは元気かい」

「ああ、元気だよ」

「それはよかった」

「氷堂が起こした昏倒は、」

「解決したらしいね。ニュースで話題になることもなかったものだから、大したものだよ。警察側にも、魔術師がいるとしか思えない。そういえば、西口 麗奈とはどうなった?」

「その点については何も心配いらない」

 そのことに関しては、朝日 文隆から連絡があった。既に解決した問題だと。おそらく教会の招集には暫く彼女は来ない。氷堂は以前と何ら変わりない態度であそこに訪れるだろう。自身の利益を見出だすために、魔術師達は皆、あの教会に集う。

「それよりも、洋一」

 脚を組むリック。その口元に湛えた微笑は意図的に浮かべたものだと洋一には直ぐさま分かった。そんな友人の態度に洋一は溜息をわざとらしく吐いてから、その場から立ち上がり、近くの本棚の前に立ち尽くす。そこの引き出しから取り出したものはこの国の法律に触れ、尚且つ、魔導の背徳でもある銃器。脚を組んでいたリックが銃器を見た瞬間に立ち上がっては、洋一から奪い取る形でそれを取り上げた。

「僕に押し黙ったままこんなものを隠していたなんて、良い度胸だね」

「隠し持っていたのは月江だ」

 洋一を睨むリック。

「詭弁だよ、それは。持つように促したのは君だろう、洋一」

 銃器に魔力を流し込めたのだろう。リックの手に収まった銃器が青白い光を纏っていた。

「僕達は魔術師だ。魔導に身を置く僕達は、魔導のルールに従わなければならない。ルールが守れない奴は、魔術師を名乗る資格すらないんだよ。君は、魔術師失格だ」

「そうか。でも、それは覚悟していたことだ」

「そんな覚悟はいらない」

 そして、亀裂が走ったかのような、何かが壊れた音。床に敷かれたカーペットの上に、ばらばらに分解された銃器がリックの手元から落とされた。

「やっぱり君は、一人で問題を抱え込む。僕が云ったことを忘れたのかい」

 忘れるわけがなかった。

 必ず力になる。

 目の前の友人は、洋一にそう告げたのだ。

「俺を咎めないのか、リック」

「馬鹿だな、君は。君の貌を殴りたい気持ちでいっぱいいっぱいだよ」

 でも、とリックは云う。

 その微笑は、普段通りのもの。

「魔術師以前に、僕達は友人だ。そうだろう、洋一」

 洋一はリックの瞳から目を逸らした。そうでもしなければきっと会話すらままならない。

「ありがとう、リック」

 ちっぽけな言葉だと彼は自分でも思う。それでもその一言には自分の思いが全て込められていた。ありのままの素直な気持ちに、リックは「どういたしまして」と言葉を返す。それだけで洋一は救われた気がした。

「そういえば、月江ちゃんは?」

 リックの何気ない問いに「ああ」と洋一は答える。

「あの、時計台だよ」


 三月十二日 午前 十一時七分


 快晴。陽射しが鬱陶しいと感じながら夜野 月江はこの町の中でも混雑とした通りを歩いていた。このまま歩いていけばコンサートホールは近い。其処に朝日 陽菜がいることを月江は知っていた。洋一からわざわざ陽菜に電話をかけてもらい、いま何処にいるのかを確認してもらったのだ。

 三月九日から朝日 陽菜はあの館に訪れていない。その原因が何なのかは云うまでもなかった。夜野 月江は、朝日 陽菜を殺したのだ。そこに誰の意志が絡もうとも確かに月江は陽菜を殺した。問題はそれだけではない。刻野 秀一が蘇生を行使し、陽菜を蘇らせたあとに消失したという光景を月江が目の当たりにした時、漠然とした感覚が月江にはあった。刻野は命を賭して陽菜を助けたのだと。そこには根拠もない確信があった。

 刻野おじさん、と。陽菜が親しげにそう呼んでいたことを月江は思い出す。月江は陽菜の命を奪い去った。不幸中の幸いか、陽菜は蘇生を遂げたが、代わりに刻野 秀一が──

 月江には、家族を喪った痛みが、いまでもしっかりと胸に刻まれている。それは忘れることのできない痛み。決して消えることのないものだ。それを陽菜の胸に自分が刻ませてしまったのではないか。月江はそう考えていた。自身が親しげにしていた人物が、月江の所為で死んだ。陽菜がそう思ってしまうのは当然だと月江は思う。月江があの時、油断をしていなければ起きなかった問題だ。

 ただ一言、月江は陽菜に謝りたかった。どれだけ責められても構わない。無抵抗の姿勢を維持し、陽菜の魔術を一身に受ける確かな覚悟が月江にはあった。それで朝日 陽菜の抱えた痛みが少しでも和らぐのであれば。

 気付けば、あの騒動が起きた場所に自分はいた。顔をあげれば、時計台の下に悠然と、朝日 陽菜は立ち尽くしている。月江は覚悟を決めて陽菜のもとに足を運ぶ。

 家族を喪った痛みを、一人、思い出しながら。


 三月十二日 午前 十一時十一分


 朝日 陽菜は時計台の下に先程から立ち尽くしていた。其処は自分が一度、死んだ場所だ。けれども陽菜はこうして生きている。偉大な魔術師、刻野 秀一の手で蘇生を果たした陽菜。陽菜と文隆だけが刻野の行方を知っている。彼はもうこの世にいない。例え時間干渉の魔術を行使して、彼を探すために過去、未来を行き来しても刻野 秀一は何処にもいないだろう。刻野 秀一の存在はこの世から消滅した。それが意味するところは、如何なる方法でも刻野 秀一の蘇生は不可能だということ。

 陽菜が死から目覚めた時、それが自然と理解できた。そして陽菜は蘇ったと同時に、蘇生の術式を頭の中で理解していたのだ。蘇生の術式は蘇った者に引き継がれるという仕組み。この仕組みがあったからこそ、朝日 陽菜は救われた。

 陽菜が銃弾から刻野を庇っていなかったら、どうなっていただろうか。魔導の背徳に触れる銃器。その銃弾は刻野に通用した。腕から血を流していた刻野を見て陽菜は、その時点で危険を察していたが、陽菜の行動を駆り立てたのは西口 麗奈の存在だ。麗奈の、あからさまに醜悪に歪んだ笑みを目にした時、陽菜の躯は咄嗟に動き、刻野の楯になった。その判断が陽菜の死に繋がり、同時に、刻野の存在を消滅させたのだ。

 あの時、陽菜が楯になっていなければ、刻野 秀一はどうなっていたのだろう。そんなことばかりを陽菜は考えていた。あの日から三日経った、現在も。その想像が頭から離れない。

「朝日」

 声のした方に振り向く。辛気臭い顔で夜野 月江が陽菜の前に立っていた。この場に来ることは予め洋一から聞いていたので驚くようなことは何もない。月江の黒髪が微風に揺れる。

「済まない」

 そんな月江の声が陽菜の耳朶に届いた。どうして月江が謝るのだろうと陽菜は思う。月江の表情はとても暗い。月江の瞳に映る陽菜もきっと、同じような顔をしているに違いなかった。

「どうして謝るの」

 陽菜はそんなことを訊いていた。意地悪な質問だとも思う。でも、月江の誤解をとくためには必要なことだ。月江が陽菜から目を逸らし、俯いたまま言葉を紡ぐ。

「私が油断していたせいで、お前を一度、殺してしまった」

「うん」

「……そして、お前を蘇らせるために、刻野 秀一は、」

「生きてるよ」

「え?」

 月江のこんな間抜けな表情を見るのは初めてかもしれないと陽菜は思った。失礼だと思いながらも、陽菜は笑う。

「生きてるよ、刻野おじさんは」

 蘇生の術式を陽菜は引き継いでいる、それは、刻野 秀一の生きた証――

「だから、もうこの話はおしまい。うん、私もうじうじするのはやめた」

 陽菜が落ち込んでいたら、きっと月江は罪悪感に苛まれ続ける。それは陽菜にとってあまり気分の良い話ではない。きっとそれは刻野 秀一が望んだことでもない筈だ。

 この救われた命を。

 大切にしていこうと、陽菜は決心した。

「ねえ、月江」

 陽菜は不敵に笑う。

「私のこと、嫌い?」

「……急に、何を」

「私はあなたのこと、嫌いよ。月江。あなたはどうなの?」

 月江は僅かに呆けていた。陽菜は変わらず不敵な笑みを口元に湛えたまま、それこそ挑発的な目で向かいの魔術師を見据えている。やがて夜野 月江の表情から陰鬱とした蔭りが消え失せた。

「私も、お前が嫌いだ」

 月江も、不敵に笑う。

「嫌いで嫌いで、仕方がない」

「うん、そうこなくっちゃ」

 陽菜がそう言って、月江の横を通り過ぎてから歩き出す。温かい陽射しの中、後ろから月江が付いてくるのが陽菜には分かった。ならきっと、目的地は同じだ。

 もうすぐこの街には春が訪れる。きっと、まだ何ヵ月かは洋一と月江、そして陽菜を含めた三人の魔術師があの館で会話を交わす。そんな未来が簡単に、陽菜には想像できた。

 二人の魔術師は、同じ道を歩む。月江は陽菜の背中を追う形で足を運び、そして僅かな距離をとっていた。それくらいの距離が丁度いい。二人が並んで歩くことはこの先もないだろう。

 不動 洋一が待つあの洋館に。

 朝日 陽菜と夜野 月江は向かう。

 異なる歩調で、共に。



 end.

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 SolLuna―ソルルナ― 麻倉 ミツル @asakura214

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