第9話 新たな相談者
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今は六時限目。英語の授業だ。
ちなみに俺は英語が大の苦手である。文系なのに……。
俺にとっては、まだ甲骨文字とかヒエログリフの方が分かりやすいんじゃないか? と思う。
昨日は早く床に着いたので、今日は寝て時間を潰そうとしてもなかなか寝れない。
俺は窓側の一番後ろの席だ。右斜め前には茜がいる。茜は机に突っ伏して寝ていた。なのに何で成績いいのかしら?
茜の左右は女子がいる。名前は……A子とB子でいいや。眼鏡をかけてる方がA子だ。この二人はさながら茜の番犬の様だ。
男子が下心を持って茜に近づこうものなら二人が追い払っている。ただ、この二人は純粋に茜を守ろうとしている訳ではない。
茜の近くにいることで、自分のクラスカーストを上げたいのだろう。
茜もその事を分かった上で二人の好きにさせてる感がある。
やだ、女子って怖い……。
別段クラスの連中を観察するほど興味がないので外に視線を向ける。窓からはグラウンドで体育をやっている様子や、学校関係者の姿が見えた。
ボーッと視線を巡らせていると、正門から野良猫が入って来るのが見える。遠いので模様までは見えないが、その猫が体育館の方へ行くが見えたと同時に、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
この後、
カウンセラー室のドアをノックする。
「は~い。どうぞ~」
「失礼します」
ドアを開けて中に入ると、白のブラウスを着た竜胆先生が椅子に座ってこちらを見ていた。
「いらっしゃい陽介くん。麦茶でいいかしら?」
そう言って先生は席を立ち、飲み物を用意しに行った。
「お構い無く」
俺は竜胆先生の正面に丸テーブルを挟んで座る。カウンセラー室に来るのはこれで二回目か……。
「はい、お待たせ~」
麦茶が入ったコップが置かれる。氷がカランと音を立てて崩れた。
「今日は何の用ですか?」
「もう、そんなに急がないの。」
何でか知らんが怒られた。俺、変なこと言った?
「あまりがっつくと、女の子の体が持たないわよ~。たまには休憩しないと」
この人は何の話をしてるんだろう? だがここで聞くと泥沼にはまりそうなので、黙っておくことにする。
「陽介くん、バイトの方はどうかしら? 順調?」
「まぁ、まだ一回しかやってないので……」
「じゃあ、まだ経験不足って訳ね~」
そう言って先生はほんわりと笑う。
「そうですね……」
「じゃあ陽介くんにはこれか、経験を積んでもらおうかしら~」
「は? 経験?」
思わず間抜けな声が出る。
「あ、ちなみに陽介くんの初めての経験はいつ?」
「何であんたはそういうことを、ほんわかした声で聞くんだ……」
ガックリうなだれる。
「それは置いといて、この後相談者が来るのよ。だから陽介くんには練習も兼ねて観察して欲しいの」
「で、俺との会話は相談者が来るまでの暇潰しって事ですか」
「そうね~。陽介くんは暇潰しにはもってこいよ」
全然ほめられてねぇ……。ようするに、話しかけたら反応はあるけど話しかけなければ反応しないってことだろ。
俺よりスマホの音声ソフトの方がしゃべるんじゃない?
「今回はそんなに重い内容じゃないし、練習しておいた方が後々いいと思うわよ?」
「そうですね。ただ……」
「ただ?」
俺は先生にこの前の仕返しをすることにした。忘れたとは言わせねぇ!
「先生は俺と一緒にいると、貞操の危機を感じるんですよね?」
「あ、あー……」
この時の俺の顔はどんなだっただろう。意地悪く笑っていたかもしれない。
先生は左上を見て、そんなこと言ったなーという感じだ。
「……それもそうね。じゃあ陽介くんは隠れて観察してくれるかしら?」
沈黙していた先生がいきなりそう言った。
「ほら、相談に集中したいから。それに、眼に頼らないでやってみるのもいいかもよ?」
「そ、そうですね……」
うまくかわされた……。
「でも、眼に頼らないって厳しくないですか?」
「そうね~。でも見えない分、声には敏感になるんじゃない?」
……今まで声を気にして観察したことなんて無かったかもしれない。
「じゃあ、声で相手のことを知るコツを教えておくわね。まぁこれは知っていると思うけど声の高さね。低ければ落ち込んでいる、警戒している。高ければ好意を持っている、嬉しいって感じね」
先生は滑らかに語り始めた。この人も凄いんだよなと、改めて思う。
「それから口癖。これは大事よ。口癖が多くなれば緊張していたり、考えながら話しているかもしれないわ」
……さっきから声の話をしているから気づいた。先生は語尾が伸びるのが特徴だが、今は伸びてない。人に何か説明をする時とかは伸びないのだろうか?
表情もいつものおっとりした感じではなく、心なしか凛々しく思える。
「ま、やってみないとわからないわよね」
先生はふぅ~と息を吐いて、少しのけ反る。先生のメロンが自己主張している。……目に毒だ。俺は
「あ、そろそろね。じゃあ陽介くんは隠れてもらえるかしら。そこの清掃用具入れがいいんじゃない?」
「わかりましたよ。入ればいいんでしょ、入れば」
この人、俺を清掃用具入れに入れたいだけなんじゃない?
俺は清掃用具入れを開け、中に体を滑り込ませる。ギリギリだ……。中に入るとホコリっぽい臭いが鼻を襲った。
それに今は六月下旬だ。ほぼ空気の出入りがないから暑い。
先生が外から閉めると、ドアの上の細長く空いた場所から光が差し込んでくるだけになった。
「じゃあ頑張ってね~」
先生はこの状況を楽しむような声で言った。
一、二分経った頃、ドアが開く音がした。
「は~い、いらっしゃい。どうぞ座って」
「し、失礼します……」
相談者は男みたいだ。少し上ずっているように感じる。
彼が椅子を引く音が聞こえた。
「確認だけど、あなたが
「は、はい」
「私は
……これ、じっとして立ってるのも辛いな。
「早速だけど、相談って何かしら」
「えっと、実は飼い猫が昨日逃げてしまいまして……まだ見つからないので、ここに相談したんです」
彼の声は沈んだものになった。心配しているのだろう。
「猫の特徴を教えてもらえる?」
「えー、茶色の体に縞模様があって、片耳に傷があります」
ほーん、俗に言うチャトラって奴か?
「ありがとう。この事は私に任せてちょうだい。正確には、私の友達ね」
「は、はぁ……」
何で先生が得意気なんだ……。相談者も少し戸惑ってるみたいだ。
「あとは、他に悩みとかない? ついでに言ってみたら?」
「……いえ。無いですよ」
その声は感情を抑えたような声だった。
「大丈夫。私の口は固い方よ」
固くないと困るんだよ……。
「実は……」
「実は?」
「妹が欲しいんです」
相談者の声は、俺が聞いた中で一番カッコいい声だった。
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