第3話 石蕗は鮮やかに咲く
3
木が軋きしむ音を立てながら、あの扉が開く。が、誰も入ってこない。扉から顔だけ出してこちらを見ている。
「入っていいよ」
千代さんがそう言うと
「そこの椅子に座ってくれ。紅茶はいるかい?」
「あ、ありがと」
まるで緊張を感じさせない態度と口調。純真無垢な笑顔。
「女性」と呼ぶにはまだ幼いと思う。
身長は一五○センチもないだろう。彼女が私服だったら、小学生でも通ると思う。
けれど彼女は今、制服を着ている。しかも俺が通う高校の制服を。
髪は茶色のボブカット。どこか小動物チックな彼女は両手でカップを持って、紅茶をチビチビと飲んでいる。
「さて、少しは落ち着いたかな?私は花葱はなねぎ千代ちよだ。名前で呼んでくれ。それで君は
事前に
「あ、うん、そう」
「何やら困っているそうじゃないか。私達で良ければ力になるよ。まず、何に困っているのか教えてくれ。本人から聞いた方が良いからな」
「ありがとー。でも、……あの……」
そう言うと、彼女はこちらを見る。まぁ同じ高校の奴がいたら戸惑うよな。
軽く自己紹介しようとすると
「あぁ。彼は一応、私の助手だ。彼の事は信用してくれていい。口も固いからな」
千代さんはそう言ってと、こちらを振り返り笑った。えぇ、そうですよ。話す相手がいないから口固いですよ。
「そうなんだ。……えーと、咲は新聞部の部長をやってて、それで……簡単に言うと、もう新聞の記事を書きたくないの」
うちの高校に新聞部なんてあったっけ? そう思っていると
「あ、部って言っても部員は咲だけだけどねー」
彼女は笑いながら補足した。
「新聞部なのに、記事を書きたくないとはどういうことだ?」
「うーん……、新聞部は部員が咲しかいないから、みんな全然知らないの。だから記事のネタにも困ってて。それで先週、クラスの男子から、面白いネタがあるから記事にしてくれって頼まれまたの。咲もそれを聞いて、飛びついたの」
「なるほど。それで?」
彼女――石蕗は説明に熱が入ってきたのか、頬が少し紅くなっている。目の動きから、少なくとも嘘はついていないようだ。
「それで、咲も初めは書いていたんだけど、その記事が誰かの悪口になってるって、だんだん気付いたの。だから書くのは止めるって言ったら、脅されて……」
石蕗はしゅんとなって、そう言った。にしても、悪口を書かせるくらいで、そこまでやるだろうか?
「それでは少し質問させてくれ。君のクラスは?」
「咲は二年六組だよ」
……この人、二年なの? てっきり一年かと思ってた。
「それと、君はなんて脅されたんだ?」
「えっとねー。記事を書いてくれたら、きな粉棒を沢山あげるけど、書かないならもうあげないよって……」
「う、うん?」
珍しく千代さんも動揺している。俺だってそうだ。
え? きな粉棒? あの駄菓子の? いや、美味いけどさ。
それに沢山って言っても、そんなに金かからないんだけど……。
「きな粉棒……。ぐすん。きな…粉……棒」
え? 泣くほど? いやいや、きな粉棒どんだけ好きなんだよ。君のソウルフードか何か?
「こ、今度私が買ってやるから、な?」
おぉ。千代さんがオロオロしてて面白い。と思ってたら、助けろという目で見られた。それを俺はスルー。
「んんっ。最後にこれだけ聞かせてくれ。その口調は無理をしているのか?」
ん? どういうことだ? 口調を無理してる?
「いや、君の語尾がえらく単調だったものでな。それに、時々口元がまごついていたから、つい気になってしまった」
この人はそんなとこも見ていたのか……。すごいな。
でも、さすがに口調を無理するってのは無いだろ。
「へぇー、すごいねー。千代ちゃんは何でも分かるんだね」
……え? 本当に?
「うん。この口調は外の時用だよ」
「何でまた?」
今まで喋ってなかったのに、つい聞いてしまった。
「うんとねー。咲の父ちゃんは岡山出身で、岡山弁は語尾に「のじゃ」とか付くの。それだけならいいんだけど父ちゃんが、のじゃロリ? が好きで、咲に覚えさせたの。そしたら普通にしゃべれなくなったの。だから、外にいるときは無理してるのじゃ」
よくやった、父ちゃん。まさかこんな人がいるとは。父ちゃん、ありがとう。
「もうバレたら意味ないからのう。ここでは普通に話すようにするのじゃ」
「そうだったのか。では、明日からの土曜、日曜を使って対策を考えるよ。月曜日には彼が君に、何かしらの報告をさせる。安心していいよ。私達に任せなさい。」
俺は千代さんの斜め後ろにいるから表情はわからないけど、その声から彼女がどんな顔をしているのか簡単に推察出来た。
「そうけぇ。それじゃ、頼むのじゃ」
ニパーという感じの笑顔でそう言うと、石蕗は帰っていった。
「何か疲れましたね」
部屋が静かになると同時に、疲れが押し寄せてきた。
「そうだな。だが、あの子はとても興味深いよ」
軽く笑いながら、俺の問いに答える。
「今日は君の初仕事だったわけだが、しっかり観察出来たかな?」
「そうですね。まず、嘘はついてないと思います。鼻や口も触ってなかったし」
「そうだな。それにあの性格だ。嘘をつくのは苦手だろう。あと、一ついい忘れていたが、目の動きはあくまで傾向だ。正確ではない。そこで問題だ。重要な依頼の場合、どうやって嘘を見極める?」
「そうですね……。複合的というか、他の要素と合わせ考える。ですかね?」
「はい、不正解。それではまだ、不安が拭えない。ならば、どうするか。答えはその人の特徴をつかむことだ」
「どういうことですか?」
「人によって脳の使い方は違う。つまり、嘘をつくときの目の動きも違うんだ。だからその人を観察する。相手に何かを思い出させるような質問をして、その時の目の動きを観察するんだ」
なるほど。例えば、昨日の夕飯は何だったと聞いて、その時の目の動きを記憶すればいいのか。
「他に、こう、テクニックみたいなのはないんですか?」
「私はいつも紅茶を用意するだろ? そのカップは、その人のパーソナルエリア、すなわち、どの程度心を開いているかが分かるんだ」
「へぇー。ためになります」
「あと、依頼の件だが、この依頼は君に任せたい」
「俺にですか?」
「あぁ。これは学校の中で起きているから、部外者の私にはどうすることもできない。だからこの依頼は君に任せる。何かわからないことがあれば、いつでも聞きに来てくれ」
「わかりました。じゃあ今日はこの辺で失礼します」
「
「何か言いました?」
千代さんと距離が開いたので、よく聞こえなかった。
「何でもないよ。では、また」
「はい。月曜の放課後、報告に来ます」
そう言って俺は千代さんと別れる。土曜、日曜使って考えなきゃな。
自転車に乗り、家に向かってゆっくりと漕ぐ。あと、きな粉棒も買っとくか………。
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