第27話 変化

 アルト、エリンを別れてから、俺は外で昼食を済まして家に帰った。


「あら~。おかえり~、意外に早かったのね~」


 店番を代ってくれていたシュミルに、


「ただいま」


 と応じる。


「どうだった~」


 ざっくり聞かれたが、まあ一応説明しておこうか。


「一応目的の『エコーの滴』は手に入ったよ。

 アルトもエリンも、俺ももちろん大した怪我もないし」


「それはよかったわね~」


「それでさ、今晩もアルトとエリンが泊まりにくることになったから晩飯の用意お願いしてもいい?」


「もちろんよ~。でも、あの二人、どこかに行っちゃうのよね~?」


「うん。あんまり時間に余裕はないみたいだから……」


「寂しくなるわね~?」


 シュミルはそんなことを言ってくる。


 確かに……、さみしくなるのは事実だ。

 でも、アルトが店に訪れてからのここ数日間が俺にとってはイレギュラーな日々なのである。

 それまでは古道具屋兼業の質屋をして、日銭を稼いでいた。しがない商店主代理。

 ダルトさん達やミライアさんのような顔なじみの冒険者の客も居たが、とどのつまりは店の人間と客の関係。

 それほど親しい付き合いではなかった。


 それが、エリンを連れてダルトさんとダンジョンに潜ったり、ミライアさんに何かと気にかけて貰ったり。

 アルトと20階層なんていうとんでもない場所で魔物を倒して、ボスを倒しまくったり。


 それはそれで初めての体験で魅力的で楽しいとも言える時間だったが……。


 人にはそれぞれの人生がある。


 俺には店もあるし、親父は留守がちだとはいえ家族も居る。

 生き方を変えるというのはなかなかできることではない。


「まあ、元々からして突発的に湧いて出た話だったし」


「ハルは冒険者やってみようとは思わないの~?」


「冒険者? ダンジョンに潜って?」


「うーんとね~、そればっかりじゃないわよ~。

 最近はダンジョン狙いの冒険者が増えてそればっかりに目が行っちゃってるけど~。

 そもそもの冒険者って、世界を旅して飛び回るわけ~。

 いろんな遺跡や、人の手が入っていないダンジョンを探したり~、わくわくがいっぱいの生活をするのが本来の冒険者の意味っていうか、立ち位置ポジションだと思うのよね~わたし~。

 お父さんと旅してるときとか楽しかったもん~。まあ冒険者っていうより行商だけど~。

 一回だけだけど、そんなに遠くないところだけどハルを連れて旅に出たこともあってね~」


 家族で旅をしたことはなんとなく覚えている。

 幸い魔物に襲われることもなく、平々凡々とした旅程だったが。いや、俺が居るからあえてそういう安全な旅にしたのかな。

 どちらにしても、俺が物心つく前の話だから、俺が覚えているのも不自然だから適当に頷いた。

 どういうわけだか幼少時の記憶はおぼろげになってきているからそれほど思い出に残っているというわけでもない。

 前世のことははっきりと覚えているのに不思議なことであるが。


「まあ、性格的にあんまり向いてないと思うし……、冒険者って」


 俺の印象ではやっぱりガラの悪い人が多いからな。

 酒好きばかりだし。

 俺は転生してからまだ酒を飲んだことがない。

 一応この世界では未成年だろうとなんだろうと咎められることはないが、なんとなく機会を得ないまま今に至っていた。


「というわけで、早めに切り上げてきちゃったから店番変わるよ。夕飯の支度頼むね」


「お別れ会になっちゃうのね~」


 シュミルはシュミルで、エリンとは結構一緒に過ごしたし短い期間だったがそれなりに思い入れも強くなっているようだった。

 心底寂しそうな口調である。




 そんなわけで夕方前になってアルトがエリンを伴ってやってきた。


「すまんな。甘えてしまって。世話になる」


 とそんなことを言う。


「なんか、すんまへんな」


「いや、こっちこそ世話になったし」


「そうそう、先に渡して置くぞ」


 と、アルトが札束を取り出した。

 かなり分厚い。


「いろいろあって午前中に言った額よりかなり少なくはなっているが……。

 18万シドルある。

 確かめてくれ」


「いや、別にいいよ。厚みだけで凄い金額だってわかるし。

 後で数えるから」


 とそんなやりとりをしていると、


「あら~、アルトちゃん、エリンちゃん、いらっしゃい~。

 今ちょうど夕飯の支度しててね~。

 よかったら手伝ってくれる~」


「もちろん」


 とエリンはトタトタとキッチンへと駆けていく。勝手知ったる他人の家状態だ。


「私も手伝ったほうがいいかな?」


 アルトに言われてそうだな~と俺は思案する。

 今日で別れてしまうのならば、アルトのあの絶品料理を食べる機会はもう二度と訪れないかもしれない。


「できれば……。手伝いというか、スキル使ってだっけ。

 あの料理を母さんにも食べさせてやりたいから」


「ふむ……、期待に応えられるかどうかわからんがやってみよう」


 そう言ってアルトもキッチンへと向かう。


 夕食は品によって絶品だったり、いつものシュミルの味だったり、その中間だったりと多彩な、それでもおしなべてレヴェルの高い味だった。


「すごいわね~、アルトちゃんに手伝ってもらった料理~。

 一流の料理人が作ったみたいになっちゃってるわ~」


 それを聞いたエリンが少し居心地悪そうに俯いた。


「いや、エリンが作ったのも美味しいよ」


 と、適切にフォローをいれておく。


「ほんま? おおきに」


 アルトの腕とは比べ物にならないが、エリンだってちゃんといつものシュミルの料理の味を落さずに作り上げたのだ。どれだけの役割を分担させられたのかわからないけど。


「明日の朝には出発するのよね~?」


「ええ、今後の予定がありますので」


「ゆっくりできたらよかったのにね~」


 アルトはともかくとして、エリンはここでの生活に後ろ髪を引かれているようでもある。

 そんな気配を感じ取ってか、


「エリンちゃんだけでもなんならずっと居てくれてもいいのよ~」


 とシュミルが能天気に提案した。


「おおきに……。気持ちはありがたいけど……。

 うちには行かなあかん……、アルトに連れてってもらわなあかんとこがあるから……」


 どうやら、アルトの予定はエリンにとっても重要な予定であるようだ。それも何やら言いづらい内容のようである。


 それ以上はさすがのシュミルも話を広げることなく、話を変えてまた一人で喋って盛り上がり出した。



 

 夕食後。

 一番風呂をシュミルとエリンで入り、アルトが最後でいいというので俺も先に風呂に入った。

 今は浴室にはアルトが居る。入浴の真っ最中だ。

 シュミルとエリンは、寝支度のためにこの場には居ない。


 ということはチャンスという奴だ。なにがって? いや、それはあれ。

 覗きなんてあさましい行為ではないのは断わっておく。


 これは実験であり、そして自己修練なのだ。


 今日のダンジョン探索では適当に戦闘の合間を縫って、水魔法Lv1の『ウォーターシャワー』やら、光魔法の『フラッシュ』やらを魔物相手に使ってみたりしていた。


 結果、光魔法はレベルが上がらなかったが、水魔法のレベルが2に上がった。

 水魔法のレベルなんて意外と簡単に上がることがわかったわけだ。

 それと同時に、ペナルティを受けた時の選択肢に余裕が出来た。一日で上がったレベルだしひとつ下げるくらいなら惜しくない。


 一回ぐらいなら、いいだろう。

 いや、そうじゃない。そういうあこぎで安易な考えではない。あくまで精神修行。


 煩悩とは無縁でアルトの裸体を拝むのだ。まっすぐな心で、精神をフラットに保ちながら、さりげなく、見つからないように、アルトの裸体を拝むのだ。

 よってこれは覗きではなく、俺の鍛錬のためのいしずえなのだ。

 女の子の裸ぐらいで動揺しているようじゃ、この先やっていけない。

 いつの日か、煩悩なしでもっと刺激的な行為に及べるようになるその日のために。

 それが、どういう意味を為しているのかはさっぱりわからないが。

 とにかく。

 俺は、日々努力し続けなければならない。一歩一歩進んでいかなければならないのだ。


 うん、理論武装完了。

 目的が裸を見ることじゃないから、これは覗きでは決してないだろう。


 それを心に言い聞かせ、そっと風呂場のほうに近づいていく。


 アルトはまだ浴室に居るようだ。ちゃぷちゃぷという水音が微かに聞こえる。

 さすがに浴室まで行ったら気付かれる可能性が高い。

 ここは湯上りのタイミングを……。脱衣所の扉の隙間から……。


「何してるん?」


 いきなり背後から声をかけられた。


「エ、エリン?

 いや、あの、湯加減どうかなと思って」


 とっさに言い訳を口に出した。


「でもアルトも火魔法使えるから自分で調節できるで」


「そ、そうだったっけ。そういえばそうだったよね。

 すっかり忘れてた。は、ははは……」


 誤魔化しきれたかどうかわからないが、エリンはそれ以上追及はしてこなかった。


 思わぬところで作戦失敗になってしまった。


 とはいえ……。

 

 アルトも風呂から上がり――その間エリンが一緒に居たのでよこしまな……いや、神聖な鍛錬には及ぶことができなかった――、しばらく4人でなんとはなしに話をしていたが、夜も更けたのでさすがに寝ることになった。


 エリンは名残り惜しそうだったが、さすがに眠たいのかあくびを連発している。


「ほな、おやすみなさい」

「ハルも、アルトちゃんもおやすみなさいね~」


「おやすみ」

「おやすみなさい」


 シュミルとエリンは夫婦の寝室へ。俺は自室へ。

 アルトはそのまま居間で布団を敷いて寝ることになっているが……。


 期待を込めながら、俺はベッドの中でまんじりともせずにいた。


「ハル……、起きているか?」


 とアルトがやってくる。


「まだ起きてるけど……」


「そうか」


 とアルトは今日は断わりもせずに、俺の布団に入ってくる。

 や、やけに積極的じゃないか……。まあ、俺が拒絶しないのは前のこともあってわかっているのだろう。


「ハル……、こっちを向いてくれ……」


「なに?」


 布団の中で俺は向きを変えた。

 アルトの顔が間近に迫っている。


 じっと見つめているとアルトが俺の体を抱きしめてくる。

 薄い寝間着姿のアルトの体の感触が……、俺の全身を包み込む。


 かなーり、危ない状況だが、まだ煩悩罰則ペナルティの発動には至っていない。

 ここ数日で俺もなかなか鍛えられたようである。


「昨日と、今日、いろいろと助けてくれて感謝している」


「う、うん……、いえ、こちらこそ。いい経験をさせてもらったから」


「明日になれば私とエリンはこの街を離れることになる」


「そうだな……」


 そこでアルトの腕に力が入り、より一層、体が密着した。


「勝手なお願いを……、ふたつほどしてもいいか?」


「ん? なに?」


 とりあえず聞いてから判断したい。俺はアルトに先を促す。


「ひとつは、もし仮にこの先、またハルの力が必要になった時、私たちを助けて欲しい。

 私はともかくエリンの力になってやってほしい。

 ハルにはその力が十分あるのだ。

 その時まで、できればより腕を磨いておいてほしいのだ」


 うーん。安請け合いはできないけど……。

 今の力を失わず……というのは煩悩罰則ペナルティがあるから難しいかもしれない。

 だけど、その分ダンジョンに潜るなりして、魔物との戦いを積めば、維持とは言わず、能力をまた取り戻していくことも可能だ。


「わかった。努力する。困ったことがあったらいつでも言いに来てくれたらいい」


「ありがとう。

 それと……、もうひとつ。

 ハル、目を閉じてくれるか?」


「えっと、こう?」


 俺は言われるままに目を閉じた。

 頭に浮かんでくるのは何故だかアルトと過ごしたダンジョンの風景だった。


 と、俺の唇に柔らかい感触が当たる。


「ん?」


 思わず体を震わせてしまったが、アルトの腕が俺の頭に回ってぐっと抑え込んでくる。

 身動きすることも言葉を発することもできない。


 と、唇の間から生暖かく、そしてぬるりとした物体が俺の口に滑り込んできた。

 アルトの舌が俺の口の中で蠢く。

 とろけるような感覚だ……。


 人生初めてのキスはまさかのディープキス。

 それもねっとりと濃厚な……。


 逃れようもない快楽の感触に俺は我を忘れて呆然と時を過ごしてしまった。


 鳴り響いたアラームに気付いたのはアルトが唇を離した時だった。


 とりあえずウィンドウをを開こうと思った瞬間、今までとは違う状況に気付いた。


 目の前のアルトが固まっている。

 時が止まっているかのようだ。いや、俺も動くことはできないが、意識だけが残っている。

 まさに時間が止まっているとしか考えられない。


 そしてウィンドウにはいつもの……ではなく見慣れぬメッセージが。


『条件達成により、ペナルティが解除されました』


 解除? あの呪いから逃れられた? 条件ってなに?


 だが、メッセージの続きは無慈悲に告げる。


『レベルダウンするスキルを選択してください』


 やはりその辺りのシステムは変わっていないようである。


 俺は初めから決めてあった水魔法を選択した。


『今から30秒間、魔法の使用が制限されます』


 罰則の時間が一気に短縮していた。そればかりか、スキル全般が使用禁止だったのが、魔法だけに変わっている。


 スキルを選ぶと、体が動くようになったが……。

 やけに意識がクリアになっている。

 アルトの動きがやけにゆっくりと感じられる。まばたきをする瞼の動きが、鮮明にとらえられる。


 どういうことだか、わからずに俺はあっけにとられていた。


 やがて体感で数分ほどが、経った頃だろうか。その感覚は失われた。


 何が起こったのか? 何がどう変化したのか?


「ハル……」


 アルトが静かに口を開いた。


「今から言う話を……。

 信じられないかもしれないがとにかく聞いて欲しい……」

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