第23話 エリン

 エリンの起床に合わせて、さっそく昨日採取できた『エコーの滴』を手渡す。


「あ……あ……」


 エリンは、アルトを指さし、その後に『エコーの滴』を指さし……。


 身振りでしかないが、どうやらアルトに先に飲むようにと言っているようだ。

 もちろん毒見をさせるとかいう保身的な意味ではなく、自分の優先順位を落として欲しいという健気な思いからだろう。


「いや、それはエリンが飲むんだ。

 心配しなくても、またハルがダンジョンに付き合ってくれるらしい。

 今日中にはもう一つ、私の分も手に入るだろう。

 なあ、ハル?」


「ん? ああ……」


 そういえば、そんなこと言ってたっけ?

 確かに。

 まあ、乗り気でないわけではない。

 じっと見つめてくるエリンに、


「うん。約束する。アルトの分の『エコーの滴』を手に入れるのは手伝うからさ。

 それよりも、ちゃんと飲んでくれたほうが安心できるから」


 エリンはコクリと頷くと、蓋になっていた葉っぱを剥がして、エコーの滴を口に持っていく。


 そのまま恐る恐ると白く濁った液体の入った壺状の葉っぱを傾けて……。


 コクン、コクンと飲み干した。


「どうだ?」


 アルトが尋ねる。


「あ……、あり……がと……」


 ん? 効いてない? まさか? 効果なし?


「なあ、アルト。これって……?

 効き目が出るまでに時間がかかるとか?」


「いや、飲めばその場で効果が出るはずだ。

 というよりも……」


 とアルトはそっとエリンの頭に手を置く。


「エリン。恥ずかしがる必要はない。

 私はともかく、ハルにちゃんと礼を言うんだ。

 自分の言葉で」


 エリンは恥ずかしそうに俯いてしまった。


「いや、なんだか知らないけど、治ったんならそれでいいんだけど?

 あんまり無理にとは……。

 それにちゃんと感謝の気持ちも伝わったし」


 状況が良く飲み込めないが、エリンがなにか葛藤しているのが伝わってくる。

 本人の意思に反してお礼を言わせる必要もないだろう。感謝の気持ちがあるのは態度でわかってるし。


 効果はすぐにでるとはいったが、慣れるまでに時間がかかるのかもしれないし。


 なんてことを考えていたら、エリンがそおっと顔を上げた。

 そしてフルフルと首を横に振る。


 その表情には決意が現れている。


「ん?」


 と思って見つめていると、エリンはすうっと大きく息を吸い込んだ。


「ほ、ほんまに、おおきに……」


「お、おう……」


「うちのために、いろいろ苦労かけてしもて。

 おかげで、ちゃんとしゃべれるようになったから」


 あっけにとられている俺にアルトがそっと耳打ちしてくる。


「聞き取りづらいかもしれんが、エリンは生まれ故郷の方言が強くてな。

 大変、ありがとう。わたしのために苦労をかけてしまったが、おかげで喋れるようになったと言っている」


 とのことだ。

 が、なんとなくというか通訳されないでも俺には意味が伝わった。

 俺達の国の言葉が日本語の標準語として感じられるのなら、エリンの言葉は関西弁のニュアンスで聞き取れる。


 気が付いたら、『異世界言語翻訳』とかいう、今更なスキルが手に入っていた。

 相変わらずスキルが獲得できる条件がさっぱりだ。


 これって、異世界トリップした時とかには便利だが、生まれてから地道に現地語を覚えた俺にとってはあまり意味のないスキルだ。

 とはいえ、この世界では、俺の覚えている以外の言語や地域ごとの方言も多い。

 旅をするのなら、後々役に立つスキルだろう。旅をするのであればということだが。


 そうそう、エリンに返事をしないとな。


「えっと。

 まあ、苦労したのはほとんどアルトだから。気にしないでいいよ。

 俺もエリンと話ができるようになって嬉しい。

 アルトの分はこれからまたダンジョンに行って取ってくるから。

 まあ、そのなんだ。

 ワイもおもろい経験できてなかなか楽しかったよってに」


 エリンに合わせて、方言とやらを使ってみようとしたがちょっとうまくいかない。


 それでも、エリンは俺の意図を汲みとってくれたのか、にっこりとほほ笑み返してくれた。


「ハル? お前、獣人族の言語がわかるのか?」


 アルトが驚いている。まあ、一般的には知らない人のほうが多そうだ。


「まあ、ちょっとだけ……」


 とこの場ではスキルのことは伏せておく。


「ほんまに、おおきにな」


 と改めてエリンが頭を下げる。


「あら、エリンちゃん~。治ったの~」


 シュミルが顔を出してくる。


「ええ、ハルのおかげで。

 非常に助かりました。

 申し訳ないのですが、今日も少し付き合って貰おうと思っておりまして」


 アルトがしゃちほこばった口調にシュミルに応じる。普段の口調と違ってこれはこれで慣れないなあ。


「気にしないで~。

 お店なら任せて貰っていいから~。

 なんだったら、もう少し連れまわして鍛えて貰いたいくらいよ~」


「母さん!」


「だって~。この一日でちゃんと立派な男の子の顔になったわよ~。

 ハル~。

 もうちょっと強くなって、女の子を護ってあげられるようにならないとね~」


 まあ、親心というのはそんなもんか。

 かといって、アルトと一緒に旅に出るとかそんなことを言いだしたら、さすがに反対するだろう。いや、しないか。いまいちシュミルの思いがわからない。


 普段はひょうひょうとしながら、結構ドライだったり、我が子を平気で谷に突き落とすぐらいのことを言いだしそうな感じもある。


 とりあえず、朝食の準備が整ったということで、4人で食事をすることになった。


 方言が恥ずかしいのか、エリンはあまりしゃべらず、治る前とそんなに口数は変わらない。

 それでも、シュミルから何か尋ねられるとちゃんと返答している。


 シュミルも何故か、エリンの言葉を理解できているようだった。

 わりと多彩であることが、伝わってくる。

 鑑定してみてみたが、特にスキルを持っているふうでもないのにな。


「では……」


 食事も終え、後片付けも終わったタイミングでアルトが立ち上がった。


「ああ、そろそろ行く?」


 エリンに薬を飲ませたり、若干くつろいだりと昨日よりゆっくりしているが、ぼちぼちとアルトの分のドロップを求めてダンジョンへ行く頃合いだろう。


 昨日あれだけ連戦して経験を積んでいるので、気が楽だ。

 体力的にも精神的、魔力的にも全然大丈夫だったし、昨日は15階からの挑戦でスキルレベルも低く、途中魔物箱にも遭遇したが、今日は20階層の突破だけですぐボス戦に挑戦できる。上手くいけば午前中にはさっさと要件を終わらせられる。


「あ、あのな……」


 とエリンがアルトを見てくる。


「う、うちも連れてって……くれへん?

 力になれへんかも知らんけど、うちのために二人にばっかり迷惑かけてじっと待ってるのは辛いねん。

 足手まといになってまうかもしらんけど……」


「ってゆってるけど?」


 と俺はアルトにお伺いを立てた。

 前は4階層で酷い目に合ったエリンではあるが、魔法も使えるようになったし、後方要員としてはまったく役に立たないわけじゃないだろう。


 元々はアルトは俺の面倒を見る――護衛というか、バックアップというかフォローというか……の――ために、それ以上メンバーを増やしたくないという意味で、エリンを置いていくという選択を取ったはずである。


 だが、結果的にはそんな必要はなくなった。

 俺は十分20階層でもひとりで戦えるし、なんだったらエリンの護衛をすることぐらいはできるだろう。

 エリンだって、実はそこらの冒険者とは比べものにならないくらいのスキルレベルも持っている。

 そもそも道中の敵はアルト一人で蹴散らすし、ボスは俺とアルトの二人でも十分対処できるから、誰を連れて行ってもそれほど邪魔になるということもない。


 パーティメンバーを増やすのは俺にとってはやぶさかではない話だった。

 華が増えるし、アルトと二人だと会話も少なく、ちょっと物足りなかった。


「そうだな……」


 アルトは考え込む。


「連れてってあげたら~。

 どうせお店は暇だし、うちに居ても、エリンちゃんやることあんまりないし~。

 もうお掃除ばっかりで店中ピカピカなんだから~。

 そのかわりハル。

 ちゃんと守ってあげるのよ~」


 勝手に割り込んだシュミルによって、方針が決定される。


「まあ、仕方ないだろう。

 ダンジョンへ行く前に、ギルドで換金して、エリンの装備を整えるか」


 と、話がまとまった。




 ギルドに着くなり、ミライアさんが俺を見つけて駆け寄ってきた。


「ハル~。心配したんだからねっ!」


 とムギュっと胸に顔をうずめられた。


「ちょ、ちょ、やめてくださいよ!」


 感触を楽しんでいたいのだが、そうは問屋が卸さない。煩悩ムラムラでは折角鍛えたスキルを失ってしまう。


 必死のパッチで、ミライアさんの体を押しのけて距離を取った。


「また、ダンジョン?」


 と、アルトとエリンに視線を向けながら聞いてくる。

 エリンはともかく、アルトへ向ける視線は少し厳しい。


「換金してくる」


 とアルトはカウンターへと行ってしまった。


「大丈夫なの? 無理してない? 怪我とかしてない? ちゃんとご飯食べさせて貰ってる?」


 ミライアさんは俺を見るのが弟目線なのかもしれないが、シュミルよりよっぽど母親らしいことを言ってくる。


「ええ、大丈夫ですよ。特に問題ないです」


 多少の怪我はしたりしているが、飯は普通に生きているよりよっぽどうまい。

 それでもミライアさんは、アルトの噂の件を気にしすぎていて、信じられていないようだ。


「どの辺潜ってるの?」


「いやまあ、20階層あたりを……」


 隠していてもしょうがないから、正直に答えた。


「にっ、20階? まじで?

 そんなとこで……」


 絶句させてしまった。


「まあ、戦うのはほとんどアルトですよ。

 俺はフォローしてるだけで」


 なかばは嘘だが、ミライアさんを安心させるためにもそう言っておく。


「そうか~。遠い所へ行っちゃったのね。

 ハルってば、やればできるこだったんだ」


「いや、あくまで付き添いですから」


「エリンちゃんも元気?」


「ま、まいど……」


 エリンは、自分なりの挨拶をしたようだが、ミライアさんには伝わらなかったようで、きょとんとしている。

 それを見てエリンが、


「あ、あの……、元気……です」


 と言いなおす。ヒアリングはできても、俺達の言葉でしゃべるのは苦手のようだ。


「まさか、連れていきはしないよね? ダンジョン」


「いや、エリンも行きたいってゆうし……」


「20階に!?」


 ミライアさんはことさらに20を強調する。


「まあ、昨日の感じでは一人ぐらい……、エリンが増えても大丈夫そうだったんで。

 ちゃんと装備もいいものを買いますし」


「そうか……。

 なんだかあたしとは住む世界が違っちゃってるみたいね。

 ハルは冒険者に鞍替えしちゃうのかな?」


「そんなことは……」


 などと会話していると換金を済ませたアルトが戻ってくる。


「待たせたな」


 と、ミライアさんには、視線を向けずに、そのまま出て行こうとする。


「ちょっと!」


 とそれをミライアさんが引き留めた。


「ん?」


 とアルトは立ち止まって振り返る。


「あの、あのね。

 ハルと……エリンをちゃんと守ってあげてね。

 怪我とか無理とかさせないように!」


「もちろんだ」


 短く言うとアルトはそのまま歩きだす。


「じゃあ、行くんで……」


 俺は別れを告げ、エリンも小さく頭を下げ、ギルドを後にしたのだった。


 武器屋とは明後日の方向に歩き出すアルトの行く先を修正しつつ、街を3人で歩いた。

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