第5話 エコーの滴

 そんなこんなで翌日である。

 パンツの証拠隠滅をつつがなく終えた俺はエリンと共に店番に立つことになった。


 ちなみに、昨夜のことは聞けずにいる。夢だったら恥ずかしいし、事実だったら少々込み入った話になりそうで、エリンから聞くのは難しそうだし。


 家事はひとりでなんでもこなすスーパー専業主婦であるシュミルはエリンの力を必要とはしていなかった。

 エリンのために料理くらいは教えるつもりらしいが、それは夕方になっての話。

 預かりものとはいえ、奴隷ではあるけれど、働かせるつもりは俺にもあまりなかった。

 昨夜の夕食も、今朝の朝食もがっつくほどではないが、もりもりと喜んで食べるエリンは、保護欲をかきたてる存在だったのだ。

 俺にとっては妹が出来たみたいなもんだ。あくまで例えではあるのだけれど。


 シュミルは実際に娘が出来たみたいで嬉しいと言っていた。

 なので、これはエリンが言いだしたことなのである。

 何か手伝いたいと。


 そうは言っても、シュミルはあんまりそれを引き受けるつもりもなく、どうせ暇してるぐらいなら一緒に店番でもやったらどうー? という軽いノリである。


 とはいえ、エリンに出来ることなんて知れている。

 接客は難しいからな。

 頼めるとしたら、掃除くらいか。

 確かにここんとこ、面倒で商品とかには埃がかぶっている状態だ。

 それも見越してシュミルはエリンを店に寄越したのかもしれない。


「エリン、じゃあ、そこにモップがあるから、まずは床をひととおり掃除してくれ」


「あ……は・い……」


 頷きながらエリンが答える。


「それが終わったら、雑巾で店の商品を拭いてくれたら助かる」


 こくりとエリンが首を縦に振る。


 そつなく掃除を始めたエリンを認めて、俺は開店の準備を始めた。


 今朝も客がちらほらとやってくる。

 ダンジョンに潜るために、その下準備としてうちで資金調達に来る冒険者さん達だ。

 何人かが持ってくる商品を品定めして、質草として預かる。代わりに微々たる預り金を渡す。

 どれもこれも、大した額にならない安価な商品ばかりだった。これで商売なりたつのかな? と不安になるが、コツコツ稼ぐのも商売には大事なことだと割り切る。

 数人を順番に相手してようやく客足が途絶え始めた。


 エリンは……。もくもくと掃除しているな。

 確かにうちはそんなに広くはないけど、置いてあるアイテムは結構数が多いからな。

 それでも、棚の端から順々に真面目に埃を払ったり、丁寧に拭いたりしている。

 今日中には終わってしまうだろう。

 明日は店が休みだけど、明後日何をしてもらおうか今から悩む。


「おーっす! 今朝も頼むわ~」


 顔なじみの冒険者のダルトさんが、相方のカーズさんと共に店に入ってくる。

 少々がさつな剣使いがダルトさんで、カーズさんは常識人である拳闘士だったか。

 他の冒険者が朝一からダンジョンに潜るために早くにやってくることが多いのにこの人は飲み過ぎがたたって出発が遅いことが多い。まあ不真面目な冒険者は良くいるからこの人達がそれほど特殊ってわけでもない。


 今日も昼前にもなろうかという時間だが、それくらいならぽつぽつと客は来ることもある。


「で、今日はなんです?」


「この銅の剣だよ。念のために持って行ってたもんなんだがな。

 昨日大剣のレベルが上がったようで、しばらく使いそうにないからな」


 差し出された銅の剣を鑑定してみる。

 どこにでもある銅の剣だ。期待はしていないが、特別な能力は何も付いていない。

 価格は妥当な500シドルだ。


「へえ、スキルレベルが上がったんですか?」


 世間話程度に軽く尋ねてみる。


「おうよ、鑑定してもらったわけじゃないがな。

 それでも、明らかに攻撃力が上がっているようなんだ」


 興味があったので、ダルトさんを鑑定してみる。あまり人のプライバシーは侵害したくないけど昨日エリンにも使ったし、好奇心に負けた。


 大剣のレベルは1であった。スキルもレベルも鑑定しないとわからないのだが、レベルが上がった感覚は個人差はあれど大体感じるものらしい。

 というか、レベルが上がったんじゃなくって、ようやくスキルを身に着けたということじゃないか?

 それだってすごいことらしいけど。たいていの冒険者はスキルもなにも身に着けずに戦っているらしいから。


 要はこういうことだろう。元々自分を鑑定なんてする気もなかったダルトさんはどこかのタイミングで大剣のスキルを身に着けたと勘違いしていた。

 で、昨日さらに大剣の威力かなんかに変化が出たから、レベルが上がったと思い込んでいる。


 それを確認するために、探りを入れてみる。


「こちらの銅の剣。片手剣でしたっけ?

 そっちのスキルは持ってないんですか?」


「いや、俺はどうやら才能に恵まれているようでな。

 大剣も片手剣もスキルを持っていると思うんだが、大剣のほうが先にレベルが上がったから今後は大剣一本でやっていこうと思ったんだ」


 やはりそうらしい。面と向かって言えることじゃあないが、ダルトさんは片手剣のスキルをまだ手に入れていない。というか、ひとつでもスキルを手に入れられたことが幸運なのだ。さらに言えば、そのスキルが伸びていくかというとあまり期待できない。


 スキルを手に入れるのもスキルレベルを上げるのも、やり方はいろいろな方法が称えられているが、どれが効果があるかははっきりしないのだ。

 とにかく剣を振る素振りが有効だという人も居れば、弱い魔物でもいいから沢山狩れという人も居る。ある人は、自分よりランクの高い強い魔物と戦うことだという。


 確かにそれでスキルレベルを上げた人はいるんだろうけど、逆に言えば素振りだけをやって魔物と戦った事の無い人がいないから説得力はない。


 ついでに気になったことを聞いてみる。


「でも、大剣に絞るんなら、うちじゃなくって武器屋に売りにいけば?」


 商売っ気はないが、別にいいだろう。うちの下取り価格は武器屋より低いのはわかっているはずだし、こういうところで恩を売って置くのも商売の内だ。


「それがな……」


 と、ダルトさんは横にいるカーズさんを見る。

 諦めたように、カーズさんが、


「こいつのスキルレベルが上がったってのはもう何度も聞いたことだ。

 そのたびに、片手剣なり、大剣を売るんだがな。

 結局、ダンジョンに行って魔物と戦ってみると大して強さが変わってない。

 で、また買い戻すことになるってことがたびたびあってな」


 なるほど、と俺は納得した。

 自分に合った武器がどれかわからないから、初心者のうちは複数の武器を試してみることが多いというのは聞いたことがある。

 生まれ持ってのスキル所持者であればそれで自分に合う武器が見つかる。

 そうでなくても才能がある人は早いうちにいずれかのスキルを手に入れるということだ。

 もっともその割合は極端に低く、なんのスキルも得られないまま生涯を終えることがほとんどだとも言われているが。

 そうであった場合にはスキルが無くても慣れた武器で戦うほうが効率がいいから――あるいは、その慣れをスキルと勘違いして、その武器を使い続けるってことになる。


 わりと、自信過剰のダルトさんは、大剣と片手剣のスキルがあると思い込んでるんだろうな。

 まあ、そうでもないとやってられないというところもあるのだろう。


「俺はもう大丈夫だって言ったんだけどな?

 今回は間違いなくスキルレベルが上がったって感覚がよお、今までとは違うのよ!」


「だから、それは何度も聞いた。結局大剣にしろ、片手剣にしろ買いなおすことになっただろう?」


「いや、まあそれはそうだが……」


 言われてダルトさんは、気まずそうに言い澱んだ。


 とはいえ、アホの一念岩をも通すというか。スキルレベル1ぐらいじゃ実際に岩は砕けないだろうけど。

 今回は、ダルトさんが正しい。確かにレベル1とはいえスキルを手に入れているんだから。

 といっても、5000シドルはするとも言われている鑑定料をこの人達が払えるとも思わないから本人達には確認のしようがない。

 実際にダンジョンで魔物と戦ってみないと――、それも数をこなしてみないとスキルが手に入ったかどうかはわからないことだ。

 俺にはわかるけど黙っていることにしよう。


「じゃあ、そういうことで。300シドルでいいですね?」


 と俺は営業スマイルを浮かべる。どうせ買戻しにはこないんだし、手数料だと60シドルにしかならないが、武器屋に下取りに出せば200シドルほどの利益が出る。それだって微々たる儲けだけど、商売は積み重ねが大事なのだ。


 どうせうちに来るってことはポーションの買い置きが尽きているんだろう。

 普段は低階層でポーション無しで挑むダルトさん達でもスキルレベルが上がったというのなら色気が出る。

 上の階層を目指そうという話になっていると思う。

 だったら備えとしてポーションは持っていきたいと思うはずだ。


「相変わらず、しみったれてるなあ」


 文句を言いながらも、ダルトさんは値上げ交渉もせずに言い値を受け入れた。

 ひょっとしたら自分でも勘違いだと思っているのかもしれない。2割の手数料を取られるなら、預かり賃は安い方が得だから。

 残念だけど、ちゃんと大剣のスキルを手に入れているからこれを買い戻しに来ることはないだろう。

 あるとすれば、ちゃんと手数料の60シドル払って引き取って、改めて武器屋に売るほうが多少の上乗せがあるからそうすることもあるかもしれないが、多少の金のためにそこまで手間をかけることもなさそうだ。


「じゃあ、300シドル。確かに」


 俺は手続きを終えて銅の剣を引き取った。


 そして、商売とは別の思惑が頭に浮かぶ。

 実際にスキルを手に入れられたり、レベルが上がったという人を見るのはこれが初めてである。

 自分の体質に気が付いてから考えなくも無かったことである。

 煩悩でスキルレベルが下がるのなら、それを上げる努力はしてみてもいいんじゃないか? ということだ。


 実際にはスキルレベルなんて滅多なことじゃ上がらないという説が有力だから試そうとは思っていなかったけど。

 目の前にいるなんの変哲もない冒険者のお兄さんが実際にスキルを手に入れたのを見ると話が変わる。

 もし今後、ダルトさんが大剣のスキルを伸ばしていくのであれば。

 俺だって、失ったスキルを手に入れなおしたり、今持っているスキルを伸ばすことが出来るかも知れない。その可能性は十分にある。

 ちょっと考慮にいれておくべきかな。


 少し考え事をしてしまっていたが、ダルトさんとカーズさんはまだ店に残っていたようだった。

 エリンの様子を見ている。


「えっと……」


 どう話しかけていいかわからずに、それだけ声を掛けると、


「あのお嬢ちゃんは?」


 と、ダルトさんの方から聞いてきた。

 嘘を付く理由もないので正直に説明する。昨日真っ黒な恰好の客が質入れしたということと奴隷であるということだ。ついでに、エリンは言葉が上手く喋れないということも言って置いた。

 するとカーズさんのほうが、


「ひょっとすると、そいつは昨日ギルドで見た奴かもな」


 と呟く。ダルトさんも、


「ああ、確かに居たな。エコーの滴の在庫がねえか? なんて場違いなことを聞いてる奴が」


「エコーの滴?」


 と俺は聞き返す。


「ああ、なんでも通常は魔法を封じられた魔法使いのための回復薬なんだがな。

 あの嬢ちゃんみたいな症状にも効くかもしれない」


「それって貴重なアイテムなんですか?」


「まあ、滅多な事ではお目に掛かれないさ。何しろ、ナムバールの迷宮じゃあ20階のボスのレアドロップだと言われているからな」


「20階ですか……」


 それを聞いて気が遠くなる。


「他のダンジョンだともっと深い階層だって話だから、まああるとしたらここが一番可能性が高いかもしれないが」


 カーズさんが捕捉した。

 だがそれは気休めにはならない。


 うちに来る客はダンジョンの探索で生業を立てているとはいえ、おそらく1~2の低階層、よくて3階層めまでだろう。

 4階層を目指そうとすれば、バランスの良いパーティを組んで挑むか、スキルの力が必要になると言われている。

 さらに7階層以上となるとそれ以上の力。

 10階層にはボスが居るから、それを突破するとなると……。

 目当てはもっと上。20ともなると、街を上げて犠牲を覚悟で腕の立つ冒険者を集めないととてもじゃないが、到達すらできない。


 数年に一回はダンジョンの成長を見極めるために調査隊が組織されるが、ナムバールの迷宮は、ちょっと前に調査されたところだ。

 たしか今は、30階層までは成長していないということだった。

 一階層増えるのに数年はかかると言われているから、しばらくは調査隊も組織されないだろう。

 

 エリンの症状が良くなるなら手に入れてやりたいが……。


「まさかあの人、一人で20階を目指してダンジョンに入ったりは?」


 そうだとしたら無茶すぎる。どれだけ腕に自信があるかわからないが死ににいくようなものだ。


「それはねえだろ? さすがに奴隷のためにそこまでする奴はいねえだろうし」


 ダルトさんはそういうが、気休めのように聞こえた。

 エリンの魔法のスキルは鑑定をしていたのなら知っていることだ。

 単に奴隷として扱うのだとしても、エリンが魔法を使えるようになればかなりの戦力にもなるし。売り払うとしても価値は上がる。

 なにより、実際にエコーの滴を探していたんなら……。


「気になるようなら聞いておいてやるよ」


 言い残してダルトさんは、店を出て行った。


 ふと見ると、エリンが心細そうに俺を見つめていた。

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