三度目の正直

「もう一度だ! もう一度同じタイミングに戻って……いや駄目だ、それでは成績アップに繋がらない! しかし……」

「えぇ。あの時、中学生の御自分にアドバイスをしていなければ、貴方は一生涯をフリーターとして過ごすところでしたよ」

 しかし、愛する妻が居ないのでは生き甲斐を失ってしまう。それでは如何に裕福な暮らしになろうとも絶対に満足できない! と、崇は断言していた。

「こんな事になるなら、元の通りに情報処理の専門学校からあの会社に入り、倒産した後に職安で新たな仕事を探す方が良い! つまり、高3の夏に入院中の俺にアドバイスしに行った俺を止めれば、あの過去は無かった事になる! そうだろ!?」

「駄目です。貴方は最初の介入で建築を目指すよう過去を修正しました。その時点で、既に情報処理専門学校に進学すると云うシナリオは、貴方の人生から消滅しているのです」

 何だと!? と、崇は目を見張る。

「更に申せば、2度目のタイムトラベルを行ったあの時、既に将来は建築士を目指すようになっていたのです」

「何故だ!? あの頃の俺は、まだ何の目標も持っちゃいなかった! 出会った時の印象も、昔の俺そのままだったぞ!?」

「……分かりませんか? 先程も申し上げた通り、貴方は既に最初のトラベルでご自身にアドバイスを加えて、未来を変えた。その時点から過去に戻ったら、それは『建築士を目指す貴方の』過去でしかないのです」

 その言に、崇は驚いた。つまり、過去の自分に対し影響を与えて未来を変えれば、それ以前の人生も変動していると云う事になるからだ。そして更に占い師は語った。自分自身だけでなく、この世に存在する全てのものが、その余波で運命を変えられてしまうのだ、と。

「俺だけじゃなく、全ての運命が変わる……だと!?」

「人間だけではありません。犬も猫も、鳥も……所持する無機物でさえも、変わってしまうのです」

 崇は絶句した。そう言えば、タイムトラベルから戻る度に装いが変わり、今回に至っては住む家すら変わっている。つまり、本来であれば他の誰かが手にしていたであろうモノを、崇が持っている事になるのだ。自分自身のみならず、周囲のもの全てがその運命を変えられてしまうとなると、これはいよいよ迂闊な真似は出来ない。

「……ちょっと、考えさせてくれ……」

「ええ、ごゆっくり」

 前振りも無く明かされた現実に、崇は深く頭を垂れ、暫し思考の闇に落ちた。然もありなん、より良い結果を求める度に状況は悪くなり、しかも修正は不可能だと云うのだ。落ち込むなと云う方が無理であろう。が、しかし……

「訊ねるが……書き換えた過去を『無かった事に』するのは無理でも、『上書きする』事は出来るんだよな?」

「可能です。しかし、良いのですか? 先刻も申し上げた通り、影響を受けるのは貴方一人では無いのですよ?」

「構わん! どうせ今見えている現実とて、過去を捻じ曲げた結果に過ぎんのだ! なら、納得のいく結果になるまで何度でも繰り返してやるさ!」

 占い師にとって、崇の出した結論は読み通りだったのだろう。真顔でとんでもない事を口走る彼を目の前にしてもなお、冷静に応対していた。

「私は構いませんが……本当に良いんですね?」

「くどい! さぁ、教えてくれ! 俺が高校に願書を出したのが、いつなのかを!」

 やれやれ……と云う表情を腹の中に隠して、占い師は慣れた手つきでタイムトラベルの準備を進めた。

 崇にとって、3度目のタイムトラベル。座して待ち構える彼の頬に、一筋の汗が伝う。かなり緊張しているようだ。

(何を考えているかは、大体わかりますけど……そう上手く行きますかね? それに……貴方は最後のチャンスを、自ら……)

 占い師は腹の底でそう思いつつも、何時ものようにまじないを掛け、崇を過去へと送り出した。


***


 気が付くと、崇は名門大学付属高校の門前に立っていた。

「……占い師の情報が確かなら……今日、もう間もなく! 奴は此処に現れる!」

 そう、今日は中学3年になった過去の崇が、入学願書を提出しにこの学校へ訪れる日である。学校によってまちまちではあるが、凡そは秋頃から年頭に掛けて、2~3箇月に亘って願書の受付期間を設けるものだ。

 その長いスパンの中から、特定の一日を割り出すのは崇には不可能だ。幾ら記憶力に自信があっても、自分が何月何日に何をしたかまで詳細に覚えている人はまず居ないだろう。それがイベントデーなどの、特別な日なら話は別だが。

 と、そんな事を考えている間に、現れた。見覚えのある、その人物が。

「やぁ、暫くぶりだね。私を覚えているかな?」

「え? ……あぁ、あの時の。はて、一体どうなさったんです? ちゃんと成績が上がったかどうか、心配になって見に来たんですか?」

 どうやら、先日邂逅した時の事を、目の前の彼は覚えているようだ。つまり、いま崇が見ている時系列は、あの時の時系列と同一のものであるという事になる。

「いや、それはもう確認済みさ。この身なりを見れば分かるだろう? あの時とは違うんだ、未来は変わったのさ」

「なら、何の用です? 幸福になった未来からまたやって来たと云う事は、まだ何か注文があるのでしょう?」

 流石に、頭の切れが以前とは違う。心なしか、顔つきも精悍になっているようだ。これだけ物分かりが良ければ、今から自分が話す事を必ず理解してくれる……崇はそう信じて、言葉を紡ぎ始めた。

「確かに私は出世をして、立派な社会的地位も手に入れた……しかし、代わりに大事なものを得る機会を失ったのだ」

「大事なもの? 何ですか、それは?」

「妻との出会いだ。それを失ったが為に、私は47にもなって未だ独身なのだ」

 と、洗いざらいを吐露した崇を見て、過去の彼は指先で眼鏡の位置を直しながら、フンと鼻息を一つ。そして、言い放った。

 何を言い出すかと思えば――と。

「くだらない。だからどうしたと云うんです? 僕は女などに興味は無いし、自分の稼いだお金で誰かを養うなど、真っ平御免被りますよ」

「なッ……く、くだらない、だって!? 家庭を持つ事が、どんなに素晴らしい事か……君は分かっていないのか!?」

 そんな筈は無い! と、崇は過去の自分の両肩を掴み、焦燥の色を隠そうともせずに熱弁を振るった。が、眼前の彼は至って涼しい顔のままだ。それどころか、崇を嘲るかのような目線を向けている。

「情けない。本当に貴方は、未来の僕なのですか? 僕は女にうつつを抜かし、敗者になるような愚か者ではありませんよ」

「何を言うんだ! 彼女に出会えずに終える人生など、在り得ない! 君こそ本当に私なのか!?」

 その狼狽ぶりに、本気で呆れたのか。過去の彼は両肩に置かれた手を振り払い、僕にはくだらぬ与太話に付き合っている暇は無い、と崇を斬って捨てた。

(馬鹿な……あの冷徹極まりない、ロボットのような男が……俺だと!? 在り得ない! これは何かの間違いだ!)

 頭を抱え、ガクッと膝を折る崇を、周囲の学生たちが『何事だ?』と云った目線で流し見しながら、通り過ぎて行った。が、崇に声を掛ける者は誰一人として居なかった。


***


 街路樹の銀杏並木が、晩秋の街を彩っていた。が、今の崇には、それに感動している余裕など在りはしなかった。

(おかしい……何か変だ。俺は、さっきの彼が成長した結果の姿の筈だろう? なのに何故、ああも考え方が違うんだ?)

 少なくとも、本来の時間軸を辿った崇は、あのように冷徹な思考は持っていなかった。人並みに恋をして、青春を謳歌した、ごく普通の青年であった筈だ。だからこそ妻を娶り、家庭を持つ事も出来たのだ。


 ……が、暫く考え込むうちに、崇は激しい違和感を覚えた。

 何故、自分は『名門校で授業を受けた』記憶を持っていないのか?

 そもそも、元の時間軸に戻った時に、自分自身の状態を理解していないのはどうしてなのか?

 先程の青年が成長し、大人になったのが自分であるのは確かなようだ。本来の、崇本人が持っている記憶通りの経歴を辿れば、今の地位は到底得られなかったであろうから。


 だが、しかし。崇はその地位に昇り詰めるまでのプロセスを『占い師から聞いて』知識として持っているに過ぎないのだ。


 何かがおかしい……本当に自分の人生は、世界の情勢は塗り替えられているのか?

 仮にそうだとしたら、今に至るまでのプロセスが記憶に無く、塗り替える前の記憶を保持し、更にタイムトラベルをした軌跡も覚えているのは何故なのか?


 それを知る者は、ただ一人だけ……そう、あの占い師だ。

 崇はその種明かしを求める為、急ぎ本来の時間軸へ戻ろうと考えた。

 そして案の定、その意思の通りに彼はフッと姿を消し、タイムトンネルの中を潜り抜けて行った。

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