記憶のままに

「どうなっているんだ、これは!」

 崇は占い師に向かって、思わず怒鳴り声を上げていた。然もありなん、窮地からの脱出を願って冒険をしたのに、状況は改善されるどころか、逆に悪くなっているように見えたのだから、怒鳴りたくもなるだろう。

「まぁ、落ち着いて……貴方が望んだ通り、昔の自分に会って、間違いを指摘して来たのでしょう? なら、目的は達成できたじゃないですか」

「確かに過去の俺には会った、アドバイスもした! だが、このザマは何だ! 薄汚いシャツにボロボロのズボン、上着だってペラペラじゃないか! とてもじゃないが、状況が良くなったようには見えん!」

 そこまでは保証できませんよ……とでも言いたかったのだろう。占い師は頬杖をついたまま、苦笑いを浮かべていた――尤も、フードに隠れてその顔は隠されていたが。

「だから、落ち着いてください。身なりが悪く見えても、実は豊かな暮らしになっているかも知れないではないですか。ほら、そこに掛けて……取り敢えず現状を見てみましょう」

 怒り心頭のまま、言われるがままに椅子に腰かけた崇の前に、占い師が両の手をかざす。すると、その掌の間に何やら映像が出て来た。原理は分からないが、とにかく崇が辿った行程を映し出すものらしい。それを見ていると、色々な事が明らかになって来た。


 まず、崇は退院後、考えていた情報処理専門学校への進学を取り止めたようだ。これは思惑通りである。

 では、どういう進路を選んだのだろう……と気になったところで、占い師が次の場面を映し出した。どうやら建築士を目指す為に、製図の専門学校に入学するつもりになったらしい。

 ふむ、ふむ……と映像に見入る崇であったが、2年時の夏に異変があった事に気付いた。

「そうだ、就職先が……あの会社には情報処理の専門学校を経て入社したから、それも無かった事になるんだ!」

「そのようですね。ですが、どうせ倒産してしまう会社でしょう? なら、入社しない方が正解なのでは?」

 それもそうか……と、唸りながらも崇は再び映像に目をやり、行く末を観察した。すると……

 秋ごろに漸く小さな設計事務所に就職が決まり、卒業後はそこに通う事になった。4月・5月と時は過ぎ、ドラフターを前に頑張る崇ではあったが、腕前の方は今一つだったようだ。やがて秋ごろになると、彼は三下り半を渡された。退職勧告である。

 その後、崇は幾つかの建築事務所を点々としたが、何処に行っても結果は同じ。数カ月で見限られ、捨てられてしまっていた。


 やがて彼は『既存のやり方では俺に合っていないんだ、なら自分で新しいやり方を開拓すればいい!』と、なけなしの蓄えをはたいて独立開業。何と自分で起業してしまったのだ。

 だがしかし、時は平成不況の真っ只中。新参で実績も無い零細企業を信頼して仕事を任せてくれるお人好しなど、居る筈が無かった。その結果、程なくして会社は倒産。負債を全く残さずにフェードアウトできた事だけが不幸中の幸いだった。


「な、何だこれは……倒産した後、食い扶持を稼ぐためにアルバイトを転々と!? それでこの格好か! これなら、さっきの方がまだマシだったぞ!」

「そう言われても困りますよ。私がそう仕向けた訳では無いのですから」

 占い師の言に、崇は言葉に詰まり、何が言いたげな表情を作った。だが、占い師の言の方が正しいので二の句が継げない。

 そこですかさず、占い師の話術が再開された。

「結果にご不満があるのでしたら……再度チャレンジしてみますか? 今度はもっと、根本的な部分から」

「根本的に……?」

「そもそも、高校卒業後の進路に選択の余地が無かった事が失敗の原因だと私は思いますね。やり直す前も、そして今も、専門学校を選択したが故に就職で失敗しているじゃないですか」

 そうか! と、崇は手を叩いた。成る程、あの時に進路に詰まったのは、大学に進学できる程のアタマが無かったからだ! と結論付けたらしい。ならば高校選びの段階……いや、もっと前。勉強嫌いが顕著になった中学1年の頃に考えを改めていれば、劇的に結果は変わる筈だと考えたようだ。


「いいですか? さっきと手順は一緒です。戻りたい時代をイメージして……出来れば場所も、ハッキリと」

「ん……12歳の頃として、35年前の春か。っと、さっきは夏場に出ちまって、失敗したからな。コートは置いていくか」

 賢明ですね……と、占い師が笑顔を作る。そして時代と場所をイメージする為に、崇は意識を集中させて瞑目した。

「宜しいですね? では、3・2・1……ゼロ!」

「……!!」


 刹那、崇の姿は占い師の目の前から消えた。

 まっすぐ前に向けて付き出す格好になっていた腕と、その指先を見ながら……占い師は小さく呟いた。

『これで2度目……そろそろ気付かないと拙い事になりますよ』と。


***


 先刻と全く同じで、崇の視界は白い靄のようなもので覆われていた。それはまるで、舞台装置を入れ替える様を覆い隠す為の緞帳のようでもあった。

 次の瞬間、ハッと目を開くと、そこは児童公園のベンチの上で、崇はそこに腰掛けた状態だった。

「よし、イメージ通りだ」

 それはある意味、保険のようなものだったのかも知れない。無意識にではあるが、崇は立位のまま登場して、万が一通行人にでも出くわしたら面倒な事になるからな、と考えたようだ。人気のない、ちょっと寂しげな雰囲気の小さな児童公園。此処から崇の実家までは、数分の距離である。

「……っと、ノスタルジーに浸ってる場合じゃ無いな。今は一体、何時なんだ?」

 時期や場所はイメージできても、時刻まで正確に指定できる訳では無さそうだったし、自分でイメージした訳でも無いので、時刻が分からない。これは前回も同様の失敗をしているのに、改善されなかった反省点だった。

「16時? ありえないだろ、この日の高さで……クソッ、腕時計は役に立たないか」

 明らかに異なる時刻を指している時計に悪態を吐き、崇はキョロキョロと周囲を見回した。確か通りに出たところに、出来たばかりのコンビニ店がある筈なのだ。

 やはりと云うか、思った通りの場所にその店はあった。真新しい看板に、ピカピカの床。まさに、崇の記憶の通りであった。そして店内に入ると、彼はまず壁掛け時計に目をやり、現在の時刻を確認した。

(14時前、か。まだ帰ってはいないな? 仕方ない、弁当でも食べながら時間を潰すか)

 温蔵ケースから、出来合いの海苔弁を一つ手に取ると、崇はレジカウンターで待ち構える店員にそれを手渡した。スキャナーを使わない、手打ち式のレジが懐かしい。

「380円になります」

「はいよ……っと」

 と、崇は財布から千円札を取り出して店員に手渡した、のだが……

「お客さん、何ですかコレは」

「え? ……あ、あぁ、失礼! それはオモチャですよ、子供とお店ごっこをやっていてね。それを財布に入れたままだった」

 ……とか何とか。代金を硬貨で支払って、何とかその場は誤魔化せたようだが、冷や汗ものであった。何しろ、崇がいま居るのは、1981年。昭和56年だ。この時代、千円札の肖像画は伊藤博文だったのだ。野口英世の顔が印刷された青い札を出されても、受け容れては貰えないだろう。いや、下手をすれば偽造紙幣の使用で警察沙汰である。

 振り向けば、まだ店員は此方を窺っている。やはり偽造紙幣の所持を疑っているのだろうか、それとも崇の『春なのに冬物』と云う格好に違和感を覚えたのか。ともあれ、長居は無用と判断したのだろう。崇は足早に店の前を離れ、先刻の児童公園へと舞い戻った。


***


「あれから2時間……今がだいたい16時ぐらいだろう。部活はやっていないから、そろそろ帰って来る筈だな」

 ゴミ箱から拾った新聞を読みながら時間を潰していた崇が、腕時計に目を落として時刻を確認する。見れば陽も傾き始め、空は暗くなり始めていた。

 足早に歩を進め、目的地である公団住宅へと急ぐ。未だ再塗装工事が行われる前で、灰色のコンクリートが剥き出しの状態だ。間違いなく、彼の目指したタイミングである。

「俺が高校に上がる頃に、この棟が塗り直されたからな……っと、急げ急げ!」

 何しろ、いつ呼び戻されるかも分からないのだ。前回は用件を済ませた直後に元の時代へ戻ったので、或いは崇が『よし』と思うまで、時間は無制限なのかも知れない。しかし、万が一という事もある。ならば急ぐのが賢明と云うものだ。


「……あの時のままだ……って、当たり前か。俺の方が戻って来てる訳だしな」

 ドアの前で、咳払いを一つ。そして気合いを入れ直すと、崇は思い切って呼び鈴のボタンを押した。

「はぁい、どちら様ですか?」

「……そうか、この頃は眼鏡を掛けていたんだっけな……」

 怪訝そうに自分を見詰めるその顔は、間違いなく12歳の頃の崇だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る