第8話

「見つけたわ……」

 彼女が声を潜めていった。

 先程のやり取りの後は恥ずかしかったのか、会話どころか、目も合わせてくれなかった彼女が見ていた先には『魔物』。

 相当大きい。高い樹とそう変わらないほどの大きさ。十メートルといったところか。今まで戦ってきたものの中でも最大級だった。形態は熊に近い。当然のごとく、爪と牙は鋭く、鈍い光沢を放つ刀か何かにさえ見えた。また、通常の熊にはない「角」のようなものも見えた。頭部に一つ。両肩に一つずつ。両腕の肘に当たる部分にさらに一つずつ。合計五本。『五本角』だ。経験上、『魔物』には、モデルとなっていると思われる生物には、ついていない部位に角があるものが多い。さらに角の数が多ければ多いほど強い。僕が知る限り、今まで彼女が倒した『魔物』でもっとも角の数が多かったのは四本。猪のような姿だった。その時は戦闘場所が線路の近くだったのでなんとか上手く誘導し、電車に轢かせて何とか勝った。あのときは地の利があった。今度はそうはいかない。しかもあのときより一本角が多いのだ。まずいかもしれない。

 彼女の表情にも険しさが見られた。

 幸い『魔物』はまだこちらに気がついていないようだ。不意をついて一撃を与えられれば勝機はある。

「背後から一撃で倒す。貴方はバックアップのために正面側に隠れていて」

 僕らが今隠れている位置は『魔物』の向きから見て右側。『魔物』は今、樹の上に餌でもあるのだろうか。樹にしがみついていた。こちらからアクションを起こさなければしばらくは動かないだろう。

 僕は気付かれないよう慎重に『魔物』の正面側に回る。その間に彼女は『魔物』の背後をとる。

 作戦はこうだ。まず背面から彼女が『退魔武器』にした包丁で一撃を与える。それで倒せればよし。もし駄目でも、その一撃に反応し、振り返った『魔物』は今度は正面側に隠れている僕に背を向ける。僕はまだ『退魔武器』を作れない。大したダメージは与えられないだろうが、一瞬気を引くことくらいはできる。そうやって挟み討ちにし、『魔物』を撹乱すれば彼女ができる攻撃回数も自然と増える。僕の攻撃はあくまで囮。一回でも多く彼女に攻撃のターンを回す。

 作戦ポイントに潜伏する。まだ『魔物』の注意は頭上に行っている。今なら不意打ちが成功する。流れるようにしなやかな彼女の一撃を見て、僕は飛び出す。

 恐怖を感じた。しかし、逃げるわけにはいかない。僕は彼女の隣に立つ。ただそれだけの思いが僕に微かな勇気の灯をともす。




 彼女の行動にミスはなかったはずだった。打ち合わせ通り彼女は先制攻撃に成功した。その後の記憶は判然としない。僕は打ち合わせ通りに行動できたのだろうか。ただ一つ言えることは作戦は失敗したという事。

 僕は地面に横たわっていた。

 僕は気絶していたのだ。状況認識の後、身体中に激痛が走る。自分の状態がよくわからない。だが、痛みは通常考えられるレベルを越えている。まずい状態であるのは間違いない。

 それよりも彼女だ。どっちにしても僕が倒れている以上、彼女が『魔物』を倒せていなければ、生存の芽はない。

彼女は血まみれで、一人、『魔物』と相対していた。

見るも無残な姿だった。服は千切れ、赤く染まっている。もともとの色より赤い面積の方が大きい。それだけの大量出血なのだ。武器である包丁を握っていたから武器を失うという最悪の状況だけは避けられているようだ。

対する『魔物』も無傷ではない。五本の角の内、既に四本が切り落とされている。角が減れば『魔物』は弱体化する。他にも彼女に斬られたのであろう無数の跡が見える。

状況はまずい。しかし、やれない相手ではない。

ここで僕がとるべき行動は何だろうか。このまま伏せっている方がいいかもしれない。立ち上がる気力もないが、仮に立ち上がったとしても彼女の足を引っ張るだけだ。

情けない……。僕が一度でも彼女の役に立った事があっただろうか。いつも助けられてばかりだ。僕如きがこの世界で唯一正しい彼女の隣に立つ資格など、初めからありはしなかったのだ。僕はこんな風に地面に這いつくばっているのがお似合いだ。

僕がそんな風に考え、意識が再び闇の中に消えようとした一瞬のことだった。

落ちかけた僕の視界に映ったもの。

彼女に降り下ろされる『魔物』の爪。

あれは避けられない。

どうやったのかはわからない。火事場の馬鹿力と言うやつは本当にあったようだ。

僕は彼女を突き飛ばすようにして『魔物』と彼女の間に飛び込んでいた。こんな動きができるなんてな、もしかしたらこれは夢なのかもしれない。

それとも、やっと僕も役に立てただろうか。

「させない」

 彼女の小さくも力強い言葉が僕の耳朶を打ち、今度こそ僕は完全に意識を失った。

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