第7話

『魔物』の気配を追う彼女に従い、僕らは山を登っていた。それなりに険しい山道だ。こんな遅い時間に登るには少し危険かもしれない。麓の近辺は舗装されていたが、少し登ると申し訳程度のけもの道しかなくなった。

「気配は近いようだけれど……わからないわ」

 正確な位置までは彼女もまだ掴めていないようだ。

 鬱蒼とした木々が開けてきた。切り立った崖の上に僕らは辿り着いていた。ここから町並みが見下ろせる。山の付近には水を抜かれた田んぼが見えた、その奥に見えるのは果樹園だろうか。その向こう側にはそこそこ新しい住宅街が広がっていた。きっとここ数年でできたものだろう。コンクリート造りの家屋。もう少し遠くに目をやれば、駅が見えた。周辺には大きなマンションと思われる建物。他にもコンビニやスーパー、書店が見える。あのあたりがこの町の中心地なのだろうと察せられた。その向こう側にやや大きめの幹線道路。工事現場のようなものが見える。まだこの道は伸びていくのだろうか。

 小さな町だった。でもきっとこれから少しずつ大きくなって行くのだろう。成長しているのだ。

 この町には未来がある。そう思えた。

 でもこの世界は狂っている。『魔物』が居る。壊れてしまっているんだ。彼女がいなければきっとこの町は滅んでしまっていただろう。僕らと似たような事をしている人間がどこかには居るんじゃないかと僕は思っている。同業者とでも言えばいいのだろうか。そんな人がどこかには居なければ、この世界は『魔物』にとっくに喰らいつくされていると思うからだ。彼女が退治できる『魔物』は月に二、三体がせいぜいだ。僕達が不在の町ではどうなっているんだと考えれば、同業者の存在は十分考えられることだった。もちろん、『魔物』に喰われた人間は僕達にも認識できない。だから、僕達が居ない町は本当に『魔物』が野放しになっているけれど、誰も気付いていないだけかもしれない。

 でももし同業者が居るとしても、会いたくないと思っている自分が居た。初めて出会ったとき、彼女は言っていた。自分以外に『魔物』を認識できる人間は初めてだと。それを嬉しく思っている自分も居た。彼女と僕は壊れてしまったこの世界の中で特別な存在なんだ。

 他の誰でもない僕達二人が特別なのだ。

 彼女は正しい。

 それ以外のものは間違っている。

 そう考えられるはっきりとした理由なんてなかった。

 でも他ならぬ彼女がそう言っていた。僕にはそれで十分だった。

 君たち読者には納得できないかもしれない。でも、ここまで来たらこの物語を最後まで読み進めてほしい。そうすれば納得できるかもしれない。もちろん、断言はできない。読み終えた後に「時間の無駄だった」と思う人もいるだろう。与太話だと笑う人もいるだろう。でも、正しい彼女に触れて世界の間違いを認識できる読者が一人でも居ることを願ってやまない。

 話を戻そう。僕はこのとき、こんな風な物思いにふけっていたのだ。世界中で彼女と他ならぬ僕だけが特別だという事実。僕は彼女に近づける権利を持っている。他にそんな権利を持つものが現れてほしくないと思っていたのだ。彼女の孤独を救えるのは自分だけだと思いたかった。彼女の笑顔を作れるのは僕だけなのだ、と。

最終的にはこうして物語を流布することで彼女の正しさをわかって欲しいと思うようになるのだけれど。それについては後に語ろう。

 僕達はいつしか岩の上に腰を下ろして、町並みを見下ろしていた。闇があたりを包んでいたが、季節は春。それほど寒くはない。それに野宿は慣れている。

そのまましばらくの間、僕らは物思いにふけった。

そして、彼女が不意に呟いた。

「似ているわ……」

 僕は彼女の方を見た。

――何が?

「私が住んでいた町と……」

 彼女が自分の事を語りだすのは初めてのことだった。

 僕は今まで彼女の過去に踏み込むことを恐れていた。余計な詮索することで彼女に拒まれるのが怖かったのだ。記憶がない僕にとっては彼女が全てだった。彼女という道しるべを失うことを恐れた。そしてまた、過去を持たない僕が人の過去に立ちいっていいのかという躊躇いもあった。

「私が住んでいたのもこんな大きくなろうと足掻いている小さな田舎町だったわ……」

 呟く彼女の横顔には愁いのようなものが見えた。それは郷愁だったのだろうか。そんな彼女も、また美しかった。

「私が住んでいたのはもっと北にある町。こんな風に新興住宅が並んだ町並みだった。私はそんな町で生まれたわ。別に特別な事は何もなかった。ごく普通の家庭よ。家が神社とかだったらこの力も納得がいったのかもしれないけど」

 どこか自嘲的に彼女は言った。

「中学に上がるくらいまで私はごく普通に過ごした。『魔物』なんて見ずにね。初めて『魔物』の存在に気がついたのは中学二年のとき。猫みたいな『魔物』だった。突然そうなった理由に心当たりはないわ。でも確かにその日、認識できるようになったの。だから、当然家族や周囲の人間にそう伝えたわ。あの猫は化け物だ、って。でも誰も信じなかった。無理もない。普通の人間にはただの猫にしか見えないんだもの。だから、私が退治しなきゃ、って思った。最初は逃げられたわ。でも、何度か戦闘を繰り返すうちに『魔力』の練り方がわかってきたの。『退魔武器』を作れるようになって初めて『魔物』を仕留められたわ。本当に苦労したもの……」

 彼女の表情はやはり寂しげだった。この先語ることも想像がつく。

「私はみんなに言ってやったの。『魔物』を退治したわ、って。周りの人間から返ってきた反応、予想がつくでしょう? あいつら私の方を化け物扱いしたわ。『猫を殺すだなんて』ってね。普通の人間には普通の猫にしか見えていないし仕方がないけれど。誰も、家族でさえも私の話を信じてくれる人は居なかった。私は町を飛び出した……」

 僕は彼女を告発した人間の認識を改めさせるためだけに筆をとる。彼らは自分が何をしているのかわかっていないだけだ。それはわかる。僕だって『魔物』を見る力がなければ彼らと同じ立場になっていたかもしれない。彼らを責めることはできない。だからせめてこの物語を読み進める君たちだけでも彼女の正しさをわかってほしい。間違っているのは正しさの全てを彼女に強いる世界の方なのだと。

「それからはずっと旅を続けたわ……。正直、どうして自分がこんな真似をしなくちゃいけないのかと思ったことも一度や二度ではないわ。でも確かなのは、私がやらなかった世界はいつか滅びるという事」

 彼女は長い髪を手でかきあげながら、僕の方を見た。

「卑怯だと思わない? この世界。狂った世界を保つ役目を全部私に押し付けたのよ」

 彼女の顔に張り付いていたのは笑みだった。しかし、同時に今にも泣き出しそうにも見えた。僕が彼女にしてほしい表情はこんな悲しい笑顔じゃない。どんな時でも楽しそうに笑っていて欲しいのだ。「笑っていて欲しい」。月並みな言葉かもしれない。もしかしたらそう願う自分に酔ってるのかもしれない。それでも、この瞬間に感じていた気持ちは真実だった。

――僕が居るじゃない。

「え?」

 彼女は瞳に戸惑いを滲ませた。

――その役目を僕も一緒に背負えるように強くなるから。

 紛れもない本心で僕は言った。

――僕は君が好きだから。

 そして、気持ちは言葉として自然に毀れ落ちた。

 彼女は呆気にとられた表情を見せ、すぐに顔を伏せた。長い髪に覆われ彼女の表情は見えなかった。

「ばか……」

――思わず、本心が。

「……わかってるわよ。そんなこと」

 そう言う彼女の顔を下から覗き込む。真っ赤だった。赤くなるのはこっちだと思うんだけど。思わず自分の気持ちを口にしてしまったのだけれど、羞恥の感情は起こらなかった。

 初めて彼女に出会ったときに生まれたこの温かな気持ち。それを僕はただの恋なんかじゃないと思っていた。それを何か高尚で厳めしいものとして見ようとしていた。でも、そんな難しいものじゃなかったんだ。

 僕は彼女の一番近くに居たい。

 隣を歩きたい。

「私も一緒よ……」

――え?

「これ以上言わせないで頂戴」

 彼女は立ち上がり、僕に背を向けて歩き出した。心なしか肩を怒らせている。

――待ってよ、どういう意味?

「そのままの意味よ、ばか」

 それだけ言い捨てて彼女は深い森の中に入って行ってしまった。

 僕は歓喜の念が溢れることを禁じ得なかった。さっきの言葉は、きっとそういうことだろう。そうさ、僕達の気持ちは一つだったのだ。

――ふふ。

 笑みが毀れる。僕はこの瞬間、狂った世界に感謝した。僕に彼女の隣を歩く権利を与えてくれてありがとう、と。

 僕は彼女の背中を追った。そして、隣を歩く。僕はもう彼女の隣に居ることができる。

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