私の好きな彼女のところへ
跳躍。
跳躍。
大跳躍。
ふらむは観夜をかかえたまま、風のように屋根の上を跳び継いで行く。
抱えられたままの観夜は最初は悲鳴をあげていたが、すぐに静かになった。
二分ほど屋根の上を跳んだあと、付近を見渡せる三階建てアパートの上で、ふらむは足を止める。
大体のあたりをつけて跳んで来たが、まだ水美の家がどこかはわからない。抱えている観夜にたずねる。
「水美さんの家は?」
「…………」
返事がない。ふらむは抱えていた観夜を見た。彼女は体を必死に丸めて顔を両手で覆い、ぶるぶると震えている。これでは話が聞けないので、ふらむは一度、観夜を屋根の上に降ろすことにした。
まだ観夜はがたがたと震えているので、観夜の顔を覆う両手を無理矢理開き、顔に手を当て、ぐいっと上向かせる。観夜は顔をぎゅっと強張らせ、目を固くつぶっていた。
哀れな観夜の様子を無視して、ふらむは観夜の頬を左右に軽くひっぱる。これまでにない刺激に観夜は思わず目を開けた。
「大丈夫? 水美さんの家がどこか教えてほしいのだけど」
「……あ、あ」
「水美さんの家はここからどう行けばいいのか答えて」
「えっと、た、たぶん……」
観夜がうつろな目で周囲を見回す。
その緩慢とした様子にふらむは焦れる。しかし急かしたところで観夜はおびえるだけなのもわかっているので、じっと我慢をする。
ふらむはクールに動転していて気づいていなかったが、当然ながら屋根の上から友人の家を探すのは観夜にとっては初めての経験で、すぐには自分の位置を把握できなかった。
「あ、あれ……あの二階建ての……」
それでも観夜が水美の家をすぐに見つけたのは、偶然にも二人の正面、家を二つほど挟んだ道路に面した位置に水美の家があったからだ。愛の力であろうか。
ふらむはうなずくと、観夜を抱きかかえて一気に大きく跳んだ。
放物線を描いて、二人の制服女子が赤い屋根の家へと近づいていく。
そのまま屋根に着地……するのではなく、直接に二階の窓へ飛び込む軌道を描いていることに気づいた観夜が悲鳴を上げる前に、ふらむは空中で飛び蹴りの姿勢をとっている。
ふらむのキックが、窓ガラスを砕いた。
「きゃあああああ!」
窓ガラスを割った瞬間に、ふらむは蹴り足を軸に身体を空中で高速スピンさせ、ガラスを弾き飛ばす。そのまま足先を床に触れさせ、衝撃を吸収して着地。観夜の体重からかかるエネルギーをふわりと受け流して立ち上がる。
ふらむは観夜を抱きかかえたまま、傷ひとつなく部屋の中に侵入した。
ひどく強引な入室の中で、観夜は奇妙なまでに自分の身体に力がかからなかったことに、ひどくとまどっている。
「……なに、なんで」
「観夜さん、ありがとう」
驚きすぎて何を言えばいいのかわからない観夜を、ふらむは床に降ろして立たせた。二人とも土足だが、緊急事態なので仕方ないとする。床はふらむが割ったガラスが散らばり、裸足では危ないのだ。
部屋の中を見回してみると、落ち着いた雰囲気の女の子部屋という印象だ。シンプルな机やベッドにいくつかのぬいぐるみが飾られている。
そのベッドの上で、こちらはぬいぐるみではなく本物の犬が、ぎょっとした顔でこちらを見ていた。
おとなしそうな短毛の小型犬だ。
主人がいない間にベッドの上で眠っていて、突然の乱入者に驚いている、といった風情である。
ふらむは迷わず、犬に話しかけた。
「私たちは、水美さんがピンチなのではないかと思って、手伝いに来たの」
犬はただ呆然としたという風に、ふらむと観夜をみつめている。
観夜もまた犬と同様に、急に抱えられたと思ったらとんでもないジャンプをして屋根から屋根へと飛び移り、終いには友人の家にガラスを蹴り破って飛び込み、犬に話しかけはじめたふらむを呆けた顔で見ている。
もしかすると、この女は最初に自分が思った意味とは違う意味で……そして、思っていたよりもずっとやばいやつなのではないか。観夜の胸に強く不安が広がり始めた。
そんな二種類の視線を気にした風もなく、というか気づいてすらいない様子でふらむは話を続ける。
「水美さんは管理官なのでしょう。観夜さんから話を聞いたわ」
観夜は、自分の発言からバレたのだとは夢にも思っていなかった。
ふらむはさらにたたみかける。
「私も観夜さんも覚悟はできてる。このコロニーを襲っている敵と戦える」
「は!?」
何を言い出したのだこの女は気でも狂ったのか、と観夜は思ったし、抗議の意味をこめて声を発しもしたのだが、ふらむは完全に無視した。
「私のことは『知っている』はず。観夜さんも友達のために戦う覚悟はできてる」
「あ、あの……」
あまりにも無視される自分の意志に、観夜の心を占める不安は絶望へと変わりつつあった。
そこまでを聞いて、犬は二人を交互に見た。
すると、犬がベッドの上から立ち上がる。そのまま下りてドアのほうへと歩いた。
ドアの脇へと座ると、ドアが勝手に開いた。見た目はごく普通の木のドアだが、見かけ通りのものではないようだった。
二人に視線を送ると、犬はそのまま部屋の外へと歩き出す。
ふらむは観夜のほうを見て、頷く。観夜は頷かれても困る。
観夜が呆然としたままなので、ふらむは声をかけた。
「ついてきて、ってことみたい。行こう」
「……あの、先輩。私、全然ついていけないんですけど。先輩の話にも、この状況にも」
「そうね。簡単に言うとこのコロニーが襲われて水美さんが苦戦しているから、私たちが助けに行くってこと」
「は?」
ふらむは歩き出そうとして、ふと気づいたように観夜のほうへと向き直って、その手をつかんだ。
そのまま観夜をひっぱって歩きはじめる。
「ちょ、ちょ、ちょ! ついていけないって言ってるのに! 説明してよ!」
「水美さんは昨日、急に飛んでいったとあなたは言った」
「それが!?」
「水美さんは実際に飛んだ……空を飛んだのでしょう」
「は? え、あ、はい」
比喩ではなく、実際に空を飛んだ。飛行機やヘリコプターに乗ったわけでも、身体に飛行するための機械を取り付けたわけでもなく、窓を開けて空を飛んだ。
その仕組みは観夜にはわからなかったが、もちろん管理官ならたやすいことだ。
「そういうことよ」
「どういうこと!?」
二人の目の前で犬が廊下を歩いて、階段を下りていく。ふらむと、引きずられる観夜もそれに続いた。
観夜の手をがっちりと掴んだまま階段を降り始めたふらむは、説明を続ける。
「本来、管理官は自分に許されている未来の技術を濫用しない」
「は、はあ」
「でも、水美さんはそれを破って飛行した、ということは、何か火急の案件が発生したということ」
「え、空を飛ぶくらいなら、普段からそこそこやってますけど」
「えっ」
「えっ」
びっくりして、ふらむは観夜のほうを振り返ってしまう。その驚いた顔は、さらに別の意味で観夜を不安にさせた。
観夜の言葉によって崩れた、ふらむの予測の大前提。
一瞬、気まずい沈黙が二人の間に流れそうになるが、少し考えて、ふらむは何も気にしないことにした。
観夜の手をつかんだまま、階段を下り始める。
「ちょっと、なんで何事もなかったかのように階段下りてるんですか!!」
「火急の案件が発生したとして、その後に何も観夜さんに連絡をしていないということは、その案件に手を取られた状態になっていると考えられる。つまり、敵との戦いが続いているのかもしれない」
「完全に妄想でしょ!!」
「妄想なら管理官の家の窓を破って突入した私たちを、小犬が案内したりはしないわ」
「それも妄想かもしれないでしょ……!!」
そう言う観夜の方を、ふらむは振り返った。いぶかしげな顔だった。
「ひょっとして、まだ気づいてない?」
「え……な、なに?」
「周り、見て」
そう言われて、観夜は周囲を見回し……驚愕した。
いつの間にかに自分とふらむは、一般的な家庭の階段ではなく、金属の壁で囲まれた階段にいる。一本道の下り階段なのに、上も下も見通せないほどに遠い。とてつもなく長い階段だった。
「空間が切り替わった瞬間は、普通の市民にはわからないようになってるのかな。階段の途中でこうなったよ」
「ここ、どこ!?」
「多分、水美さんの家の地下にある兵器庫へ続く階段。私たちが使う武器を用意してくれるんだと思う」
「わ、わたし、たち?」
「暁ふらむと、黒藤観夜」
「……」
何を言っているのかわからず、観夜は沈黙した。
すぐに黙っていたら本当にまずいことになる、と気づく。
「わ、わたしは戦いなんてできない!」
「友達が危ないのに?」
「で、できることとできないことがあるでしょ! 『外』に助けを求めるとか……」
「それはたぶん、水美さんもやっているはず。でも、応援はたぶん来ていないか、すでにやられている。具体的には私たちをここに招くくらいには余裕がない」
「……は!?」
このTOKYOコロニーが襲われているのに、応援が来ない? もしくは応援がやられる?
いや、そもそも。水美……TOKYOコロニーの管理官が自ら立ち向かって排除できないほどの敵?
そんなことがありえるのだろうか。
人類文化保存コロニーに配備された戦力の凄まじさは、小学生だって知っている。中学生である観夜はもっと知っている。ただのテロリストにどうこうできるような防御ではないはずだ。
万が一、『外』の世界がこのコロニーを脅かせるほどの軍隊で攻めてきたのだとしたら、さすがに自分たちも気づくだろう。
じゃあ、一体何がこのコロニーを攻撃している……?
「着いたみたい」
「……げ」
一瞬考え込んでしまったのが運のツキか。
気がつけば、階段の果てが見えている。その先に扉がある。横に開く金属シャッター、と言ったほうが正確か。
階段の果ては途方もなく遠かったはずだが、また空間がいじられたのだろう。
この先に自分が使う武器がある? それでコロニーを襲ったとてつもなくヤバいやつと戦う?
絶対無理だ。
「せ、先輩……マジメな話として、わたしたち中学生と高校生ですよ。何もできませんって……」
「大丈夫。24世紀くらいで既に兵士を選別し育成する段階は終わった、という説もあるくらいだから」
「は、はあ?」
「外の世界の技術は進んでるってこと」
ふらむと観夜は、階段を降り終え、シャッターの前に立つ。
「覚悟はいい?」
「よくないです」
「そう」
観夜の返事を当然のように気にすることなく、ふらむは観夜から手を離してシャッターに手をかざす。
開いた。
「あ、開いた」
実は開け方がよくわからないので、自動ドアのノリでとりあえずセンサーに手を反応させようとしたのだった。
方法が合っていたかどうかはさておき、シャッターは開いたので、ふらむは奥へと進む。
観夜はもうふらむに手を引かれてはいなかったが、諦めて何も言わずについていく。
そこにあったのは恐ろしく広大な空間だった。
「へえ」
「わ……!」
二人は、思わず感嘆の声を漏らす。
地下に存在するとは思えないほどに、天井が高い。100メートルは軽く超えているだろう。
横の空間はそれ以上だ。見通せないほどに広い。空間の果ては恐らく、キロメートル単位の向こう側にある。
しかし。
二人を感嘆させたのは、空間ではない。そこに、置かれていた……いや、待っていたものだ。
「こ、これ! スーパーロボット!?」
二本足で立つ、鋼の巨人だった。
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