次の日の、私の好きな彼女が
暁ふらむは学校に行くために、家を出た。朝の5時に。
登校時刻は8時30分までで、ふらむは普段は8時15分に到着するよう家を出ている。なのだが、そんなにタラタラした時間に家を出る気にはとてもなれなかった。
会いたい。
今すぐ会いたい。
水美にノリで告白した後にうっかり窓から飛び出した今、彼女と会ってどうするのかは未だ決まっていない。この事態に、ふらむの普段はそこそこ明晰なはずの頭脳は何ら解決策を見出すことができていない。
ただ、結局は躊躇よりも恋心が勝った。とにかく会いたい。対応とかは会ってから決めればいいし、向こうの動きも気になるし。
そんなわけで、5時に家を出た。
もちろん早く家を出れば、早く会えるというわけはない。単に気が逸って勇み足を踏み出しただけなのだが、そんなことはもちろん本人もわかっていた。
玄関を出ると、いつもとは違うやや暗い空と早朝の少し冷たい空気。なんとなく特別なことをしている気分になる。
ふらむは一度、深く深く呼吸をする。吸って…………吸って…………吐く。
よし。
ゆくぞ。
「いってきます」
小さな声でつぶやき、ふらむは学校への第一歩を踏み出した。
数分ほど歩いて思うのは、朝の街は人が少ないということだ。
まだ、ほんの数人しか人の姿を見かけていない。ふらむはそこそこ学校から近い家に住んでいるので、同じ峰真の生徒をよく見かけるのに。
少しだけ落ち着かない気分になる。勢いあまって家を出たけれど、そもそも学校は開いているのだろうか。ふらむ宅から学校までは、おおよそ15分ほどの距離だ。いつもは8時に家を出て8時15分に着くのだから、3時間も早く着いてしまう計算になる。
ふらむは、部活動をしている生徒の中には朝練と称して、早朝に学校に集まって部室や校庭でなんらかの活動をしている人がいると聞いたことがあった。それに紛れて教室に入ってしまおうと思っていたわけだけれど、そうした人が何時頃から集まっているのかは知らなかった。
(さすがに早すぎたかな……)
ちょっとだけ渋い顔をするふらむ。形の整った眉と瞳が憂いを帯びる。ただ、今はそれを見て心をざわめかせる人は誰もいない。
ふらむは黙々と道を歩く。住宅街を抜けてちらほらと商店が見え始め、もう少し進むと大きな交差点にたどりつく。いつもは大勢の生徒が信号待ちをしているが、いまはたった一人だけが横断歩道の前で止まっている。左右に車は見えないが、律儀に赤信号で止まるルールを遵守しているようだ。
その人影は、峰真学園の制服を着ていた。中等部の女子だ。
「あ」
ふらむはその姿に見覚えがあった。なんという運命だろうか。もちろんふらむがその姿を見間違えるはずもない。昨日、衝撃的な(心身ともに衝撃的な)別れを果たしたばかりだ。
吸い寄せられるように、彼女に近づいていくふらむ。不思議と心臓が高鳴る。
彼女のほうは、近づいてくるふらむに気づいた様子もない。ぼんやりと赤信号をながめいている。耳にはイヤホンがはまっていた。音楽を聴いているのだろうか。
とうとう手が触れるほどの距離に近づいた。まだ、気づいていない。
よし。
ふらむは勇気をふりしぼり、右手を持ち上げ、少しためらってから、彼女の肩をたたく。
「おはよう」
「ひゅえっ!」
彼女は奇声を上げて体を震わせた。その拍子に耳からぽろりとイヤホンが落ちる。
「ちょ、ちょっと! 何なのよ、いきな……り……あ……」
勢いよく振り向いたその顔が凍りつく。
そう。彼女こそが黒藤・観夜だ。
ふらむを目にした途端に表情と体を凍りつかせ、そして震え始めた。
「ごめん、驚かせちゃって。大丈夫? 寒い?」
ふらむは少し怪訝な表情で観夜に声をかける。できるだけ平静を装い、つとめて普通の声を出した。
観夜はそれに怯えた。ふらむとは偶然出会ったのではなく、彼女が自分を狙ってここに現れたのだと思った。無意識に後ずさろうとする。
「な、なんで……この時間なら絶対に会うはずないって思って……」
「っと、危ないよ」
ふらむの方に向き直った観夜の後ろにあるのは道路だ。
今のところ車は通っていないし、仮に飛び出したとしてもこの時代の自動車に標準搭載されたドライブAIが、自動的にブレーキをかけて停車するだろうが、それでも事故がゼロになるわけではない(事故による死者はゼロになっている)。
なので、ふらむは後ずさろうとする観夜を止めようとして、とっさに手を伸ばして観夜をつかんで引き寄せた。
で、観夜からすると、胸倉をつかまれて引き寄せれる形になった。
「ひっ……」
「車は来てないけど、道路に出ちゃうと危ないからね。うまく止まってくれるとは限らないから」
「や、やめて! 車の前につきとばさないで……!」
「そんなことしないけど」
「え、じゃあ自分から飛びこめって」
「言ってないから」
ふらむはなぜ自分がこんなに怖がられるのかがよくわからない。
そんなに怖い顔をしていたのだろうか。でも、昨日の水美はおびえてはいなかった。普通に話をしようとして……。
いまだに胸倉をつかまれたままの観夜は、考え込んだふらむを見て恐怖に震えていたが。
「あ、そうだ」
「ざ、斬新な処刑法を思いついたんですか?」
「何を言ってるの。その……昨日のことだけど」
ふらむは観夜から手を離してから、何気ないふうを装って髪をかきあげた。
「昨日は……昨日はその……」
突然、窓を割って飛び出し、走り去ってしまってごめんなさい、とは言いにくかった。
「急に帰っちゃってごめんなさい」
「え、いえ、べつに……?」
「何か用事があったんだよね」
「い、いえ!! 全然!!」
「そうなの? でも昨日は……」
「わ、私はただ先輩を呼んできてって言われただけで! 悪いのは水美です!」
観夜はあわてて否定する。実際に用事があったのは水美のほうであって、観夜は単に呼び出しをさせられただけだ。
ふらむもそれは予想していたが、実際に水美が自分に用があったのだと確定したことで思わずよろめきそうになる。必死でこらえて、次の言葉を探す。
「そうなんだ。そう……。どんな用事だったの?」
「あ、はい! 水美って実は未来人なんです。このコロニーの管理官で、なったばかりで、だから手伝ってほしい人がいるからってそれで!」
やはりそうだったのか。
観夜の言動……すなわち、
「あんたの道具で、あいつをどこかにやっちゃって! 宇宙の果てとかに!」
……から予想はできていた。
この人類文化保存コロニーで未来の力を扱うことが許されているのは、管理官だけだ。そして、おそらくは何かしらの補助を必要としたのだろうということも。
沈黙し、考え込んだ様子のふらむを見た観夜はあわてて、余計なことを言い始めた。
「と、とんでもないやつですよね! わ、私はセンパイをこき使うなんてひどいことやめろって止めたんですよ! でも、あいつ全然聞かなくて! 言うことを聞かないと私に未来の道具でひどいことをするって! だから私は悪くないんです、どうか私だけは見逃」
「観夜さん」
「はい」
すごい勢いで友人を売り始めた観夜が、ふらむの声にこもった尋常ではない圧に制止される。
何を告げられるのか、と身構える観夜をよそに、ふらむは口元に手を当てて何かを考え込んでいた。
(……え、いま、私、名前呼ばれた? すでにロックオン完了済?)
どっと冷や汗を湧き出させる観夜。そんな彼女をよそに、ふらむは昨日のことを考えている。
自分が勢いで告白して、勢いがつきすぎて逃げ出した。それはいい。その後に何があったのか、だ。
水美はふらむの告白を観夜に伝えなかったようだ。それもいい。ふらむは伝える可能性も考えていたが、そうはならなかったというだけのこと。
しかし、何かが気になる。観夜の反応が、何か……。昨日の観夜の態度を思えば、おかしいところはないはずなのに。不思議と彼女の反応がひっかかっていた。
「観夜さん」
「は、はぃ」
「昨日、私が……帰った後のことだけど」
「はい?」
「何かあった? あの……水美、さんと何か話をした?」
「い、いえ、何も……。あのあとは水美は窓を直した後、すぐにどこかへ飛んでいっちゃって……」
「どこかへ、飛んで?」
ふらむは目を見開いた。自分の違和感の正体に気づいたのだ。
すぐさま観夜の体を抱きしめる。
「ちょ!? わ、私は食べてもおいしくないです!」
「水美さんの家はどこ?」
「み、みな? えっと、ここから10分くら……」
「そう」
跳躍。ふらむは観夜を抱きしめたまま数メートルを軽く飛び上がり、そばの一軒家の屋根に着地する。
「……え、どうなってんの。いま、ジャンプ……え……」
「水美さんの家はどの方角?」
「……あ、横断歩道の向こう……」
「そう」
ふらむは観夜を片手で抱えなおした。そして再び跳躍。横断歩道を飛び越えて向かいの家に着地、直後にまたも飛ぶ。
屋根の上を、女子中学生を抱えた女子高生が飛びわたっていく。
ここで、やっと状況を理解した観夜が悲鳴をあげたのだった。
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