私が好きになった彼女は

 観夜は水美の後ろに回ってその腕をつかみ、ふらむから隠れるようにしゃがんだ。


「水美! わ、わたしになんてことさせんのよ! わたし、あいつに殴られた後にサイフも服も剥ぎ取られて真っ裸にされた後、男子トイレに閉じ込められるんじゃないかって……!」

「え、えええ?」

「私はそんなことはしないわ」


 観夜がとんでもないことを言い出したので、あわててふらむも否定する。あわててはいたのだが、本人はいつも通りにクールな振る舞いである。

 この冷静さにも観夜は脅えた。空襲から逃れるかのように、さらに頭を低くして両手で覆っている。


「ひ……っ。み、水美! なんとかして! あんたの道具で、あいつをどこかにやっちゃって! 宇宙の果てとかに!」

「みやちゃん、落ち着いて……。えっと、暁先輩ごめんなさい。みやちゃんってすごく怖がりなんですよ」

「……そうみたいね」

「ちっ、ちがっ、私は本当に危なくて……! 暴力をふるわれてたの!!」


 観夜は身体を震わせて縮こまる。そんな彼女を、水美は笑顔のまま落ち着かせようとしている。

 その姿は、まさに慈愛の天使か。いや無限の優しさを秘めた女神。恋はふらむの目を黄金とダイヤモンドのメガネで覆っていた。

 胸を両手でそっと抑えた。自分の鼓動の音を抑えたかったから。あるいは神に祈りをささげるような姿にも見えるかもしれない。

 一人盛り上がるふらむをさておき、水美は観夜の背中をさすり優しい声をかけつづけている。


「大丈夫、大丈夫だから……みやちゃん、ね、もしも本当に万が一何かあっても、わたしがなんとかするから」

「ほ、本当ね……? 信じてるからね、水美……」

「うん、安心して」

「わかった……」


 おそるおそる、といった様子で立ち上がった観夜は、視線を少しだけ動かしてふらむのほうをうかがった。その瞬間、目がばっちりと合い、観夜はほとんど真横まで顔をそらす。

 ふらむはその様子を見て、さすがに罪悪感を覚えてしまった。ここまで脅えられる覚えは全くなかったけど(本当になかった)、もしかすると自分が浮かれていたせいで、変なことをしてしまっていたのかもしれない(彼女は本気でそう思った)。


「……ごめんなさい。全く覚えていないけれど、私は貴女にひどいことをしてしまったのかもしれないわ」

「ま、全く覚えてない……!?」

「みやちゃん、何があったのかは全くわからないけど、先輩も謝ってるから許してあげて? それで話を進めさせて?」

「水美、めんどくさくなってきてない!? 本当に私の味方なの!?」


 さて、黒いほうの話はこのあたりでいい。そう、大切なのは水色のほう。

 ふらむは勇気をふりしぼり、水美のほうに顔をまっすぐと向けた。

 水美もそれに気づいて、ふらむのほうをまっすぐに見る。

 観夜は机の後ろに隠れて様子をうかがっている。

 ふらむは声が震えないように、軽く息を吸い込んで言葉にした。


「……あらためて挨拶をさせて。私は暁ふらむ」

「はい! わたしは深見水美です。そしてこっちが、黒藤観夜ちゃん」

「わ、わたしは紹介しなくていいの!」

「……よろしくね。黒藤観夜さん。……そして、深見、水美さん」

「ひいッ」

「よろしくお願いします、暁先輩!」


 『暁先輩』ッ!!!!! クールなフリをするふらむの脚が崩れそうになる。

 そんな内心を知る由もない様子の水美は、にこにこ笑いながらふらむに近づいてくる。

 ふらむは笑顔の眩しさに思わず後ずさりしそうになるが、かろうじてこらえてその場に立ち止まっていた。

 ……立ち止まっていていいのだろうか。ここはお互いに近づきあって、対等の関係として接するべきであって、傲然と立ったまま背の低い後輩を見下ろしているというのは心証が悪いのでは?

 そんなことを思いついた瞬間、慌てて自分の足を前にすすめようとして、逆に机の脚にひっかかった。


「あっ」

「あっ!」


 前のめりに倒れそうになるふらむに、水美はさっと駆け寄って体を支えようとする。しかし、中学生としても小さい水美には、成人女性と比しても背の高いふらむを支えることは難しかった。

 何より肝心のふらむが、水美がためらい無く自分を支えようとして、胸の下に手を伸ばし、身体に触れた瞬間には意識を蒸発させていた。


「ちょっ、水美!」


 思わず観夜も身体を乗り出すが、その時にはもう遅い。

 ふらむは、水美の上に遠慮なくのしかかってしまい、二人は身体を重ねるように倒れこんだ。


「ちょ、ちょっと大丈夫!?」


 かけよった観夜からは、水美の顔と、ふらむのうしろ姿だけが見える。すっかり水美の身体をふらむが覆い隠していた。


「……だ、大丈夫……。暁先輩……? あ……」


 水美は後ろ向きに倒れていたけれど、その頭と身体の下にはふらむの腕がある。とっさにふらむが腕を入れて、だきすくめるようにかばっていた。床を強打したのはふらむの腕だけ。水美を押しつぶさないように、かろうじて脚と腕で身体を離してもいる。


「あ、ありがとうございます、暁先輩。大丈夫ですか……? ……暁先輩?」


 ふらむの目の前で、水美が話している。

 言葉を発している。

 息がそっとふらむの顔にかかる。

 ふわふわと綺麗な匂いがする。

 きらきらした瞳が……白い肌が……小さな唇が……目の前で……。

 少しだけ首を傾ける。

 水美の前髪が、さらりと落ちた。


「好き」

「え?」

「……………………あっ」


 ふらむは背筋と脚の力だけで身体を起こして立ちあがりそのまま後ろに倒れて頭をぶつけた。


「暁先輩!?」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「ちょっ……どうしちゃったの、この人」


 倒れたと思ったら背中を反らしてブリッジ状の体勢で奇声を上げながら身体を震わせるふらむを見て、水美は心配し、観夜は全速力で逃げたくなる。

 言ってしまった! 言ってしまった! 言ってしまった!

 どうすればいい!? どう切り抜ける、暁ふらむ!!?!?


「へ、返事は明日聞かせて!!」

「え!?」

「へんじ?」


 ふらむは窓にむかってジャンプ。

 窓ガラスを粉々に砕いてそのまま飛び降りた。

 ちなみにここは3階だ。


「先輩!!」

「は!?」


 ふらむは空中で身体を丸めて三回転し、両足と右腕で三点着地。そのままダッシュで校門へと走った。

 水美と観夜と校庭を歩いていた生徒たちは、呆然とそれを見送るのであった……。

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