episode.9 ~嫁姑~
午前九時、葛岡さん宅前に到着したのは、3tトラックが2台と軽トラック1台。休日の閑静な住宅街に配慮して、なるべく大きな声や物音を立てないよう注意を払いながら、荷物の搬出が始まりました。
今日は、いよいよ葛岡さんのおばあちゃんのお引っ越しの日。次々と運び出される荷物は、高齢女性一人分の持ち物だとは思えないほどの大量で、あっという間に一台目のトラックが荷物で埋まり、待機していた二台目のトラックにシフト。
とはいえ、これでもかなりの量を処分したのですが。
このところ、毎回たくさんのごみ袋が出されていた葛岡さん宅。
一回の収集で、一軒が出せるごみ袋は5袋(雑草などは10袋)までという決まりがあり、それを超えた分は、事情を知る私たちご近所が協力し、自宅分として出すお手伝いをしていたほど。
大量のごみの正体は、次男さん宅へのお引越しに向けて、荷物の整理をしていたおばあちゃんのお部屋から出された物でした。
彼女のポリシーは『質より量』。持っていることに価値があると思い込んでいるため、買ったり貰ったりが生き甲斐で、捨てることが大嫌い。そのうえ新品には手を付けず、溜め込む癖までありました。
おばあちゃんひとりで1階の八畳と十畳の和室二部屋を占領し、それ以外の収納も、大半が彼女の私物で埋まっている状態で、すべてを次男さん宅へ持って行くことは出来ません。
何しろ、次男さん宅は夫婦と未婚の長男、離婚して戻った長女と子供2人(2歳・5か月)、そこにおばあちゃんが加わると7人の大家族になります。
おばあちゃんに割り当てられるのは、来客用の六畳の和室一部屋で、それ以外には収納スペースに余裕がなく、荷物は自室に入る分に限られます。
とはいえ、物を捨てられないおばあちゃん。なかなか作業が進まず、ならば捨てるのではなく、リサイクルショップに買い取って貰うという折衷案で、渋々納得させたのです。
出張買取の業者さんによって運び出されたのは、買ったものから、お歳暮やお中元、果ては何かの景品や粗品などの頂き物まで、ここは卸問屋さんかと見紛うばかりの未使用品の山。
中でも目を引いたのは、たくさんのタオル類。その中には、我が家がこの町に引っ越して来た当日、ご挨拶の際にお渡しした熨斗が付いたままのハンドタオルもありました。
それでも、商品価値ありと判断されるものは全体のほんのわずかで、それ以外は捨てざるを得ないのですが、一度は納得してごみ袋に入れた物を、隙あらば取り出しては元あった場所にしまい込むという無限ループで、回収日にごみ袋を漁る姿は、ごみの日の恒例行事となっていました。
約束では、六畳間に入る分だけということでしたが、これ以上は頑として譲らず、3tトラック2台と軽トラック1台分の荷物が運び込まれる次男さん宅が、大変な状態になることは想像に難くありません。
ガーデンチェアーに腰かけ、引っ越し作業を見守るおばちゃんの元には、親交のある方々が次々とお別れのご挨拶に訪れていました。
搬出が一段落した頃合いを見計らい、私もご挨拶に伺うと、まるでガーデンパーティーのようにたくさんの人に囲まれて、上機嫌なおばあちゃんの姿がありました。
お庭の一角に敷かれたブルーシートに並ぶ山のようなお別れのプレゼントを目にし、前にもこんな光景を見た記憶が蘇ります。
「葛岡さん、長い間、本当にお世話になりました」
「あら~、松武さん~、来てくれてありがとうねぇ~」
「これ、あちらに着いたら、ご家族の皆さんで召し上がって…」
…くださいね、と言い終わるより先に、私が持参したメロンの箱を奪い取るように持ち去るおばあちゃん。
『世界中で一番メロンが好き!』と豪語するほどの大好物で、お引越しのプレゼントはメロンにしようと決めていたのですが、分かりやすい反応に、唖然とするやら、可笑しいやら。
同じくご挨拶に来ていた百合原さんからも、おばあちゃんの大好きな大きな薔薇の花束をプレゼントされ、ご満悦なご様子です。
皆さん、さすがにおばあちゃんの性格をよくご存知で、プレゼントの大半は、食べ物やお花といった『残らないもの』をチョイス。それらすべての品々を、迎えにいらっしゃった次男さんの車に積み込んだところ、重さで車のタイヤが沈むほどでした。
皆さんで作る花道を歩きながら、
「ああ、○○さん、今まで本当にありがとうねぇ~」
「××さん、これまで良くしてくれて、感謝しているわよ~」
と、一人一人の手を握りしめ、ときに涙を流しながら、今生の別れのようにご挨拶を交わすおばあちゃん。
そうして大勢の人たちに見守られる中、厳かに車に乗り込むと、大好物のメロンの箱を膝に乗せ、一番見栄えのする百合原さんの薔薇の花束を胸に抱え、車窓から手を振りながら、出発して行きました。
1㎞先の次男さんのお宅へ向けて。一丁目から、六丁目までの道のりを。
歩くスピーカーのおばあちゃんがいなくなり、さぞかし淋しくなるかと思いきや、町は相変わらずの日々。
次男さんのお宅に行ってから、お昼間はすぐ近くにあるデイサービスへ通っているらしく、そこでも持ち前のリーダーシップを発揮して、相変わらず噂話に余念がないようです。
井戸端会議でも、しばしば彼女の武勇伝が話題に上り、お元気そうで何よりとホッとしていたのですが、それからしばらくして、民生委員のお仕事で、定期的に高齢者のお宅訪問をしている百合原さんが、葛岡さんの次男さん宅を訪れたときのこと。
応対した孫娘さんに呼ばれ、玄関に向かってゆっくりとした足取りでやって来たおばあちゃん。
「葛岡さん、こんにちは! お変わりありませんか?」
にこやかに、そう声を掛けた百合原さんのお顔をじっと見て、しばらく考え込んでいる様子でしたが、
「え~っと、どなたかしらねぇ~?」
「百合原ですよ。ご無沙汰しております」
「…んと、ごめんなさいねぇ~。誰だったか、思い出せないわねぇ~」
と答えたのです。
引っ越してから、まだ2~3か月ほどしか経たない間のこの変貌に、ちょっとショックを受けた百合原さん。
とはいえ、年齢的にも80歳代後半で、環境が変わったことも手伝い、ボケ始めたとしても不思議ではなく、こちらでのことは忘れてしまったのかも知れないと思ったそうです。
その話を聞いて、彼女を知る誰もがちょっと複雑な気分になったものの、今おばあちゃんが穏やかでいるのなら、それが何より一番なのです。
季節は流れ、おばあちゃんがいないことにもすっかり慣れたある日のこと。
手土産を買いに、最寄り駅のショッピングモールへ出かけた私は、偶然そこで、お買い物に来ていた葛岡さんと出くわしました。
斜め向かいに住んではいても、平日お仕事をされているため、あまり顔を合わせることがなく、お互いに、
「お久しぶり~!」
と挨拶をして、思わず笑ってしまいました。
その後、綾瀬さんと葛岡さんにも、少し変化がありました。
綾瀬さんの前妻さんが再婚されることになったのですが、彼女より七歳下の再婚相手が、息子さんたちとの同居を拒否していて、子供たちも母親の再婚には反対しないものの、相手の男性は受け入れていないそうで。
そこで、元家族四人で話し合った結果、親権を父親に移したうえで綾瀬さんが引き取り、彼のマンションで父子三人で暮らし始めたのです。
おばあちゃんの件が片付いたら、真剣に再婚を考えたいと思っていた葛岡さんですが、綾瀬さん一人増える算段が、いきなり5人家族というのは想定外でした。
「彼の子たちとはたまに会う程度だから、今は上手くやってるけど、これが毎日だと事情が違ってくると思うのよね」
「そっか」
「まあ、柊にも同じことが言えるんだけど、彼とは子供が独立した後、老後を一緒に暮らすパートナーって考えてたから、今からまた子育てとなると、正直言って自信ないんだ、私」
「下の子は高校生だっけ? 実の子でも難しいお年頃だもん、継子なら尚更気を遣うよね」
「だよね。義理の関係の大変さは、嫌というほど身に染みてるし。余計な波風立てるより、お互いの子供が完全に独立してからでもいいんじゃないかなってことになってね」
そう言って苦笑いした葛岡さん。
ご主人が亡くなってからも尚、癖の強い姑との同居を余儀なくされた彼女ならではの重い言葉です。
そんな話をしていると、不意に背後から聞き覚えのある声がしました。
「あれぇ~! こんなところで会うなんて、奇遇だわねぇ~!」
振り向くと、そこには車椅子に腰かけた、葛岡さんのおばあちゃんの姿がありました。
次男さん宅へ引き取られてからというもの、一度も元の家には来ず、それまで欠かさなかった長男さんの月命日ですら、お仏壇にもお墓にもお参りすることがなくなっていました。
すでに、記憶が曖昧になりつつある状況で、後姿だけで葛岡さんを判別出来たのは、それだけ強烈におばあちゃんの印象に刻まれている証なのでしょうか。
「お久しぶりねぇ~。今日はどうしたの~? お買い物~?」
「ええ、まあ」
「そう~! 私もねぇ~、欲しい物があって来たんだけど~、ここであなたに会うとは思ってもみなかったわ~!」
同伴していた次男さんご夫婦とは、お互い小さく会釈するだけのご挨拶。予期せぬ偶然の再会に、やや気まずい空気が漂います。
相変わらずテンション高めで、一方的に自分のことを話すおばあちゃん。お耳が遠いため、声のボリュームがコントロール出来ず、周囲に響き渡ります。
次男さんから、あまり引き止めたら迷惑だからと窘められ、ちょっと不満そうに口を尖らせながら頷くと、あらためて葛岡さんに向きなおりました。
「それじゃ~、またね~」
「はい、さよなら」
「ああ、そうそう! 私ね~、今度あなたに会ったら、言おうと思ってたことがあったのよ~」
「何?」
「あなたとは、嫁姑として、30年一緒に暮らして来たんだけどねぇ~」
「うん?」
「私、あんたのこと、始めっから大嫌いだった! ついでに、未亡人の所へ転がり込んで来た、あの綾瀬って男も、大っ嫌い~!」
「!」「!」「!」
あまりにはっきりと言い放った暴言に、周囲にいた人たちも一斉に振り向き、場が凍り付きました。
「ああ、スッとした~! これでようやく30年分の胸の痞えが外れたわ~!」
満足げな表情で、声を出して笑っているおばあちゃん。
次男さんが何とか取り繕おうとするも、気の利いたフォローの一つも出ず右往左往するばかりで、次男嫁さんは笑いを堪えるのに必死、葛岡さんに至っては、返す言葉も見つからず、ぽかんとしたままです。
やはり、百合原さんが言うように、言って良いことと悪いことの区別もつかないくらいボケてしまったのでしょうか。
この惨状にいたたまれず、慌てて立ち去ろうとする次男さんに連行されるおばあちゃんの車椅子が、私の横を通り過ぎる瞬間、
「じゃあねぇ~、松武さん。ごきげんよう~」
「えっ…!?」
シレッとした顔でそう言ったおばあちゃんに、誰もが彼女はボケてなどいないことを確信したのです。
すべてはおばあちゃんの計画通り、百合原さんに分からないふりをしたのも、警戒させないための演技だったのでしょう。
そうしてボケたふりで周囲を欺き、いつ会えるとも知れない天敵=葛岡さんと再会したときに、積年の恨みを叩きつける周到な計算だとしたら、何とも恐るべき執念。
嫁姑の因縁とは、かくも根深いものだと…
私の名前は、松武こうめ。とある巨大な新興住宅地に住む、専業主婦です。
私がこの町にマイホームを建て、転入してからかれこれ20年。すでに新興住宅地とも言えない歳月が流れていましたが、未だこの町の造成工事は続いており、その面積を拡張し続けております。
当初、各1校だった小中学校は、小学校6校、中学校4校になり、徒歩圏内にたった2軒しかなかったコンビニも、今や激戦区。スーパーは勿論、衣食住、医療、教育、娯楽といった様々なお店や施設も充実しました。
最寄り駅まで30分以上掛かる路線バスが唯一だった公共交通機関は、地下鉄の延長で徒歩圏内に駅が出来、大型ショッピングモールや役所の支所なども併設され、桁違いに便利になりました。
当時、まだ幼かった子供たちもすでに社会人。結婚して家庭を持つ年頃になり、新たな世代も誕生して、相変わらず『少子化ってどこの国の話?』と言いたくなるほど、若い活気に溢れるこの町。
同時に、ここを終の棲家として転入し、この町で人生を全うされた高齢世代や、若くして旅立たれた方たちも、数多く見送って来ました。
人間だけではありません。我が家の2猫、にきとせるじゅ、葛岡家の3猫、おりべ、いまり、かきえもん、百合原家の愛犬愛子も、とうに虹の橋へと旅立ち、新たに葛岡家には、ジノリとミントンの2猫が、百合原家にも桃と林檎の2犬が家族に加わっています。
整備されたばかりの道路に植えられた街路樹の桜の苗木も、今では大きく枝葉を張り、道路の両側から見事なアーチを作るほどに成長。春になると薄紅に彩る美しい景観を見に、多くの人が訪れるようになりました。
造成が始まった当初、広大な雑木林に沼地が点在する荒地だった頃の面影はどこにもなく、今は区画整理で改名された地名の一部に、僅かな痕跡を残すのみ。
まるで巨大な生命体のように、たくさんの人や動植物、建造物までをも取り込みながら、この町はこれからも増殖を続けて行くことでしょう。
『にっこり笑って、バンパイアの胸に杭を打ち込め作戦』最終結果は。
…といきたいところですが。
葛岡さんのおばあちゃんも卒寿を迎え、まだまだお元気なご様子。長男嫁とのデスマッチは終えても、次男嫁とのセカンドステージが始まり、これがまたとんでもないことに。
ということで、最終結果が出るまでには、もうしばらく時間が掛かりそうですので、いずれまたの機会にでも。
いつの時代も、世界中どこの国でも地域でも、永久不滅の難題、嫁姑問題。もしかすると、明日あなたの身にも降り懸かるかも知れません。
そのときは是非、溜まった鬱憤を吐き出しにいらして頂ければと存じます。
どうかその日まで、ごきげんよう。
Monsters-in-law ~『嫁姑』~ 二木瀬瑠 @nikisell22
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