第71日 終末暦6531年 5月10日(火)
終末暦6531年 5月10日(火) 晴れ エビピラフ
今朝はエビピラフの香りがして目が覚めた。エビの香ばしい香りがふわっと部屋中に広がっていた。ベッドから起き上がると、テーブルには二つのお皿から湯気が立ち上っていて、その白の向こうから「やあ」とウミノさんがスプーンを振っていた。膝の上にはトキノが乗っていて、何だか不機嫌そうだった。
「おはようございます、ウミノさん」
「おはよう。また君に会えて嬉しいよ。トキノも、何日もお待たせしてしまったようで悪いね」
「全くだ。待ちくたびれた」
「埋め合わせはするよ。さて、ひとまず掛けたまえ。一緒に朝食を食べながら、話をしようじゃないか」
私はナリタくんを起こして、二人で身支度を整えた。そして、改めてウミノさんの向かいの席に座った。
「エビピラフ食べる?」
「いや、俺はいらない。食欲ねえから」
ナリタくんは私と手を繋いだままで、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。そして、睨むように天井を見た。天井に何かあるのかと思ったけど、真っ白でシミひとつなかった。
ウミノさんの傍らにはブッチャーとビリヤードマーカー(注 : 青い鳥裁判所のマイムマイム作戦に参加して『終わらない話』を護送してくれた人。会うのは今日が始めてだった)が付いていた。ウミノさんも背が高いのだけれど、ブッチャーは彼女よりも一回り大きく、部屋の中でも窮屈そうに身を縮めていて少し可哀想だった。
ウミノさんから、緊急メンテナンスやらその後処理やらで手が離せなかったとのことの説明、そしてこの数日間、私たちに会えなかったことについて改めて謝罪をされた。
「色々説明しなきゃとは思っていたんだけど、なかなか手が空かなくてね。ようやく今、落ち着いたところなんだ」
そう言ってウミノさんは疲れた様子でため息を吐いた。
ウミノさんは説明を始めた。青い鳥裁判所での出来事について。
何故、私たちを助けてくれたのか。そもそも、あの裁判は何だったのか。
「青い鳥裁判所の役割は、サイハテという地の自浄だ。あの黄色い花はすべてを見通し、この地に不要なものを排除する。今回はその対象が君だったというだけの話だ」
「コイツが不要とか冗談でも言うな」
「ふざけんな、喧嘩売ってんのかよ!」
トキノ、ナリタくんがそろって声を上げた。特にナリタくんは怒鳴ってテーブルを力強く叩いていた。
ウミノさんはそれに動じることなく、私の方をまっすぐ見つめた。
「冗談でもなんでもない。いたって真面目、そしてシンプルな話だよ。サイハテという町、終わりの町、終末を抱えるものたちが交差し邂逅する場所……その町の自浄機能が君を要らない存在と断じるところだった、というわけ。……大丈夫?」
不要と言われたにも関わらず、そこまで気持ちは沈まなかった。あの裁判の時点で、悲しい気持ちは既に味わっていたし、ウミノさんの発言も裁判の時点で何となく察してはいたから。
私のことを要らないと思っている何者かがいること。それがサイハテという町そのものとまでは、思っていなかったけれど。
「はい。私は大丈夫です」
「本当に?」
「本当です」
「そう。君は強いね」
「……そんなことはない、と思います」
「謙遜する必要はないんだけどね。事実だもの。君は強いよ」
ここでウミノさんはそっとイヤリングに触れた。その仕草はなんだか綺麗で、大人っぽかった。
「さて、あの裁判所のことを自浄機能とは言ったけれどね、これは本当に文字通りの意味なんだ」
「解せないなあ」
トキノが言い、ウミノさんはそれに対して小首を傾げた。
「青い鳥裁判所が他のテリトリと違うっていうのは、知識として知ってはいるが、ここまで積極的に住人を排除しようとするなんて初耳だ。そうする理由もないだろうに」
「そう。良くも悪くも、あそこは非常にシステマティックだ。サイハテの自浄機能……防衛機構とも言えるかな、とにかくそれがあのテリトリの役割だ。それ以上も以下もなし。あくまでテリトリとして動いているから、キリン虫どもの気まぐれとはわけが違う。同じなのは、」
“いずれの場合も、そこには××がない”
ウミノさんはそう言った。それが何なのか、うまく言葉にできない。以前に御伽草子のテリトリで規制された言葉とはまた違っていた。その言葉は柔らかくて、痛くて、苦しくて、少しだけ懐かしい印象を受けた。でもとにかく、私はそれが具体的にどういう言葉なのか、どういう意味なのか理解する以前に、水の中みたいにくぐもってしまっていた。ウミノさんが発した音の響きすらも、滑り落ちてしまったようでつかみどころがない。
この時、トキノはその言葉を聞いて小首を傾げてから、
「キリン虫は飽き性だからな」
と返答していた。ウミノさんもキョトンとした顔でそれを聞いて、
「……うん、まあ、そっか」
と何か一人で納得していた。
「……申し訳ない。話を戻そう。つまりだ、私が言いたいのは、君たちにはそうされるだけの理由があるんじゃないかということだ。自覚があろうとなかろうと、理由……原因と言い換えても良いが、」
「待て。ウミノ、回りくどい。何が言いたいんだ」
「話が見えない、かな? でも大丈夫」
「あの……」
私も小さく右手を挙げ、話を遮った。そうすると、ウミノさんは私に向かって大きく頷いた。“分かっている”と言いたげだった。さっきの言葉もそうだけど、私には何も分からないのに。
「じゃあ、できるだけ端的に行こうか。どんな理由・原因があるにせよ、私は君たちを当テリトリで保護しようと思っている。少なくともここにいれば、裁判所はそうそう手出しできない。影もいないから安全だ」
「それはありがたいな」
ここで私は、昨日カシワギさんから言われたことを思い出して口を開いた。
「影への対策に何かやっているんですか?」
「ああ、うん。粉だよ」
ネタ晴らしはあっさりだった。
「白い粉は黒い影を退けるから」
「へえ、便利なんですね。他のテリトリにも広まれば良いのに」
ウミノさんは悲しげに首を横に振った。
「SSレアくらい質良いものを安定して大量に作るとなると、難しくてね。とても他所のテリトリには出せない。天文塔内ですら、大半をノーマルの粉で我慢してもらっているのが現状だ。そのせいでメンテナンスも頻繁でね。多い時は3時間に1回くらい。実は、また少ししたら行かなきゃなんだよ」
今から仮眠取りにいくよ、とウミノさんは目を擦った。ウミノさんはスプーンこそ持っていたけど、エビピラフはまったく減っていなかった。
「お疲れならしっかり食べた方が良くないですか?」
「いや、私はいらない。食欲ないから」
「でも、」
「食べたいけれど、やっぱりダメだ。胃が受けつけないみたい」
良かったらトキノと食べなさい、と言ってウミノさんは席を立った。去り際に、ビリヤードマーカーが私たちに声をかけてきた。丁寧に会釈され、
「お嬢様、先日は弊テリトリのボンネットメーカーが取り乱しましてご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした」
「え、ああ! 大丈夫です! ボンネットメーカーさんこそ大丈夫だったんですか?」
「私の方で応急処置をいたしました。現在はリサイクルセンターにおります。お嬢様方に直接お会いして謝罪申し上げたいと言付かっておりますが、お許し願えますでしょうか?」
「えっと……」
正直会いたくはなかったけれど、ここまで丁寧に言われたらそうも言えなくて頷くしかなかった。
「リサイクルセンターへは、塔の中央エレベーターから行くことができますが、コマンドが複雑で……いえ、やっぱり私がご案内申し上げましょう」
「ありがとうございます。ところで、『終わらない話』のことでお尋ねしたいことが……」
そんな会話をしている最中、すごい勢いで腕が引かれた。
「おい、ちょっと待て!」
ドアから出て行こうとしているウミノさんの背中に、ナリタくんがすごい剣幕で怒鳴っていた。
私を半ば引きずるように、足早に追いすがっていた。
「ベルマン!!」
ウミノさんは振り返らなかった。あくびをかみ殺すように口に手をやっていて、ナリタくんの声に気づいていないようだった。
「ベルマン! 待て、」
聞こえたのはそこまでだった。唐突に声が途切れて視界が暗転した。何が起きたのか一瞬分からなかったけど、私はまた、星々の中に放り出されたのだった。
もう何度も経験したその暗闇は、もう怖いとは思わなかった……いや、やっぱりまだ怖いかも。ちょっぴりだけど。
浮かぶように揺蕩うように、上も下も分からない。星が煌めいていた。それがどうしてか、悲しくて仕方がなくて。
かなりの時間が経って、また唐突に視界が変わった。眩しいと思って目を眇めると、眩しいのではなく部屋の白さだった。ナリタくんの部屋に戻って来たのだ。
私は腰を抜かして尻餅をついた。私の手を掴んでいたナリタくんが引っ張って立たせてくれた。
「悪い」
ナリタくんはボソッと呟いた。俯いていたので、彼の頭の上にいたトキノと目があった。
「手を離すなって言っときながら、これじゃあな」
「だ、大丈夫だよ。もう慣れてきたし!」
ナリタくんはハッと顔を上げた。緑色の目を丸くした。
「そうか。お前は強いな」
「……そんなことはない、と思うけど」
「謙遜すんなよ。事実だろ。お前は強えって」
あんなところにいたら、普通は気が狂うところだぞ。
そんなことを言って、ナリタくんは窓の外を見た。白い窓枠が橙の空を切り出していた。
「もう夕方!?」
「ま、まあな。見つけ出すのに時間かかっちまってさ。な、トッキー?」
「そのせいで半泣きだったもんな、ナリタン?」
「ナ、ナリタン??! ってか、それは言わねえ約束だろーが!!!!」
ちなみに、ナリタくんに今朝の剣幕の理由を聞きたかったけど、タイミングがなくて無理だった。
二人がしばらくじゃれ合った後、すぐ夕飯になったからだ。
今朝のウミノさんの分のエビピラフがテーブルの上に残ったままになっていた。ナリタくんはそれを美味しそうに食べていた。
※追記…ここまで書いて気付いたけど、この部屋には最初、一つも椅子がなかった。初めてこの部屋を訪れた時から、それは何となく気になってはいたのだ。白いテーブル、ベッド、そしてスノードロップの花瓶。そこまではあるのに、椅子だけがなかったのだ。
だけど、ウミノさんと会った時、椅子は確かに存在した。私とウミノさんの分。つまり、二つ。
私が覚えている限りでは、昨日も椅子はなかったはずだ。ウミノさんが魔法で作り出したのだろうか。
※5月13日追記…私はなんてバカだったんだろう。後悔しても取り返しがつかないのは分かっているけれど、そう思わざるをえない。よく考えて、返事をするべきだったんだ。
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