第67日 終末暦6531年 5月6日(金)

 終末暦6531年 5月6日(金) 晴れ エビピラフ



 こうして日記を書く時間を取れて、本当に良かった。

 

 さっきナリタくんが来てくれなかったら、きっと私はまだあの中だったと思う。

 まだドキドキしているし、落ち着かない。だけど、今日のことをここに整理しておきたい。


 朝食は(もう書くまでもないかもしれないが)、エビピラフ(黒トリュフ味)だった。今朝は私よりもトキノやバリスターたちの方が先に起きていた。さらに言えば、起きた時には既にリフトは止まっていて、私たちは外にいた。

 煉瓦造りの床にそっと足を降ろすと、そこはとても冷えていた。マントを巻いた上でトキノをしっかり抱えて、ようやく少しは体が温まる感じ。そんな朝なのに、あちこちから声が聞こえていた。

 そこは塔の外壁だった。それも(てっぺんではないけれど)、塔のだいぶ高いところだ。ビーバー曰く、塔の修繕が交代で休まず行われているとのこと。朝番の人が作業をしていたらしい。


「やっと起きたか」

「お寝坊さんだねえ」

「おはようならぬ、おそよう、っすね!」


 三人にそれぞれそんな風に言われてちょっと釈然としなかった。


「どうした? 顔が渋いぞ? 腹でも下したか?」

「違うもん……」


 トキノは時々失礼過ぎるところがある。そういうところ、少しは直してほしい。


 外壁を取り巻く回廊は金色の手すりが付いていたけれど、ところどころそれがなくなってしまっていたり足元も崩れてしまっていたりした。ビーバーは、ただでさえ防護服で動きにくいのに、運動が苦手らしくかなりの回数落ちそうになっていた。私もトキノやバリスターに手伝ってもらったけど……。

 道なりに鉄の扉が並んでいた。扉には部屋番号(?)みたいなものが付いていた。でも、番号順ではなかった。『199291』の隣が『20011203』だったり、『19880404』の隣が『18980807』だったりした。


「ここにベルマンがいるはずっすよ」


 回廊の行き止まりに大きな木の扉があった。銀の取っ手が付いた両開きの扉で、どこか威圧感がある。その前に立つだけなのに、とても緊張してしまった。


「おい、首が締まるんだが」

「ああ! ごめん、トキノ!!」


 そんな感じでトキノを締めてしまったところで、ビーバーが扉をノックした。


「母さあん。連れてきたよう」


 ギィッと扉を開いて、私たちは中に入った。中は真っ暗だった。けれど、少し暖かかった。ぽかぽかとした春のような。


「じゃあ、私たちは入れないからあ」

「え、一緒に来てくれないの?」


 真っ暗なのは怖い。けれど、ベイカーも首を横に振った。


「悪いけどここまでっす。母さんの仕事場には入らないように言われてるっすから。あとはお二人でよろしくっす」

「健闘を祈るよお」

「え、えええ!??」


 緩やかに手を振る防護服と飛び跳ねながら両手を振る防護服に見送られ、扉も閉まってしまった。いよいよ真っ暗で目の前には何も見えず、抱きしめたトキノだけが確かに感じられた。


「……トキノ」

「大丈夫だ。俺には見えている。お前も慣れてくれば見えてくるはずだ。ひとまず前進だ。ゆっくりな」

「わ、分かった」


 何も見えない状態が続いた。どれくらいの時間だろう。長く感じられた。一時間とか。もしかしたらトキノの時間ではもう少し短かったかもしれない。


「あれ?」


 そしてトキノの言う通り、段々と目が慣れてきた。最初は掠れるように、そして徐々にはっきりとは見えてきた。

 頭上だけじゃない、周りにも、そして足元にも。たくさんの星が瞬いていた。細かい光の粒がキラキラと光っていて、とても綺麗で思わず立ち止まって眺めてしまった。


「すごい星だね」

「すごいっちゃすごいが、所詮はただの光だろ。ここが室内だって忘れちゃいないだろうな?」

「わ、わ、忘れてないよ!」


 忘れていた。

 とても部屋の中とは思えなかったし、上にも下にもその光があったから段々どっちが前で後ろなのかも分からなくなってきていた。方向がまったく分からなくなって、実はふわふわ浮かんでいるんじゃないかとも思ってしまうほどだった。


「ねえ、トキノ」


 だから、こんな妙なことを訪ねてしまったのかもしれない。


「私って、ちゃんとここにいる?」


 ふと出てきた疑問だった。どうしてこんなこと訊いてしまったのだろうか。口に出してから、そう思って、“やっぱり答えなくて良いよ”と言おうとした。けど、その前にトキノが


「いるよ」


 と即答した。それだけだった。

 おかしな話だけど、私の方が受け答えに困ってしまった。ひとまずトキノを抱え直しただけに留めた。

 それからまた、私の時間で一時間ほど歩いた。ひたすらまっすぐに、それ以上止まることなく、けれどゆっくりと私たちは進んだ。


「止まれ」


 そうトキノが言った。景色に変化はなく、結局本当に進んでいたのか疑わしかったけれど。でも足を前に動かしていたのは確かなので、それを止めたということだ。


「どうしたの?」

「こっちを見てる」


 何が、と訊く前に私も感じた。


 視線、視線、視線、視線視線視線。

 それこそ星の数ほどの。


 触られたり話しかけられたりしたわけではない。直接的に何かされたわけではない。けれど、それはずっとじっと私たちを見ていた。それが何なのか全然分からなかったけど。


「どうしよう、トキノ」


 小声で尋ねるけど、トキノは黙って答えなかった。それが怖くて、


「トキノ、」

「……」

「ねえ」

「……」

「ねえ、トキノってば」

「……」

「トキノ」


 答えてくれないトキノ、数え切れない視線。

 色んなものがこみ上げてきて、とうとう涙すら出てきた。


「トキノ、一人にしないで」

「聞こえてる。……ごめん。考え事をしていた」


 やっと優し気な声が返ってきて、私はギュッとトキノを抱きしめた。


「く、苦しい……」


 その時だった。


「そこに誰かいるのか?」


 トキノでも、もちろん私でもない声が聞こえた。

 男の子の声だった。


「い、います!」


 思わず声を張ると、声の主もどこか嬉しそうに


「おー、マジか! 俺、ナリタって言うんだ。ちょっと待って、今そっちに行くからよ」


 それからガサゴソという音、“いてっ”とか“こっちか?”とか言う声が聞こえて、そして指先に突然何かが触れた。

 と思った途端、辺りがパッと明るくなった。

 あの視線や星が嘘だったかのように、そこは普通の部屋だった。私のアパートの部屋よりも一回り大きいくらいで、家具は白いもので揃えられていた。白いタンスに、白いベッド。白いテーブルの上には白い花。白い花はベイカーが裁判所に持ってきたのと同じ花、スノードロップだ。それだけは小さな赤い花瓶に生けてあって、この部屋の中で、それだけが色鮮やかだった。


「うっす」


 目の前でそう挨拶されて、“ああ、これがさっきの声の人なんだな”と分かった。

 私の手を握って、ニカリと歯を見せて笑った男の子。真っ白の髪に、大きめの白いシャツ、パーカー、ズボン。ウミノさんそっくりの緑色の瞳。それに、ウミノさんの耳にもついていたイヤリングを右耳だけにつけていた。


「こんにちは、ナリタさん」

「んな、かしこまるなって。やりづれえよ。ナリタくんとかで良いよ」

「じゃ、じゃあ、ナリタくんで」

「オーケー、オーケー。良いじゃん。笑ってる顔。あとそっちの毛玉も、こんちは」


 毛玉扱いに、トキノがブスッとしているのが抱いたままでも分かった。


「俺は毛玉じゃない。トキノだ」

「そっか。んじゃ、よろしくな、トッキー!」

「ああ、よろしくな……ってちょっと待て。トッキー!!?」

「そーだ! トッキー、良いニックネームだろ?」

「ふふっ……良かったね、トキノ」

「何が良かっただ! トッキーなんて初めて呼ばれた……」


 そんなことを言いつつも、トキノはちょっと嬉しそうに尻尾をゆらゆらさせていた。


「で、仮にも男子の部屋に、幼気そうな少女と黒い毛玉トッキーが何の御用かな?」

「え? 男子の部屋?」


 そう、ここはナリタくんの部屋だったのだ。


「私たち、ここにベルマンさんがいるって聞いて来たんですけど……」


 へ、とちょっと間抜けな声を上げるナリタくん。考えるようにうーんと唸って、


「あーたぶん、バグだよ。最近、メンテがあったろ? メンテすればするほど、おかしくなるんだ。ほら、どこかおかしかったところで無理やり整合性を取ると、必ずどっかがその割を食うって感じで」

「そういうものなの?」

「そりゃ、完璧にできりゃ理想だろうが、そう上手くいかないのが世の中ってもんなんじゃないか? それを誤魔化し誤魔化しやってるっていうかさ」


 ナリタくんは私の手をギュッと握った。


「そういう場所なんだよ、この塔は」


 それから、私はひとまず、自分がテリトリの外から来たということとベルマンさんに会いに来たということを改めて伝えた。


「あの人のところを訪ねて来たはずが何故か俺の部屋にってことか。なるほど、把握した。お前も大変だな。力になってやりたいけどそうもいかないしなあ。あの人、たぶん今メンテで駆けずり回ってるだろうし」


 私たちは一緒に白いベッドに座った。というかそこしか座る場所がなかったのだ。テーブルはあるのに椅子はない。おかしな部屋だ。


「お前、今日はどこに泊まる予定だった? やっぱ客室区画?」

「いや、まだそういう話もしていなくて。その他にもお話しなきゃいけないことはたくさんあるはずなんだけど……」


 裁判所から助けてもらったお礼とか……。


「はあはーん、なるほどなあ。そりゃ好都合ってヤツだ」


 ニヤリと笑ったナリタくんは、私の膝の上のトキノに大きく目配せした。


「ナリタ、お前、まさか……!」

「お前ら、今日はここに泊まると良いよ」

「本当ですか? ありがとうございます!」


 ありがたい話だった。白い窓枠から見えた外には月が出ていて、もうすっかり夜らしいことが窺えた。さっきの星のせいで、時間の感覚がおかしくて外を見るまでそれに気づけなかったのだ。


「いやいやあ、こっちこそありがとうございますですよ~」

「ナリタ、てめえ」


 妙な言葉遣いのナリタくんに、それをジト目で見つめるトキノ。意味ありげな二人に


「どうしたの?」


 と尋ねると、


「「何でもねえよ」」


 と笑顔と仏頂面で返答された。


「ただ、一つだけ約束してくれ」


 ふざけた様子だったナリタくんがこの時は真剣だった。


「ここにいる間は、俺の手を離さないでくれ」

「え、あ、うん。分かった」

「飯食ってる時も、風呂入る時も、トイレに行く時も、寝る時もだぞ。……あ、風呂&トイレは目瞑る。寝る時はお前とトッキーがベッド、俺がその脇の床で良いから。とにかく手を離さないでいてくれたら良いから。オーケー?」

「う、うん」


 畳みかけられるように言われた言葉、その真剣さに私は頷いた。トキノは少し不服そうだったけど、同じように頷いていた。


 そんなわけで、私は今もナリタくんと手を繋いでいる。ナリタくんは最初こそ日記を覗いて来たけど、覗かないように頼んだら“しょーがねーな。女の子の頼みを聞くぐらいどうってことないぜ”と今はそっぽ向いている。

 書き終わったら寝るだけだ。

 この後、どうやって手を繋いだまま寝るか考える必要があるだろう。


※追記:このテリトリにいる間、夕食がエビピラフの場合は記述を省略しようと思う。だって毎回同じことを書く羽目になるだろうから!

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