第66日 終末暦6531年 5月5日(木)
終末暦6531年 5月5日(月) 曇り エビピラフ
今回は随分と長い空白の日だった。今まで一日、二日くらいだったはずなんだけど、何でこんなに長かったんだろう。まあ、考えても分からないことなので、とりあえず今日のことについて書く。
今日はウミノさんに会った。
会ったというか、起こされたと言った方が正しい。
「やあ、おはよう」
目を開けると、赤毛のショートカットが目に入った。それから緑色の瞳。そして耳にある白いイヤリング。
さらにバリスターたちと同じような防護服を体の部分だけに身につけていた。手にはかなり大きな懐中電灯があり、辺りを照らしていた。
とにかく状況が分からないまま、体を起こす。マントを巻きつけて眠っていたけれど、体がとても冷えていた。
「おはよう、ございます」
「今日は終末暦6531年5月5日、月曜日。天候は曇り。長めの空白の日が明けたところだ。そして、私は君とトキノの恩人、ベルマン……というのは、コードネームでね。本当の名前はウミノという」
ウミノさんはそこまで流れるように言って微笑んだ(注 : おかげで裁判所の一件のお礼をここでは言いそびれた)。
「よく眠れたかい、お嬢さん?」
何か夢を見たような気分もあったけど思い出せなかった。朝の目覚めとしては、体の節々が痛むくらいで悪くはなかった。
「数日間そんな硬い床の上で横になっていたんだ。無理もない。体を軽く動かしたまえ。その間に私はリフトの設定を弄るとしよう」
「設定?」
「うん。このリフト、端っこに小さなモニターがあるだろう。ここで設定すると、あとは勝手に動くはずなんだ」
しかし、ベイカーが設定を間違えていたらしくこのリフトは、空白の日の間はずっと止まっていたとのこと。
「でだ、あまりに君たちの到着が遅いので迎えに来たんだ」
「そうだったんですか。何というか、ご足労痛み入りま、」
「ご足労なんて、そんな難しい言い回しをよく知っているね。年の割に、さ」
そうだろうか、と私は不思議に思った。
「それにご足労というほど、足を労わるようなことはしていない。私は時間を短縮する術をよく知っているからね。メンテには応用出来ないがね」
時間を短縮。
ここではよく分からなかった。また、後から説明されるんだけど。
モニターをタッチしながらウミノさんは話しかけてきた。私も足首を回す運動をしながら受け答えた。
「今何歳なの?」
「分からないです」
「ほう。自分のことなのに?」
「はい。サイハテに来る前の記憶がないので」
「それは難儀だな」
さて、これで大丈夫だ。
そう言いつつ、防護服のせいで一回り大きくなった手でモニターを叩くと、リフトを吊るしたワイヤーがミシッと唸りを上げて動き出した。
ウミノさんは私の隣にやってくると、膝の屈伸を始めた。私は左右の腕をそれぞれ前後、別方向に回す運動をしていた(注 : この運動がイマイチうまく出来ない。コツを知っている人がいたら教えて欲しいものだ!)
「じゃあ、自分の生まれた日も知らないと?」
「それって、お誕生日のことですか?」
「どうかな。近い意味ではあると思う。私も詳しくは知らないんだ」
そこまで快活に話していたのに、ウミノさんはそこだけ悩むように言った。
リフトがゴウンゴウンと音を立てて私たちを運ぶ中でも、トキノたちは目を覚まさなかった。二人でひとしきり運動をしてしまった後も、まだ眠りこけていた。
「起こした方が良いでしょうか?」
「いや、まだこの子達の時間はそんなに経っていないだろうから。ちょうど良い機会だし二人で話でもしよう。君のような客人を迎えるのは久々だから」
私とウミノさんは、リフトの角(注 : 私がそれまで眠っていた場所だ)に座った。
「私の話なんかで良いんですか?」
「君の話が良いんだ。この天文塔のテリトリの外からやってきた、君の話が良い」
それから私は長い長い時間をかけて、これまでの話をした。初めてサイハテに、風見堂のテリトリにやってきたときから、天文塔のテリトリに来るまで。長い長い話になった。
記憶が曖昧な部分もあったから、日記を見ながらの話になった。
別に話すのが得意というわけではないから話はかなりごちゃごちゃしちゃっていたと思う。ところどころウミノさんが質問をしてくれて、どうにか話ができた。
ちなみに途中でエビピラフ(塩昆布味)とエビピラフ(チョコレートスムージー味)を食べた。ウミノさんが持って来たものだけど、案外美味しかった。
それからウミノさんはこのテリトリの話をしてくれた。
「このテリトリは名前の通り、この塔だけしか存在しない。管理者は存在するが、基本はみんなが維持をし、管理しているというところだ。助け合いとも言うかな」
「え、管理者はウミノさんじゃ?」
「しばらく前まではね。今は違う。私はあくまで管理者と住人たちのパイプ役に過ぎないよ。先程も言ったけど、私は時間短縮の方法を知っているから」
「時間短縮って、どういうことなんですか?」
話をしながら、ウミノさんはずっと右耳のイヤリングを触っていた。ウミノさんの髪色によく似合っていた。
「難しい言葉は知っているのに時間短縮の方法は知らないとは。驚いたな」
単純な話だ、とウミノさんは言った。
「君の一時間は私にとっては五分ほどでしかないということだ」
「……よく分からないです」
「つまりだ、君はさっき話をしてくれたね。たぶん君の時間で五時間くらいかな。私にとっては三十分弱くらいだった」
「え?」
「不思議なことじゃないよ。感じる時間は人によって違う。特にこのテリトリでは、ね」
個々人で時間差が生まれる。それはつまり共に同じ時間を過ごすことが出来ないということらしい。しかし、その時間の差は言葉によって埋められているという。時間差があるなら本来は相手の言葉がかなりゆっくりに聞こえたり早口に聞こえたりするはずだが、同じ言葉を扱うことによりそうはならないようになっているらしい。
「私はパイプ役だ。時間短縮でもしないと心をどこかに亡くす羽目になるから……ああ、見たまえ。外が見えて来た」
ウミノさんが言った通り、頭上の遥か先で点のように見えていた光が近づきつつあった。
ウミノさんは立ちあがるとワイヤーにつかまった。
「じゃあ、先に上で待っているよ」
「え、一緒には、」
「行けない。先日のメンテの補填のせいであちこちに不具合がまた生じていて、対応に行かなきゃなんだ」
ウミノさんは右耳のイヤリングをしばらく弄っていたが、やがて左耳のイヤリングの方を手渡して来た。
「お守りにこれを貸そう。君の時間であと三時間程で目的地に着く」
「でも、ベイカーは四日かかるって」
「この子達は時間の使い方を知らないからね。そして知らないことに恐怖する。それに、私から無駄遣いはしないようにとは言い聞かせているから、私や君より時間を惜しむし、長いんだ。少し羨ましいな」
それから夕飯用にと、エビピラフ(カナリヤの香り)を置いていってくれて、自分は身軽な感じでワイヤーをスルスルと登っていった。
日記を書きながら、みんなを起こそうか悩んだけど止めにした。ウミノさんが言った時間の差。それを思うと起こすことはできなかった。
それに、また夕飯がエビピラフだという現実に直面させるのは少し気の毒だなあと思ったのだった。
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