終わらない話 第五話
バルルルルル……バルルルルルル……
いつものように、ごうっと風が吹いて、オモチャ箱の蓋が開きました。
「ただいま」
「おかえり!」
「早かったな」
この時ベルッタベルッタのところに行っていたのはジルエッタで、住人たちは彼女を口々に出迎えました。
ステラには彼女の痩せたシルエットが僅かばかり見えるようになっていました。もちろん、他の住人たちのことも。ただ、まだ姿をしっかり見るには至っていません。
オモチャ箱の蓋が開いた時に僅かに外の光が差し込みますが、それは箱の底まで完全には届かないのです。
バルルルルル……バルルルルルル……
その時、ステラは自分が何者かに持ち上げられるのを感じました。グッと痛いくらいに掴まれて優しくゆっくりとした動作でステラは上へと向かっていきます。
「今日はステラの番なのね」
いつもの優しい声。
「フリーダ!」
思わずステラは叫びましたが、そうしている間にも体はオモチャ箱の外へと向かいます。
そして、彼女の叫びにオモチャ箱の底から、
「いってらっしゃい」
そんな言葉が返ってきたのでした。
■
オモチャ箱の外に出ると、薄暗いオレンジ色の光がぼうっと灯っていました。夕焼けとも朝焼けとも違う、素っ気ないような殺風景のような明かりでした。それ以外は以前と同じで何もありません。
その中にベルッタベルッタが浮かぶように佇んでいるらしいのでした。相変わらず、そこにいるのが分かるだけで、どんな姿なのかまでは分かりませんでした。
バルルルルル……バルルルルルル……
ベルッタベルッタはただいつものように鳴いています。
“彼はステラが思っているほど、恐くはないんだから”
ステラはフリーダの言葉を思い出しました。
けれど、いくらフリーダの言葉とは言えとても賛成出来ません。ベルッタベルッタのことはひたすら恐ろしく思います。そして、ステラは帰りたいと思いました。河原でもオモチャ箱の中でもなく、ベルッタベルッタという存在の恐ろしさが分からなかった頃に帰りたいと。
そんなことを考えている間にも、ベルッタベルッタの息遣いを間近で感じました。姿かたちは見えないのに、呼吸を感じるなんて何だか妙でした。
深く湿った荒い息がステラに吹きかけられました。
怖い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い恐い恐い怖い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い恐い怖い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い恐い怖い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い恐い怖い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い恐い……
心の中にはそんな言葉が嵐のように渦巻いて、その他の色んなものを吹き飛ばしてしまっていました。他のことを考えたり想ったりする余裕はステラにはありません。 ベルッタベルッタの息もまた、暴風のように逆巻いてステラの身を襲います。
バルルルルル……バルルルルルル……
考えや想いどころかその身すら奪ってしまうベルッタベルッタ。
ステラは石のように固まったまま、彼のなすがままになるしかありません。ただ、胸の詰まりとぐしゃぐしゃに濡れていく感じがしました。
それはとても不思議な感覚でした。だって、上から塩辛い雫が次から次へと落ちてくるのです。ステラにはそれがベルッタベルッタが流した涙だと分かりました。
涙はみんな空へと落ちて星になるはずなのに、これではこの涙たちは夜の中に輝くことはできないでしょう。
バルルルルル……バルルルルルル……
鳴き声が聞こえるのが分かりました。そして、それが段々遠のいていくのも。
石ころの女の子は自分が落ちていっていることに気づきました。
それは何もない暗い暗い暖かな穴の中。
恐怖心がだんだん薄れていって、むしろ安心感すら覚えるような。このまま成り行きに身を任せてしまいたいような。
落ちていっているはずなのに、優しい揺らぎの中にいるような。
「ああ、止めて。お願い」
そんな想いの隙間でステラはそう細く呟きました。
「泣くのは止めて。お願いだから」
バル……ルルル……
声はすっかり小さくなり微かに空気を震わせるのみになっていました。ステラの声もきっと届いてはいないでしょう。
ステラもまた思わず涙を一つ溢しました。
それはキラキラと輝きを溢しながら、ゆっくりと上へと昇り、やがて見えなくなりました。
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