第54日 終末暦6531年 4月23日(土)

 終末暦6531年 4月23日(土) 晴れ とっても豪華過ぎてとにかく料理名が分からない料理


 今日は朝からウサギを探しに出かけた。とは言っても、どこに行ったのか検討もつかない。


「僕は一人で大通りの方を探してみるよ。トキノとお嬢ちゃんは住宅地をお願いできるかな?」

「先生一人で大丈夫ですか?」

「大丈夫。実は、僕は結構恥ずかしがり屋なんだ。今になって、色々恥ずかしくなって、隠れてしまっているのかも。そうなったらきっと他人が呼びかけても、出てこないだろうから」


 朝、ヨーグルトを食べながらそんな打ち合わせをしたので、私たちは住宅地でウサギを探した。前に来た時と変わらず、住宅地は道が狭くて色んな人がいた。だけど、以前と少し違って道端の即興物書きなど、このテリトリらしい賑やかさはなくなっていた。建物の陰でこっそり何かを話し合っている人たちはいたけれど、私やトキノが話しかけると慌ててどこかへ走って行ってしまう。聞き込みをしようと思っていたのに、困ったことになったと思っていると、前にゴーヤをくれた八百屋の奥さんに出会った。


「あらあ、アンタ久しぶりだねえ」

「お久しぶりです。この前はゴーヤをありがとうございました」

「良いのよう。今日は、良いリンゴが入っているの。良かったら持って行って」

「ありがとうございます。そう言えば、少し伺いたいんですけど……」


 ウサギのことを尋ねようと思ったけれど、その前に私は住宅地の様子を訊くことにした。このままだと、ウサギ探しもままならないと思ったからだ。

 奥さんは心よく教えてくれた。


「今月初めに、ランキングが発表される予定だったんだけど、御伽草子様のこともあったから中止になったのよ。それで一部の作家連中が暴動を起こしてね。“”自分はランキングのために書いているのに”とか“ランキングが気に食わないと言っていた奴の仕業か”とか……」

「そんな……」

「朝日図書館が暴動鎮圧に出てきてくれたんだけど、被害も酷くてね。トウドウさんも正直参っているみたいで、可愛そうに思うわ。建物こそ直っているけど、問題は心の方」

「心?」

「私は書く方はからっきしで読むばかりだけど、最近出た小説はどれもこれも荒み切っていてね。暴動と前と後じゃ、小説の質も流行も大違い。また以前みたいに楽しく書いたり読んだりするには、時間がかかるかもしれないねえ」


 奥さんからリンゴを二つもらった。一つは歩きながらかじって、もう一つは帰ってから皮をむいて食べることにした。

 奥さんの話は、とても悲しいものだった。


「どうして仲良くできないのかな。書いたり読んだりを楽しみたいっていうのは、みんな同じなんじゃないのかな」

「俺はそうは思わない」


 住宅地の西側へと歩きながら私が言うと、トキノは首を横に振る。


「書く理由も読む理由も、人それぞれだ。俺たちには考え付かないような思惑やら欲やらが絡み合っている。みんな一様に“楽しみたい”っていう奴ばかりじゃないだろう。口ではそう言っていても、その裏にはそれ相応の陰がある」


 トキノの言葉は間違っていないように思う。でも、やっぱり“楽しみたい”と思っている人だって、絶対にいると思う。そして、それを大切にしていれば、きっとこのテリトリだって元に戻れるはずだ。


「それよりも着いたぞ」


 トキノは言った。顎で指した先には、棚が立ち並ぶ長い道。

 住宅地の西部、書斎会の会場だった。


「どうして書斎会にウサギが来ているなんて思うんだ」

「思ってはいないよ。ただ、いたら良いなって思っただけだよ」


 本当にそう思っただけだ。前の書斎会で、私はここでトキノを見つけた。だから、今度もウサギがここにいてほしいと思ったのだ。ここにはたくさんのものがあって、探しているものすら置いてあるのだから。


 けれど、書斎会自体もあまり人がいなかった。棚には相変わらず、ポテトチップスの空袋や何年か前の新聞紙、シマシマの柄パンツ、扇風機の羽など、色んなものが置かれていた。ウサギを探していた私たちだけど、そういったものを見るのは少し楽しかった。

 数時間かけて私とトキノは書斎会を巡った。

 そして、とうとう私たちはウサギを見つけた。もう夕日が落ちかけている時だった。最初に気づいたのはトキノだった。


「おい、あれ!」


 トキノは駆け出した。私はその後を追う。トキノが走る先は、行き止まりだった。そこには棚が一つだけ置かれていて、先生がその前に一人で寂しそうに立っていた。


「先生!」

「ああ、今朝ぶりだな」


 ゆっくり振り返った先生はその手にスケッチブックを提げていた。振り返ったことで、棚の陰になっていた部分が見えた。そこにいたのは紛れもないウサギだった。


「手分けして探すって言ったのはお前じゃないのか。何でここにいる」

「大通りは探しつくしたから、住宅地の方も見に来たんだ。そしたら、これだ」


 先生は笑った。そこにいたウサギは、正確に言えば“あった”と言った方が正しかった。棚に横たえられている胴体は中に何も入っていないかのように平らで全く動かない。腕にはピンクの頭が抱えられていた。


「どうしてこんなことになったんだ。誰かがウサギを殺ったのか」

「僕は違うと思う」


 先生は言い、私たち二人に言った。


「ここには黒い頭がない」

「本当だ。確かにそうですね」

「そうだな。それが何だって言うんだ?」

「たぶん、僕は他のぼくを探しに行ったんだ」


 他のぼくというのが、昨日地面に着地してすぐにどこかへ行ってしまったウサギたちだというのは、すぐに分かった。


「どうしてそう思うんですか?」

「実を言うと、根拠はないんだ」


 私が尋ねると先生はそう笑った。


「けど、黒いウサギの頭がないっていうのはそういうことなんだ。“鏡に自分自身は決して映らない”とは言われたけれど、映らなくても、分かる部分はあるから」


 確信したような強い言葉に、私もトキノも黙ってしまった。私たちが何かを言うよりも、先生自身が何か感じることがあるのだろう。それに私もアズマさん自身が死んでしまったり消えてしまったりしたわけではない、と思うし、そう思いたい。

 先生は笑っているのに、どこか寂しそうに見えた。


「でも、せっかくだからこれ持って帰りたいんだけど、残念だな。僕は今、何も持っていない」


 ほしいものと要らないものを交換するのが、この書斎会のルール。


「なら、これ使ってください」


 私はすぐに、少し前にもらったリンゴを先生に渡した。先生はウサギの着ぐるみを大事に抱え上げて、空いたところにリンゴを置いた。夕日に照らされたリンゴは、夕日そのもののように輝いていた。



 その後、私たちは三人で屋敷まで帰った。トウドウさんは心配していたようで、汗まみれで屋敷前に立っていた。ぐっしょりと濡れてしまったその姿が何だか可哀想で、ウサギのことを説明してあげた。トウドウさんは安心したようで、すぐに汗が引いて毛がモコモコになった。


「おかえりなさい」


 全てを聞いた後、トウドウさんはそう言った。そして、夕飯を用意してあるから食べようと言ってくれた。


「僕は遠慮します」


 ところが、先生はそう言って首を振った。


「僕は僕を探しに行きます。今までお世話になりました」

「もう大丈夫なのですか?」


 トウドウさんは先生の顔を覗き込んだ。先生は答える。


「大丈夫ではありません。けど、いずれ大丈夫だって笑える日が来ると思います」


 そして、私たちの方を振り返り、


「二人もありがとう。そして、申し訳なかった。勝手で悪いけど、僕はもう行くよ。いずれまた、会えた時はこの恩を必ず返す」


 とウサギを大事に抱えながら言った。


「俺たちに止める理由はないな。自分探しの旅って奴かね。まあ、行ってこい」


 トキノが尻尾を振ってみせた。私も別れの言葉を言おうと少し考えた。

 でも、別れという気分ではなくて。先生の言う通り、いつかまた会えるような気がするのだ。

 だから、私は言った。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 先生もそう応えてくれた。



「さて、俺たちも一度、風見堂のテリトリに戻ろう」


 夕飯を食べながらトキノは提案した。一緒にご飯を食べていたトウドウさんは、


「そんなにお急ぎにならなくても。ゆっくり滞在してください」


 と言ってくれたけれど、お断りした。


「あまり長く厄介になるわけにはまいりませんから」

「そうだな。ここも居心地は良いが、やっぱり自分ちで休みたいってのはある」

「そうですか。ならば、仕方ありませんね」

「今夜は泊まらせていただいて明日朝には出発したいと思います」


 そう言うと、トウドウさんはチケットを用意すると言ってくれた。明日の一番朝早い電車に乗れるように取り計らってくれるらしい。


 部屋に戻った私たちは荷物の整理をした。

 ようやく風見堂のテリトリに帰れるのだと思うと、少し嬉しい。

 ここ最近は全てが目まぐるしく動いていた。トキノが言う通り、風見堂のテリトリに帰ったら休もうと思っている。



 追記:黄昏図書館にも連絡しないといけない。きっとみんな心配しているだろう。

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