第36日 終末暦6531年 4月5日(火)
終末暦6531年 4月5日(火) くもり 焼き鳥(ねぎま)
私は203号室のアマネさんを訪ねた。
「うっは、めっさ
今日はピンクと緑のフリル付きの服を着ていた。服の胸の部分が大きく三つに膨らんでいるけれど、これは彼女の心臓だ。服の上からでも鼓動を打っているのがよく分かった。
何故心臓を三つ持っているかと言えば、ハサミ病という病気を患っているからだ。ハサミ病は体中にハサミが生えてくるという病気で、そのせいで時々ハサミが心臓を貫いてしまうんだそうだ。心臓が動かなくなると困るので、予備で複数の心臓を持っているらしい。
アマネさんの部屋の中には、縦長のガラスの容器に入れられた色んな大きさの心臓が飾られていた。私も以前トラの心臓をもらったことがある。
「これね、アマネが愛している人の心臓なんだぁ。かわいいっしょ」
部屋の一番窓際をアマネさんは指さした。
「アマネさんが愛している人ってどなたなんですか?」
「え、そんな難しいことアマネ分かんなーい。誰でも良いじゃん、そんなの。アマネが超絶愛しているっていうのが大事なんだしぃ」
そこにあったのも心臓だったが、他の心臓とは違って、それは容器に入ってはいなかった。ピンクと白のレースに覆われた祭壇の上に置かれたそれは、窓から入る光を反射してヌラヌラと光って沈黙していた。
「黒にゃん(注:私のことだ)が、うちに来てくれるなんてアマネ嬉しすぎるぅ」
「喜んでいただけて嬉しいです。あの、実は訊きたいことがあって……」
「うんうん、何でも聞いて!黒にゃんのためならアマネ、何でも言うこと聞いちゃうよ。そこのテーブルんとこ座って」
四角いテーブルにも心臓が飾られていて、脈打っていた。私まで胸がドキドキしてきて、むずかゆかった。
昨日、サエジマさんに説明したのと同じ要領で事の経緯を説明すると、アマネさんの顔が段々曇っていった。
「うん、なるほ。それで、黒にゃんは、にゃんにゃん(注:トキノのことだ)と怪盗の手がかりを探してるんだね」
「そうです。アマネさんも何か盗まれたんですか?」
うん、とアマネさんは頷いて、スカートの裾で鼻をかんだ。そのまま涙もふき取ると、目の周りにしていた黒いメイクが落ちて、頬まで黒い線になっていた。頬からハサミがにょきっと現れて、シャカシャカと刃が動いた。
「盗まれたよ。アマネが盗まれたのはね、心臓だよ。アマネの心臓盗まれちゃったぁ。うわーん」
「アマネさんの心臓、ですか?」
「そう。そうなのぉ。先月だったかな。夜寝ている間に一つ抜かれちゃったみたいなんだぁ。おにゅーの奴を代わりに入れたからセフだったけどぉ、そのせいで最近お肌荒れちゃったからムカムカプンプンクアドブルファイアーなの」
なるほど。それで駄菓子屋を切り刻みそうな局面まで行ったということか、と妙に納得してしまった。ふーんと思っていると、不思議な声が聞こえて来た。結論から言えば、それは心臓の声だった。レースの祭壇の上に置かれた心臓だ。
【アマネの奴、好き勝手言うYO……】
「何か聞こえませんでした?」
最初はもちろん疑ったけれど、それでも紛れもなく心臓から声がしたのである。相変わらず、鼓動は沈黙していたのに口(?)が達者で驚いた。
「えー何?」
アマネさんは首を傾げるばかりで、聞こえていない様子だった。
【アマネにボクの声は聞こえないYO。アマネはボクを愛しすぎているからYO。愛しすぎている奴の声ってのはYO、結構聞こえないものなんだYO】
ラップみたいに節をつけて、そんなことを言うので少しおかしくなってしまった。これを書きながら、思い出して笑ってしまう。
たぶん笑い顔になっていた私に、アマネさんは怪訝な顔をした。
「黒にゃん、笑ってる。変なの。どしたの?」
「いいえ、別に……。それで、その怪盗がどこへ行ったか分かりますか?」
「うーん、そこまでは謎っぽい。さっきも言ったけどさ、アマネ、グースカピーに寝てたしぃ」
アマネさんはそう言ったけれど、心臓さんがまたラップ調で教えてくれた。
【ウサギは”急がなきゃ”って、月に向かって走ったYO。月は”変わらなきゃ”って、そのまま3月から4月に駆けて行ったのYO】
「月が変わる、ですか……」
「ん?何?《月変わり》?今月の月は《
月は、毎月サイハテ内を巡る。ひと月につき一つのテリトリの夜を照らす。3月は風見堂のテリトリにあったけど、今は月が置いて行った光の穴があるばかりで、そこに月自体はない。月は移動して、4月は知恵水槽のテリトリへと移っている。
月が駆けていくのをウサギが追いかけた。
月が3月から4月に駆けて行った。
月がいるのは知恵水槽のテリトリ。
一見、なぞなぞのようだけれど、アマネさんの言葉で話は段々見えて来た。
私の中からか部屋からか、どくどくと急かすような心音が満ちていって、耳の奥がこそばゆく感じた。
「そうですか。ありがとうございます」
「ううん、なんかぁごめんね。アマネ、あんま力になれなかった」
【良いってことYO。また来てくれYO。愛されるばかりは退屈だしYO】
二人は交互にそう言った。
「ねえ、黒にゃん、無茶しちゃダメだよぉ」
帰り際、アマネさんが泣きすがってそう言った。とてつもなくお化粧が崩れていた。
「アマネは黒にゃんがそこにいるだけで幸せなんだから」
心臓は何も言わなかった。
とにもかくにも知恵水槽のテリトリに怪盗の手がかりがありそうだ。とにかく一刻も早く怪盗の行方を突き止めてトキノに会いたくて、テリトリのチケットを発行しに行こうとした。が、どうやら知恵水槽のテリトリへのチケットは入手が難しいらしい。
チケットを手に入れる方法は、テリトリ管理者に許可をもらって手に入れるか、図書館で発券してもらうなどの方法が普通だ。けれど、いずれもあまりうまくいかなかった。館長曰く、”知恵水槽は今飽和状態だから様子を見た方が良いんよ”とのこと。
「ところで『終わらない話』を読んだ?」
黄昏図書館でチケットの話をしたときに館長にそんなことを言われた。
「残念ですがまだ読めていないんです。色々あって」
「そっか。読んだら感想聞かせてよ。図書館の案内にも載せたいからね」
帰りにメザキさんのところに寄って、焼き鳥のねぎまを買った。鳥皮をつけてくれようとしたけど、断った。あのぶよぶよした感じがあまり好きになれないのだ。味はおいしいから、いつか好きになれたらいいかなとは思うんだけれど。先は長そうだ。
追記:つくねも好き。
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