第29日 終末暦6531年 3月29日(火)

 終末暦6531年 3月28日(火) くもり時々晴れ タコの唐揚げ


 それはお昼すぎだった。

 予告状によれば、今日の夕方4:30頃までに怪盗が来るという話だった。なので、トキノと話し合って、今日は一日徹底的に『終わらない話』を守ることにしたのである。

 そのとき、トキノと一緒にうどんを食べていた。今日のお昼ご飯はいつもより少し遅めの時間だった。

 二人して、昨日の肉じゃがの味付けが気に入ったので、お汁を少し甘めにして溶き卵をふんわりと入れてみた。かつお節の風味が香って、ほっこりした気分になった。ゆったりと息を吐いているときに玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。


 ピン、ポーン


「ちょっと出てくるね。トキノは本を見ていて。うどんの汁は飛ばしちゃダメだよ

「分かってら。行って来い」

 ずるずるという音を背景にして玄関に急いだ。ドアを開けると、目の前にウサギがいた。より詳しく言うなら、そこにいたのはウサギの着ぐるみだった。耳を除けば、私と同じくらいの身長だ(注:ウサギさんの方がちょっとだけ大きい。あくまでちょっとだけだけど)。ウサギさんはスケッチブックを斜めがけにして提げていた。反対側に花柄のポシェットを提げている。目の前にかざされたスケッチブックには手紙の字と同じ丸文字でこう書いてあった。

【こんにちは】

「こんにちは。えっと……どちらさまでしょうか?」

 尋ねると、次のページがめくられた。

【お手紙をそちらに送った者です】

「あ、怪盗アズマさん!」

 ウサギさんは、今度は一番後ろのページを開いて【はい】と見せて来た。そして、またページを繰って、今度は大きな文字でこう見せて来た。

【かいとうアズマ、さん上!今よい、あなたがここに持ち帰ったものをいただきます!さあ、中に入れてください!!】

 そして、怪盗アズマは両手を上にピシッと伸ばしてポーズを決めた。

「おお……」

 かっこよかった。私は拍手をした。

 トキノは、まだうどんをずるずるすすっていた。


 私はウサギさんを中に入れてあげた。トキノはうどんの最後の一本をつるっと吸ったところだった。

「なんで入れた!?」

「だって、ウサギさんだよ?」

「え」

 ウサギさんはとても可愛い。私の好きな動物ベスト3に入る動物だ。こんなに可愛いウサギさんの頼みを断れるはずもない。

「じゃあ、あいつの頼みなら、お前は『終わらない話』も差し出すのか?」

「流石にそこまではしないよ。大事なものだもん。でも、中に入れてあげるくらいなら大丈夫かなって……」

「大丈夫なわけあるか!相手はプロの怪盗だぞ!?ちょっとでも隙を見せたら、どんどん付け入られるに決まっているだろうが!」

「そっか。言われてみれば、そうだね。あの耳触っても大丈夫かな?」

「……俺の話、聞いてた?」

 玄関前で私たちは小声で会話をした。


 部屋に入ったウサギさんには、部屋の真ん中の丸テーブルに温かいお茶を出してあげ、私が普段使っている赤いクッションを貸してあげた。テーブルの上には、まだうどんを入れていたどんぶりが二つそのまま残っていた。片付けようと、テーブルに近づいた。トキノは私の頭に乗った。

「片付いてなくて、ごめんなさい。まさかこんなに早く来るとは思わなくて」

 『終わらない話』を胸に抱いてウサギさんの正面に座ってそう言うと、花柄のポシェットから黒のマジックペンを出して、スケッチブックをめくり、

【こちらこそしつれいしました】

 と記して見せた。そして別のページをめくって、

【ありがとうございます】

 と見せながら、お茶を指さした。見るからに柔らかそうな耳が目の前で揺れて、妙にワクワクした。

「どういたしまして。あの、良かったら耳触っても良いですか?」

「今は触るな。とっとと本題を済ますぞ。お前もその方が良いだろ?どうやら門限もあるそうだし」

 耳をもふる前にトキノに邪魔されてしまった。

 今思えば、トキノの対応は正しかったと思うけれど、やっぱり自分の気持ちに嘘もつけない。耳をもふもふしたかったという思いも捨てきれないのだ。

 とにかく、トキノは私とウサギさんの間、つまりテーブルの上に座った。お行儀が悪いなあと思ったけど、トキノがウサギさんの方を向いて、早々話し始めたので黙っていた。


 トキノはとんでもないことを言った。

「率直に言うが、俺たちは『終わらない話』を譲る気はない。そもそもお前はアズマじゃないだろ?誰だ?」

 ウサギさんがうつむいた。何を意味していたのか分からないが、首をゆっくり左右に振っていた。どうしてトキノがいきなりそんなことを言ったのか、私には理解できなかった。

「どうしてそんなことを言うの?この字と昨日の手紙の字、一緒だよ?」

 スケッチブックの字と手紙の字はどちらも丸っこくて、明らかにどちらも同じ人が書いたとしか思えない。つまり、目の前のウサギさんがどちらも書いたのだと私は思ったのだ。

「そうだな。お前は間違っていない。だから、こいつに尋ねている」

 トキノはこちらを向かずに、毛を逆立てた。

「もう一度訊く。お前は、誰だ?何で?」

 耳を疑った。

 目の前のウサギさんは、怪盗アズマではない。そうトキノは言ったのだ。聞いた瞬間は信じられなくて、でもそれはちょっと考えれば考えうることだった。

 名前を騙っているのは今ではなく、最初の手紙から。そうトキノは言ったのだった。

「確かに手紙からアズマの匂いがした。今目の前にいるお前からも。でも、あいつとは違う別人の匂いも確かにするんだ。だから、お前はアズマじゃない。だとしたら、誰なんだ?」


 ウサギさんはしばらく首を横に振っていた。何かを否定するというよりは、何かを考えたり何かを噛みしめたりという感じに見えた。

「黙っていたって分からない。まあ、何せよ、さっき言ったとおりだ。お前に『終わらない話』をくれてやる気はない。とっとと帰るんだな」

 トキノがそう言って、ウサギさんはやっと首を振るのをやめた。そして、スケッチブックをめくって見せた。その手はちょっと震えていた。

【わたしは、かいとうアズマ】

 そう書いてあった。そして、そこから次々とウサギさんはページをめくっていった。


【あなたたちが何を言おうと、かんけいない】

【わたしは、ぬすむ】

【それが、わたしのやく目】

【わたしは、かいとうアズマとして】

【月からやってきてすべてをぬすむ】


 そして、また黒のマジックペンで白紙に文字を書いた。

【今日はダメでも。またいつか。バイバイ】

 その文字は、目の前から一瞬で書き消えた。どんぶりと湯呑とトキノが目の前でつんのめるようにして倒れるのが見えて、それに気づいた時には私の頭の上をウサギさんが跳んでいた。ウサギさんがテーブルを足場にして頭上を飛び越えて、ちょうど後ろにあった窓ガラスを割った。そのままウサギさんは部屋から跳ね出てしまった。

 テーブルがひっくり返り、ガラスが散った。

「待って、ウサギさん!!」

「くそ……お前はここにいろ。『終わらない話』を手放すな。俺があいつを追う!」

 続いて、トキノが飛び出した。止める間もなく、私は急いで立ち上がった。ガラスの破片に気を付けて窓まで近づいて、外を見た。

 

 低い太陽に向けて、ウサギさんが跳ねてトキノがそれを追っていた。これだけならわざわざここに書くまでもない。

 一体どこから来たのだろう。トキノが追ったウサギさんの他に、十数羽のウサギがそこかしこで跳ねていたのである。屋根の上を、電柱の上を、道を、ポストを。

 それらのウサギは何かを大事そうに腕に抱えながら、軽々とした身のこなしでウサギさんと同じように太陽を目指していた。

 やがて、たくさんのウサギも、ウサギさんも、そしてそれを追っていたトキノもその光の中に消えていったのだ。


「大丈夫でしたか?」

 隣の部屋のカシワギさんが心配して訪ねてきてくれた。ガラスが割れたりテーブルがひっくり返ったり、たぶん騒がしい音が彼の部屋にも聞こえたのだろう。

 カシワギさんはガラスの破片を拾って処理してくれた。私はテーブル周りを片付けた。

 しばらくして部屋が元通りになったところで(注:窓はカーテンをしめてなるべく風が入ってこないようにした)、迷惑をかけたことを謝ると、カシワギさんはいつものスーツ姿の丁寧な物腰で「お隣さんですから。困ったときは助け合いですよ」と言ってくれた。


 せめてものお礼に、私はタコの唐揚げをごちそうした。私の部屋で一緒に夕飯を食べたのだ。と言っても、手作りしたものじゃなくて、メザキさんのお店で買ったものだ。隠し味にガーリックを効かせてあると、この前こっそり教えてもらった。

 私は唐揚げをタルタルソースで食べたのだけど、カシワギさんは「タルタルも美味しいですけど、ポン酢をかけてもさっぱりしてて良いですよ。夏とかおすすめです」と言っていた。確かにそれも美味しそうだ。

 風見堂のテリトリに帰ってきてから買い物に行っていないので、食料のストックがそんなにない。近いうちに買い物に行かなければ。


 カシワギさんが帰った後、私はカーテンを開けて夜の風に当たっていた。月の終わりだからか、夜空にぽっかりと綺麗な光の穴が開いていた。

 トキノが帰って来なくて心配だ。怖い目に合っていないと良いけれど。それに、一人で寝るのは、やっぱり寂しい。



 追記:今夜も『終わらない話』を抱いて眠る。早く安心して読める日が来てほしい。

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