《(3)黒白のウサギ その1》
第27日 終末暦6531年 3月27日(日)
終末暦6531年 3月27日(日) 晴れ 肉じゃが
久しぶりに風見堂のテリトリに帰って来た。私が御伽草子のテリトリへ出かけたときと何も変わりがなかった。それは当たり前のことではあったけど、遠目からアパートの姿が見えたときは懐かしさがこみあげてくるのも確かだった。
帰る予定がまた少し遅れてしまったが、帰りは電車を間違えたわけではない。途中で遅延や運休など紆余曲折あって、今日の昼頃やっと翁草駅まで帰って来られたのである。その後、アパートに帰る前に黄昏図書館に寄って、館長に『終わらない話』を預けた。
「朝日図書館に寄ったらしいね。あそこの館長から色々聞いたよ。大変だったね」
館長からねぎらいの言葉をもらった。確かに色々あった。色々あったはずなのに、デスク越しに館長に手渡した『終わらない話』はとても綺麗なままに見えた。
「トキノくんも悪いね。でも、助かったよ。ありがとう」
「俺はどうということもない。そっちの方がよほど大変だったろ?」
トキノが少し皮肉っぽく笑った。彼らしくないように思った。館長はトキノをじっと見ていた。
「トキノ、おなかでも痛いの?」
「……痛くない」
今度はぶすっとしながらこっちを見た。いつものトキノで安心した。おなかも痛くなかったようだし。
「まあ、図書館のことはこちらに任せて、二人ともゆっくり休むと良い。長い出張になってしまったんだしね。そうだな、次の出勤は来月8日で良いよ」
「ありがとうございます。あの、館長……お休みをもらっておいてあれなんですけど、お願いしたいことが一つありまして」
「へえ、君がお願いなんて珍しい。何かな?」
運命線に乗って風見堂のテリトリを目指しているときから思っていたことを私は思い切って口にした。
「『終わらない話』なんですけど、しばらくお借りできないでしょうか?」
もしかしたら、図々しいことを言ってしまったかもしれない。発言の直後少し恥ずかしくなってしまって、私は頭を下げた。こうすると、赤くなった顔をフードと髪の毛で隠せるのだ。
「あはは、そんな恐縮する必要はないよ。どちらにせよ、しばらく閉架書庫に入れる予定だったから。持って行ってもらっても構わないよ」
館長はそう言って、本を貸してくれた。
「次の図書館に来るとき持ってきてくれれば良いからね」
「はい!ありがとうございます!!」
今度は顔をしっかり上げて言った。
そうこうして、アパート前まで帰ってくると、一筋の白い煙が立ち上っているのが見えて、そこにオオヤさんがいた。オオヤさんは白のタンクトップにダボダボな迷彩柄のズボンを着て、虹色の髪を後ろで束ねていた。彼女がアパート前を掃き掃除するときはいつもこのスタイルだ。見えた煙は煙草の煙だ。箒に寄りかかりながら、煙を吐いている様子は絵になっていた。
「ただいま帰りました、オオヤさん」
「ん?ああ、あんたたち。帰って来たのね」
「留守の間、何かありましたか?」
「そうね……まあ、別に。色々ありすぎて何があったのやら。説明するのもかったるいわ」
オオヤさんが盛大に煙を吐いた。番傘屋のテリトリのあの工場から立ち上る煙にも似ていた。
「そうですか。テレビ男さんは帰ってきましたか?」
「は?」
「テレビ男さんは帰ってきましたか?」
聞き取れなかったのだろうかと心配になって、もう一度言った。
「何言ってんの?あいつは、葬儀屋に、」
奇妙なことにここでオオヤさんはいったん黙って、私の足元にいたトキノを一瞬見た。そして、再び私に視線を戻したのだった。
「あの、トキノが何か?」
「はあ、何でこんな……」
オオヤさんはそう言うと、
「今、ここにはいないわね。いつ帰ってくるかは知らないわ」
と続けて不機嫌そうに言った。残念だ。もしかしたら、御伽草子のテリトリに行っている間に帰ってきてくれるんじゃないかと思っていたのだけれど。この知らせはとても残念だった。がっかりするのを隠せずに、私は俯いてしまった。テレビ男さんはいつ帰ってくるのだろうか。
オオヤさんは煙草の煙をひとしきりぷかぷか吐いてから、無言で持っていた箒を地面に捨てた。そして、足早にアパートの一階へ消えて、しばらくしてからまた戻って来た。
手には大きな鍋があった。
「……昨日作った肉じゃがさ、分量間違えて余っててね。困ってるのよ。面倒だから、あんたとその猫で処分してちょうだい」
「え?で、でも」
荷物があって鍋は持てない状態だった。断ろうとしたら、
「あのね、これはお願いじゃない。命令でもない。強制なの。そっちに断る余地とかないから。ここ置くから後で取りに来なさい」
断れなかった。
仕方がないので、二階の自分の部屋にどうにか荷物を運んでから、また下まで戻ってきて、地面に放置された鍋を運ぶ形になった。
そんなわけで今日の夕飯は肉じゃがだった。処分するように頼まれたけれど、もったいないと思ったのだ。食べちゃいけないとは言われていない。甘めの味付けがよく食材に沁みていた。お肉がたっぷり入っていて、私が少しだけ苦手なしらたき(注:食べようと思えば食べられなくもない。でも、あの食感が苦手だ)が、何故か入っていなかった。
服を洗ったり、片づけをしたりしていたらすっかり遅い時間になってしまっていた。
「オオヤさんは、私のこと嫌いなのかな……こんなに肉じゃがを”面倒だから処分して”なんて……」
少し心配になってトキノにそう言ったら、
「おバカさんだな」
とバカにされた。肉球をぷにってあげた。
追記:ただいま。
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