第23日 終末暦6531年 3月23日(水)
終末暦6531年 3月23日(水) 晴れ 焼きそばパン
昨日の夜から、ハジさんとナカさんの家にいた。二人の家は、住宅地から離れたところにあって、サカマキアルマジロクラブよりも狭くて、白い壁の四角い一階建ての家だった。
「まるで豆腐だな」というトキノの言葉に関しては、その通りだなと思った。
今朝になって目が覚めると、まずテーブルの裏側と脚が見えた。一階建てで部屋も(トイレなどを除けば)リビングしかないので、私はテーブルの下で寝ていたのだった。少し起きるのが早すぎて、トキノやハジさん、ナカさんは、まだ寝ていた。
そこで私は横になったまま、ぼんやりと昨日のことを思い出していた。具体的には、昨日トウドウさんが言っていた「まるで命みたいでしょう?」という言葉だ。トウドウさんは色々なことを言っていたけれど、その中でもこの言葉が心に残ったのだ。
命という言葉は知っている。私にもあって、トキノにもあって、トウドウさんにもあって、オトギリさんにもあって、ハジさんとナカさんにもある。でも、それがどういうものなのかは知らない。どんな形で、どんな臭いで、(食べられるなら)どんな味で、(音を発するなら)どんな鳴き声なのか。
トウドウさんは、雨ノ市の中上がっていく雨、その中にある桜の花びらを“命のようだ”と言った。トウドウさんは命がどんなものなのか目にしたことがあるのだろうか。
「何か難しいことを考えているって顔だな!小さな女の子!!」
「朝から×××なことでも考えているのか?……それはそれでグッジョブだ、幼女」
心臓が止まるかと思った。ぼうっと考えている最中に、視界いっぱいの鍋とバケツ。驚かないわけがない。思わず上げてしまった悲鳴でトキノも目を覚ましたようで、またまた耳を塞がれた。
「おはようございます、ハジさん、ナカさん。トキノも」
「ん……ついでみたいな言い方だな。おはよう」
「あはは!まるで、異世界の奇怪な生物でも目にしたような驚き方だな!」
「驚きすぎ……」
私はそういうつもりはなかったけど、トキノはぶすっとした。
「おは。むさくるしいリビングに雑魚寝で悪かった……」
「大丈夫です。何だか面白かったです。キャンプみたいで」
「あはは、そうか! それなら、我らはいつもキャンプをしていることになるな!!」
「キャンプか……男女で行くと×××なことになるな」
「なるかよ」
トキノが突っ込んだ。ちょっと面白くて、笑ってしまった。
「昨日今日はお世話になりました。このテリトリでの用事が済んだので、今日ここを発とうと思います」
朝食の後、食器の片づけを申し出たときに、私は二人にそう伝えた。『終わらない話』が手に入ったからには、それを図書館まで持ち帰るまでが今回の仕事だ。
「ただ、お二人の決着も見届けたいと思いますので、また近々、今度はお休みを取って参りたいと思います」
「もう帰るのか! ランキング期間までいればいいものを!」
「まあ、御伽草子様のこともあったから……今月は中止になるかもだけど……幼女とクソ猫が帰っちゃうのは××で残念だな」
二人はそう口々に残念がってくれた。二人のエッセイ対決の決着、今から楽しみだ。二人はどんなエッセイを書くんだろう。そうこのとき、私は思っていた。
「ランキング、中止にならないと良いですね」
だけど私が言うと、二人の様子がおかしくなった。妙にそわそわし始めて、鍋とバケツをがたがた言わせていた。
「あーその事なんだがな……昨日決着の見届けの件で話があると言っただろう!? 帰るならせめてそれを聞いてからにするのだ!」
「……うん、今から話すから、聞いてよ」
そう言われて自分がうっかりしていたことに気づいた。彼らが私を家に読んだのはそのためだったのだ。私はもちろん了承した。トキノはため息をついていた。
「はあ、さてはネタ晴らしか?」
「……おお、気づいているか!?小動物!」
「鋭い……」
よくわからないやり取りの後、私とトキノは家の地下に案内された。私が寝ていた床、つまりテーブルの下にあった床板を外すと、大きくて深そうな穴と鉄製の梯子が現れたのである。カンテラで梯子を照らしながらかなりの深さを降りて行った。正直、ちょっと怖かった。
そうして、たどり着いたのは蛍光灯で明るく照らされた場所だった。地下とは思えないくらい明るくて、本がぎっしり詰まった本棚がその空間にぎっちり並んでいた。誰かいるわけでもなく、整然と本棚だけがそこに存在していた。
それは見覚えのある光景に似ていた。むしろ、見慣れた光景と言っても良くて。
「図書館……」
「ご名答!」
私の言葉にハジさんが叫んで、そして、彼はこう言った。
「ようこそ、朝日図書館へ」
朝日図書館。
このテリトリの図書館。そして、我ら団と僕ら団の争いのせいで衰退してしまった文学クラブの活動を保つのに一役買った図書館。
そのはずなのに。
「我ら団と俺ら団のお二人が、朝日図書館の館員さんということですか?」
「正確には、兄さんと僕が二人で館長やって……二人で切り盛りしている」
聞けば聞くほど訳が分からなかった。
「小動物は気づいていたようだな!どこで気づいた!?」
ハジさんが手近な本棚に寄りかかって尋ねた。
「図書館館員ってところまでは分からなかった。俺が分かったのは、お前たちが実は争っていないってところだ。ちょいちょい怪しいところはあったが、確信したのはついさっき。お前、異世界って言ったろ? 使用禁止語は1878237564語で、その中に“異世界”っていう言葉が含まれるってのをたまたま知っていてな。まあ、さっきそれを言ったのはわざとだろうが」
「あ!」
言われてみれば、そういう話もあった。“異世界”という語を例にとって、文学クラブの派閥の話をした。
「ご明察だ!」
「お見事……」
ハジさんとナカさんが交互に言った。そして、二人は一斉に鍋とバケツを取った。中からは瓜二つの顔。金髪に青い瞳の男たち。そうして二人は互いに笑い合って、鍋とバケツを交換してまた被った。
「さて、こうしてしまうと……」
「我らの見分けはつかないだろう!?」
最初にバケツを被ったハジさんが、次に鍋を被ったナカさんが喋った。確かにこうされては見分けがつかない(注:団員服はそのままだったので、この時は識別できた)。わざわざ私にこうして見せたということは、普段からもそうしていたということだ。
「我ら兄弟の、そして二つの団の経緯については誰かから聞いたか!?」
「はい、トウドウさんや住宅地の方々からお話いただきました」
「……それなら話が早い」
バケツを被ったハジさんが言って、
「小さい女の子も小動物も自分のテリトリに帰ってしまうからな!! さあ、クライマックスだ!!」
鍋を被ったナカさんが言った。
「……兄弟喧嘩から始まったというのは事実だ。でも、二つそこに勘違いがある」
「そうだ!」
図書館の奥にあった閲覧机に私たちは集まった。木目が綺麗に出ている机と椅子だった。入口に休館日の札を下げて(注:入口は私たちが下がって来た梯子とは別にあった)、二人は語りだした。
「一つ目!まず、我らの喧嘩の原因は、不適切な表現云々ではない! シマウマだ!! 少し前まで、我らは図書館での資料保管をzebra_engineというもので行っていた!! 普通に文書を保管するのはつまらないからという理由で導入したんだが、これがすごい! すべての文字がシマウマの縞に変換されるのだ!」
「……で、ある日、シマウマが数十頭暴れ、脱走した。全部、テリトリの文学クラブが書いた作品だった。もちろん、捕獲しようと動いたけれど、残念ながらシマウマはこの時のいざこざで縞をなくしたせいでダメになってしまった。結局、それでzebra_engineの使用はやめることにして普通の書架に戻した……。喧嘩の内容はシマウマが逃げたのがどっちの責任かってことだ」
「後日、シマウマの件がなぜ起こってしまったのか調べた! そしたら、その原因がランキングにあったことが分かったんだ! 今もそうだが、当時もランキングのために作品を仕上げようとするクラブがあまりにも多すぎた! 富や名声に縛られ、“他者を蹴落とし、どれだけトレンドの作品を書けるか”ということに誰も彼もが固執した!! 読者のためではない、ランキングのために心血を捧ぐという本末転倒なことになっていた!」
「中にはランキングのために不正を行い、他者を陥れる輩もいた……。それだけみんな切羽詰まっていたし、追いつめられていた。それが作品にも反映されて、結果としてストレスに満ちたシマウマが脱走したんだ……」
「ここで勘違い二つ目だ!! つまるところ、喧嘩は原因ではなく、あくまできっかけだった!!」
「そして、僕らは考えた」
「どうやって、この状況を打破するかを!!」
「結局、どうしたんですか?」
私は尋ねた。
「それで生まれたのが、我ら団と!」
「僕ら団だった……」
「……ランキングそのものをなくすのは無理だった。御伽草子様が推進していたし、急になくしたりしたらそれこそストレスが爆発してとんでもないことになる。シマウマが数頭逃げるってだけじゃ済まないのは、僕ら二人とも分かっていた」
「それにランキングが完全に悪かと言えば、そういうわけでもなかった!物書きたちの向上心を多少は生んでいたからな!!」
「まあ……それを踏まえても、やっぱりランキングの件は厄介だった」
「だから、我らは!ランキング以外に注目すべき問題をでっち上げた!それが、」
「不適切な表現、ですか?」
「……幼女、正解」
「ランキングのことを、表現の問題で相殺しようとしたってことだな?」
「小動物も正解だ!」
不適切な表現の問題が、でっち上げたもの。だとしたら、すごい壮大なでっち上げだと思った。団に所属している多くの団員はもちろん、住宅地で二つの団を迷惑がっている人たちも、そのでっち上げに振り回されていた、ということになるのだ。
「まあ、でっち上げは流石に語弊があるがな! それまでもテリトリ内で問題として取り上げられていたことだ! 当時のエッセイランキングを見ても、そういう話題を取り上げているクラブがかなりあった!!」
「元々、ここの住人はほとんどが物書きだから、こういう話題に興味がないって奴の方が少ない……。それに、僕たちも、図書館としてそういう表現はある程度取り締まって来た側だったから、そういう問題に対してみんながどう思っているかを知りたかったんだ」
「我らは二つの団を結成し、その噂を広めた!! 団員は瞬く間に増えた!! どちらの団にも属さないものもいたが、それは想定内だった! 正直に言えば、元々、我ら二人も中立の立場だしな!!」
「……対立する二つの団を率いるために僕らは、ハジとナカという名前を作った。鍋とバケツを被って名前を変えて、一般の住人のフリをしたんだ。さっきみたいにたまに交代して、どちらの団の動向も僕ら兄弟二人ともが実際に見られるようにした」
「そして、大事なルールを作った!! 殺傷行為禁止!! 団を作って数日はまだ気が立っている奴が多かったから、特に重要なルールだった!! 我ら兄弟も、荒事は苦手だしな!! ランキングのためなら殺傷をいとわない連中もいたし!」
「だから、代わりに殺傷行為がない対決をした……カードゲームとか。できるだけみんなでやれる奴」
「それが、物書きさんたちの……ストレス発散になったんですね?」
「事態が好転したのは確かだ!! むしろ、それがストレスになったということもあったみたいだが、それは図書館の活動の方で上手くバランスを取った!!」
つまりだ。二つの団が生まれたことでランキングへの執着を減らし、ストレスを発散できたということだ。発散しすぎている場合は、朝日図書館として取り締まってバランスを取る。
そうして彼ら兄弟はずっとテリトリの物書きを支え続けていたのだろう。
「大変じゃなかったんですか?」
「大変だったけど……それは大した問題じゃない」
「我ら兄弟は、このテリトリが生み出す作品の数々を愛している! 愛する者として、愛する物を守るよう動くのは当然のこと!!」
即答された答えに私は感動した。愛する者として、愛する物を守る。素敵な言葉だ。
「で、それを俺たちに話したのには理由があるんだろ?」
トキノが言った。
「ああ、もちろん!実はな、」
「まあ、続きは明日になるんだけどね」
「え?」
気づくと図書館の時計は夜8時を指していた。
「まあ、ここまで来ちまったら、帰るのを遅らせても大して問題ないだろ」
「う、うん、そうだけど」
そんな気軽に、良いのだろうか。一応、仕事を優先した方が良い気がするんだけど。
「長々とすまないな! まあ、明日は話の続きのついでに、我らが朝日図書館として働く姿も見て行ってくれ!」
「ストレス発散も大事……仕事ばかりしてたら体に毒。黄昏の館長知っているけど、おおざっぱな人だから少しくらいサボっても問題ない……」
結局、私はお言葉に甘えた。夕飯はみんなで図書館で焼きそばパンを食べた。このテリトリに来てからパンが多い気がするけど気のせいだろうか?
そして、今夜は図書館で寝る予定だ。
追記1:何故、彼らの話にこれだけ時間がかかってしまったかと言えば、それは二人の話がかなり壮大だったからである。これでも20分の1くらいにまとめたのだ。
追記2:本当は、図書館では飲食禁止、布団を敷いて寝るのも禁止だ!
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