第22日 終末暦6531年 3月22日(火)

 終末暦6531年 3月22日(火) 晴れのち雨上がり 桜餅


 今朝は気持ちの良い青空だった。ミスマルオカが洗っておいてくれた服に着替えて、朝食のパンヨーグルトをいただいた。

 サカマキアルマジロクラブのメンバーに急な訪問を詫び別れを告げた後、ミスターサカグチが以前のように迎えに来てくれた。住宅地を抜けて、屋敷跡へと向かう。その最中、案の定町はざわついていた。昨日、サカマキアルマジロクラブへ向かう時もそうだったので、それがまだ今朝まで続いていた形だ。狭い道にも関わらず、人々が立ち止まって口々に囁いていた。その頭上では道を挟んで建っている建物のベランダで話している様子も見られた。


「ねえ、聞いた? 昨日、御伽草子様が……」

「あの大きな地震のことか。すごかったよな。おめえさん、怪我は?」

「……でも、もうすぐ月末だぜ? 大丈夫なのかよ」

「ランキング、ね。どうなるのかしら?」

「アンタさん、何言ってるんだい!? 今までランキングのラの字も拝んだことないんだろ!?」

「それ以前に、話を書き終えなきゃ話にならねえよ。やべえよ。まだ何も書けてねえよ」


「お二方は、昨晩の件をご存知ですか?」


 町の様子を眺めつつ、ミスターサカグチはため息交じりにこう言った。オトギリさんとのことならある程度説明できるけれど、その夜に起こったことについては分からなかったので首を横に振ると、彼は続けた。


「今月に入って、風見堂のテリトリで奇妙な事件があったでしょ? あれの処理に呼ばれてたうちのテリトリの葬儀屋が、昨晩ちょうど帰って来たんですよ。で、あの御伽草子様のお屋敷を図書館の人員総出で片付けた後、そこで葬儀屋がを行ったんだとか……。不気味なことです」


 事とは何だろう? と疑問に思ったけど、トキノがそこに口を挟んだ。


「葬儀屋は出ずっぱりだな。こっちのテリトリにも呼ばれ、かと思えば呼び戻され……。まあ、あいつらしいっちゃ、あいつらしいが」

「ああ、すみません。あんた方は風見堂のテリトリからいらしているんでしたね。その節は気の毒に……」

「お互いな。だから、気遣いは無用だ」


 トキノとミスターサカグチはそう言い合った。二人とも顔がちょっと険しかったので、私は余計なことを言わず、黙っていた。


 ミスターサカグチとは住宅地が終わる手前で別れた。

 オトギリさんの屋敷跡に差し掛かると、そこは昨日の様子とは全く違っていた。瓦礫や泥から出てきていた雑多なものでそこらじゅうが埋め尽くされていたはずなのにそれらが綺麗さっぱりなくなって、屋敷や庭があった辺りは白くて平らな石が一面に敷き詰められていた。まっさらになってしまっていた。昨日のオトギリさんの一件が、嘘だったかのように。

 その何もない空間の中央に、トウドウさんが立っていた。若草色の着物を着て、今日は汗をかいてはいなかった。穏やかな表情で空を見上げていて、私は声をかけていいものか悩んでしまった。腕には『終わらない話』が抱えられている。


「本日、午後は雨ノ市ですね」


 ためらっていると、トウドウさんがこっちに気づいて声をかけてきた。


「こんにちは、トウドウさん。お約束通り、本日は『終わらない話』を受け取りに参りました」

「こんにちは、お二方。そうですね。お渡ししなければなりませんね」


 トウドウさんは大きな皮の本を私に差し出した。


「良いのか?」

「ええ。私は昨晩、夜通し読ませていただきましたから。オトギリの書いた話が、景色が、気持ちが……今だって、僕の心に浮かびますから」


 トウドウさんは言った。不思議と目を潤ませていた。


「それに、オトギリは貴女が読んでくれることを望んでいました。そして、きっと貴女の手で図書館に置かれ、多くの方の目に留まる。それを願っていたでしょうから。しっかり預けましたよ」

「はい、お預かりしました」


 きょろきょろとあたりを見回してもトウドウさん以外見当たらなかった。白い地面を見ればおのずと思い起こされる人物が、そこにいない。むしろ、今日の主役とも言うべき人物がそこにはいなかった。


「トウドウさん、オトギリさんはどちらにいらっしゃいますか?『終わらない話』のお礼を言いたいんです」


 トウドウさんが羊毛に隠れた耳をピクリと動かした。


「昨日は泥に巻き込まれたりして大変だったと思います。けれど、どうしてもお会いしたいんです」


 トウドウさんの目が私の目をえぐるように見て来た。怖いくらいだった。雨ほどではないけれど。固まったまま見られているままでいたら、見かねたらしいトキノが口を挟んだ。


「……あー悪いな、トウドウ。こいつ、頭は良いんだ。この幼さからは考えられないくらい知識は豊富だし、特に記憶力なんかは尋常じゃない。けど、鈍感さに関しちゃ、ちと根本的な問題があってな……。正直、こればかりはどうしようもなくて、」

「そうですか、トキノさん。分かりました。すべてを言わずとも結構です」


 トウドウさんはトキノの言葉を遮った。その様子はオトギリさんに似ているなあと思った。

 そして、トウドウさんは羊毛の中から砂時計を取り出した。白い砂が四分の三ほど落ちていたそれを見て、


「もうすぐですね。お二方とも、少し先の大通りまでご足労願えますか?」

 と言った。


 雨ノ市が始まった。でも、それは今まで見た雨ノ市とは似ても似つかないくらい美しい光景だった。「うわあ」とそれ以外の言葉が出ないくらい、私はそれに見入ったのだ。

 地面から空へと上がっていく雨は、その雫に薄桃色の花びらを閉じ込めていた。ちょうど一昨日は風が強く、花びらが広い範囲に散らばっていたから。その幻想的な景色は視界一面に広がっていて。雨上がりに煽られるように、大通りの木の枝がしなり、さやさやと鳴っていた。


「まるで命みたいでしょう?」


 そう言ったトウドウさんの目にも、薄桃色がはっきり映っていた。


「生まれ落ちて、生きて、帰っていく。彼女も好きな景色だった」

「……トウドウさん、泣いているんですか?」


 頬に流れているのは、下に落ちていくばかりの涙。空に上がる雨ではない。


「ええ、泣いています」


 トキノだったら「泣いてねえよ、ちくしょう」とか言って誤魔化すだろうところを、トウドウさんはあっさりと認めた。


「お嬢さん、オトギリはここにいます」


 そう言って彼が指したのは、私の腕に抱えられた『終わらない話』。


「え?ここに?」

「はい、ここにいます。そして、ここにも」


 そして、次に自分の胸を指し示す。


「オトギリは、そうして生きています。きっと貴女や彼にも、彼女は生きる。どうかそのことを忘れないでください」

「分かりました」


 『終わらない話』を見つめると、不思議と温かい感じがした。オトギリさんもこの薄桃色の花を綺麗だと思っているだろうか。


「ありがとうございました、オトギリさん」


 腕の中の本を抱き締めて、私は言った。


 夕飯は、桜餅を食べた。どうやら薄桃色の花の名前が桜というらしい。それをかなりの大人数で食すことになった。最初は私とトキノ、それにオトギリさんだけしか大通りにいなかったのだが、雨ノ市の桜を観に、後から後からテリトリの住人が集まってきたのだ。そのうち、誰彼構わず食べ物や飲み物を持ち寄って、わいわいがやがや色んなことを言いながら桜を眺めた。口喧嘩がヒートアップして、取っ組み合いになりそうな人たちもいたけれど、それは殺傷行為を禁止している我ら団と僕ら団の人たちが抑えていた。

 それまで泣いていたトウドウさんも、住人の人たちと穏やかに話しているようだった。桜餅は美味しかった。


 ところで、この時一つ思い出したことがあったのでトキノに言ってみた。


「あのね、トキノ。この前、トキノの奥さんのウオノメさんが海の日に歌った歌、あれ、オトギリさんが作ったんじゃないかって私思うの」

「へえ、どんな歌だったっけか?」


 桜餅をむしゃむしゃしているトキノのために私は歌った。


「夕焼け雲にさらわれた」

「あの子の自由はどこへ行く」

「水に残るは夢童話」

「終わりなき日々の悲しさよ」


 短いけれど、素敵な歌。


”遠くに行ってしまった自由な迷子を呼び戻してあげないと。終わらないのは悲しいことだものね。夢童話みたいなはかない話になるかもしれないけれど、それでも私は……私が書く私の話を終わらせる”


 オトギリさんの決意の言葉。


 『終わらない話』がはかないかどうかは、まだ読んでいないので分からない。夢のような童話のような話なのか、それともまったく違う話なのか。


「そうかもしれないな。まあ、真相は分からないが。……でも、そうだと良いなとは思うよ」


 トキノの声が珍しく優しくて、私はそれに対して笑い返してみせた。


「ところで、」

「何、トキノ?」

「あのバカ人魚は断じて、俺の嫁ではないぞ」

「……え?」

 

 今夜はなんと我ら団のハジさん、僕ら団のナカさん二人が住む家に招待された。どうやら、先日の見届けの件で話があるとのこと。トキノは何故か「やめておけ。男の部屋にか弱い女の子が行くのは」と渋い顔をしたけれど「小さな女の子に対して破廉恥なことをするわけないでしょう、この小動物が」「幼女を×××して××する……いや、大丈夫しないから安心しろ、クソ猫」とそれぞれ言ってくれたので招待に預かることにした。話自体は明日になるらしい。どんな話をすることになるのだろうか。



 追記1:来年の春には桜餅を葉っぱごと食べれるようになる!目標!!

 追記2:6532年3月23日(水)…↑無理だった!

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