第17日 終末暦6531年 3月17日(木)
終末暦6531年 3月17日(木) くもり ケチャップライス(目玉焼き付き)
最近、くもりの日が続いている。雨になるよりは断然いいけど、やっぱり気分がもやもやする。窓の外を見ると、大通りの方で今日も鍋とバケツの集団が争っていた。見たところ、今日はカルタだ。
トキノはまだ帰ってきていなかった。布団を畳んで、歯磨きをした。実は、これらはいつもトキノに急かされてやっていることだ。トキノの小言がなくても、意外に自分のことは自分でできるらしい。
ともあれ、トキノを探しに行かなければならなかった。いつもの黒フードを着て、大鎌を持っていった。いつも持ち歩いているものだけど、いつも以上に重く感じた。屋敷の玄関まで行くと、トウドウさんが庭先を歩いているのが見えた。
庭と言っても、砂が広がっている中に岩がいくつか転がっているだけで、殺風景だ。砂の上には流れる川のような、打ち寄せる波のような、不思議な模様が浮かんでいる。トウドウさんに近づくと、彼の顔が蒼白なのが分かった。顔の周りをモコモノ覆った白い羊毛と同じくらい白い顔で、目のくまも酷かった。弱々しく笑いながら、こちらに声をかけてくる様子が痛々しかった。
「おはようございます。ああ、お出かけですか?」
「おはようございます、トウドウさん。はい、ちょっと住宅地まで。トキノがまだ戻らないので探してきます。夕方には帰るようにします」
「……左様ですか。お気をつけて。あ、今日は確か住宅地の西側で、”書斎会”をやっているはずです。色んな本や小物が用意されていて面白いですよ。お時間があれば」
そんな時間があるようには思えなかった。トキノがどこにいるのか見当もつかなかったし、もしかしたら、住宅地にはいなくて、大通りの争いに巻き込まれているかもしれなかったから。
「大丈夫です。きっと見つかりますよ。いってらっしゃい」
この一言で、私はトウドウさんに慰められていたんだと気づいた。励ますように、苦しそうに笑うトウドウさん。私も言葉をかけるべきだったのかもしれない。けれど良い言葉が見つからなかった。
「ありがとうございます。いってきます」
それだけ言って、私は住宅地に向かった。
それから、昼過ぎまでかけて私は住宅地の南→東→北と反時計回りに歩き、トキノを探した。隅々まで探した。ごみ箱を覗いてみたり、路地の隙間を探してみたり、腹ごしらえにソーキソバを食べたり、八百屋の奥さんのスカートの中を見てみたり(注:ゴーヤをもらった)、即興物書きに『黒猫が燻製になってつらいなって思ったけど、実は妹の策略でした』というタイトルの本をもらったりした(注:略して『黒猫の靴下』というタイトルだそうだ)。
最後に西側に行ってみると、トウドウさんが言っていた通り、”書斎会”が行われていた。住宅地の狭い道ぞいに、ずっとひたすら本棚が並んでいた。本棚は建物5階分くらいの高さがあって、迫力がすごかった。まるで、西側すべてが誰かの書斎になったみたいだった。棚にはブレスレッド、懐中時計、空のジャムびん、まな板、水晶玉、それに番傘屋が好きそうな複雑な細工の砂時計などの小物も置いてある。住人はみんな熱心に棚を見ていた。もしかしたらトキノがいるかもしれないので、私も棚を覗いてみた。高いところは見えないし届かないので、可動式の梯子に上った。あちこち見てみたけれど、トキノは見つからなかった。
よく見まわしてみると、ある住人が棚にあったくまのぬいぐるみと自分の持っていた手帳を交換していた。手帳は黒い革表紙で、ところどころ擦り切れている。明らかに使い古されている。
「ああして、ほしいものと要らないものを交換するの。本はもちろん、タンス、ガラス細工、ランキング投票券、チェーンのない自転車、欠けた額縁、失敗した原稿まであるわ」
梯子から降りようとしたとき、下の方でそう声がした。声の主は、ミナミさんだった。右手には赤いラメのキラキラのハンドバッグを持っていて、左手には首筋を捕まれてぶすっとした顔をしているトキノがいた。
トキノを見つけた瞬間、思ったのは二つ。「また会えて嬉しい」と「何て言おう」だった。そして、次に彼を殴ったことを思い出した。忘れていたわけじゃない。はっきりとそのときのことが心に浮かんだのだ。梯子をつかむ手が震えて、何を言えば良いのか、むしろ私は何かトキノに言っても良いのか、言うべきなのかということが頭を走り回っていた。
「ホラ、トキノ、あの子こっち見てるわよ。ちゃんと言いなさいよ、男として! ”黙っていても、背中で伝わるさ”なんてこと、現実的にはありえないんだからね!」
トキノはトキノで何を思ったのか、ミナミさんに吊るされたまま身じろぎもせずに私を見ていた。ミナミさんはトキノをぶんぶんと揺らした。
「もう! 何よ!? 昨晩言ったでしょ! 女の子を泣かせるんじゃないわよ! 大事な子なんじゃないの!? 貴女もこっち降りてきて!」
ミナミさんに言われて、私は下まで降りた。それでも、当人同士は黙って顔を見合わせるばかりで、ミナミさんだけが喋り続けていた。
「トキノ、そんな肝っ玉の小さい男とは思わなかったわ!!」
何か言わないといけないって、咄嗟に私はこんなことを言った。
「あ、あの!ミナミさん、も、書斎会に、来たんですか?」
「ん? ……ああ、まあ、そうね……。そのために今日はクラブをお休みさせてもらったのよ。結構、良いものがいっぱいあってね。さっき、つぶし終わったプチプチマットと交換で、オトシゴサボテンクラブの新刊ミステリ本ゲットしちゃったのよ~」
「でも、それって引き換えにごみを置いているだけなんじゃ?」
ミナミさんが話をつないでくれた。私もそれに乗って、話を続けた。
「アタシも最初はそう思っていたわよ。けど、”自分のサビは、他人の金貨。他人の氷は、自分の宝石”ってね。ホラ、あれ見てみて」
ミナミさんが指さす方を見下ろしてみると、高い本棚の一番下で、ひと際目立っている集団がいた。みんなして白い服を着て、何故か感極まっていた。
「おお、これは見事なふりかけの残りカス! 細かい! 実に細かい! 元々は色とりどりだっただろうに、砕けて集まるとただの茶色の粉! 実に繊細で儚いじゃないか!! これは掘り出し物だぞ!」
「流石です、博士。やりましたな。これで実験が再開できますぞ」
「このふりかけの残りカスを置いてくれた誰かかに敬意を表し、私の自動鉄鍋生成キットを進呈しようではないか! ありがとう、ふりかけの残りカスを置いてくれた誰か!」
白い服の人たちは、ひとしきりふりかけの残りカスを置いた誰かを賛美しながら歩き去っていった。
「ごみが思わぬ形で、誰かのお宝になる。それが、この書斎会の素敵なところよ。……そうだ!」
ミナミさんがトキノを棚に置いた。代わりに近くに置いてあった変な形の置物を手に取った。
「この猫、アタシにはいらないわ。こっちのアルパカの置物の方がセンスあるし?」
ミナミさんのウインク、棚に置かれてさらに難しい顔をしたトキノ。どちらも交互に見て、私は自分の持ち物を見た。大鎌と即興物書きの本、そして、ゴーヤ。
「じゃあ、私は彼を……えっと、ゴーヤと交換します」
ゴーヤを置いて、トキノを抱き上げた。妙に温かくて、そんなに長い間離れていたわけじゃなかったのに懐かしかった。
「……叩いちゃって、ごめんなさい。もういなくならないで、お願い、トキノ」
「おお、こんなちっちゃな子なのに、トキノより男前ね。うっかり惚れちゃいそうだわ」
「俺はゴーヤと同等なのかよ」
さっきはどんなに考えても言葉が出なかったのに、このときは自然と言葉が出た。トキノは何も言ってはくれなかったけど、別に良かった。
「ところで、」
一段落して、拍子抜けするくらい落ち着いてしまった。ミナミさんに疑問に思ったことを訊いてみた。
「ん?なあに?」
「その置物、アルパカだって言っていましたけど、アルパカの形していませんよね?」
そもそも動物の形をしていないように見えた。
「アルパカっていうのは、合金よ。銅と亜鉛とニッケル。別名ニッケルシルバーとも呼ばれているわ。ニッケルシルバーの置物ね、これ」
妙に納得した。この前アルパカの話を番傘屋とした。確か、番傘屋はアルパカの意味を疑問に思っていたっけ。今度、会ったら教えてあげよう。
ミナミさんと書斎会をしばらく回ってから、私たちは屋敷に帰った。トウドウさんに言って、台所を借りてケチャップライスを作った(注:材料は書斎会でそろえた)。本当はトキノのために、彼の好きなオムライスを作ってあげたいんだけど、まだうまく作れない。いつもトキノにばれないようにこっそり練習しているんだけど、玉子でライスを包むのが上手くできないのだ。代わりに、今日もケチャップライスに目玉焼きを乗せた。
それを部屋で二人で食べた。黙って食べた。私もトキノも大きなスプーンで大きな口で、お行儀悪く頬張っていた。
「……美味かった」
食べ終わって食器を洗いに行こうとしたとき、本当に小さい声でトキノが言った。トキノはそっぽ向いていた。
「あ、ありがとうな。……次は、オムライスが食べたい」
そっけないひと言が嬉しかった。昨日の夜泣いて眠った夜とは大違いで。
「うん!頑張って作るね、トキノ!」
本当にとても嬉しくてたまらなかった。
追記1:ゴーヤは苦くて、苦手。
追記2:さっき台所に食器を洗いに行って部屋に戻ったとき、トキノが独り言を言っていた。
「ご、……いや、違、えっと……て、……めんって言うのが……いや、でも…………ごめ……それとも、すまん……?」
何か悩んでいるみたいだ。明日、相談に乗ってあげようと思う。
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