第16日 終末暦6531年 3月16日(水)

 終末暦6531年 3月16日(水) くもり 夕飯なし


 今朝、朝ごはんに一階に降りていくと、テーブルは原稿用紙とコピー用紙で埋め尽くされていた。その周りで、クラブメンバーがまぶたにセロテープを貼っていた。話によると、執筆の準備らしい。ミナミさん曰く、「眠らないようによ。ランキング投票前の大事な時期だもの。アタシたちに寝ている暇はないからね。夜更かしすると、肌荒れちゃうけど背に腹はかえられないしね」とのこと。

 テープを貼ったミナミさんたちの顔がおかしくて、失礼だけどちょっと笑ってしまった。


「アラ、良かったわ。お嬢ちゃん、やっと笑ってくれた。昨日元気がないから心配していたのよ。やっぱり、貴女は笑顔が似合うわ~」


 ミナミさんに額をつんつんと突かれて、私は何だか恥ずかしくなった。つつかれたこともそうだけど、昨日不機嫌だったと思われてしまったことも含めて。


 ミスターサカグチが来るまではまだ時間があったので(注:クラブの用事で昼頃に迎えにいくことになったとミスマルオカに連絡が入っていたらしい)、ミスマルオカに勧められ、朝食のパンサラダを食べながらクラブメンバーの執筆の様子を見せてもらうことにした。ミナミさん以外にそこには4人のクラブメンバーがいて一つの机にひしめき合っていた。ミスマルオカも家事のあれこれを済ませて、そこに参加する。

 一言で言えば、それは地獄のような光景だった(注:私は地獄へ行ったことはない)。


 まず、誰もが眠そうだった。セロテープでまぶたを貼っているせいで、寝るときは白目になるみたいだった。そして、誰かが白目になると、それぞれの脇に置いてあるハエ叩きで額を叩くのだ。ミナミさんは寝そうになると、右手をピースの形にして自分の目に突っ込んでいた。最高に痛そうだった。

 そうして、彼らは執筆をした。テーブルの上で原稿用紙とパソコンを回して。

 原稿用紙(あるいはパソコン)に一文字綴っては隣に回し、回ってきたものに一文字綴り、また隣に回す。それを繰り返していた。後から聞いたら、”リレー小説”という、サカマキアルマジロクラブで発明された秘奥義執筆方法らしい。必殺技みたいでかっこいい。


「効率的にはどうなんだ、これ?」


 トキノはうーんと唸っていた。


 お昼頃になってミスマルオカが「うん、じゃあ、休憩!」と原稿を回収した。正直、助かった。あまりにもぐるぐると回るものだから目が回って気持ち悪くなってきたところだったから(注:この時点で、すでに何度かお手洗いをお借りしていた)。

 不思議なことに、ミスマルオカの手にあるのは原稿用紙が一束だけだった。


「ミスマルオカ、他の原稿用紙やパソコンはどこに行ったんですか?」

「みんな私の手元にあるわ。高速で回転させることで、ミックスしたの。すごいでしょ、リレー小説って」


 私が尋ねると、ミスマルオカは二つの口をにこりとさせて笑っていた。すごいなと素直に思った。


「さあ、みんな!お昼休憩後も頑張って続きを書きましょう!」


 すごい。そう思って、そして、疑問にも思った。


「あの、失礼になったら申し訳ないんですけど、一つ訊いても良いですか? ミスマルオカたちは何のために書くんですか? このテリトリは、我ら団や僕ら団の争いで、何かを表現することが難しくなってきているのに」

「ああ、何だ、そんなこと?ふふ、面白いこと聞くわね」


 ミスマルオカは考える間もなく、こう続けた。


「そりゃあ、ランキングのためよ。ランキングのためなら私たち、何だって書けるんだから」


 ミスマルオカさん、それにサカマキアルマジロクラブのメンバーたちが力強く頷いていた。まるで太陽のようにまぶしくて、頼もしく見えた。これだけの心を持って、書き続けることができるなんて。ランキングに載るのも頷ける。


「応援しています!」


 私は言った。トキノは何故か難しい顔でずっと黙っていた。もしかしたら、トキノもお手洗いに行きたかったのかもしれない。


 しばらくして、ミスターサカグチが迎えに来てくれたので、私たちはサカマキアルマジロクラブを後にした。ミナミさんには、何度も一段落したら風見堂のテリトリに帰るように念押しした。ミナミさんにまた抱きしめられたけど、今度は優しい力加減だった。


「大丈夫よ~。ランキング結果発表後にはそっちに帰るわ、約束よ。まあ、明日とかは屋敷周りで用事があるし、もしかしたらまた会えるかもしれないわよ」

「約束ですよ」

「ええ、約束は守るわ。来てくれて嬉しかった。またね」


 ミナミさんは言ってくれた。約束してくれた。


 ミスターサカグチと一緒に屋敷に戻ると、トウドウさんがまた、部屋の前で土下座していた。また汗で廊下が濡れて、水たまりみたいになっていた。


「どうしたんですか、トウドウさん!?」

「貴女方のお帰りをお待ち申し上げておりました」


 咽喉から引き絞るような声で、トウドウさんは言った。苦しそうだった。


「御伽草子オトギリ様が、貴女にお会いしたいとおっしゃっています。どうか会ってはいただけませんでしょうか?」

「待てって言ったり、会えって言ったり、身勝手すぎやしないか?」

「勝手は承知しています。ですが、何卒、お願いできませんでしょうか?」


 汗は増えるばかりだった。いつだったか雨の次の日に町中が海になったことを思い出した。もしかしたらこの屋敷も汗の海になってしまうかもしれないと、私は少しハラハラしていた。

 私はオトギリさんに会いたかった。彼女から『終わらない話』を受け取ることを目的に大変な旅をしてここまで来た身としては、やっぱり彼女に直接会ってみたいと思っていたから。それに、サカマキアルマジロクラブの人たちみたいに理由があって書いているなら、それはどんな理由だろうって思ったから。オトギリさんも会いたいと言ってくれているなら、これほど都合の良いこともない。


「私、会います、オトギリさんに。トキノも一緒に」

「本当ですか!?」

「おい、何を勝手に、」

「ぷにぷにするよ」

「横暴だろ……」


 トキノに了承してもらったところで、私はトウドウさんに強く頷いてみせた。トウドウさんの汗は引いて、彼の羊毛に素早く吸い込まれていった。


「分かりました。ご案内します」


 屋敷の一番広い部屋、花と鶴の華やかなふすまの部屋が、オトギリさんの部屋だった。トウドウさんがふすまを開けると、温かい風が廊下に吹き込んだ。


 そこは、あたり一面が白かった。壁や天井がなく、ただ視界いっぱいに白さが広がっていて。そこを、大小たくさんの本が飛び交っていた。ページをまるで羽みたいに羽ばたかせて、何百何千もの本が高いところ低いところ問わず飛んでいた。

 その中心に、白いベッドがあって、そこに寝ている人物が一人。トウドウさんに促されてそばまで近づくと、ベッドの際には機械がたくさんあって、たくさん点滅していた。投げ出すように伸ばされた腕には針が刺さっていて、ベットのそばに吊るされていた袋から管を通って液体が流し込まれていた。私は思わず自分の腕を抑えた。頭には紙袋がかぶせられていて、たぶん、目の部分だろう場所に穴が二つ空いていた。

 それが御伽草子のテリトリ管理者、オトギリさんの姿だった。


「どうして、こんな……」

「オトギリ、黄昏図書館の方が来てくれたよ」


 トウドウさんの声は優しくて、口調も柔らかだった。呼びかけた先で、かさりと音が鳴った。紙袋が掠れる音だ。


「……こんにちは、黄昏図書館から参りました。お会いできるなんて光栄です、オトギリさん」

「あらあら、可愛らしい女の子ね。こんなところまでようこそ。……ああ、こんな姿でごめんなさいね。でも、こうしてないとダメなのよ。許してちょうだいね」

「……」


 なんと言っていいのか分からなかった。しわがれて力がない、柔らかい声が、胸に刺さるようだった。

 オトギリさんが話すと、飛んでいた本がバサバサ暴れた。


「……あなたたち、お待ちなさいな。そう急くことはないでしょう?」

「オトギリ、」

「あなたもよ、トウドウ。どうか今は待っていて」


 トウドウさんが何か言いたそうにしているのを、オトギリさんがしっかりと遮った。


「今は彼女たちと話をしたいの」


 オトギリさんの言葉で、本もトウドウさんも静かになった。オトギリさんの顔がこちらを向いたとき、私はオトギリさんの首筋のしわを見ていた。


「お呼び立てしてごめんなさい。今日は、お仕事の依頼をしたくて来てもらったの。私の話を図書館の方に聞いてもらいたくて。影を記すあなたたちになら……今なら、私の話ができるんじゃないかって思ったの。……聞いてもらっても良いかしら?」

「……ええ、もちろん」


 そもそも、私だって彼女の話を聞きたくて、彼女に会うことに了承したのだ。私は彼女の話を聞くのだ。トキノはトウドウさんと一緒に黙っていた。


 それは少し長い話になった。私とトキノとトウドウさんは、たまに相槌を打ったりしながらそれを聞いていた。大体、こんな感じの話だった。



「了承してくれて、ありがとう。私が御伽草子なんて大層な名前で呼ばれるようになったのは、私の話を”まるで絵巻物でも見ているみたいに、目の前に色んなものが浮かぶんだ! 御伽草子だ!”って言った人がいたのがそもそもの始まり。目をキラキラさせているのがおかしかったのと、私が書いたお話をそこまで喜んでくれたのが嬉しかった。私はその人のためにお話を書いていた」


「そのうち、テリトリにランキング制度ができて、初のランキングで私は総合ランキング1位になったわ。驚いた。とっても驚いた。もちろん、誇らしい気持ちもあったのよ。それ以前から、自分が書いたものをみんなに受け入れてもらえたら嬉しいって思っていたから。けれど、いざそうなるとやっぱり戸惑いもあったわね」


「テリトリのみんなは私のお話を求め、私のお話は常に総合ランキング1位であり続けた。私は浮かれていたし、みんなのためにお話を執筆し続けた。……たくさんの作品を書く中で”いつもの作風と違う“”この表現は不謹慎だ”なんていう声もあった。私はそのたびに作品を作り替えた。みんなに認めてもらうためにね。今思えば、愚かなことだったと思うわ。そうして、私は自分の書きたかったものを見失っていったのだから」


「……おかしな話でしょう? 小説は事実よりも奇なりなんてよく言ったものね。いつしか、改善しても改善しても、みんなが納得のいくお話にできなくなってしまってね。改善すると批判があって、また改善すると別の批判があって、その繰り返し。だから、私は書くのをやめてしまったの」


「今、私が書いている話……『終わらない話』なんて呼ばれているようだけれど、そうじゃない。終わらないんじゃなくて、もう終わらせることができないのよ、私には。このお話は、私の手から遠くに離れてしまった。書きたいことも書くべきことも私にはもう分からなくなってしまった」


「でも、これが私にはふさわしいのかもしれないわ。私の最後のお話なんだわ、これが」


 オトギリさんは中空に細腕を伸ばしながらそう結んだ。その腕の先、白い上空に飛ぶ、ひと際大きい群青色の表紙の本。たぶん、あれが『終わらない話』なのだろう。


「で、それがどうしたんだ?」


 トキノだった。


「要するに『終わらない話』の完成予定はなしってことか?バカにするのも大概にしろ。俺たちは、ばあさんの昔話を聞きにこんなとこまで来たわけじゃない。自分の哀れな身の上を吐き散らすだけ吐き散らして満足か? え?」

「トキノ、何てこと言うの!?」


 あんまりだった。オトギリさんはただでさえ、こんな姿なのに。

 けれど、トキノはまだ懲りずに続けた。


「いくらでも言うよ、俺は。あんた、共感してほしかったのか?それとも慰めがご所望か?」

「トキノ!!!」


 掌が熱かった。私はトキノを手で叩いていた。トキノはのけぞるように吹っ飛んで、低空飛行していた本に突っ込んだ。

 何か言おうとして息を吸ったけど、言葉が出なかった。繰り返し、荒い呼吸を繰り返していた。トキノも私の方には何も言ってこなかった。ただ立ち上がって、歩き出した。


「あんたさ、物書きなんだろう? なら、書くと決めたら最後まで書くのが筋じゃないのか? こっちはあんたの書くあんたの話を待ってんだ。逃げんなよ」


 トキノはふすまの外に出て行ってしまった。トウドウさんもオトギリさんも、そして私もしばらく彼が出て行ったふすまを見ていた。


「……あの、その腕の、痛いですか?」

「え?」


 沈黙がいたたまれなくて、私はオトギリさんにそう尋ねた。怪訝そうな声だったので、慌てて腕の針を指さすと、

「そうでもないわ。慣れちゃったから」

 とオトギリさんは少し笑い、応えた。


 オトギリさんにトキノの非礼を詫びた。オトギリさんは「良いのよ。気に病まないでちょうだいな」と紙袋越しに首を横に振っているようだった。そして、「悪いけれど、一人にしてちょうだい」と言うので、私とトウドウさんは部屋の外に出ることになった。トキノは見当たらなかった。

 泊っていた部屋に戻っても、トキノは姿を見せなかった。どこに行ってしまったんだろうか(注:実は日記を書いている今も彼は戻ってきていない)。

 一人になると、色んなことがないまぜになって、自分の中でぐるぐるした。


 リレー小説、ミナミさんとの約束。

 オトギリさんの様子、彼女の話。

 そして、トキノを殴ったこと。


 全部がまるで、先日食べたドードーの風味くらいごっちゃになって、まとまらなくて。それで、ちょっぴり泣いた。

 トウドウさんが夕飯を用意してくれようとしたけど、食べられないので断った。



 追記:やっぱり一人は寂しい。トキノ、早く帰ってこないかな。

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