第15日 終末暦6531年 3月15日(火)

 終末暦6531年 3月15日(火) くもり パンカレー


 今日の朝は、トウドウさんの再びの土下座で始まった。朝と言っても10時すぎくらいまで寝ていたので、お寝坊さんだ。部屋のふすまを開けて、トウドウさんが部屋の前の廊下で頭を下げているのに気づいたときには、まだ私はパジャマ姿だったし、トキノも布団をモフモフしていた。話によると、トウドウさんは朝5時から私たちが起きるまでずっと土下座していたらしい。『終わらない話』の完成を今日も待たせてしまうことを謝りに来たとのこと。

 滝のように汗を流していて、部屋前の廊下はびしゃびしゃになっていた。


「本当でしたら、あなた方の到着より前に終わらせておくのが筋だと思うのです。本当に申し訳ございません。御伽草子のオトギリには執筆を急ぐように申しますので何卒」

「大丈夫ですよ、トウドウさん。オトギリさんには”良いものを書いてくださいね”とお伝えください。あと、土下座はやめてください。こっちも心苦しいので」

「あ、そうですか。じゃ、やめますね」


 トウドウさんはすっと立ち上がって、朝食準備に行ってしまった。

 私たちがこんなやり取りをしている間にも、布団の中でトキノは寝ぼけていた。


「むにゃ、やっぱキリン虫は無理」

「……トキノ、肉球ぷにぷにするよ?」

「あはは、おはよう良い朝だな清々しいな」


 そんな感じで朝のひと時は過ぎたのだった。


 午後には、テリトリの案内人であるミスターサカグチにテリトリ案内をしてもらった(注:サカグチさんと呼んだら「さん付けだと、男か女か分からないからミスターをつけてください」と怒られた)。

 昨日の大通りでの我ら団と僕ら団の争いはまだ続いているようだったので、御伽草子の屋敷の裏手にある住宅地の方を見せてもらうことにした。

 五色幕がたなびいているのは相変わらずで、御伽草子の屋敷とデザインが似ている木と瓦の建物が建っていた。屋敷と違うのは、それらの建物が所狭しとひしめいていて、見上げんばかりの高さがあったことだった。その分、道が狭くて入り組んでいる。人同士がすれ違うのもやっとだ。ミスターサカグチは、テリトリの食べ物とか建物のこととか、色々教えてくれた。もちろん、あの二つの団の争いについても。


「私は我ら団にも俺ら団にもついていませんがね、あいつらの争いには本当に迷惑しているんです」

「彼らに何かされたんですか?」


 心底迷惑そうな顔でミスターサカグチが言うので、私は尋ねてみた。そこまで言うということはよほどのことをされたのだろう。そう思ったが、ミスターサカグチは5本の腕を組みながら、意外そうな顔をしてこう言った。


「いや、直接的には何もされちゃいませんよ。あいつらの争いは大通りの区域だけって決まっていて、こっちの住宅地の方には手を出してきませんから。だけど、あの争いに関わっていないテリトリ民はみんな、私も含めて、あいつらを良く思ってはいません。あいつらは存在それ自体が、迷惑で害悪なのです。そのうち、良からぬことになりますよ。早く、御伽草子様たちがどうにかしてくれると良いんですがね、ほら、御伽草子様自身もここ数か月、テリトリに顔を出していないんです。それで、私たちも弱り切っているのですよ」


 私は屋台で買った串カツをもぐもぐしながらミスターサカグチの言葉を聞いていた。秘伝のたれがおいしすぎて、たまらなかった。でも、たれを二度付けしたら影になると屋台のおじさんに言われてしまったのでやめておいた。影になったら困る。


「代わりに、朝日図書館を中心に他のテリトリの図書館方が動いてくだすっています。おかげで一時急激に衰退していたテリトリ内の文学クラブの活動が、保たれているわけです。あの兄弟どものせいで、どの文学クラブの連中もびくびくしながら活動する羽目になっていましたから」


 そういえば、この前の雨の日、回してもらった書類整理の仕事の中に御伽草子のテリトリ関連の書類があった。もしかしたら、我ら団僕ら団絡みのものだったのかもしれない。

 確か、その書類の中で文学クラブに関する文章もあった。

 文学クラブは、テリトリ内の物書きが自分の執筆の傾向ごとにグループになっているものだ。

 私の足元をくるくるくぐりながら歩いていたトキノが(こういうのは歩きにくいのでやめてほしい)、呟いた。


「なるほどな。迂闊な言葉を使いすぎれば”僕ら団派”、逆に言葉を選びすぎれば”我ら団派”だって疑われるってか?」

「その通りです。まるで調味料です」

「なるほどな」


 トキノはそう言ったけれど、これだけではよく分からなかった。首を傾げていると、ミスターサカグチが周りの目をはばかるように身を寄せて耳打ちしてきた。


「これはあくまで一例ですが、我ら団の使用禁止語の中に”異世界”という言葉があるんです。執筆の際、これをうっかり使ってしまえば”我ら団派”、別の言葉……たとえば”僕らが住む場所とは別の世界”とか”異次元”とか”サフランから見たホエイパウダー”なんてわざわざ言い換えれば”僕ら団派”ってわけです。言葉のさじ加減が面倒なんですよ。……実際そのせいで、かつて私のいた文学クラブは住宅地から追放になりましたし」


 この説明で、私は少し調味料という言葉を理解した。やりすぎても、やらなすぎてもいけないのだ。


「文学クラブが追放になったなら、どうしてミスターサカグチは住宅地に残っているんですか?」

「そりゃあ、直前で別の文学クラブに移ったからですよ。物書きである以上、時流はつかんでいますよ。そもそも私は、書くことができればどこの文学クラブだって良いんです。たぶん、他にもそういう物書きはたくさんいますよ」


 ミスターサカグチはさも当たり前かのように言った。そういうものなのかなと不思議に思ってしまう。同じクラブの人ってことは、仲間じゃないのだろうか。一緒に何かを書いて素敵な話を書く。そういう仲間じゃないのだろうか。

 じっと考えていると、トキノが肩によじ登ってきた。


「な、ミスターよ。あんたも物書きなら、何かもっと楽しい話はないのかい?うちの奴にもっと面白くて楽しい話を聞かせてやってくれ」

「では、私の得意な怪談話を一つ。今、ちょうど執筆中なんです。エナジードリンクの香りがする影の話なんですがね、」

「いや、だからそういうの良いから。辛気臭いのじゃなくて面白くて楽しい話を頼む」


 エナジードリンクの影の話。面白そうだったからちょっと聞いてみたかったのに。

 ミスターサカグチは体を360度捻ってから、

「面白くて楽しい話ですか。じゃあ、サカマキアルマジロクラブへ参りましょう」

 と言った。


 しばらく東に進むと住宅地の外れに田園風景が広がっていた。そのまま信号機畑を左に曲がると、そのクラブの活動拠点があった。


 サカマキアルマジロクラブ。

 正式名称を《最近はやりのカマキリ小説に、アルコール成分、マジマジ戦争、ロールプレイングゲームを組み合わせたネオ・ポメラニアン文学の新境地を築く武士もののふたちのクラブ》といった。

「あいつら、某団もそうだったが、何でそんな長いんだ?分かりづらいだけじゃないか」とトキノが呆れ口調を隠さず言ったが、ミスターサカグチは「今、はやってるんで」とだけ返していた。名前は長ければ長いほど良いそうだ。


 このクラブはミスターサカグチが所属しているクラブというわけではなく、その派生クラブで、とにかく面白い話を書いている物書きが集まっているということだった(注:ミスターサカグチの所属クラブは、異世界ホラー系室内干しスペースオペラを専門に扱っているらしく、トキノがリクエストした”面白くて楽しい話”に反してしまうのだそうだ)。


「まあ、ここはファンタジージャンルのランキング10位以内に常に入っているクラブですから、おすすめですよ。総合ランキングも確か前回は30位以内でした。みんなに支持されているクラブです」


 ランキングという制度がこのテリトリにあるということは、トウドウさんにも聞いていた。

 仕組みはこうだ。月に一度、テリトリの住民たちが一人一票、好きな作品を出しているクラブに投票し、人気クラブを決める。ランキングは、総合ランキングとジャンルランキングに分かれていて、月の終わりに投票日があり月の初めに屋敷前と駅舎にある掲示板で結果発表をされる。ちなみに、自分の所属クラブへの投票は禁止されている。とてもすごい制度だ。さすが、物書きが多いだけはある。


 ミスターサカグチは、サカマキアルマジロクラブのリーダーのミスマルオカに私たちを紹介してくれた(注:ミスマルオカと呼ぶことになった経緯は、ミスターサカグチのときと一緒だ)。

 この頃には、もう夕方になっていた。ミスマルオカは「せっかくだし泊って行って。うちのクラブを見てほしいから。夕飯は作り置きのカレーになっちゃうけど」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。ミスターサカグチは、明日の朝迎えに来ると行って住宅地へと帰って行った。トウドウさんにも連絡しておいてくれるらしい。


 サカマキアルマジロクラブの活動拠点は畳6つ分くらいの広さの部屋がある三階建ての建物だった。一階は他の階より少し広くて、トイレやお風呂などが付いている。古ぼけた四角い木のテーブルに集まって何人もの物書きが必死に何かを書いていた。そして驚いたことに、私はその中に知り合いを見つけたのだ!


「ミナミさん!」

「アラ、お嬢ちゃんじゃなあい。奇遇ね!」


 あまりに嬉しくて大声で叫んでしまった。ミナミさんも嬉しそうに私を抱きしめてくれた。知らない場所でこうして知り合いに出会えるなんて素敵だ。

 話によると、イノウエさんが担当している雨漏りの修理が終わらないのでここに住み始めたのだそうだ。雨漏りが修理できたら、風見堂のテリトリに戻ってきてくれるらしい。


「まあ、その前からアタシ、ここで活動していたんだけどね。風見堂のテリトリの他の連中には内緒よ?でも、本当、お嬢ちゃんが来てくれるなんてミナミ、嬉しいわ~」


 ミナミさんは男らしい力で私をさらに抱き締めた。トキノが注意してくれるまで、息苦しい状態が続いた。


 ミスマルオカが二階に寝る場所を場所を用意してくれた。


「こんな可愛らしいお嬢さんと美人な猫さんが来てくれて嬉しいわ。今はちょうど月も後半だから、執筆でバタついているけれど、ごめんなさいね」

「いいえ、むしろこちらこそ、ごめんなさい。お忙しいときに伺って」

「そんな恐縮しないでちょうだい。ちょうど切羽詰まっているクラブメンバーが多かったから、どうにか息抜きしたいと思っていたのよ。そろそろ夕食にするし、よければ、そのときに貴女の話も聞かせてくれると嬉しいわ」

「私の話?」

「そう。今までの貴女の話をしてちょうだいな」


 そう言われて戸惑った。私の話。今までの私の話……。


「ミスマルオカ。悪いが、こいつは話すのが苦手なんだ」


 トキノがそう言ったとき、私はほっとした。ミスマルオカは肩をすくめていた。


「そう? ああ、大丈夫、無理強いはしないよ。猫さんの話でも大歓迎。何せ、ここに集まっているのは話好きなバカばかりだからね。お嬢ちゃん、パジャマとか歯ブラシとかWi-Fiとかシュレッダーとか、必要なものがあったら用意するから言ってちょうだい」


 ミスマルオカはそう言って夕飯の支度をしに、一階へ降りて行った。


 私はしばらくその場でぼうっとしていた。

 そして、ぼんやり考えていた。

 ”私の話”について、ずっと。


 夕飯はパンカレーだった。ミスマルオカのオリジナル料理だそうだ。メロンパンやフランスパン、チョコチップパンに餃子パン、ショパンやフライパンまであらゆるパンが入っていた。意外に、美味しかった。スパイスが良いのかもしれない。

 サカマキアルマジロクラブのメンバーたちは個性的な人たちばかりで、色んな話を聞かせてくれた。時計の針の宇宙侵略の話、愛が世界を救うために魔王を憎む話、鳥かごしか食べられない老人の話……どれもこれも素敵だった。

 トキノも負けじと面白い話をしようと頑張っていたが滑っていた。フォローはしなかった。私はカレーを黙々と食べていた。もしかしたら、感じが悪い子だと思われてしまったかもしれない。



 追記1:ミスターサカグチがずっと言っていた”みんな”って、一体誰のことなんだろう?


 追記2:男性がミスター、女性がミス。ミナミさんにはどっちをつければ良いんだろう?


 追記3:私の話なんて、ない。

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