第12日 終末暦6531年 3月12日(土)

 終末暦6531年 3月12日(土) 晴れのち雨のち晴れ ドードーの丸焼き


 真夜中少しだけ目が覚めた。たぶん、まだ日付が変わってすぐの頃だった。私たちを背に乗せて、キサラギさんは大きな翼でサイハテの空を飛んでいた。

 私は毛布を被ったまま、顔だけを出して当たる風を感じていた。冷たい風ではあったけれど、どこか甘い香りがする風だった。鼻先を掠めるそれに懐かしさを感じて、私は目を閉じたままその香りを嗅いでいたのだ。トキノも毛布の端に潜り込んでいる。

 そんなときだった。キサラギさんとトキノが、会話をしているのが聞こえた。


「トキノ、風向きが悪い。が近づいて来ておる。少し迂回しても良いかのう?」

「ん?別に構わない。というか、を撒くにはそれしか方法がないんだろう?」

「うむ、左様。しかし、それもそれで問題があってな。……確か、お前のその娘は雨がダメじゃったろう?」


 いきなり私の話題が出てどきりとしたけど、何となくそのまま寝たふりをしてしまった。こっそり二人の話に聞き耳を立てた。


「……雨は、避けられないのか?」

「何かを避ければ、別の何かにはぶつからねばならぬじゃろうて。を避けるには、現状、雨雲の方へ突っ込むしかない。何でもかんでも避けて、逃げる。そんな都合の良い話はない」

「そりゃそうだな。迂闊な発言だった。忘れろ」

「ははっ!本当に迂闊な奴じゃ!あまりに迂闊すぎて、忘れられんじゃろうな!!」


 キサラギさんが轟くように笑った。


「主らのような存在が、迂闊に生命樹のテリトリにやってくるからこうなるのじゃ。触れなければ、は主らを見つけることはなかったのに」


 キサラギさんは喋り続けて、トキノは黙っていた。


は、主らのような存在とは似て非なるもの。隣人であり、赤の他人であるべきもの。語るべきではないが、いつか語らうべきもの。今は……そうさな、言うなれば、主らの理屈の通じぬ相手よ。まだ、主らが主らで在りたいのなら、に捕まるべきではないの。さて、どうする?」


 キサラギさんはトキノにそう尋ねた。トキノはしばらく黙っていた。

 やがて、毛布がもぞもぞしてトキノの声がした。


「……お前、まだ寝ているよな?」


 囁くような声だった。トキノの鼻先が私の鼻先に触れたのが分かった。そのセリフは疑問の形ではあったけれど、実際はただの確認だった。私は変に息を殺さないように、寝息っぽい息を保ち続けるしかなかった。


「……キサラギ、雨の方へ向かってくれ」

「娘に内緒で、勝手をして良いのか?」

「良いんだ。道を選ぶのは、いつだって俺の役目だ。俺の役目で良い」

「……そうか」


 キサラギさんは返事をして、そして、空に吠えた。


「ならば、良かろう!!それが主の選択ならば、ドラゴンであるわしは、止めるべくもない!!くれぐれも背中から落ちぬように頼むぞ!」


 キサラギさんに応えるように、空気が鳴いたように感じた。さっきからしていた甘い香りが掠れて霧散していくのが分かった。トキノは私のそばにいてじっと動かない。やがて、風がごうっと鞭を打つようにしなって、キサラギさんが飛ぶのに邪魔なすべてのものが消し去られていくのが分かった。


 そこから先は正直、あまり覚えていない。きっと雨が降る場所に差し掛かったのだろう。そして、たぶん相当強い雨だったはずだ。

 怖くて、怖くて、怖くて、ひたすら怖くてたまらなかった。誰かが必死に私を呼んでいた。きっとトキノだと思うけど、別の誰かだったような気もする。咽喉が裂けて、鼻がキュンと痛んでしまうような。どこかに消えてしまいたくなるような。体の重さも感覚も、渦を巻いてぐるぐるとしてそのままの勢いでどこかに飛んでしまうような。

 長い長い時間、キサラギさんは雨の中を飛んでいたと思う。もしかしたら、私がそう思っただけで実はあまり長い時間じゃなかったのかもしれない。途中で、時間の感覚もなくなっていた。

 ただ、そんな中で、毛布とトキノの温かさは不思議と感じられた。怖くてたまらなくてすべてが押し流されそうになりそうだったけど、私はそれにすがっていたのだった。


「着いたぞ」


 私が目を開けたのは、トキノがそう言いながら私を突いたときだった。それまで力強く閉じすぎていたせいか、目を開くときに少し痛かった。


 私たちは駅舎にいて、並んで黄色いベンチに座っていた。雨を感じさせないほど、お日様が明るく高く昇っていた。電光掲示板がいくつかあって「サーカスのテリトリ、勿忘草わすれなぐさ駅へようこそ!!」と表示されていた。

 私は肩の力を抜いた。何だか泣きたい気分になったけど、泣くことはしなかった。


「キサラギさん、ありがとうございました」

「うむ、どういたしましてじゃ。さて、ここから竜胆駅まで一駅じゃ。くれぐれも、もう電車の乗り間違えはしてくれるなよ」

 キサラギさんは、長い飛行の後とは思えないくらいさっぱりとした笑顔を浮かべていた。今は大きなドラゴンの姿ではなく、女の子の姿だ。私は頷いた。トキノは文句を言っていた。

「ここまで送ってくれるんなら、竜胆まで行ってくれても良いんじゃないか?」

「あのテリトリは苦手でな。その代わり餞別をやる。これで許せ」

 キサラギさんはそう言って、ドードーを一羽くれた。キサラギさんに足を持たれて逆さ吊りになったドードーは、白目をむいていた。


 そうして、私たちは運命線で竜胆駅へと出発した。キサラギさんがドラゴンの姿でしばらく並走するように飛んでいたけれど、一声吠えると遠くの空へと飛んで行った。

 電車には消火器の代わりに、何故かバーナーが備え付けてあった。車内案内によると「キリン虫撃退用」らしい。夕方ごろ、私たちはそれを使って、ドードーを丸焼きにして食べた。味付けがなかったので、あまりおいしくなかった。


 追記:もうじき、竜胆駅に着くようだけれど今日の日記はここまでにする。今夜目的地に着いたら着いたで荷解きなどで忙しくて、日記を落ち着いて書けないだろうから。到着してからの出来事は、明日の日記で書くことにする。

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