第11日 終末暦6531年 3月11日(金)

 終末暦6531年 3月11日(金) 星の海とか 夕飯なし


 結論から言えば、私たちは今日目的地である御伽草子のテリトリには着くことができなかった。予定では、今日の朝には到着していたはずだったのだけど。


 そのとき、まだ電車は星の海にいて駅に停車していた。時間は午前4時だった。とても眠かったけど何故か目が覚めてしまって、何で目が覚めたんだろうなんて考えていたらアナウンスがぼんやり聞こえたのだ。機械的だけど明るい女性の声だった。


「‐‐‐‐本日は生命線をご利用いただき、誠にありがとうございます。繰り返し、ご乗車のお客様にお知らせいたします。当電車は午時葵ごじあおい駅を出発いたしますと、彼岸花ひがんばな駅まで停車せずに運行いたします。他線へお乗り換えのお客様は当駅をご利用ください。また、この先、電車が急上昇する場合がございます。つり革におつかまりになるか、座席のシートベルトをご利用ください。当電車、まもなく発車いたします」


 それを聞いて、本格的に目が覚めた。寝る前より乗客が減っていたけれど車内にはまばらに立っているものがいた。車内の明かりは外の暗さに合わせて、オレンジの裸電球がゆらゆらと揺れるばかりだ。


「……おはよう、トキノ。トイレ」

「ん、ぁあ?トキノはトイレじゃありません。とか言っている時間はないな。荷物見てるから行ってこい。一人で行けるな?」

「……行けなくは、ない」


 私はトキノを起こして、一人でトイレを済ませた。どうにか発車に間に合って、座席でシートベルトを装着した。荷物も一緒に固定する。

 そのときには、車内にはほとんど誰もいなくなっていた。同じ車両には、色のない人が数人乗っている程度だった。


 発車してしばらくすると、電車が大きく傾きだした。急上昇とは言っていたけれど、電車は地面に垂直に上に向かって速度を上げる。私はトキノをしっかり抱えた。車体が激しく揺れている。

 私たちの目の前を、色んなものが下へと転がっていった。


 電車に元から積んであったらしい消火器やどこかから外れたらしいつり革。

 おしゃぶりや哺乳瓶。

 ページが破れた絵本や絵の具で汚れたスモック。

 金具が壊れたランドセルや吹き口がボロボロに欠けたリコーダー。

 写真うつりが悪い学生証に赤点のテスト。

 筒に入れられた卒業証書にホチキスで留まった論文の束。

 丁寧な字の履歴書にやっぱり写真うつりが悪い社員証。

 千切れた領収証、よれよれのスーツにネクタイ。

 ヒールのある靴、きらきらの結婚指輪。

 ゴルフボール、毛糸。

 写真がいっぱい貼ってあるアルバム。

 遺書。


「しっかりつかまっておけ!!振り落とされるぞ!」


 目の前を流れていくそれらをぼうっと見ていると、トキノがそう叫んだ。

 色んなものに交じって、色のない人たちも一緒に落ちていく。色のない人たちは他の車両にもいたようで、隣の車両(注:上の車両と言っても良いかもしれない)からもたくさん落ちてきていた。不思議なのは、その誰もが悲鳴もあげず、怯えもせず、黙って無表情のまま落ちていくことだった。私は落ちていくものを見下ろした。


「トキノ、あの人たちは!?」

「今は自分が助かることを考えろ!」

「でも、」

「バカ!俺は俺が助かることだけでせいいっぱいなんだ!お前はお前で、お前自身が助かることに集中しろと言っているんだ!」

「でも、でも、」

「うるさい!!今を見ろ!!頼むから、!!!」


 私たちはそう叫びあった。いつものトキノにはない気迫に気圧されて何も言えなくなってしまった。口を閉じて、上を見上げたら、窓の外の星の海も振動しているように見えた。遠くにきらりと光る大きな姿が見えて、ドラゴンが飛んでいるのが見えた。

 そこまで目にして、電車の中に視線を戻すと、まだ色んなものが落ちていた。何だか胸のあたりがきゅっとして、もやもやして、目をぎゅっと閉じた。星の海とは違う、赤とか緑とかのチラチラとした細かい光が暗闇の中を飛んでいるのを私はずっと睨み付けていた。耳鳴りがして、頭が少し痛かった。ベルトにずっとすがっていた。


 急上昇が終わると、途端に電車の走りは静かになった。それまでの騒々しさとは裏腹に、電車はガタンゴトンと規則的に走っていた。目を開けると、荷物もトキノも無事で、窓の外にはお日様が空をすっかり照らしていた。外には大きくて立派なシロクジラの群れが飛んでいて、その上に変な鳥がたくさん止まっていた。本当に文字通り、時間が、彫像みたいに変な顔で遥か遠くを見据えている。「ありゃ、ドードーだ」とトキノは教えてくれた。

「後ろの車両にたくさん落ちたね。どうなったんだろう?」と尋ねると「落ちたものは、落ちたんだ」と言われた。


 それからあまり時間が経たないうちにまた車内アナウンスが流れた。


「本日は生命線をご利用いただき、誠にありがとうございます。ご乗車のお客様にお知らせいたします。次は終点、彼岸花駅。終点、彼岸花駅でございます。最近、お体のお忘れ物が増えております。首や手足など、お忘れになられないようご注意ください。本日は生命線をご利用いただき、誠にありがとうございました。またのご利用をお待ち申し上げております」


 私たちは彼岸花駅で下車をした。断崖絶壁にある駅だった。私たちを降ろした後、電車はしばらく線路に沿って走っていった。でも、線路はすぐ崖際で途切れていて、そのまま崖の下に落ちていった。

 チケットをよく確認したら、午時葵駅で運命線に乗り換えなければならなかったことが判明した。


「……電車、間違っちゃった」

「……間違っちゃったな」


 二人してそれ以上言うことが見つからなかった。

 ただ風が吹いていていた。空気が冷たくて私は黒マントを体に巻きつけた。

 ホームの時刻表を見る限り、生命線は一方の方面しか運行していないようで引き返すことは出来そうになかった。

 おまけに、私たちのチケットだ。ここがどこのテリトリなのか分からないけれど、私たちのチケットは御伽草子のテリトリに入るためのもので、ここのテリトリに入ることは許されていなかった。つまり、駅舎から出ることはできない。

 こうして、彼岸花駅に私たちは取り残されたのだった。


「ようこそ、《生命樹》のテリトリへ。まさかお主らからやってくるとは思わんかったぞ」


 途方に暮れてただ駅舎で彼岸花を眺めていたそんなとき、そんな高らかな声が聞こえた。


「それとも、もう良いのか、トキノ?」

「余計なお世話だ」


 隣にいたトキノの視線を追うと、いつの間にそんなところにいたのか、その声の主がいたのは電車用の信号の上だった。赤い点滅をするそれの上で、私と同い年くらいに見える女の子がニヤリと笑って膝を立てて座っていた。

 真っ青な空をそのまま身につけたようなワンピースに、同じ色の長い髪と目。そして、頭の左右に曲がった白い角が一本ずつ。その姿は紛れもなくドラゴンのキサラギさんだった。

 キサラギさんは、以前一度私のアパートに遊びに来て引越し祝いをくれたことがある。


「近々、そっちに遊びにいくと言うてあったと思うが、わしに会いたくて気が急いたのかのう? あるいは、このサイハテの最果てに用でもあったか? トキノはまだしも、そこの娘はまだ早かろうて」

「こんにちは、キサラギさん。本当は私たち、御伽草子のテリトリに行く予定だったんです。電車を間違えてしまいました」


 私はキサラギさんに一部始終を説明した。


「それは、うっかりさんじゃの。まあ、そういうところが愛い奴なのじゃが。良いか、娘。生命線なんて、終点までずっと乗るものではないぞ。途中、どこでも良いから、少なくとも一度降りねばならぬ。一息ついたら、もう一度乗る。そして、走る。最期まで、終わりまで走るのじゃよ。そうせねば、ほら、可哀想なことになる。いや、駆け抜けた、終わり抜けたという意味ならばそうでもないかもしれんが」


 キサラギさんは赤信号の上であぐらをかいて、電車が落ちた方を指差して言った。でも、私は電車自体ではなくて、電車が急上昇したときに落ちたもののことを思い出していた。


「しかし、まあ、主らとは浅からぬ縁がある。そうさな……《サーカス》のテリトリまでなら送ってやれないこともない」


 願っても無い、ありがたい申し出だった。サーカスのテリトリはちょうど御伽草子のテリトリに接している。サーカスのテリトリ自体は入れないけれど、駅まで運んでもらえれば何とかなるはずだ。キサラギさんにお礼を言うと「どこのテリトリも自由に行き来できるのがわしらドラゴンの特権じゃからな」とまた笑っていた。


 キサラギさんの体がふわりと浮かんで、大きな牙を持った気高い姿に変身した。お日様の光に照らされた鱗が綺麗だった。その姿は一度見たことがあったけど、乗せてもらったのは今回が始めてだったので、ドキドキした。


 私たちは今キサラギさんの背中に乗っている。朝にはサーカスのテリトリの近くに着くそうだ。かなり風に当たって寒いので、持ってきたお気に入りの毛布を使おうと思う。



追記:お腹が空いた。キサラギさんは、さっきドードーを捕まえて食べていた。食べられるときも、ドードーは面白い気難しい顔のままだった。

 

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