第9日 終末暦6531年 3月9日(水)

 終末暦6531年 3月9日(水) くもり マグロとアボガドのアヒージョ


 今朝、テレビ男さんがアパート前に俯せで寝ていた。


 ちょうど仕事に行くときに、アパートの階段下で発見したのだ。朝には昨日の海はすっかり引いていて、あちこちに水たまりが残っているだけだった。テレビ男さんはいつものジャージ姿で、頭からつま先までびっしょりに濡れていた。周りには、ゴミ袋とそれに入っていたらしいティッシュが散乱していた。

 風邪を引いたら困ると思ったから、テレビ男さんの背中を何度か叩いて起こそうとしたんだけど、何度叩いても起きなかった。困ってトキノを呼ぶと、真っ青な空みたいな目を見開いてどこかに走っていってしまった。


 眠ったままのテレビ男さんを一人にするわけにはいかなかったので、私は図書館に連絡を取ってちょっと遅れると伝えた。余談だけど、このときまたイノウエさんがトイレに流されてしまったそうだ。


 そこから、たぶん2、3時間経って、アパートの周りは人だかりができていた。とても混雑していた。その中の何人かがテレビ男さんを仰向けにした。テレビ男さんのテレビ画面には、真面目な顔した男の人が何人か映っていて、真面目そうな話をしていた。音声も画面も途切れ途切れで今にも消えそうだった。


「これ、やばくない!?」


 そう叫んだのは、203号室のアマネさん。心臓を三つ持っている親切なお姉さんだ。ここにやってきたばかりの頃、トラの心臓をくれた。やばいのかやばくないのか、アマネさんの言い方だとよく分からない。


「こりゃ、どういうわけだい。物騒な。この子みたいな小さい子もいるところで……。何てむごいことだろうね。誰だい、こんなことした外道は」


 そう答えたのは、アパート向かいでお総菜屋さんをやっているメザキさん。メザキさんはここにやってくると、真っ先に私の目を目隠ししたのだ。なので、この時、目の前は真っ暗だった。


「うーむ?メザキ女史、まだ誰かの仕業と決めつけるのは早いお。多角的に考えないといけないと思うお。あ、ちなみにあたくしは、状況的に、んん、スーパーウルトラメカニックシステマティック爆裂波動粒子全破壊光線的な何かで、吹っ飛ばされたんじゃないかと思うお!うむうむ、我ながらかなりの名推理だお!あたくし天才過ぎるおぅあお!!」


 メザキさんにそう言ったのは、カラエダさん。確か、普段は高利貸しのテリトリに住んでいるはずだ。何か用事があってここまで来ていたのだろうか。


「うちのアパートでこんなことになるなんて最悪。面倒すぎるわ。早く、葬儀屋が来て、持ってっちゃくれないかしら。生前も死後も迷惑かけるなんて嫌になっちゃう」


 ため息交じりにそう言ったのは、このアパートの大家のオオヤさんだ。香ばしい匂いがしたから、たぶん煙草を吹かしている。


 そうやってみんな、色々好き勝手言っていたので、私も疑問に思っていたことを口に出してみた。その疑問の先は、一番近くにいたメザキさんだ。


「ねえ、どうして、誰もテレビ男さんを起こしてあげないんですか?テレビ男さん、寒いと思うんですけど。せめて、毛布をかけたりとか……」

「それは……」


 そしたら、メザキさんが口ごもってしまった。メザキさんの体は大きくて温かいから毛布じゃなくてメザキさんをかけても良いかもしれなかった。そう後から思った。


「メザキ、彼女に目隠しをする必要はない。取ってやりなさい。この子もサイハテの住人で、我らの友で、恐らくはそこで倒れている男の友でもあるのだから」


 凛とした声がして、みんなの好き勝手が止んだ。

 目隠しが取られて、すぐ目に入ったのはカザミさんだった。カザミさんはいつもの赤いお洒落なコートを着て、赤い縁の眼鏡をかけていた。背の高いカザミさんは、いつもしゃがみこんで私に視線を合わせてくれる。その赤みがかった髪の上にはトキノが手足をだらんと伸ばして乗っていた。だらしがないと思った。


 ここのテリトリを治めている風見堂の女主人、カザミさん。この人を目の前にすると何だかとっても不思議で体がポッとなる感じがする。いつ見てもかっこいいと思う。(と言っても前回会ったのは、私がサイハテにやってきたときのこと。つまり会うのは二回目だった)


「こんにちは、小さき友。君よりもっと小さい友から話は聞いた。今回は災難だったな」

「こんにちは、カザミさん。災難かどうかはよく分かりません。ただ、一番災難なのは、こんな大勢の人に寝顔を見られているテレビ男さんだと思います」

「テレビ男?」


 カザミさんが首を傾げた。周囲にたくさん集まっている人たちは、カザミさんの発言を耳を澄まして聞いていた。その中で、テレビ男さんの音声だけが結構目立っていた。


「ああ、彼のことか」


 数秒考えて、カザミさんはすぐにそう笑った。軽く微笑むようだった。


「なるほど、君は彼をそう呼んでいたのか。それなら私も君に倣って、彼をそう呼ぶとしよう」


 さて、とここでカザミさんは一呼吸置いてから立ち上がり、みんなに振り返った。そして、長く話していたので、もしかしたら細かいところは間違えているかもしれないけれど、大体下のような感じだったと思う。


「諸君、今日、我らは貴重な友を失った。このアパートの住人であり、我が風見堂でロケット鉛筆の芯を取り換える仕事をしてくれていた、通称テレビ男と呼ばれる者だ。私は彼と数度言葉を交わしただけ縁ではあるが、それでも言い方を変えれば、少なからず縁があったとも言うことができるだろう。言葉を交わすとき、いつも彼はたくさんのティッシュ箱を持ち歩いていた。風見堂のティッシュ箱は彼のためにあったと言っても過言ではない。恐らく、それほどまでに彼はティッシュを愛していたのだろう。だから、今もこうしてティッシュに囲まれ、幸せそうに議論番組を垂れ流しているのではないだろうか。見ろ。丸まったティッシュが、地に落ちても尚、純白に輝き花のように美しい。きっと彼はこのティッシュの花のように気高く在り、そしてその気高さのまま散ったのだ。そんな彼の終わりに敬意を表し、異例ではあるが、彼が影になってしまう前に、図書館の者に記してもらい、その後、葬儀屋に事を頼もうと思う。もし弔いの気持ちがある者がいるなら、せめてもの手向けにティッシュ箱を供えてやってほしい」

 カザミさんの言葉にあちこちで拍手が起こった。私も拍手をした。カザミさんは丁寧にお辞儀をして、みんなを見回していた。


 その後、黄昏図書館から館長のイヌイさん、館長の付き人のミイケさんがやってきた。結局、一日仕事を休んでしまう形になってしまっていたのでそのことを謝ったら、

「良いんよ。大変だったって聞いたし。辛かったね。大丈夫?」

 というようなことを言われたので

「私は辛くはありませんよ」

 と答えた。


 あとはカザミさんと館長でやっておくという話になり、私もトキノも他の大勢も解散した。部屋に戻っても、しばらく外では話し声が聞こえていた。


 夕飯は、昨日のマグロとアボガドを使ったアヒージョだった。トキノが作ってくれた。オリーブオイルとニンニクがとても良い味を出していた。実はアボガドはあまり好きじゃないんだけれど、アヒージョに入っていたアボガドは美味しかった。



 追記:3月31日(木)…私は3月9日から31日まで、ずっとテレビ男さんを見かけていない。どこに行ってしまったのだろう。また、組織の話を聞かせてほしい。

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