第8日 終末暦6531年 3月8日(火)
終末暦6531年 3月8日(月) 海(晴れ) ネギトロ丼
朝起きると、サイハテが海になっていた。文字通りの意味だ。地面から空の遥か彼方まで、水で満ちていた。空中(水中?)には、魚の群れが建物の合間を縫って泳いでいた。
とっても驚いて、腕の中で寝ていたトキノを起こすと、
「ひとのこと叩き起こすほど元気になったんだな」
と嫌味を言われた。そう言われるまで、私は昨日のことをすっかり忘れていた。我ながら調子が良い話だ。
トキノが言うには、雨が降った後はたまにこうして町が海になるんだそうだ。いつもこうなるわけじゃなくて、たくさん雨が降った後限定らしい。こんな光景初めて見た。
空は水の揺れで歪んでいたけれど、日差しがきらきらと綺麗だった。日記を書いている今は、ゆらゆらとしている月の光が静かに町を照らしている。
トーストを食べながら、窓の外を指差すとトキノは魚について色々教えてくれた。
「トキノ、あのきらきらしてたくさんいるのは?」
「あれは、イワシ」
「トキノ、あの魚とんがってるよ」
「あれは、カジキ」
こんな感じ。流石は猫。魚には詳しいみたいだった。
ずっと見ていたら、窓のすぐ外を青い鱗が横切った。
「トキノ、あれは?」
「あれは、バカ」
「バカ?」
バカっていう魚かなと思っていたら、またその魚が通って、窓を叩いてきた。私は窓を開けた。そうしてから部屋に水が入ってくるかもって気づいたけど、水は部屋にはなんて入って来なくて窓を境に膜のようになっていた。
バカと呼ばれた魚は「あートッキーじゃん!おひさ〜」としゃべった。魚はしっぽの方は青い鱗だったけど、上の部分は人間だった。つまり、人魚だった。
「誰がトッキーだ、バカ。風見堂のテリトリは出禁食らっていたはずだろ。カザミに見つかったら刺身にされるぞ」
「トッキーが心配してくれるとかチョー嬉しいんですけど!あの魔女に見つかるくらいどうってことないね!だってトッキーが守ってくれるっしょ?」
「バカを守る余裕はない。カザミを敵に回したいわけあるか」
凄いと思った。だってトキノと人魚が知り合いなんて思わなかったから。
「ところで、そのちんまいのはトッキーの女?気にくわないんですけど」
人魚さんが私を指差してきた。指の爪まで鱗みたいにキラキラして、小さな宝石のようなものがいっぱいついていた。素敵だなって思ったけど、手を洗うときに不便だなとも思った。
私は勇気を出して人魚さんに挨拶をした。
「あの、こんにちは。私、トキノと一緒にここに住んでいます」
「一緒に住んでる?!トッキー、やっぱそーゆー趣味だったんだ。でも、大丈夫!あたし、どんなトッキーでも愛せる自信あるよ」
「バカ違うよバカ!」
なんだかよく分からなかったけど、トキノが興奮した人魚さんを宥めていた。
何か失礼なことを言ってしまっただろうか。心配になって黙っていたら、トキノの話を聞いていた人魚さんが、イワシの群れから一匹ずつ捕まえて食べながら、
「なるほー!とりま、トッキーとあなたが怪しい関係じゃなくて友達ってのは分かった!まあ、当たり前だよね、トッキーは私のだし。あ、あたしの名前はウオノメ。トッキーのお嫁さん、覚えといてね〜」
と声をかけてくれた。体の鱗もそうだけど、声もとても綺麗なのだ。それにしてもトキノにお嫁さんがいて、それが人魚だったなんてびっくりだった。
そうこうしているうちに、黄昏図書館に行く時間になってしまった。いつもの黒フードをみにつけると、窓からぬっと腕が伸びてきてウオノメさんがフードをつかんできた。
「ん?お仕事?じゃ、一緒に行こう、黒ずきんちゃん!トッキーも!」
黒ずきんちゃんなんて初めて呼ばれたけど、ちょっと良い名前だと思った。
私とトキノは外に引っ張り出された。慌てて口を押さえて息を止めたけど、水の中なのに不思議と息ができるようだった。私たちは町の中をぷかぷか浮かんだ。私は泳げなかったけど、ウオノメさんが引っ張ってくれた。
「すごい。飛んでるみたい」
「黒ずきんちゃん、おもろいこと言うね〜。空を飛ぶのはドラゴンで、水を飛ぶのはあたしたちだね!」
「うん」
いつも見ているはずの町がウオノメさんの鱗みたいに輝いて素敵に見えた。思い返せば、今日のこの海は、私が怖がっている雨からできたもの。そう考えると、何だかそわそわしてくる。
昨日作った影の資料を図書館の棚に入れて、私たちは仕事に取りかかった。まだまだやることはたくさんあったけれど、ウオノメさんとテリトリ内を回りたくてお届けもののお仕事をいくつか引き受けた。途中で道草を食ったり、届けものを分担したりして、仕事が全部終わった頃には、もう夕焼けが零れて消えるところだった。風見堂のテリトリにある小高い丘に座ってそれを眺めていると、ウオノメさんが綺麗な声で歌を歌ってくれた。
「夕焼け雲にさらわれた」
「あの子の自由はどこへ行く」
「水に残るは夢童話」
「終わりなき日々の悲しさよ」
「素敵な歌ですね」
思わずそう言った。
「意味はよく分かんないけど、良い歌っしょ?《御伽草子》のテリトリの人に会ったときにね、作ってもらった歌なんだ。黒ずきんちゃんも今度行ってみてよ」
ウオノメさんが言った。
御伽草子テリトリには行ったことがない。是非訪ねてみたいと思った。
ウオノメさんは夕日と月が交代する頃に帰っていった。テリトリ出禁になっているのに、また海ができたときに来てくれるそうだ。楽しみだ。
夕飯にはトキノが獲ってくれたクロマグロでネギトロ丼を作った(実はネギトロ丼とは名ばかりで、ネギの代わりにクレソンを使った。なので、厳密に言えばクレトロ丼だ)。トキノはこれに加えて、タコワサというものを食べていた。タコの親戚だろうか。
追記:3月22日(火)…ウオノメさんはトキノのお嫁さんじゃなかった!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます